2015年10月8日木曜日

デイ サービスの 話

 
 
デイサービス「まちなか」外観    
 
 
フロント  
 
 
浴室付近 


マッサージ機などの部屋
 
 
 

アピアの フィット リハ
いきなり こんな 話に なって、ごめん なさい。わたし 自身、これまで 「介護制度」の問題を ブログで とりあげる こと など 考えた ことも なった のですが、最近 いろいろ あって、こんな ことに なりました。しばらく おつきあい ください。

わたしは 201311月 から ことしの 8月末 まで 毎週1回、市内の リハビリ 施設にかよって いました。わたしの ばあい、「要支援1」と いう ことで、介護保険を 利用できます。この 施設は、稲荷元町 アピア1Fに あり、「アピア フィット リハ」と 呼ばれて います。この道 30年の 実績が ある との ことで、スタッフも 施設(レッド コードや トレーニング マシン など)も 充実して いる 感じ です。

 わたしが いちばん 感心した のは、「通所者の 安全第一」と いう 意識が スタッフの みなさんに 徹底して いる こと です。毎回 スタッフが クルマで 通所者 自宅の 玄関まで 迎えに きます。無事に 乗車・着席できた のを たしかめて から シートベルトをしめる。そのあと 運転手席に もどって、発車。運転も「安全第一」。交差点では、クルマの流れが 途切れる まで じっと まちます。施設に 到着すると、べつの スタッフが まちかまえて いて、荷物を もったり、(よろけそうに なったら)体を ささえたり します。

 ここでの リハビリは、おもに レッド コードや トレーニング マシンを 使って、身体の 機能を 維持(回復・増進)する こと。その 結果と して 日常生活の 中で、ツマヅク・コロブ などの あやまちを 予防する こと。そして、できれば 死ぬまで、人手を 借りずに 飲食・排泄・入浴などの 作業が できる ように する こと でしょうか。

 

デイ サービス「まちなか」
  わたしは アピアの フィット リハで 十分 満足して いた のですが、とつぜん ことし9月 から 千石町の デイ サービス「まちなか」へ かよう ことに なりました。それは、妻 信子の 希望に あわせたと いう こと です。

  ことし、わたし95歳、信子91歳。結婚した のは 19452月、大日本帝国 敗戦の 直前でした。わたしどもの 結婚生活は 日本国 敗戦直前に はじまり、すでに 70年の歴史を きざんで います。安倍 総理は、「終戦 70周年」を 機会に「積極的 平和主義」を唱えて おられる との こと ですが、95歳 老人と しては、敗戦後 せっかく 立てた「不戦の ちかい」を いまさら 捨てる 考えは さらさら ございません。

 いや、ここは 天下国家の 話を する 場 では ありません。わたしども 夫婦の 話に もどります。70年間の あゆみを ふりかえって みると、人生の 転換点と いえる 時期が いくつか ありました。

  敗戦後、天津で 帰国船を まちきれず、(日本再建の 道を さぐる ため)旧華北交通の知人に さそわれて 張家口(八路軍地区)へ  まいもどった 時。

  帰国後、ようやく 公立学校 教員と して 就職しながら、「なんとかして、中国語に つながる 仕事を したい」と 考え、52歳で 退職を 申し出た 時(日中国交回復 直前)。

 そんな 時、方向転換を きめるのは いつも わたしで、信子は だまって ついて きて くれました。そのかわりと いうか、わたしの イキザマに かんする 基本方針に 反しない かぎり、なるべく 信子の 希望に あわせる ことに して います。帰国 当時、わたしの 両親が いた 北海道へ 帰る 予定に して いましたが、途中 信子の 実家に たちより、信子の 母のつよい 希望も あって、そのまま 富山に 住みつく ことに なった のも その 一つ です。

 ことしの 夏、信子の 体調が よく ない ことに 気づき、週に 1回 くらい デイ サービス などの 施設を 利用する ことを 提案しました。はじめは アピアの フィット リハをすすめましたが、本人が うんと いいません。姪の 美織さんも 心配して、最近 できた ばかりと いう 「デイ サービス まちなか」を 紹介して くれました。すると、こんどは いっぺんに 気にいった 様子で、そのあと 毎週 欠かさず かよって います。そればかりか、わたしにも「まちなか」へ 変更する よう 提案しました。

 わたし 自身は アピア フィット リハの 方式で 十分 満足して いましたし、スタッフや お仲間の 人たちと おわかれする のも さびしい きもちが しましたが、いまは なにより 信子の 体調回復が 最優先の 課題。一も二もなく、信子の 提案に したがう ことにしました。

 

デイ サービスの 内容
 アピアの フィット リハ から デイ サービス「まちなか」に 切りかえた ことで、あらたに 見えて きた ことが いろいろ あります。まず 第一に、おなじく 介護施設と いっても、設立の 目的や 基本的な 運営方針には チガイが あり、利用できる サービスの 内容も マチマチ です。利用者と しては、まず 複数の 施設に ついて「どんな スタッフ、どんな 設備が そろって いて、どんな サービスが うけられるか」を 検討し、納得できる 施設を えらぶ ように したら よい でしょう。

 信子が まちなかを えらんだ 理由の 第一は 「ゆったりした 気分で フロに はいれる」と いう こと でした。フロに はいる だけ なら、自分の うちの フロでも おなじ だろうと 考えると、そこが オオマチガイ。うちで フロに はいった あとは、カビ防止の ため、かならず フロ場 掃除を しなければ なりません。これが 高齢女性に とって、かなりの 重労働と いう ことに なる ようです。いっぺんも フロ場 掃除を した ことの ない わたし ですが、ナルホドと 思いました。

そこで、あらためて まちなかの 施設全体を ながめて みると、最初から この 施設の目的に あわせて、十分に 計算し、ねりあげられた 設計だと いう ことが 分かります。浴室・トイレ・通路など、すべてに ゆとりが あり、安全感・清潔感が あります。集会室 などを とりまく 通路を 一周すると、けっこうな 歩行訓練 コースにも なります。

全体と して、女性目線 からの 提案が 多数 採用されて いる 感じです。

 

介護施設の ヨビナ
  それに しても、介護施設を めぐって さまざまの ヨビナが あり、どうも 分かりにくい ですね。まず カイゴシセツ [介護施設]と いう ヨビナは、お役所ふうで 固い 感じがする ためか、民間の 介護施設では 「フイット リハ」「デイ サービス」「デイ ケア」など、ハイカラな ヨビナを 使って いる ところが おおい ようです。

カイゴ[介護]と いう コトバは、 もともと 日本語と しては なじみの うすい 漢語です。もっと 分かり やすい コトバが あれば、呼び変えて よいと 思います。しかし、フイットや リハと いう コトバの ほうが 日本語と して 定着して いるとも いえない でしょう。その点では、デイ サービス くらい なら 大多数の 人に 分かって もらえる かも しれません。

 

分かり にくい 介護用語
毎月 地域包括 支援 センター から「サービス 利用票」と いう 文書を いただいて います。その「サービス 内容」と して「予防通所 介護1」と 書かれて います。ここまでは 分かりますが、つづけて「予防通所介護運動機器機能向上加算」と 書かれて いる のは、どんな 意味 なのか 分かりません。「予防通所に よる 介護」の うち、「運動機器を利用して 身体機能の 向上を はかる 場合の (費用)加算」と いう 意味かも しれませんが、テニヲハ ぬきで 漢字だけ ならべて みても、日本語と して 通用しません。

こうした 意味不明の 日本語を つくりだし、通用させた のは だれか?それは 日本中央政府の お役人さんたち です。地域包括 センターの 事務担当者たちは お役所の 指示に したがって、この「意味・国籍不明」の用語を 使い、事務を 処理して いる だけ なの でしょう。
  日本語は、わたしたち 日本人 みんなの もの です。お役所の 指示を まつ までも なく、まず 自分たちで よく 考え、分かり やすい コトバを 育てあげ、広めて ゆく ように したい  もの  です。

2015年9月17日木曜日

カツラ[桂・楓]と ケイ[桂]の話

 
 
ウシオ[海潮]の カツラの 木(島根県雲南市)
 
 
カツラの 雄花 
 
 
カツラの 果実 
 
 
クスノキ科の ニッケイ[肉桂] 
 
 
 内山邸のガマ[]
 
(画像は いずれも、当日 配布された 講演資料に よる)
 
 

『古事記』を 読む会の 研修会
96()午前、茶屋町の 豊栄稲荷神社 社務所で 『古事記』を 読む会の 研修会が あり、富山大学 和漢医薬学 綜合研究所 教授 服部 征雄さんが「古事記に 見る 和薬と 香木」と 題して 講演されました。

 服部さんは まず、古事記・万葉集などに 出てくる カツラ[桂・楓]と 『本草綱目啓蒙』・『神農本草経』などに 出てくる ケイ[] とは 別種の植物だと 指摘されました。

わが国に 自生する カツラ[](学名:Cercidiphyllum japonicum)は、カツラ科 カツラ族の 落葉高木。中国の ケイ[]は、クスノキ科、モクセイ科の 植物。漢方薬に 使われる 桂皮・桂枝・肉桂は、クスノキ科の シナモンで ある。わが国の カツラと 同じ植物は 中国には ない。

 つづいて、古事記、大国主神、稲羽の シロウサギ[素兎]の くだりの記事(「カマノハナ[蒲黄」に くるまる」、「キサガイ[𧏛](赤貝)・ウムガイ[]チシル[乳汁]を ぬる」など)を とりあげ、「古代に おける 火傷の 治療法」であり、「蒲黄は 神農本草経に 収載されている 薬物で、純粋に 和薬とは 言えないが、八世紀には 中国本草学が 日本に 知られていた 事の 証である」などと 指摘されました。

 いろいろ 勉強させて いただき ありがとう ございます。先生の お話に シゲキされて、 日本語の カツラ・カマ、漢語の ケイ[]・ホ[] などの 用語に ついて、音韻の 面から すこし 考えて みる ことに なりました。

 

カツラ=カ[髪・香]の ツラ[絃・列]
 植物学上の 分類は 別と して、日本語の カツラの 語音や 意味の構造に ついて 考えて みましょう。カツラは「カツ+ラ」の 構造と 解釈する ことも できますが、「カ+ツラ」の 構造と 解釈する ほうが 分かりやすい でしょう。[]ツラ[列・連]は、髪の ツラナリ。つまり、髪型・ヘアスタイルを 表わす コトバ だったと 考えられます。

 しかし、古事記に 登場する カツラ[桂・楓]は「井戸の ほとりに ある ユツカツラ[湯津香木]」など、あきらかに 植物の ナマエと して 語られて います。髪型か? 植物名か?いったい どっちで しょうか? コタエは 簡単です。まず 髪型を 意味する カツラと いう コトバが 成立し、やがて「カツラの 姿を もつ 植物」も カツラと 呼ぶ ように なったと 考えられます。

カツラ[]の ツは 清音ですが、髪型の カツラは カヅラ とも 呼ばれます(連濁の 現象)。また、カツラは いっぱんに 「カ[]の ツラ[列・連]」と 解釈されて いますが、「[]の ツラ[列・連]」と 解釈する ことも できます。カ[]も カ[]も、「k-する(ヒッカク・ヒッカカル)もの」と いう点で 基本義が 共通して います。

 日本在来種の カツラは、「カ[髪・香] ツラ[列・連]」の 姿からの 命名と 思われますが、古事記に 出てくる カツラ[桂・楓]の 実態に ついては、いろいろ 問題が あります。と いうのは、古事記が もともと 学術的な 歴史書では なく、伝承に もとづく 物語的な性格を もつ 文書で あり、その 記事の すべてに 学術的な 整合性を 求める のは ムリムダ、そして ヤボな 話だと いう ことです。とりわけ「井戸の ほとりに ある ユツカツラ[湯津香木]」の 記事の 背景と して、中国の ケイ[]に かんする さまざまな伝承を とりこんで、壮大・華麗な 物語に 仕立て ようと した 舞台うらが 見えて きます。

 

ケイ[]=カ[]なる木
 中国語の ケイ[]と いう コトバの 戸籍調べを して みましょう。『学研・漢和大字典』には、

ケイ[]kueggui. 「木+音符ケイ[]」の会意兼形声文字。全体が△型に育ったよい形をしている木。[](かっこうがよい)と同系のことば。

と 解説されて います。ごらんの とおり、ケイ[]k-k音 タイプの 語音で、カツラk-t-r音 タイプの 語音。語頭の k-音だけが 共通で、あとは まったく 別々の 音形 なので、意味も 別々と いう ことに なります。ただし、ぎゃくの 見方を すれば、語頭のk-子音を 共有する 分だけ、意味の 面でも 共通の 姿を 表わすと 考える ことも できます。そういえば、どちらも「カッコイイ」姿を 表わして いる 点は 共通です。

 

カマ[鎌・釜・竈・蒲]と ホ[]
 ついでに、日本語 カマと 漢語 ホ[]の 語音に ついても すこし さぐって みましょう。カマ[鎌・釜・竈・蒲]は、動詞 カム[噛・咬]の 名詞形で、「カム もの」が 共通基本義と 考えられます。個別に いえば、草や 木の 枝などに カミつく ハモノが カマ[]。食品に カミつく 姿の 容器が カマ[]。たき火に カミツク・カマエル 姿の 構造物が カマ・カマド[]、と いう ことに なります。カマ・ガマ[]に ついても、カマノハナ[蒲黄](画像参照)の 姿 から「カミつく もの」と しての 命名と 解釈でき そうです。

漢語 ホ[蒲]に ついては、「艸+音譜 ホ[浦]」の 会意 兼 形声文字で、「水ぎわに 生える 草の 名」と 解されて います。漢字音はbuagpu. つまり、p-kタイプの 語音ですから、k-mタイプカマとの 対応関係は ほとんど ゼロです。しいて いえば、カマの 語頭子音と ㇹ[蒲]buag 語尾子音が ともに k()で 対応して います。その点では、この ホ[蒲]は ホ[浦・捕・補・補]ハク[薄・迫]など とも 共通点を もって います。たとえば、ホ[浦]は 「波風が フキよせ、水面が 陸地に ニクハク[肉薄・肉迫]する 地形」。ホ[捕]は「対象を パクリ とらえる 姿」。[補]は「布を ツギハギする姿」と いう ことに なります。

ヤマトコトバの p-k音語と いえば、2音節動詞 だけでも ハク[吐・掃]・ハグ[剥]・ヒク[弾・引]・フク[吹・葺・振・更]・ヘグ[折・減]・ホク[祝・呪] などが あり、それぞれ p-k音 漢語との 対応関係も ある ようです。
 ここまで 日本語と 漢語との 音韻対応関係 ばかり おいかけて きましたが、英語音をふくめて 比較して みれば、さらに あらたな 発見が ある ことと 思います。

2015年9月2日水曜日

ブログを 再開します 

 
 
日本海文化悠学会 7月例会
 
 
  • 「悠学」第1集 表紙 
 
 
志田先生を偲ぶ会 記念講演 
 
 
同上 懇親会場  
 
 
北日本新聞記事 
 
 
 

ブログ 再開の ごあいさつ
710日号 以来、長期間に わたって ブログを 休ませて いただき、たいへん 失礼いたしました。おかげさまで、「教育・文芸とやま」21号の 応募原稿は シメキリ 1週間前の 818日に 提出する ことが できました。

さくねん 20に のせて いただいた 原稿は 「『アユの 風』を 考える…ヤ行音の 意味」という タイトルで、「日本語の アユと いう 語音は、動詞 アユ[零・肖]・アユム[]・イユ[癒・被癒]・オユ[]や 名詞 アヤ[漢・文・綾]・アユ[]・オヤ[] などと 同系の 語音」であり、「アユ[]=弓で 矢を 射る 姿の 魚」、「アユの 風=矢を 射る ようなはげしい 風」と 指摘しました。

ことしの 応募原稿は「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音 地名を 読む」というタイトルで、地名 ニヒ[]・ネヒ[婦負]を 中心に、動詞 ナフ[]・ヌフ[]・ネバフ[根延]・ノブ[延・述]や 名詞 ナハ[]・ナヘ[]・ナベ[]・ニハ[]・ニヒバリ[新治]・ニヘ[]・ヌヒバリ[縫針] など、n-p音 日本語の 発生・発達の 問題として 議論して みました。あわせて、「メヒ から ネヒへの 音韻変化」や「漢語・英語のn-p音との 対応関係」などに ついて、私見を のべました。12月 中旬 発行の 予定です。

 

「悠学」第1集 発行
7月24日(金)、日本海文化悠学会 月例会の 席で、会誌 第1集が 配布されました。会が 結成されて から 3年、全会員が 協力して つくり あげた 会誌 第1号です。まずは 表紙 デザインの みごとさに おどろき、つづいて カカラー 印刷の 写真や 図表が くみこまれて いるのを 見て、「カッコイイ 作品に なったな」と 感心しました。

 表紙は、佐藤 芙美 会員 (洋画家)の 作品。すばらしい センスですが、問題は、会誌の内容です。目次を 見ると、たしかに 多彩です。

 第1部 「婦負」の 歴史を 求めて

 越中と 頼光の 四天王…宮原 利英

 渡辺氏の 実態を「渡辺党」の 動向から 探る…五十嵐 顕房

 古文書から 野積谷を 考える…五十嵐 俊子

 祖父岳…山口 悦子

 「牛ヶ首用水」地名考…仙石 正三

 (中略)

第2部 コトの 始まり

 弓から 生まれた 古代の 琴…北河 美智子

 スミノエ神は Mr. Smith だった (仮説)…イズミ オキナガ

 越中から 日本を 見る…中島 信之

 歴史と 文化の 薫る まち「ふるこはん」…針山 康雄

 古代 立山信仰の 源流を 探る…関谷 克己

 そして 最後に、「活動記録」「会員名簿」「会則」「日文悠 ニュース」などが 記録されています。

 わたしは もともと 歴史学や 考古学の 門外漢です から、みなさんの 研究報告を 読ませて いただいて、「ああ、そう だった のか」と 感心する ばかり ですが、その 研究報告に 用いられる コトバや モジに ついては、いろいろ 注文を つけたい 感じを もっています。

 たとえば、第1部の タイトルを 「『婦負』の 歴史を 求めて」と したのは 編集者の 見識を しめす ものと して 高く 評価したいと 思います。ただし、せっかく「『婦負』の 歴史…」を タイトルと して おきながら、ネイ[婦負]と いう 用語に かんする 解説記事が見あたら ないのは、いささか 残念です。ネイ[婦負]は、歴史カナヅカイでは ネヒ。『万葉集』など では メヒ[婦負]と 呼ばれて いた ものが、m-子音 から n-子音への 音韻変化の 結果 ネヒと なり、さらには ネイと 変化した ものと されて います。それにしても、地名 メヒは ナゼ 漢字で [婦負]と 表記された のか?親族関係を あらわす メヒ[]と まったく おなじ 音形なのは ナゼか?そう いった ナゾを 解説して くれる 記事が あれば、「日本海文化 悠学会」の イメージに ぴったりだと 思う のですが、いかがで しょうか?

 第2部の 「コトの 始まり」に ついても、おなじ ことが いえます。コトと いう 語音は、漢字で [事・言・辞・琴・箏・殊・異]などと 書き分け られて いますが、ヤマトコトバと しては もともと 1語です。それだけでは ありません。コトは カタ[方・肩・形・潟・片]・クチ[]・クツ[靴・沓] などと ともに k-t音 タイプの 語音で あり、動詞カツ[搗・勝](カチワル)・クツ[](クダケル)などと 同系の コトバです。さらに いえば、漢語の カツkatge・クツgiuetjuや 英語の cut(切る、掘る)などにも 対応する 語音です。

 学問研究には、一つ一つの 用語に ついても、客観性・合理性が 求められ ます。ネイ・メイ・コト などの 用語に ついても、日本・北陸・富山県と いう ローカルな 意味・用法に あわせる だけで なく、漢語や 英語の n-p, k-t音との 対応関係を 利用して 議論する ことが できれば、それだけ 説得力が たかまり、いちだんと グローバルな 議論ができる でしょう。こうした 基礎 がための 作業が「日本海文化」学習の コトハジメに なる のでは ないで しょうか?

 

志田先生を偲ぶ会
726日(日)。富山市長江の 長念寺で「志田延義先生を 偲ぶ会」が 開催されました。この日、記念講演の席で 大村 歌子さんが「志田 義秀・志田 延義・志田 麓 三学者の 足跡」と 題して 講演されました。「志田文庫(富山県立図書館収蔵)に ついて」、「素琴(志田 義秀)先生と 内田百閒の 交流」、「志田家と 佐佐木 信綱・由紀子 夫妻との 関係」、「ヘルン文庫と 志田家の 関わり」などの 項目に ついて、それぞれ 関係者(内田 百閒・大田 栄太郎 など)の 証言記録を そえて 解説された ので、たいへん 説得力が ありました。

志田 延義先生は 山梨大学 名誉教授・国語審議会 委員・日本歌謡学会 創立者などの 肩書を もつ 偉い 学者先生ですが、わたしが はじめて 先生に お目に かかった のは、知人に さそわれて 出席した 文学(?)学習サークル での こと。その 会場が 長念寺ですから、まさに 「寺子屋」の 感じ でした。てもとに 正確な 記録は ありませんが、このサークルは 10年 以上 つづき、『歎異抄』・『親鸞和讃』・『教行信証』などが テーマと して とりあげられ ました。延義 先生は 毎回 講義用 テキストを 準備して 出席者に 配布し、全力投球で 講義され ました。そして 講義の あと、わたし など まったくの 門外漢を ふくめ、参加者 から さまざまな 質問や 意見が だされます。先生は、それを 正面から 受けとめ、ていねいに 解説されました。

 そんな 先生の 人がらに 引かれて、ついつい サークルの 定例会 以外の 日にも 長念寺へ おしかけて、いろいろ 教えて いただく ように なりました。わたしは 中国語 専攻ですが、日本語と 漢語(中国語)と 英語の 音韻比較作業を つづける 中で、日漢英 語音の 対応関係に 気づき、かってに「象形言語説」と いう 仮説を 発表したり して いました ので、自分の 作品が まとまる たびに、先生に 読んで いただき、助言を お願い しました。

 19919月、社会評論社 から『コトダマの 世界…象形言語説の 検証』を 出版した とき,先生は 地元の 北日本新聞 紙上に「『コトダマの 世界』を 読んで」と いう 紹介記事を よせて ください ました。この 記事の 中で 先生は、「江戸時代には、五十音図の各音もしくは各行に特定の意義をみようとする音義説あるいは言霊論が行われたが、近代国語学・言語学ではこれを非科学的として顧みないことにした。しかし(その後)上代特殊仮名遣い(甲・乙の別」が明らかにされ、上代の漢字音も次第に確かめられるようになり、上代語の意義がより正確にとらえやすくなった。泉さんの象形言語の仮説は、この新しい科学的道具をも活用して、音義説・言霊論を科学的に再構築することを目指したものだ」と 評価され ました(当時の 状況に ついては、ブログ「コトダマの 世界」2011.9.27号、「五十音図を 見なおす」の 項を 参照)。 あれから もう 20年 以上に なりますが、わたしに とって いちばんの「心の ササエ」で あり、ま た ハゲマシ とも なって います。

2015年7月10日金曜日

アジサイの季節

 
アジサイA 6/12
 
 
アジサイB 6/25  
 
 
いたち川 6/25 
 
 
悠学会研修会  6/26  
 
 
こしのみちのなか公開講座 7/4 
 
 
古事記を読む会 7/5  
 
 
 

アジサイの 季節
 この ところ、いたち川の 遊歩道 でも、白銀町の 小公園 でも、いたる ところで アジサイの 花が 目に はいります。アジサイは、夏の 季語だ そう ですが、語源は よく 分からない ようです。漢字で [紫陽花]と 書かれる ことが おおい のですが、それは まったく 別の 花の名だ との 説が あり、アヂサヰ[味狭藍]・アヅサヰ[集真藍] などの 説もある よう です。中国では [八仙花baxianhua]などと 呼ばれて いる ようです。

 

悠学会の 研修会
626日(金)午後、豊栄稲荷神社日本海文化悠学会の 研修会が ありました。佐藤 稔さんが「鵜飼と 祭祀・祭儀の 謎」に ついて、北河 美智子さんが「琴から 見える こと」に ついて、山口 悦子さんが「布谷 渡辺家の 墓標」に ついて 報告されました。それぞれ 7月に 発行予定の 会誌「悠学」 第1集に のる 論文の 予告編と いう ことで、おもしろ そうな テーマ ばかりです。ただ、この日の 報告を 聞いた だけ では、まだ 疑問点 だらけで、議論の しようが ない 感じです。まずは、会誌の 論文を 読んだ うえで、じっくり 議論させて いただき たいと 思います。

                                                      

「越中水橋門徒と 越後柿崎」
7月4日(土)午後、千代田町 丸十Fで「こしのみちのなか」の 公開講座久保 尚文さん(大山歴史民俗研究会会長)が「越中水橋門徒と 越後柿崎」に ついて 基調講演。尾田 武雄さん(日本石仏協会理事)と 太田 浩史さん(となみ民芸協会理事)も コーディネーターとして 参加されました。

 じぶんが 日本人で あり ながら、ろくに 日本の 歴史を 知らない。この 北陸の 地で、じぶんの 先祖たちが どんな 生活を して いたか、どんな 信仰を もって 生きて いたかも 知らない。そう いった 現実を 思い知ら され ました。

 これ までも、富山県に むかし 東大寺の 荘園が あった ことなどは 知識として 知っては いましたが、じぶんの 生活とは 関係 ない 話と 思って いました。「北陸は イナカだから、天皇家 中心の 日本歴史とは 関係 ない だろう」ぐらいに 考えて いました。それが おおきな マチガイだったと 気がついた のは、最近の こと です。

 先日、小説『西行…いのちなりけり』を 読んだ ことは、この ブログでも お話し しましたが、あの 西行が 生きて いた時代(11181190)に 親鸞11731262)も おなじ シャバの 空気を すって いた 計算に なります。こんど 久保さんの お話を うかがって、「西行・法然・親鸞・平氏・源氏・荘園・修験者」などの 相関関係が ようやく すこし だけ わかってきた 感じです。ありがとうございました。

 

ヤマトタケルに ついて
7月5日(日)午前、豊栄稲荷神社『古事記』を 読む 会の 研修会。こんど から、会員が もちまわりで 研究テーマに ついて 報告し、つづいて 質問・討論を すすめる  方式に なりました。その トップ バッターと して 近藤 智秀さんが「ヤマトタケルに ついて」報告 されました。

まず、『古事記』に えがかれた ストーリーを 概括して、つぎの 3点を 指摘。

*ヤマトタケル命の 性格と して「乱暴・残忍・狡猾・勇敢・軽率・女々しい」などの 点がみられる。

*女性の 力が ヲウスの 危機を 二度 救って いる(焼津・走水)。

*天皇では ない ヲウス命が 物語の 主人公に なって いる。

 さらに、『古事記』と『日本書紀』の 記述を 比較した うえで、つぎの ように 指摘。

*物語の 大筋は 同じ。しかし、ヲウスの 性格や 説話に 対する 視線に 大きな 違いが感じられる。人情味 豊かに 種々の 感情を 示し、悲劇的要素を 色濃く 打ち出して いる 『古事記』と 律令国家の 史書と して 天皇に 対し 忠実で 従属的な ヲウスを えがいて いる 『書紀』との 差で あろうか

わたしは、古事記・万葉集などを 日本語研究の 基礎資料 見る 立場 から、 人名・地名 ついても、「ヲウス・ヤマト・ タケルなどの 呼び名に、それぞれ どんな 意味が こめられて いたか」、「ヤマトは、ヤの マトか、それとも ヤマのト か」など、ネホリハホリ 追求する 姿勢 必要では ないかと 提案 しました。

日本語・漢語・英語などの 民族言語は、それぞれ 独特の 音韻感覚 もって いて、その音韻感覚を もとに、その 民族言語の 語彙体系 組織されて います。単語は 音節・音素の 段階まで 分析する ことが でき、それぞれの 段階で なんらかの 意味 表わします。コトバの 意味(の根源)は、その コトバを 発声する ときに、発声器官に 生じる感覚(音韻感覚) こと です。

 現実問題と して、どの 民族言語も 比較的 小数の 音形(音節や 音素)で、無限に 多数の 事物に 対応する 語彙体系を 組織する 方式と なって います。そして、語彙を 組織する 原理・原則は「語音(音形)と音韻感覚との 関係」に たよる ほか ありません。そのため 各民族言語の 音韻感覚は かなり チグハグな ものに なって います。しかし、さらに よく 調べて みると、基本的に おなじ タイプの 音形を もつ コトバは、民族の ワクを こえて 共通の 基本義を もって いる ことが おおい のも 事実です。

 ヤマトタケルの ばあい、まずは ヤマトや タケルの 音韻構造や 感覚を たしかめ、(韻面 からの)同族語を チェックして おく 作業が 必要かと 思います。たとえば、タケルは t-k, t-k-rの 構造を もつ コトバ ですが、やがて 英語take(手に取る), tackle(とりくむ) など にも 対応する 基本義を もって いると 考えられます。   

 次回 (9月の 予定を104日に 変更)は、イズミが「マキムクの 日代の 宮」に ついて 報告する 予定 です。

 

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