2015年11月11日水曜日

「アユの風」から「メヒ・ネヒ[婦負]まで 

 
 
 
 
ゆーとりあ越中 7F 窓 から 11/2
 
 
 N家の花壇 11/3 
 
 
雪見橋 から     11/4 



落葉と 影  11/4
 
 
カモちゃん、おはよう!  11/5  
 
 
ベンチへ、どうぞ!  11/7  
 
 
1023()日本海文化悠学会の 例会で「『アユの風』を 考える」と 題して 報告させて いただきました。ことし 3月に 北陸新幹線が 開通し、在来 平行線を 引きつぐ 第三セクターの ナマエが「あいの風 とやま 鉄道」と 決まった こと などで、「アユの 風」「アイの 風」という コトバが しきりに 使われる ように なりました。しかし、「アユ(の風)」の 語源に ついては、まだ 十分に客観的・合理的な 説明が つかない まま、コトバの ほうが かってに 先走りして いる 感じが します。北陸の 住民に とって、いまや「アユ(の風)」は 重要な 観光資源でも ある わけ なので、商品知識と しても、説得力の ある 語源解説を 身に つけて おく 必要が あると 思います。
「アユ」に ついて 国語辞典を 見ると、「風の 名。アユノカゼ とも」(『時代別・国語大辞典・上代編』・三省堂)、「[東風] 上代 北陸方言。ひがし かぜ。あい。あいの かぜ。あゆの かぜ」(広辞苑』・岩波)などと 解説して いますが、なぜ トウフウ[東風] なのか、なぜ 名詞 アユ[]や 動詞 アユ[](あやかる)・アユ[](こぼれ落ちる)と 同音なのか、客観的・合理的な 解説が ありません。
アユ(の 風)=東風」と 解釈する 論拠は、大伴 家持が 歌の 中で 「越の 俗語に、東風を アユノ カゼと いふ」(No.4017)と 注釈して いる こと でしょう。たしかに、この 注釈は 重要な 証言です。しかし、この 証言 だけで 「一件 落着」と 考えると したら、それは 「ガキの 使い」と いわれる かも しれません。同一種類の 自然現象を,ヤマトコトバでは その 音韻感覚に したがって アユという 音形で 表わし、漢語では 漢語の音韻感覚に したがって トウ・dongという 音形で 表わして います。どうして そういう ことに なった のか? そのへんの メカニズムを、だれもが 納得できる ように、客観的・合理的に 解説する ことが 言語研究者の仕事では ない でしょうか?
ゆっくり 説明する 余裕が ない ので、結論から さきに 申しあげます。漢語の トウ[]は 上古音・現代音とも tung (現代中国の ピンインでは dongだが、無気の 清音)。イズミの 分類では、トウ棟dong・ドウ動dong・ツウ通tong などと ともに t-k音 グループ。「ツク・ツキトオル」姿を 表わす コトバを つくります。漢字 トウ[]の 字形も、もともと 「中に 心棒を 通し、両端を しばった 袋の 形」の 象形で あり、方位名の ヒガシ[]とは 関係が ありません でした。ただ、ばらばらの シナモノを フクロに つめこむ ことに よって、商品は 東西南北 どこへ でも 効率よく ツキトオル(移動・流通する)ことに なります。方位名としての トウ東dong (ヒガシ)は、「太陽が ツキデル・ツキトオル 姿」から 生まれた コトバ。また、シナモノ[品物]の ことを、現代漢語で トンシ 東西 dongxiと 呼んで いる のも、「東西に ツキトオル(流通する) もの」だから です。
漢語の 世界で 見られる 「トウ[]と ドウ[]・ツウ[]」との 関係は、日本語の「アユ」と「アヤ」・「アユ」・「アユム」との 関係に おいても 見られる 現象 です。上代日本語の 段階で 動詞 アユ[](下二。こぼれ落ちる)・アユ[](下二。似る。あやかる)や 名詞 アヤ[綾・文・漢]・アユ[鮎・風位名] などが 成立して います。ここに 出てくる ア音は、ヤyay-音 脱落、つまり []の 姿と 解釈する ほうが 分かりやすい でしょう。アユ[]は「(血や 汗が) 矢のように フキデル・ツキデル姿」、アユ[]は「矢が 並ぶ 姿(どれも みな おなじ)。あやかる 姿」。もともと 1語と 見られる コトバです。アユ[]も また、「矢が ツキデル・トビデル 姿」の 魚 です。「鮎子 サバシル[]」の サは 接頭辞と 解説されて いますが、もとは サ[](矢の 古語)で あり、「矢の ように 走る(ツキデル)姿」を 表わして います。
そして 結論は、「アユの 風とは、矢が ツキサス ような はげしい 風」の こと であり、「東風・東北風 などと 直接の 関係は ない コトバ だった」という こと です。ただし、方位・風位 など 抽象的な コトバが 生まれる 過程は、日本語 でも 漢語 でも 似たような もの だった という 言語史の 1例 でも あります。
この日の 報告では、ヤ・アヤ・アユ・アユム などの 「ヤ行拗音の 基本義」を とりあげ、さらに「漢語・英語の 拗音との 比較」まで 議論を すすめました。出席の みなさんは、95歳老人の ユメ物語 みたいな 議論に さいご まで つきあって くださいました。ありがとう ございます。
 
11日(日)午後、藤木 美織さん(信子の 姪)の クルマに 便乗して 富山空港へ 向かいました。信子の 妹の 西田 恵美子 さん(千葉県に 在住)と 長女のstkさん 親子をむかえる ため です。二人の 来訪は 数十年 ぶり。いまどき、てっきり 新幹線でと 思って いたら、stkさんが 母親の 年齢の ことを 考え、すこしでも 安楽な コースを と、わざわざ 飛行機に した との こと。なるほど、そいう 考え方も あるんだと 思いました。
空港で 二人を むかえた あと、一行 5名、そのまま、神通峡「ゆーとりあ 越中」へ 向かい ました。ここで ゆっくり おしゃべりして、ゆっくり 夕食を 食べ、ゆっくり 温泉に ひたり、部屋へ もどって からも 夜 おそく まで、ゆっくり おしゃべりして いました。それで いいんです よね。せっかく 「ユトリの 越中」へ 来た のです から。
ここは、高山線 笹津駅の 近く、つまり 神通川の 上流に あたり、「神通峡」と 呼ばれる地域 ですが、町村合併の 結果、いまは「富山市 春日」と なって います。旅館で もらった タオルにも 「神通峡、春日温泉」と うたって います。
「神通川」と 「メヒ・ネヒ[婦負]」
温泉に ひたり ながら、そして そのあと ずっと 「神通川」と「春日」という 地名の由来に ついて 考えて いました。両方 とも、以前 から 気に なって いる コトバで、ブログで とりあげて イズミ説を 展開した ことも ありますが、富山市の「春日」に 気がついた のは、これが はじめて です。
大伴家持の 関連で、『萬葉集』の 中で、カタカヒ[片貝]・ハヒツキ[延槻]・ウサカ[鵜坂]・ヲガミ[雄神]など、富山県の 河川の ナマエが 多数 紹介されて いますが、ジョウガンジ[常願寺]ジンズウ[神通]と いう ナマエは 見あたり ません。そのかわり、メヒガハ[売比河波]・メヒノコホリ[婦負郡]などの 地名が 歌いこまれて います。文脈 から 見て、メヒガハは[婦負川]で あり、神通川の 古称だと 推定されて います。ただし、当時の 神通川は、おそらく 富山市内で 常願寺川と 合流して いたと 考えられて います(松川~いたち川の 線)。そうだと すれば、神通川も 常願寺川も いっしょにして メヒ川と よばれて いたかも しれません。
それよりも 気になる のは、メヒ[婦負]と いう 表記法 です。「女性背負う 姿」かと 思われますが、国語辞典や 地名辞典を 見ても,そこまで つっこんだ 解説は 見つかり ません。そこで、イズミ仮説を 立てて みました。
上代語の 段階で メヒ[姪]と いう 名詞が 成立して います。「兄弟の 女子」を さすコトバ ですが、「一族の 繁栄」を 連想させる エンギの よい コトバだ った よう です。メヒ川の ばあいも、神通川と 常願寺川が 合流したり、分流したり して いる 姿を「親子・兄弟・ヲヒ・メヒ などで つくる 大家族集団」と 見たてての 命名かと 考えられます。メヒ=[姪]=「同族の 一員と して 責を 負う もの」=[婦負]と いう 発想法 です。メヒ[姪]の 対語に なる ヲヒ[甥]は、メヒ[婦負]に ならって ヲヒ[男負・雄負]と 表記する ことも できると いう わけ です。
ただし、それは 漢字で 表記する ことに よる 漢語ふうの 発想だと いわれる かも しれません。じっさいは、動詞 メフ[芽生]を 想定して、その 名詞形と しての メヒ(芽生え)だった とも 考えられます。その ばあい、ネヒに ついても、動詞ネフ[根生](=ネバフ[根延])の 名詞形と しての ネヒ(根生え)と 解釈する ことも できる でしょう。メ[] でも ネ[] でも、母体 から あらたな イノチが 生まれる 姿に 変わりは ありません。
このメヒ[婦負]は、そのご まもなく ネヒと 読みかえ られます。M-子音 から n-子音への 音韻変化が おこった ためで、ミラ[韮]→ ニラ、ミナ[] → ニナ なども 同類 です。この 音韻変化の 現象を どう とらえれば よいか? M-p 音語と n-p音語との 関係は どう なって いるか? まだ 解明されて いない 問題が のこって います。
ここでも、すこし 発想を 変えて みると、いままで 見えなかった ものが 見えて くるかと 思います。もともと m-子音と n-子音は 近い 関係に あり、 基本義の 面でも メ[目・芽](ウム・ウマレルもの)と ネ[音・根](ナルもの)の ように、ほぼ 交代可能な 関係 だったと いえます。メヒ から ネヒへの 音韻変化と いう 事例を てがかりに して、ぎゃくに n-p音語の 単語家族を 組織しなおして みる のも おもしろいかと 思います。
上代 n-p音 動詞として ナフ[]・ナブ[]・ヌフ[]・ノブ[展・延・述]が 成立していた こと、また やがて「ナハ[縄]を ナフ[綯]」などの 用法が おこなわれた こと とあわせ 考えれば、ネヒ[婦負・根生]に ならって ニヒ[丹負・丹生・新]を 設定するなど、n-p音語を 見なおす ことが できる でしょう。「ニフ[丹生]の 川が 氾濫した あとに、ニハカ [俄・丹羽処] づくりニハ [庭・丹羽] (ニヒタ「新田」)が 出現、そこで収穫された ニヘ[]を 神に ささげて、ニヒナヘ [新嘗] 祭りを した」と いった 調子 で、n-p音語の 連想ゲームを 楽しむ ことが できます。
n-p音語と いえば、漢語でも ニフ[]・ナイ[]・ナフ[] などが あり、上古音は それぞれ niep, nueb, nepと 推定されて います。また、漢字の 字形の 面でも、3字とも []の 字形を 共有し、「(根は 地下へ、芽は 地上へ) ノビデル・シノビコム 姿」を 表わして います。その点では、日本語の n-p音語 ナハ[]・ナフ[萎・綯]・ニハ[庭・丹羽]・ニヒ[]・ニフ[丹生]・ネヒ[婦負・根生]・ノブ[延・述] など とも 共通点が あり そうです。
 脱線 ついでに いえば、メヒ[]の ことを 英語nieceと いい、ヲヒ[]nephewです。英語辞典には、「ともに、語根nepot-(孫。甥)からの 派生語」と 解説されて います。これ など、日本語の メヒ・ネヒ と まったく おなじ 感覚の 発想法から 生まれたコトバと 思われます。さらには、ニヒ川 などの ニヒ[]に ついても、英語 new(新しい), neon(ネオン), nova(新星)との 対応関係が 気に なります。
 
妄想(?)は はてしなく ノビて ゆきますが、またしても 時間切れ です。カスガ[春日]を ふくめ、ユメの つづきは つぎの 機会に まわす ことに します。

2015年10月29日木曜日

マキムク[巻向] から シラホネ[白骨] まで  

 
 
満山紅葉
 
 
白骨温泉・露天風呂 
 
 
泡の湯旅館前で 
 
 
 

106()午前、豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」の 研修会が あり、「マキムクの日代の 宮」に ついて 報告させて いただき ました。要約すると、こういうことです。

古事記』に よれば、第12景行天皇の 皇居 所在地の ナマエが マキムク[巻向・纏向]です。そして 第21雄略天皇の 項で、あらためて 「マキムクの 日代の 宮…」(記. 100)の 歌が 記録されて います。さらに、『萬葉集』の中に 柿本人麿が マキムクを 歌った ものが 計11例 採収されて います。わたしは これらの 資料 から、「マキムク」という コトバに こめられた 意味(情報)を さぐると ともに、この コトバが 生まれた 時代社会の 状況との 対応関係を たしかめたいと 考えました。その 結果、いちおうの 結論を まとめて みました。「マキムクの 日代の 宮…」の 歌は、前方後円の 巨大古墳を きずいた 大王たちへの 賛歌で あり、基本的には 柿本人麿の 「児らが 手を 巻向山…」(萬.1093)の 世界観に 通じる もの だと 解釈した わけ です。

古墳時代の 歴史に ついて まったく 門外漢の わたしの 報告 でしたが、みなさん 熱心に きいて いただき、いろいろ 質問や 意見を 出して いただき ました。おかげさまで、じぶんの 勉強不足だった ことが よく 分かり、さしあたりの 課題も 見えて きました。

課題1.「おなじく 古墳時代と いっても、前期・中期・後期・終末期の 区別が ある」ことを 指摘され ました。『古事記』や『萬葉集』に みられる マキムクの 用例が、古墳時代の どの 時期と どう 対応する のか? 具体的に 提示する ことが できれば、もうすこし 説得力のある提案に なる かも しれません。

課題2.今回は、マキムクと いう 地名を 手がかりと して m-k音語の 面から 古墳時代の 人びとの 生活実態や 意識を さぐろうと しました。この 試みは ある 程度 成功したと 思います。このつぎは、地名に あわせて 人名を、つまり 古墳時代の 天皇と される 人たちの 呼び名に こめられた 意味(情報)を さぐる 方が より 効果的 だろうと 考え られます。具体的に いえば、12代 景行=オホタラシヒコオシロワケ[大帯日子淤斯呂和氣]。13代 成務=ワカタラシヒコ[若帯日子]。14代 仲哀=タラシナカツヒコ[帯中日子]。34代 舒明=オキナガタラシヒヒロヌカ[息長足日広額]。35代 皇極=アメトヨタカライカシヒタラシ[天豊財重日足]。37代 斉明(=皇極天皇 重祚)。いずれも、「タラシ(ヒコ・ヒメ)の ナノリを もって います。そのため、7世紀 前半に 在位した ことが 確実な 舒明・皇極(=斉明) 以前の タラシヒコ天皇(景行・成務・仲哀)は 後世の 造作と する 説が ある ほど です。さらに いえば、この タラシを [](古事記)と 書くか、[](日本書紀)と 書くかの 問題も あり、クサカ[日下・草香]と ならんで、いろいろ 議論が 分かれる テーマだと 思われます。

 

1019日(月)、東京から 伊藤夫妻(信子の 姪と ご主人)が 来富。20日 午前11時、伊藤さんの 愛車に のせて いただき、砂町を 出発。途中 飛騨の 紅葉を 鑑賞しながら、信州 白骨温泉(松本市)へ 向かい ました。泡の湯 旅館で 一泊。山の 奥ふかく、あたり一面 紅葉に かこまれた、しずかな 温泉宿。やたらと 広い 野天風呂が あり、乳白色の温泉に つかって いる 人の 姿が、部屋の 窓からも 見えました。ここは 桃源郷。シャバの 生臭い 生活を わすれ、おとぎ話の 世界に 移り住んだ 気分に なりました。 

温泉の 成分は、硫化水素(硫黄分)カルシウム。それで、わき出した 時には 透明な 湯が、時間が たつと 白く なる のだ そう です。シラホネ温泉と いう ナマエの 由来も、ほぼ 推測できます。いまどき、温泉地名と して 売り出すと したら、わざわざ シラホネ[白骨]と 命名する ことは まず ない でしょう。しかし、シラフネ[白舟]と いう 表記法も ある そうで、天然に できた 温泉の 姿が「白い ユブネ[湯船]」と よばれた ことは 想像 できます。

それに しても、シラホネ[白骨] などと いう エンギでも ない 地名表記の ままで、おおくの 観光客を 呼びよせる ことが できて いる のは、ナゼで しょうか? いろいろ あるで しょうが、やはり「白い ユブネ[湯船]」が もつ イヤシ(治療)効果の 実力に よるもので しょう。

そう いえば、ホネも フネも p-n音語 です。英語 でも 骨の ことを boneと いい、これもp-n音の コトバ です。英語boneの つづりを 日本ローマ字式に よめば、ボネ[]と なります。人間や 魚の ばあいは ホネ(骨格)の まわりに 身・肉 が ついて いますが、カニ・エビや フネの ばあいは ホネ(骨格)が 身・肉の まわりを カコム 姿に なって います。ホネ(骨格)のおかげで、生物の体形が造られ、ホネ(関節)のおかげで、いろいろな動作が できる わけ です。ホネとboneとの 対応関係は、日本語・英語双方の 音韻感覚の 中に 共通する ものが あった から 起こった 現象だろうと 考えられます。

シラホネ温泉の 成分は 硫化水素(硫黄分)カルシウム との こと。カルシウムと いえば、ホネを つくる 成分で、色は シロ[]。硫黄は 英語でsulfur。シロ[]sulfurも、s-r音語s-l音を 含む)です。Sir-音の 日本語は、動詞 シル[知・令知]を 中心に シラ[]・シラキ[新羅]・シラギヌ[白絹]・シラク(白くなる)・シラグ(白くする)・シリ[後・尻]・シル[]・シロ[白・代・城]・シロカネ[] などの 単語家族が 組織されて います。このsir-sil-)音は、英語のsilk(絹), silver(銀)にも 通じる ものと 考えられます。 S-は マサツ音。S-r音は、スル・サスル・コスル・セセル・ソソル姿を 連想 させます。袖触れ合うも、他生の縁。だれかの 情報を シリたければ、なんとかして スル・サスル(接触する)ほか ありません。大根の 味を シルには、スリおろして、その シルススル のが、いちばんの 近道 でしょう。

 シラホネに かぎらず、この辺、中部山岳 いったい、いや、日本全国 いたるところに シラ・シロの ついた 地名が あり、シラヤマ[白山]神社が 分布して います。このことも、むかし ヤマト朝廷が 成立した ころ、シラギの 国 から 金属を シラグ(精錬) 技術が もたらされ、山師たちが 鉱石を もとめて 日本列島を かけめぐった、その 足跡の ようなものかと 思われます。しかし、その話は また つぎの 機会に まわす ことに します。
  10月 26日、伊藤さん から どっさり 写真が とどきました。その中から 3枚だけ、この ブログに 使わせて いただきました。

2015年10月8日木曜日

デイ サービスの 話

 
 
デイサービス「まちなか」外観    
 
 
フロント  
 
 
浴室付近 


マッサージ機などの部屋
 
 
 

アピアの フィット リハ
いきなり こんな 話に なって、ごめん なさい。わたし 自身、これまで 「介護制度」の問題を ブログで とりあげる こと など 考えた ことも なった のですが、最近 いろいろ あって、こんな ことに なりました。しばらく おつきあい ください。

わたしは 201311月 から ことしの 8月末 まで 毎週1回、市内の リハビリ 施設にかよって いました。わたしの ばあい、「要支援1」と いう ことで、介護保険を 利用できます。この 施設は、稲荷元町 アピア1Fに あり、「アピア フィット リハ」と 呼ばれて います。この道 30年の 実績が ある との ことで、スタッフも 施設(レッド コードや トレーニング マシン など)も 充実して いる 感じ です。

 わたしが いちばん 感心した のは、「通所者の 安全第一」と いう 意識が スタッフの みなさんに 徹底して いる こと です。毎回 スタッフが クルマで 通所者 自宅の 玄関まで 迎えに きます。無事に 乗車・着席できた のを たしかめて から シートベルトをしめる。そのあと 運転手席に もどって、発車。運転も「安全第一」。交差点では、クルマの流れが 途切れる まで じっと まちます。施設に 到着すると、べつの スタッフが まちかまえて いて、荷物を もったり、(よろけそうに なったら)体を ささえたり します。

 ここでの リハビリは、おもに レッド コードや トレーニング マシンを 使って、身体の 機能を 維持(回復・増進)する こと。その 結果と して 日常生活の 中で、ツマヅク・コロブ などの あやまちを 予防する こと。そして、できれば 死ぬまで、人手を 借りずに 飲食・排泄・入浴などの 作業が できる ように する こと でしょうか。

 

デイ サービス「まちなか」
  わたしは アピアの フィット リハで 十分 満足して いた のですが、とつぜん ことし9月 から 千石町の デイ サービス「まちなか」へ かよう ことに なりました。それは、妻 信子の 希望に あわせたと いう こと です。

  ことし、わたし95歳、信子91歳。結婚した のは 19452月、大日本帝国 敗戦の 直前でした。わたしどもの 結婚生活は 日本国 敗戦直前に はじまり、すでに 70年の歴史を きざんで います。安倍 総理は、「終戦 70周年」を 機会に「積極的 平和主義」を唱えて おられる との こと ですが、95歳 老人と しては、敗戦後 せっかく 立てた「不戦の ちかい」を いまさら 捨てる 考えは さらさら ございません。

 いや、ここは 天下国家の 話を する 場 では ありません。わたしども 夫婦の 話に もどります。70年間の あゆみを ふりかえって みると、人生の 転換点と いえる 時期が いくつか ありました。

  敗戦後、天津で 帰国船を まちきれず、(日本再建の 道を さぐる ため)旧華北交通の知人に さそわれて 張家口(八路軍地区)へ  まいもどった 時。

  帰国後、ようやく 公立学校 教員と して 就職しながら、「なんとかして、中国語に つながる 仕事を したい」と 考え、52歳で 退職を 申し出た 時(日中国交回復 直前)。

 そんな 時、方向転換を きめるのは いつも わたしで、信子は だまって ついて きて くれました。そのかわりと いうか、わたしの イキザマに かんする 基本方針に 反しない かぎり、なるべく 信子の 希望に あわせる ことに して います。帰国 当時、わたしの 両親が いた 北海道へ 帰る 予定に して いましたが、途中 信子の 実家に たちより、信子の 母のつよい 希望も あって、そのまま 富山に 住みつく ことに なった のも その 一つ です。

 ことしの 夏、信子の 体調が よく ない ことに 気づき、週に 1回 くらい デイ サービス などの 施設を 利用する ことを 提案しました。はじめは アピアの フィット リハをすすめましたが、本人が うんと いいません。姪の 美織さんも 心配して、最近 できた ばかりと いう 「デイ サービス まちなか」を 紹介して くれました。すると、こんどは いっぺんに 気にいった 様子で、そのあと 毎週 欠かさず かよって います。そればかりか、わたしにも「まちなか」へ 変更する よう 提案しました。

 わたし 自身は アピア フィット リハの 方式で 十分 満足して いましたし、スタッフや お仲間の 人たちと おわかれする のも さびしい きもちが しましたが、いまは なにより 信子の 体調回復が 最優先の 課題。一も二もなく、信子の 提案に したがう ことにしました。

 

デイ サービスの 内容
 アピアの フィット リハ から デイ サービス「まちなか」に 切りかえた ことで、あらたに 見えて きた ことが いろいろ あります。まず 第一に、おなじく 介護施設と いっても、設立の 目的や 基本的な 運営方針には チガイが あり、利用できる サービスの 内容も マチマチ です。利用者と しては、まず 複数の 施設に ついて「どんな スタッフ、どんな 設備が そろって いて、どんな サービスが うけられるか」を 検討し、納得できる 施設を えらぶ ように したら よい でしょう。

 信子が まちなかを えらんだ 理由の 第一は 「ゆったりした 気分で フロに はいれる」と いう こと でした。フロに はいる だけ なら、自分の うちの フロでも おなじ だろうと 考えると、そこが オオマチガイ。うちで フロに はいった あとは、カビ防止の ため、かならず フロ場 掃除を しなければ なりません。これが 高齢女性に とって、かなりの 重労働と いう ことに なる ようです。いっぺんも フロ場 掃除を した ことの ない わたし ですが、ナルホドと 思いました。

そこで、あらためて まちなかの 施設全体を ながめて みると、最初から この 施設の目的に あわせて、十分に 計算し、ねりあげられた 設計だと いう ことが 分かります。浴室・トイレ・通路など、すべてに ゆとりが あり、安全感・清潔感が あります。集会室 などを とりまく 通路を 一周すると、けっこうな 歩行訓練 コースにも なります。

全体と して、女性目線 からの 提案が 多数 採用されて いる 感じです。

 

介護施設の ヨビナ
  それに しても、介護施設を めぐって さまざまの ヨビナが あり、どうも 分かりにくい ですね。まず カイゴシセツ [介護施設]と いう ヨビナは、お役所ふうで 固い 感じがする ためか、民間の 介護施設では 「フイット リハ」「デイ サービス」「デイ ケア」など、ハイカラな ヨビナを 使って いる ところが おおい ようです。

カイゴ[介護]と いう コトバは、 もともと 日本語と しては なじみの うすい 漢語です。もっと 分かり やすい コトバが あれば、呼び変えて よいと 思います。しかし、フイットや リハと いう コトバの ほうが 日本語と して 定着して いるとも いえない でしょう。その点では、デイ サービス くらい なら 大多数の 人に 分かって もらえる かも しれません。

 

分かり にくい 介護用語
毎月 地域包括 支援 センター から「サービス 利用票」と いう 文書を いただいて います。その「サービス 内容」と して「予防通所 介護1」と 書かれて います。ここまでは 分かりますが、つづけて「予防通所介護運動機器機能向上加算」と 書かれて いる のは、どんな 意味 なのか 分かりません。「予防通所に よる 介護」の うち、「運動機器を利用して 身体機能の 向上を はかる 場合の (費用)加算」と いう 意味かも しれませんが、テニヲハ ぬきで 漢字だけ ならべて みても、日本語と して 通用しません。

こうした 意味不明の 日本語を つくりだし、通用させた のは だれか?それは 日本中央政府の お役人さんたち です。地域包括 センターの 事務担当者たちは お役所の 指示に したがって、この「意味・国籍不明」の用語を 使い、事務を 処理して いる だけ なの でしょう。
  日本語は、わたしたち 日本人 みんなの もの です。お役所の 指示を まつ までも なく、まず 自分たちで よく 考え、分かり やすい コトバを 育てあげ、広めて ゆく ように したい  もの  です。

2015年9月17日木曜日

カツラ[桂・楓]と ケイ[桂]の話

 
 
ウシオ[海潮]の カツラの 木(島根県雲南市)
 
 
カツラの 雄花 
 
 
カツラの 果実 
 
 
クスノキ科の ニッケイ[肉桂] 
 
 
 内山邸のガマ[]
 
(画像は いずれも、当日 配布された 講演資料に よる)
 
 

『古事記』を 読む会の 研修会
96()午前、茶屋町の 豊栄稲荷神社 社務所で 『古事記』を 読む会の 研修会が あり、富山大学 和漢医薬学 綜合研究所 教授 服部 征雄さんが「古事記に 見る 和薬と 香木」と 題して 講演されました。

 服部さんは まず、古事記・万葉集などに 出てくる カツラ[桂・楓]と 『本草綱目啓蒙』・『神農本草経』などに 出てくる ケイ[] とは 別種の植物だと 指摘されました。

わが国に 自生する カツラ[](学名:Cercidiphyllum japonicum)は、カツラ科 カツラ族の 落葉高木。中国の ケイ[]は、クスノキ科、モクセイ科の 植物。漢方薬に 使われる 桂皮・桂枝・肉桂は、クスノキ科の シナモンで ある。わが国の カツラと 同じ植物は 中国には ない。

 つづいて、古事記、大国主神、稲羽の シロウサギ[素兎]の くだりの記事(「カマノハナ[蒲黄」に くるまる」、「キサガイ[𧏛](赤貝)・ウムガイ[]チシル[乳汁]を ぬる」など)を とりあげ、「古代に おける 火傷の 治療法」であり、「蒲黄は 神農本草経に 収載されている 薬物で、純粋に 和薬とは 言えないが、八世紀には 中国本草学が 日本に 知られていた 事の 証である」などと 指摘されました。

 いろいろ 勉強させて いただき ありがとう ございます。先生の お話に シゲキされて、 日本語の カツラ・カマ、漢語の ケイ[]・ホ[] などの 用語に ついて、音韻の 面から すこし 考えて みる ことに なりました。

 

カツラ=カ[髪・香]の ツラ[絃・列]
 植物学上の 分類は 別と して、日本語の カツラの 語音や 意味の構造に ついて 考えて みましょう。カツラは「カツ+ラ」の 構造と 解釈する ことも できますが、「カ+ツラ」の 構造と 解釈する ほうが 分かりやすい でしょう。[]ツラ[列・連]は、髪の ツラナリ。つまり、髪型・ヘアスタイルを 表わす コトバ だったと 考えられます。

 しかし、古事記に 登場する カツラ[桂・楓]は「井戸の ほとりに ある ユツカツラ[湯津香木]」など、あきらかに 植物の ナマエと して 語られて います。髪型か? 植物名か?いったい どっちで しょうか? コタエは 簡単です。まず 髪型を 意味する カツラと いう コトバが 成立し、やがて「カツラの 姿を もつ 植物」も カツラと 呼ぶ ように なったと 考えられます。

カツラ[]の ツは 清音ですが、髪型の カツラは カヅラ とも 呼ばれます(連濁の 現象)。また、カツラは いっぱんに 「カ[]の ツラ[列・連]」と 解釈されて いますが、「[]の ツラ[列・連]」と 解釈する ことも できます。カ[]も カ[]も、「k-する(ヒッカク・ヒッカカル)もの」と いう点で 基本義が 共通して います。

 日本在来種の カツラは、「カ[髪・香] ツラ[列・連]」の 姿からの 命名と 思われますが、古事記に 出てくる カツラ[桂・楓]の 実態に ついては、いろいろ 問題が あります。と いうのは、古事記が もともと 学術的な 歴史書では なく、伝承に もとづく 物語的な性格を もつ 文書で あり、その 記事の すべてに 学術的な 整合性を 求める のは ムリムダ、そして ヤボな 話だと いう ことです。とりわけ「井戸の ほとりに ある ユツカツラ[湯津香木]」の 記事の 背景と して、中国の ケイ[]に かんする さまざまな伝承を とりこんで、壮大・華麗な 物語に 仕立て ようと した 舞台うらが 見えて きます。

 

ケイ[]=カ[]なる木
 中国語の ケイ[]と いう コトバの 戸籍調べを して みましょう。『学研・漢和大字典』には、

ケイ[]kueggui. 「木+音符ケイ[]」の会意兼形声文字。全体が△型に育ったよい形をしている木。[](かっこうがよい)と同系のことば。

と 解説されて います。ごらんの とおり、ケイ[]k-k音 タイプの 語音で、カツラk-t-r音 タイプの 語音。語頭の k-音だけが 共通で、あとは まったく 別々の 音形 なので、意味も 別々と いう ことに なります。ただし、ぎゃくの 見方を すれば、語頭のk-子音を 共有する 分だけ、意味の 面でも 共通の 姿を 表わすと 考える ことも できます。そういえば、どちらも「カッコイイ」姿を 表わして いる 点は 共通です。

 

カマ[鎌・釜・竈・蒲]と ホ[]
 ついでに、日本語 カマと 漢語 ホ[]の 語音に ついても すこし さぐって みましょう。カマ[鎌・釜・竈・蒲]は、動詞 カム[噛・咬]の 名詞形で、「カム もの」が 共通基本義と 考えられます。個別に いえば、草や 木の 枝などに カミつく ハモノが カマ[]。食品に カミつく 姿の 容器が カマ[]。たき火に カミツク・カマエル 姿の 構造物が カマ・カマド[]、と いう ことに なります。カマ・ガマ[]に ついても、カマノハナ[蒲黄](画像参照)の 姿 から「カミつく もの」と しての 命名と 解釈でき そうです。

漢語 ホ[蒲]に ついては、「艸+音譜 ホ[浦]」の 会意 兼 形声文字で、「水ぎわに 生える 草の 名」と 解されて います。漢字音はbuagpu. つまり、p-kタイプの 語音ですから、k-mタイプカマとの 対応関係は ほとんど ゼロです。しいて いえば、カマの 語頭子音と ㇹ[蒲]buag 語尾子音が ともに k()で 対応して います。その点では、この ホ[蒲]は ホ[浦・捕・補・補]ハク[薄・迫]など とも 共通点を もって います。たとえば、ホ[浦]は 「波風が フキよせ、水面が 陸地に ニクハク[肉薄・肉迫]する 地形」。ホ[捕]は「対象を パクリ とらえる 姿」。[補]は「布を ツギハギする姿」と いう ことに なります。

ヤマトコトバの p-k音語と いえば、2音節動詞 だけでも ハク[吐・掃]・ハグ[剥]・ヒク[弾・引]・フク[吹・葺・振・更]・ヘグ[折・減]・ホク[祝・呪] などが あり、それぞれ p-k音 漢語との 対応関係も ある ようです。
 ここまで 日本語と 漢語との 音韻対応関係 ばかり おいかけて きましたが、英語音をふくめて 比較して みれば、さらに あらたな 発見が ある ことと 思います。

2015年9月2日水曜日

ブログを 再開します 

 
 
日本海文化悠学会 7月例会
 
 
  • 「悠学」第1集 表紙 
 
 
志田先生を偲ぶ会 記念講演 
 
 
同上 懇親会場  
 
 
北日本新聞記事 
 
 
 

ブログ 再開の ごあいさつ
710日号 以来、長期間に わたって ブログを 休ませて いただき、たいへん 失礼いたしました。おかげさまで、「教育・文芸とやま」21号の 応募原稿は シメキリ 1週間前の 818日に 提出する ことが できました。

さくねん 20に のせて いただいた 原稿は 「『アユの 風』を 考える…ヤ行音の 意味」という タイトルで、「日本語の アユと いう 語音は、動詞 アユ[零・肖]・アユム[]・イユ[癒・被癒]・オユ[]や 名詞 アヤ[漢・文・綾]・アユ[]・オヤ[] などと 同系の 語音」であり、「アユ[]=弓で 矢を 射る 姿の 魚」、「アユの 風=矢を 射る ようなはげしい 風」と 指摘しました。

ことしの 応募原稿は「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音 地名を 読む」というタイトルで、地名 ニヒ[]・ネヒ[婦負]を 中心に、動詞 ナフ[]・ヌフ[]・ネバフ[根延]・ノブ[延・述]や 名詞 ナハ[]・ナヘ[]・ナベ[]・ニハ[]・ニヒバリ[新治]・ニヘ[]・ヌヒバリ[縫針] など、n-p音 日本語の 発生・発達の 問題として 議論して みました。あわせて、「メヒ から ネヒへの 音韻変化」や「漢語・英語のn-p音との 対応関係」などに ついて、私見を のべました。12月 中旬 発行の 予定です。

 

「悠学」第1集 発行
7月24日(金)、日本海文化悠学会 月例会の 席で、会誌 第1集が 配布されました。会が 結成されて から 3年、全会員が 協力して つくり あげた 会誌 第1号です。まずは 表紙 デザインの みごとさに おどろき、つづいて カカラー 印刷の 写真や 図表が くみこまれて いるのを 見て、「カッコイイ 作品に なったな」と 感心しました。

 表紙は、佐藤 芙美 会員 (洋画家)の 作品。すばらしい センスですが、問題は、会誌の内容です。目次を 見ると、たしかに 多彩です。

 第1部 「婦負」の 歴史を 求めて

 越中と 頼光の 四天王…宮原 利英

 渡辺氏の 実態を「渡辺党」の 動向から 探る…五十嵐 顕房

 古文書から 野積谷を 考える…五十嵐 俊子

 祖父岳…山口 悦子

 「牛ヶ首用水」地名考…仙石 正三

 (中略)

第2部 コトの 始まり

 弓から 生まれた 古代の 琴…北河 美智子

 スミノエ神は Mr. Smith だった (仮説)…イズミ オキナガ

 越中から 日本を 見る…中島 信之

 歴史と 文化の 薫る まち「ふるこはん」…針山 康雄

 古代 立山信仰の 源流を 探る…関谷 克己

 そして 最後に、「活動記録」「会員名簿」「会則」「日文悠 ニュース」などが 記録されています。

 わたしは もともと 歴史学や 考古学の 門外漢です から、みなさんの 研究報告を 読ませて いただいて、「ああ、そう だった のか」と 感心する ばかり ですが、その 研究報告に 用いられる コトバや モジに ついては、いろいろ 注文を つけたい 感じを もっています。

 たとえば、第1部の タイトルを 「『婦負』の 歴史を 求めて」と したのは 編集者の 見識を しめす ものと して 高く 評価したいと 思います。ただし、せっかく「『婦負』の 歴史…」を タイトルと して おきながら、ネイ[婦負]と いう 用語に かんする 解説記事が見あたら ないのは、いささか 残念です。ネイ[婦負]は、歴史カナヅカイでは ネヒ。『万葉集』など では メヒ[婦負]と 呼ばれて いた ものが、m-子音 から n-子音への 音韻変化の 結果 ネヒと なり、さらには ネイと 変化した ものと されて います。それにしても、地名 メヒは ナゼ 漢字で [婦負]と 表記された のか?親族関係を あらわす メヒ[]と まったく おなじ 音形なのは ナゼか?そう いった ナゾを 解説して くれる 記事が あれば、「日本海文化 悠学会」の イメージに ぴったりだと 思う のですが、いかがで しょうか?

 第2部の 「コトの 始まり」に ついても、おなじ ことが いえます。コトと いう 語音は、漢字で [事・言・辞・琴・箏・殊・異]などと 書き分け られて いますが、ヤマトコトバと しては もともと 1語です。それだけでは ありません。コトは カタ[方・肩・形・潟・片]・クチ[]・クツ[靴・沓] などと ともに k-t音 タイプの 語音で あり、動詞カツ[搗・勝](カチワル)・クツ[](クダケル)などと 同系の コトバです。さらに いえば、漢語の カツkatge・クツgiuetjuや 英語の cut(切る、掘る)などにも 対応する 語音です。

 学問研究には、一つ一つの 用語に ついても、客観性・合理性が 求められ ます。ネイ・メイ・コト などの 用語に ついても、日本・北陸・富山県と いう ローカルな 意味・用法に あわせる だけで なく、漢語や 英語の n-p, k-t音との 対応関係を 利用して 議論する ことが できれば、それだけ 説得力が たかまり、いちだんと グローバルな 議論ができる でしょう。こうした 基礎 がための 作業が「日本海文化」学習の コトハジメに なる のでは ないで しょうか?

 

志田先生を偲ぶ会
726日(日)。富山市長江の 長念寺で「志田延義先生を 偲ぶ会」が 開催されました。この日、記念講演の席で 大村 歌子さんが「志田 義秀・志田 延義・志田 麓 三学者の 足跡」と 題して 講演されました。「志田文庫(富山県立図書館収蔵)に ついて」、「素琴(志田 義秀)先生と 内田百閒の 交流」、「志田家と 佐佐木 信綱・由紀子 夫妻との 関係」、「ヘルン文庫と 志田家の 関わり」などの 項目に ついて、それぞれ 関係者(内田 百閒・大田 栄太郎 など)の 証言記録を そえて 解説された ので、たいへん 説得力が ありました。

志田 延義先生は 山梨大学 名誉教授・国語審議会 委員・日本歌謡学会 創立者などの 肩書を もつ 偉い 学者先生ですが、わたしが はじめて 先生に お目に かかった のは、知人に さそわれて 出席した 文学(?)学習サークル での こと。その 会場が 長念寺ですから、まさに 「寺子屋」の 感じ でした。てもとに 正確な 記録は ありませんが、このサークルは 10年 以上 つづき、『歎異抄』・『親鸞和讃』・『教行信証』などが テーマと して とりあげられ ました。延義 先生は 毎回 講義用 テキストを 準備して 出席者に 配布し、全力投球で 講義され ました。そして 講義の あと、わたし など まったくの 門外漢を ふくめ、参加者 から さまざまな 質問や 意見が だされます。先生は、それを 正面から 受けとめ、ていねいに 解説されました。

 そんな 先生の 人がらに 引かれて、ついつい サークルの 定例会 以外の 日にも 長念寺へ おしかけて、いろいろ 教えて いただく ように なりました。わたしは 中国語 専攻ですが、日本語と 漢語(中国語)と 英語の 音韻比較作業を つづける 中で、日漢英 語音の 対応関係に 気づき、かってに「象形言語説」と いう 仮説を 発表したり して いました ので、自分の 作品が まとまる たびに、先生に 読んで いただき、助言を お願い しました。

 19919月、社会評論社 から『コトダマの 世界…象形言語説の 検証』を 出版した とき,先生は 地元の 北日本新聞 紙上に「『コトダマの 世界』を 読んで」と いう 紹介記事を よせて ください ました。この 記事の 中で 先生は、「江戸時代には、五十音図の各音もしくは各行に特定の意義をみようとする音義説あるいは言霊論が行われたが、近代国語学・言語学ではこれを非科学的として顧みないことにした。しかし(その後)上代特殊仮名遣い(甲・乙の別」が明らかにされ、上代の漢字音も次第に確かめられるようになり、上代語の意義がより正確にとらえやすくなった。泉さんの象形言語の仮説は、この新しい科学的道具をも活用して、音義説・言霊論を科学的に再構築することを目指したものだ」と 評価され ました(当時の 状況に ついては、ブログ「コトダマの 世界」2011.9.27号、「五十音図を 見なおす」の 項を 参照)。 あれから もう 20年 以上に なりますが、わたしに とって いちばんの「心の ササエ」で あり、ま た ハゲマシ とも なって います。