2016年2月23日火曜日

春 遠からじ 

 
 
古事記を 読む 会
 
 
いたち川(定点観測) 
 
 
シラサギ 君、(A)

 
 
シラサギ 君、(B)

 
 
ハルト 君、 ()

 
 
ハルト 君、(B)

 
 
 

古事記を 読む 会
2月7日(日)、豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」研修会が 開かれました。出席者全員で「葦原中国の 平定…大国主神の 国譲り…天孫降臨」の あたりを 輪読した あと、会員各自が もちよった 研究報告や 意見などに ついて 話しあいました。

所用の ため 出席 できなかった 服部 征雄 先生 から「サキガヒ[𧏛貝]」に かんするメモが よせられて いました。大国主神が 八十神の 迫害を うけて 大やけどを した とき、カミムスヒ[神産巣日]命が サキガヒ[𧏛貝]ヒメと ウムカヒ[蛤]ヒメとを つかわして、作り 活かす ように させた(小学館版)、という 記事が あります。つづけて、「𧏛貝比売 キサゲ[岐佐宜]集めて、蛤貝比売 待ち受けて、母の 乳汁を 塗りしかば、麗しき ヲトコ[壮夫]と 成りて、出で アソビアルキ[遊行]き」と 書かれて います。小学館版の 現代語訳 では、「𧏛貝比売が 石に 張り付いた 大穴牟遅神の 身体を こそげ集め…」と なって います。

服部メモは、「こそげ取るの(対象)は 赤貝で、大穴牟遅の からだでは ない」と 反論し、あわせて 他書(小学館版 以外)の 解説を 紹介して います。

 わたしは、服部メモの 指摘こそ 正解で あり、小学館版の 現代語訳は 古典解釈として初歩的な ミスを おかした 例と 考えます。人さまの こと では なく、じぶん 自身が、つい うっかり、そう いった まちがった 解釈を したまま、気が つかずに いる かも しれない という こと です。

 なお、キサグは「けずる。掻きこそげる」意の 動詞(下二)ですが、音形と しては

コソグと おなじ k-s-kタイプの コトバ。「キサ+グ」の 構造を もつ 動詞と 解釈 できます。この キサは、キザ・キズ[傷]・キザムと 同系。もともと、キダ[分・段]と 同義。ギザギザ[刻刻・段段]キザム[] なども、キダキダ[]キタフ[]に 対応するコトバと 考え られます(漢語の カツ[]や 英語の cut など とも 近い 語音)

 

パソコン 学習、やりなおし
 ブログを はじめて から 5年 あまりに なります。機械の 方は まちがいなく 日進月歩 ですが、こちらは 後期 高齢者。その 大脳には 機械の 進歩に ついてゆく 能力が ありません。それ どころか,5年 まえ たしかに 学習し、習得できた はず なのに、いまは も 足も 出なく なって いる ことが たくさん あります。

 そこで、ysd さんに お願いして、もういちど 基本的な こと から 教えて いただく ことに しました。「ブログの 下書き づくり」、「スマホで 写した 写真を パソコンに とりこむ 方法」、「ブログへの コメントや 統計資料 などの 見方」など。また、どんな 段階、どんな 場面で、どんな ミス・トラブルが おこるか。どう 対処すれば よいか、など。洗いざらい チェックし、勉強しなおし ました。この 作業の 中で、いろいろ 初歩的な ミスを おかして いた ことに 気づきました。

 

コメントの あつかいに ついて、おわび
 これまで、毎回 ブログの 原稿づくり から 公開 までの 作業に 追われ、そのほかの こと まで 考える 余裕が ありません でした。

自分が 書いた ブログを どんな 地域で、どれだけの 人が 読んで いただいたか、それは 統計の 項で しらべる ことが できます。そのことは、ブログ 入門の 段階で 知識として 知って いましたが、じっさいは そこまで 手が 回り ません でした。読者 から コメントを いただける ことは めったに ありません ので、コメントの 有無を たしかめる作業も めったに しません でした。こんど あらためて 「コメントの チェック法」を 教えて いただき、「こんなに 簡単に チェック できるんだ」と おどろき、自分の 不勉強ぶりを はずかしく 思いました。

 こんど コメントを チェックした 結果を ご報告 します。ブログ「いたち川 散歩」で4件(渥美 あずさ さん。匿名 さん。移民の 末裔 さん。板垣 友子 さん)。「七ころび、八おき」で 3件(渥美 あずさ さん。真船 賢吾 さん。くみ さん)。「コトダマの 世界」で 2件(姚 偉嘉 さん。平名 さん)。合計 9件。ただし、渥美 さん からの 2件は 内容が だぶって いる ので、実質 計 8件の コメントを いただいた ことに なります。

 これに たいして、これまで いちおう 対応ずみの ものは 4件。

  渥美 あずさ さん(15/10/26)…祖父が「華北交通」に 勤務して いた ころの 状況を 知りたい…(イズミ から)東大 出身との こと なので、「長安会名簿」(華北交通(株)学卒 定期採用者 名簿。出身校も 記入)などを 参考に 情報を 集める ことを 提案。

  真船 賢吾 さん(11/04/03)…先日、祖父 真船 信夫が 他界。華交 長安会の ことを しらべた ところで、こちらの ブログに たどり ついた。わたくし 自身、世界史の 講師を 務めて いた ことも あり、近代史の 貴重な 記録の 数々は とても 興味深く… (イズミ から)わたしの 手元に、19888月、真船 信夫 さん から いただいた ハガキが 残って います。「長安」33号 原稿募集の 案内で、その 最後に「小生の 編集担当も ココ までが 限度 カナの 心境、呵々」と ありました。

  Kumi さん(11/01/25)…華北交通に ついて 調べて いて、ブログを 拝見。祖父が 華北交通に 勤めて いた 当時の 話を、96歳の 祖母 から 良く 聞いて おりました ので、とても 興味深い ブログ でした。『知識創造企業』と いう 本を 読んだ ばかり ですが、内容が 重なる 部分が あります。ブログの 連載を 楽しみに して おります!…(イズミ から)「華北交通」の なまえを きいた だけで、たいへん なつかしい 気がします。『知識創造企業』に ついては、このあと 勉強させて いただきます。

  姚 偉嘉 さん(14/09/04)…中国 から 東京 桜美林大学 孔子学院へ 派遣された 中国語 教師です。日本の 近代中国語教育に ついて 研究中。ブログを 読んで、第2次 世界大戦 当時、東京外国語学校に おける 漢語教学の 状況が よく 分かりました。できれば、このあとも 文通したい。…(イズミ から)コメントに 気づく までに 時間がかかりすぎて いた ので、別便で おわびの 手紙を 送付。そのあと、姚 さんが 任期終了で 帰国 (同済大学へ 復帰)されて からも メールで 通信を つづけて います。

 

こんど はじめて 気づいた コメントが 4件 ありました。

  匿名 さん(15/01/27)…華北交通で 働いて いらした のですね。国策会社に ついて調べて いて、ブログを 拝見しました。私の 夫の 祖父は 富山市 出身、祖母は 滑川在住。ブログの 更新を 楽しみに して います。

  移民の 末裔 さん(12/05/29)…真剣に 親鸞の 教えを 説教する お坊さんの 姿 など、おきんぼ さんが 理想と する「親鸞の 教え」とは どう いった 事で しょうか?

  いたがき さん(12/09/06)…大学院で『急就篇』に ついて 研究して いる 中で、検索を かけて いたら 先生の ブログに たどりついた のです。包 先生に『急就篇』を 直接 教わった 世代の 方が ブログを なさって いる こと にも 驚きました。今まで 六角 先生、安藤 先生、牛島 先生 などの 著書で 当時の 東京外大の 授業の 様子を 読んで いましたが、今回は ブログ から 歴史が 飛び出して きて 動き 始めた 感が ございました。

  平名 さん(14/02/19)・・・言霊、面白い ですね。朝鮮って ハングル語。中国、日本 から 離れて、更に 徹底すると 解らなく なる。やっぱり 元の 漢字 残さないと 意味も判らなく なる。

 

せっかく コメントを いただき ながら、わたしの 不勉強・不注意の ために、長期間 見過ごして きた ことに ついて、こころ から おわび 申しあげます。読者の 方から コメントを いただく ことは、ブログの 書き手に とって、なによりも うれしく、ありがたいこと です。おそく なりましたが、あつく お礼 申しあげます。

 なお、移民の 末裔 さん から「親鸞の 教え」とは どう いった ことかと おたずねをいただきました。あの ブログを もういちど 読みなおして みて、「ずいぶん 調子の いいことを いったな」、と 反省して います。自称「親鸞の 弟子」と いう 気持ち(願望)は かわりませんが、いつか また しずかな 雰囲気の 中で、じっくり「親鸞」に ついて 語りあえればと 願って います。

 いたがき さん から、「包 先生・急就篇・東京外大」などに ついて コメントを いただき、ビックリ しました。姚 偉嘉 さんと 研究テーマが 共通の よう ですが、姚 さんとは 連絡が とれて いる ので しょうか?

 平名 さん から、「言霊、面白い ですね」、「元の 漢字 残さないと 意味も 判らなく なる」との コメントを いただきました。たしかに、そのとおりだと 感じられる 一面も あります。ただし、日本語(ヤマトコトバ)の ばあい、コトダマの コトは、もともと コト[]と コト[]を 区別して いません。タマも [玉・珠・弾・球・霊・魂]を 区別して いません。漢語では、それぞれ 字形も 音形も ちがい、別々の コトバ です。その 点で、コトダマ=[言霊]と 考えるのは、あまり 客観的・合理的とは いえません。もともと「ゲンレイ言霊yanling」という 漢語は 成立して いません。

もう ひとつ、「漢字 残さないと 意味も 判らなく なる」と いう のも、一面 そのとおりですが、ぎゃくに漢字に たより すぎる のも 危険だと思います。たとえば、『万葉集』や『古事記』の 歌謡は もともと いわゆる 万葉カナで 書かれて います。漢字が もつ 本来の 意味を すて、表音モジ として 使った モジ ですから、(漢語用)漢字の 意味に こだわって いると、かえって 文の 意味が 分からなく なります。ヤマトコトバの 音韻感覚に したがって、表音モジ として 読んで ゆけば、ひとりでに 意味が 伝わって くる という わけ です。

コトバの 基本は、音声言語。日本人も 中国人も、日常会話は もちろん、ラジオや テレビを 見たり 聞いたり する ときも、いちいち 漢字の 字形を 思いだして いる わけでは ありません。英語や 朝鮮語表音モジで 書かれて いる からと いって、その ために「意味も 判らなく なって いる」と  断定する ことは できませんよね。

 

シラサギ 君
 211日(木)。小春 びよりに さそわれて、ひさしぶりの 散歩に でかけました。雪見橋下流の 遊歩道に でた とき、いきなり 対岸に シラサギの 姿を 発見。いそいで スマホの シャッターを 切りました。人間の 視線に なれて いる ので しょうか。まっすぐ 立って、じっと 水面を みつめて いる だけ。飛びたつ 気配は ありません。こちらは、雪見橋から 下流の 風景を「定点観測」として シャッターを 切り、そのあと 対岸の 遊歩道 沿いに、シラサギに せまります。あとで 計算して みると、合計 7分 ほど、つきあって くれた ことに なります。シラサギ 君、ありがとう!

 

ハルト 君
 212日(金)。東京 から 西田 尚信・規子 夫妻が 長男 ハルト[悠人] 君と ともに来富。いとこ 同士の 土地 茂樹 さん、藤木 芳明・美織 夫妻が 夕食会を セットして くれました。ハルト 君 には 昨年12月にも 会って いる のですが、こんど 会って みて、その 成長ぶりに おどろきました。この日 午前中、立山山麓の スキー場で はじめて スキーに 挑戦、たちまち 滑れる ように なった との こと。夕食会の 席でも、そのあと イズミ宅でも、ずーっと しゃべり つづけ でした。お気にいりの サンダー バード 2号の プラモデルを もちだし、テレビ番組の ヒーローを 演じて 見せたり、チラシを ツギハギして スーパーマン(?)の お面や 衣装を つくったり…こっちも ノリノリで お手伝いしたり…

 保育園 年少組の 3歳児。考えて みると、コトバを 学習・習得するのに 最高・絶好の時期 です。日本語で あれ、外国語で あれ、これほど 楽しんで、これほど 熱中し、これほど くりかえし 練習すれば、最高の 学習効果が えられるに ちがい ありません。

ハルト 君の 様子を 見て いる うちに、ついつい 日本の 言語教育(国語・英語など)の問題に ついて  考えこんで  いました。
いよいよ「小学校 から 英語教育」の 時代に はいったと いいながら、「高校・大学を 卒業しても、英語が 身に つかない」と いう のが 現実です。文科省 当局は、中学校や 高校の 英語学習に ついて「到達目標」を 提示して いますが、その 目標を 確実に 達成する ための「学習指導法」に ついては 明示して いません。日本語でも 英語でも 中国語でも、それぞれ 独特の 音韻感覚を もって います。一つの 民族言語を 習得する ということは、その 民族言語の 音韻感覚を 身につける と いう ことです。このことは、保育園、小・中・高、あるいは 大学 でも、共通の 原理原則 です。なにより まず 必用なのは、学習者 (生徒・学生)(コトバの) 学習に 熱中する ような 環境を ととのえる こと であり、学習者が つまずき そうな 点を 予見して、的確な 指導・助言を する ことだと 思います。教育現場に それだけの 準備態勢が できて いる でしょうか?文科省 当局は ほんとうに 自信を もって いる ので しょうか?心配です。

2016年1月27日水曜日

富山に 雪が 来た 

 
 
石倉町延命地蔵尊 1/1
 
 
水仙  1/10 
 
 
N家花壇の雪  1/19
 
 
いたち川雪景色  1/24
 
 
雪見橋の雪 1/24
 
 
 
遊歩道の雪 1/24
 
 
悠学会新年会 1/22
 
 
 
年末年始は雪ゼロ
「東京で 積雪 5センチ。北陸は…」などと 報道され、ケイカイは して いましたが、富山の マチナカでは ずっと 雪 ゼロの 日が つづいて いました。
元日の 朝、石倉町 延命地蔵尊に おまいりした ときも、雪が なくて、足場も わるくは ありません でした。ただ、この 時間帯、平日なら「お地蔵さんの 水」を くみに くる ひとたちで にぎやかな はず なのに、これは また なんと しずかな ことかと、妙なところで 感心したり して いました。
110日、いたち川の 土手で 水仙が 咲いて いる のを 見つけ、うれしく なって、シャッターを 切りました。しかし、水仙は 太陽に むかって オジギして いる ので、このままでは セナカを 見せて いる 姿に なります。せっかくなら、もっと いい 角度から 写したいと 思った のですが、それには 土手の 石段を 下りて ゆかねば なりません。この ご老体では ムリと 判断。あきらめる ことに しました。
 
ついに 富山も 雪景色
 120()富山にも ついに 雪が やって きました。一夜に して、あたり 一面、雪景色の 出現です。雪の あいまを 見て、散歩に でかけ ました。
これまでの 数十日間、花が 枯れ、紅葉も 散り落ち、いつ 見ても くすんだ 色の 風景でしたが、まっしろな 雪を かむった おかげで、いっぺんに 元気を とりもどした ように 見えました。
 
悠学会の 新年会 
 122()午後、丸十さん 2F日本海文化悠学会の 研修会が 開かれ、中島 信之 さんが「将軍義材は なぜ 越中国に きたのか」と 題して 報告されました。
研修会の あと、ひきつづき 新年会が あり、割烹丸十の 経営者、経沢 信弘さんが、「万葉集に 登場する 食材や 献立」を 再現されました(この項、北日本新聞 123日号の 記事を参照)。
 「越中万葉料理の 献立 ()」の 一部を ご紹介します。
食酒…赤米の にごり酒(巻3-345
先付…ながらも(ほんだわら)(巻12-3177
前菜…あしつき・しただみ・菜の花・ゆり根(巻174021)(巻20-4455)(巻16-3880
(8-1418)
蒸し物…鴨ロース煮・からし(巻3-375
揚げ物…山菜の 天婦羅・藻塩(古代の 塩) (巻8-146 0(6-935)
炊き合わせ…猪・株・里芋・ふき (巻2-203)(巻16-3826)(巻16-3825)以下省略。
 
ブログへの コメント
 話が すこし 前後しますが、121()の 朝、ブログ「七ころび、八おき」に読者のAtm さん から コメントが 入って いる ことに 気づきました。コメンㇳが 発信された のは 20151022日。わたしの 不注意で、3カ月 ほども 放置して いた ことに なります。申しわけ ありません。連絡先の 電話番号が 書いて ありました ので、とりあえず こちらから おわびの 電話を 入れました。Atm さんの ご用件は、こつぎの とおり。
 祖父が、たしか 「華北交通()」の 社員 だったと 聞いて いる。敗戦で 帰国し、2年後 祖父が 病死。父は 当時 3歳。父も 母も、華北交通時代の 祖父に ついて、具体的な 状況は なに 一つ 分かって いない。都内に ある 「満鉄会」で だずねて みたが、「華北交通へ 出向した 社員の ことは 分からない」と いわれた。たまたま ブログで 華北交通の 記事を 拝見した ので、なにか アドバイスを お願い したい。
  せっかく ご相談を 受けた ので、できるだけの ことは お手伝い したい のですが、はたして どれだけ お役に 立てる のか、自信は ありません。いちばん おおきな カベは 「戦後70年」という 時間の カベ。せめて 10年~20年 まえ でしたら、直接の 関係者が おおぜい いた はず です。いまと なっては、その 関係者が 生存して おられる 可能性が とぼしく なって います。
 「満鉄会」「華交互助会」「長安会」などの 組織が 解散したり して 当てに ならないと なれば、あとは まったく 個人的な 人脈を たどる ほか なさ そうです。ただ、祖父 さまが 東大 出身で、(理科系で なく)文系だと すれば、さがす 範囲は かなり かぎられて きます。満鉄や 華北交通の ばあい、理系と 文系とで、はっきり 職場も ちがって きますし、人脈も ちがって きます。それだけ 焦点を しぼる ことが できます。
 まずは、Atm さんが もって おられる 情報資料と わたしが もって いる 資料(「華交互助会」「長安会」などの 会員名簿、その他)を つきあわせ、「東大(文系)」の 該当者 リストを つくる こと。あとは、この リストに したがって 個別に 連絡し、協力方 おねがいする こと。わたしの 計算 では。該当者は 約30名。そのうち、生存者が 何人 おられるか?また、その お方が Atm 祖父さまに かんする 情報資料を もって おられるか?そこで 勝負が きまります。
 気が 遠く なる ほど むづかしい 仕事ですが、可能性が ゼロと きまった わけ では ないと 思います。
 
 
 


2016年1月7日木曜日

あけまして…

 
 
年賀状、A




年賀状、B



年賀状、Ⅽ 



年賀状、D


年賀状、E
 
 
 
あけまして おめでとう ございます
  いろいろ ありましたが、どうやら 無事 2016年を むかえる ことが できました。このまま いけば、2月には 満96歳に なる 計算です。じぶんの 親・兄弟 など、だれも たどりつけ なかった 年齢。じぶん 自身、これまで 考えても みなかった 年齢です。
 ここまで 長生き させて いただいた ので、あとは いつ 死んでも かまわないと いう覚悟は できて いる つもりです。また、せっかく いただいた イノチだ から、死ぬ まで自己流の イキザマで ゆきたいと いう 思いも あります。
  そんな ふうに「カッコ つけた」ものいいが できる のも、客観的に いえば「環境の なかで そんな ふうに 生かされて いる だけの こと」と 気づかされる ことも あります。
さて、2016年も いろんな ことが ある ことと 思います。どうか よろしく ご指導の ほど、お願い 申しあげます。
 
ことしの 年賀状 から
年賀状に ついては、これまで いろいろ 経過が ありました。じつは 数年 まえ、いささか 考える ことが あり、「ことし かぎり、年賀状は やめさせて いただきます」と 一方的に 宣言して しまいました。それで 翌年の 年賀状は ガタッと へりましたが、それでも これまで どおり 年賀状を 送って くださる 方が 数十人 おられました。こちら からの「賀状打ち切りの ご案内」に 気づかれ なった ため かも しれません。あるいは、それは 承知の うえでの こと かも しれません。いずれに しても、いろいろ 反省させられ ました。たった 1枚の ハガキと いう 小さな 存在に すぎませんが、発信者と 受信者との あいだに「万感の 思い」が 伝えられ、共鳴を おこす ことが あり、その 意味では、スミに おけない、大きな 存在でも あります。
それでは、ことし いただいた 年賀状の なか から、いくつか ご紹介 させて いただきます。ご本人の みなさんに 無断の ままの 借用に なりますが、どうか お許し ください。
 
.「横浜港からの眺め」(切り絵) 福田 温旦 さん。わたしが はじめて 富山市の 中学校教員として 勤務した 学校の 生徒さん です。毎回 切り絵の 賀状を 送っていただくので、楽しみに して います。
         
. 「赤い顔のサル」川述 昌子 さん。「12年前の絵を使いました」との こと ですが、この赤い顔の サルの 表情が、なんべん 見ても カワイーと 思います。俳句を なさる 方で、この 賀状の 表面に「生も死も釈迦のてのひら初御空…昌子」と ありました。
 
. 「初日・富士・サクラ」寺尾 純 さん。わたしが 県立雄峰高校に 勤務して いた 時お世話に なった 方 です。英語専攻。賀状の 冒頭で「世界人類が 平和で ありますように」と よびかけて おられます。
 
. 「猿」(切り絵)湯 麗敏 さん。富山外国語専門学校の 中国語講師 など として ご活躍中の 方。ご主人の 応 広建 さんと ともに 中国語会話 テキスト(白帝社)も 出して おられます。
 
. 「新春福海…」(年画)姚 偉嘉 さん。昨年 3月まで 桜美林大学の 孔子学院に 勤務。3年間の 任期満了で、同済大学(上海)に 復帰された 方。この 賀状では、まず []の字を 大書し、その下に サルの 切り絵を 配置した あと、「新春福海 翔瑞兆…」、新春にあわせて めでたい コトバを ならべたて、七言絶句の 形に まとめて います。漢語(中国語)の 言語感覚の 一つの 典型と 見る ことが できると 思います。
 
姚 さん から 追伸
 姚さんが メールで 賀状を 発信した のは 元旦の 夕方。わたしが パソコンで メールを 開いたのは、2日の 朝。あわてて お礼の メールを おくる ことに なりました。例によって、姚さんは 漢語で、わたしは 日本語での やりとり です。
 姚さんの 賀状が めでた コトバで ねりあげた ものだった のに たいして、わたしは 自分の 近況を 報告する 形式に しました。そして、姚さんが 関心を 示されるか どうかわからない まま、わたしが いま のめりこんで いる テーマ、「日漢英3言語の 音韻比較」、「クネクネ・クネル 姿が クニ[]」、「クニ[]country」、「カナフ[]can」、「クネルとカンセツ[関節]knee, kneel」などの 対応関係の 話 まで 提案して しまいました。
 すると、あくる日の 3日、さっそく 姚さん から おりかえし メールが とどきました。「(姚さんの)祖母が ことし 92歳で、白内障の 手術を すませた ばかり だが、たいへん 元気。よく 食べ、よく 眠り、毎日 仏さまに お経を あげて いる」など、ご家庭の こと まで おしらせ くださった あと、わたしの ぶしつけな 提案にも、ていねいに こたえて いただき ました。
 気をつけ さえ すれば、いたる ところで 新発見が できるも のですね! 語音現象にかんする あなたの 解説や 結論は、新鮮な 感じで、おもしろい です。ただし、日本語の起源は たいへん 古いのに たいして、当時の 英語は はたして どんな 状況 だった のか? また、どうして このような 語音の 一致 という 現象が おこった のか? このあと さらに 研究すべき 問題です。
 いま わたしの 教室には、10ヶ国 から 来た 学生が います。いちど [労駕laojia](ご苦労さま)の [jia]に ついて 解説した ついでに、「中国人は 馬を 速く 走らせたい とき、“駕jia”と いう ことが ある」と 話しました。すると、いくつもの 国の 学生たちが「自分たちの 国でも その ような いい方を する」との こと でした。わたしは この方面の 研究を した ことが ない のですが、たいへん おもしろ そう ですね! 泉さんの成果を 期待して います!
  わたしは、姚 さん から ここまで つっこんだ ご意見を きかせて いただける とは 期待して いなかった ので、たいへん 恐縮して います。“駕jia”に 当たる 「いくつもの国の 言語」と いう のは、おそらく 英語のcheer, cheerful, cheer-leaderなどと 同系の コトバ かと 思われ ますが、わたしは まだ そこまで チェック できて いません。
 姚 さんが 指摘される とおり、多言語相互の 音韻比較に あたっては、判定の 客観性・合理性を 保証する ための ルールが 必用 であり、なにより まず 等質の 比較資料を 準備 しなければ なりません。日漢英の 音韻比較は、本来ならば、3言語の 研究者たちが みんなで 協力し、それでも 数年 かかる 仕事 です。わたしが いま すすめて いる 作業は、その 前座の 前座と いう 段階かと 思って います。
 

2015年12月23日水曜日

2015年を おくる

 
 
紅葉の なごり 11/30 
 
 
赤い 実 12/2  
 
 
いたち川 12/12  
 
 
カモが いた 12/12  
 

「古事記を 読む 会」忘年会 12/13
 
 
 

2015年を おくる
 あれも したい、これも したいと 思い ながら、決断する までに 時間が かかったり、いざ とりかかって みると、手も 足も 動きが にぶく、うっかり ミスで パソコンの 不調を まねいたり という 生活が つづいて います。そして、あれよ あれよ という 間に、2015年が 終わろうと して います。

  このまま 無事 年末年始を 過ごす ことが できれば、2月には めでたく 満96歳に なる という 計算ですが、ここで あらためて ことし1年間の生活を ふりかえって みる ことに します。

 

「アピア」から「まちなか」へ
 わたしは ことし8月まで、稲荷元町の「アピアフィットリハ」に かよって いましたが、9月から 千石町に ある 「まちなか デイ サービス」に 変わり ました(ブログ15.10.8号参照)。二つの 施設を 経験した ことで、あらためて 日本の 介護制度や 施設・運営などの 問題に ついて、いろいろ 考えてみる ように なりました。

 わたしの 場合は「要支援 1」ですが、「要支援 2」の 方も おられます。「要介護」については、1から 5までの 区分が ある そうです。それらの 区分に したがって、必要かつ 十分と される サービスの 内容にも ちがいが あり、さまざまな 施設建設や 運営が 進められて いる ようです。こうした 施設が 整備され、ひろく 利用されて ゆけば、日本人の 平均寿命は さらに のびる のでは という 感じが します。ただし、それには この 平和な 社会が つづいて いる ことが 前提条件 です。もし 日本が 戦争に 巻きこまれる ことに なれば、高齢者むけ 「支援・介護」などの 予算は まっさきに「節約」される こと でしょう。

 この 「まちなか」へ うつって きた ことで、とても うれしかった ことが あります。それは、ン十年ぶりで Mts さんと 再会できた こと です。はじめての 出あいは いつ・どんな 場面 だったか?それは はるか 忘却の 彼方 ですが、いずれに しても わたしが富山市の 中学校に 勤務して いた ころの こと。専攻外の 英語教師を 命じられた わたしは、生徒と いっしょに 英語劇に とりくんだり、アメリカの 中学生との 文通を めざして P.F..(郵便友の会)の 運動に 熱中したり して いました。富山大学の 須沼 吉太郎 先生に おねがいして パール バック 女史を ご紹介 いただき、また その ご紹介で、アメリカの 私立学校 校長 バリー 先生から ていねいな おたよりを いただいた こともあります。バリー 先生の おたよりは、その後 わたしが 学級経営や 生徒指導の 方針を考える 上で おおきな ささえと なりました。やがて わたしが 日教組の 教研集会の 場で 「能力別学級に よる 英語学習 指導の こころみ」に ついて 報告したり、「発音と 意味を 結びつける 語彙指導法」を 提唱したり したのも、わたしに とっては すべて ただ一すじの 道として つながって います。

 おなじく 中学校教師と いっても、Mts さんは 国語課 担当。教科別の 研修会 などで同席する ことは まず ありません。それでも、Mts さんの ことが ずっと 気になって いたのは、職場を はなれた「学習 サークル」の 場での 言動が キラキラ かがやいて 見えた から でしょう。年齢では 年上の わたし ですが、いつも ひそかに 敬服して いました。

 それが こんど、「パソコンの 機械が 日進月歩 なので、ついて ゆけない」と こぼしている のを きいて、妙な 親近感を おぼえ ました。最近は、文芸書 など よりも 時事問題 関連の ものに  関心が ある との こと。いずれに しても、この時、この場所で、この人に また 会えるとは 思いません でした。まさしく「縁は 異な もの!」

 

「日本海文化 悠学會」の こと
 加齢と ともに、足腰が よわり、会合に 出席する ことも すくなく なりました。そのなかで、いまでも 楽しみに している 会合が あります。それが「日本海文化 悠学會」(略称「悠学會」)と 「古事記を 読む 会」です。

 その 悠学會が 結成 3周年を 記念して、7月に 会誌「悠学」第1を 発行しました。仙石 正三 さんの「『牛ヶ首 用水』 地名考」を はじめ、五十嵐 顕房 さんの 「渡辺氏の実態を 『渡辺党』の 動向から 探る」、中島 信之 さんの「越中から 日本を 見る」など、あらかたの みなさんが「越中・富山から 日本全国へ 向けて 発信する」という 姿勢で 発言して おられます。その なかで、わたしは「スミノエ神はMr. Smithだった(仮説)」という 1文を のせて いただきました。サブタイトルが 「『古事記』s-m音語の 分析から…」いささか「場チガイ」の 感じを あたえる 結果に なった のでは ないかと 反省も して います。

 じつは、わたしが この テーマで 問題提起した のは、これが はじめて では ありません。1995年に「スミ・シム・SMITH…スミノエ神はSMELTING MAGICIAN」を 発表して 以来の 持論で あり、これまで 機会 ある ごとに 提案しつづけ ながら、いまだに 公認されて いない テーマです。わたしと しては、こんど「日本海文化悠学会」の 一員に くわえて いただいた 機会に、わたしの 原点とも いうべき「言語史観」に ついて、みなさまから ご教示を いただきたいと 考えた しだいです。

地球規模で 見れば、日本海や 日本語は ごく ローカルな 存在に すぎません。その ローカルな 日本語=ヤマトコトバを ローカルな 視点から だけで なく、グローバルな 視点からも 合わせて 分析したり、まわりの 民族言語(漢語・英語など)の 音韻組織と 比較する などの 作業を すすめる ことが できれば、日本語の 歴史(語根と 派生語の 関係や音韻変化の 歴史など)は、格段と あきらかに なる ことが 期待できます。日本史に 登場する 神名・人名・地名などに ついても、より 精密な 解釈が できる ように なる でしょう。「日本海文化 悠学会」が めざす 研究項目の 一つとして、とりあげて いただければと 願って います。

 

「古事記を 読む 会」の こと
「古事記を 読む 会」は、昨年 4月に 発足して から まだ 2年 足らず。会員10人 そこそこの ちいさな サークル ですが、わたしに とっては いちばん 楽しみに している サークル です。みなさん、『古事記』を 読むのが 大好き。はじめの 予定では 「12月はお休み」と なって いましたが、ことしは126日に 研修会、ついでに 13日に 忘年会を 開いて 盛りあがって いました。

  12月の 例会で、わたしは 「大国主神を めぐる ナゾ」に ついて 報告・提案 させて いただき ました。「大国主は 神か、命か?」、「オオ[]と スクナ[]の 語源は?」、「クニ[]は、もと クネクネ・クネル 境界線の 姿か?」など。

 とりわけ 最後の 「クニ[] = クネクネ・クネル 姿」に 気づいた のは、こんど 『古事記』大国主神の くだりを 読みなして みた おかげです。ヤマトコトバと しては、k-nは ごく 少数派2音節動詞は、カヌ[]だけ。3音節動詞では、カナフ[]・カネル[]・クナグ[]・クネル(折れ 曲がる)・コナス[]・コナル[]・コネル[] などが 成立して います。

  くらべて、漢語や 英語では、k-n音は かなりの 多数派です。漢語では、カン関guan、コン根gen、コン困kun、ケン拳quan などを 参考。英語では、can できる// country // connectつなぐ // kneeヒザ関節 //knuckle ユビ関節。ゲンコツ// などを 参照。

 先入観を はなれ、客観的に 考えて みると、ここに あげたk-n音語は、民族語の ワクを こえて 共通の姿を 表わして いる ようです。

Canとは、ユメが 現実として カナフ 姿。クニ[] countryも、もとは「クネクネ・クネル 境界線」の 姿から、「領土・国家」などの 意味・用法が 生まれたと 考えられます。カヌ[]・クナグ[]・カンセツ[関節]・ゲンコツ[拳骨]・コン[]can, connectknee, knuckle などk-n音語の 背景として、,B 二つの もの 関節などに よって合作し、クネクネ・クネリ つながり、あらたな 動作が できる(カナフ・can)ように なった 経過が 推定 されます。

 

「教育・文芸 とやま」第21号の こと
1215日()富山県教職員厚生会 発行の「教育・文芸とやま」第21が とどきました。今回は 評論の 部で「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音地名を 読む」を のせて いただきました。ここで、n-p音日本語に ついて 議論する 余裕は ありませんが、前記 k-nと ともに、今後も 機会が あれば くりかえし とりあげて みたい テーマの 一つ です。

 

ことしの 漢字は []
1216日()。ことしの 漢字は []と 報道され ました。おかげさまで、この ブログも なんとか 無事2015年を 記録し つづける ことが できました。
 いまは ただ、「2016年も、どうか 平安な 1で あります ように」と いのる ばかりです。