いたち川新緑(あやめ)
國際交流協会総会
カモが お散歩
元気交流ステーション(北日記事6/1)
同上(内部)
吉峰自然公園
同上、池
同上、内田夫妻
いたち川新緑
5月23日、晴。いたち川の土手にアヤメ(?)が咲いているのをみつけました。
國際交流協会総会
5月24日午後、富山駅前CICビル3Fで、富山市民國際交流協会総会が開催されました。
総会のあと、つづいて上越国際交流協会専務理事川室京子さんの講演がありました。タイトルは「国際交流協会の現状と課題…組織運営と人材育成」。項目だけメモしてみました。
オニは外!フクは内!…行政と協会とで役割分担が必要。
されど国際交流…外国人支援は日本人支援だ…デカセギのつもりで来日した労働者たちも、10年たてばコドモの教育が必要になる…なんとかして「コトバが通じる」「ココロが通じる」ようにすることが第一…共生の意識改革が求められている。
信頼される多機能集団になる…ナカヨシ団体ではダメ…行政書士会とも協力し、問題解決の実力をもつ…日本人相談員を養成する…(留学生・研修生などが帰国してから)「日本はよい国だ」といわれるように…1人が発したメッセージが100~500人に伝えられる…ワカモノ・ヨソモノ・バカモノの存在が協会をささえる。
富山の協会も今年は設立20周年に当たるということで、いろいろ計画が進んでいるようです。しかし時代とともに世界の情勢が変化し、とりわけ経済不況がつづく中で、国際交流運動のあり方も、いやおうなく変化ししてことでしょう。
いたち川のカモ
5月31日。散歩の途中でカモのつがいを発見。カモの姿はしばしば見かけるのですが、なかなかうまくシャッターを切らせてもらえません。きょうは、「お二人さんでいたち川をお散歩」といったところでしょうか。
立山町「元気交流ステーション」完工
6月1日、晴。きょうは内田さん夫妻にさそわれて、前回の県総合運動公園にひきつづき、吉峰自然公園へ出かける予定の日です。朝、新聞(北日本新聞)を読んでいて、「立山町『元気交流ステーション』完工の記事に目が止まりました。「保健施設・図書館・駅が一体」「まちづくりの拠点に」というミダシで、「31日正面玄関で行われたテープカット」の写真をそえた4段ぬきの記事でした。
内田さんたちもこのニュースを知っていて、「どうせ吉峰へ行く途中だから」と五百石駅に立ち寄ることにしました。駅に着いてみて、びっくりしました。
五百石駅は、わたしにとってたくさんの思い出がつまった駅です。父も母も立山町の出身で、父にならって今でも本籍地は立山町にしたままです。旭川中学を卒業して東京外語に入学した年、母方の祖父をたずねて降り立ったのが五百石駅です。最近ではクルマか地鉄バスを利用することが多いのですが、そのバスの終点が「五百石駅前」。古びた駅舎を見るたび、「なつかしい」と感じるとともに「くたびれたな」「さびしいな」とも感じていました。それがこんど「元気交流ステーション」として、みごとに変身していたのです。「親類の高校生が苦労して念願の大学に合格した」みたいなうれしさです。
内田さん夫妻は、また格別な感慨をもたれたようです。おなじ富山地鉄の「大庄駅を愛する会」のメンバーとして、長年来さまざまな企画に参加し運動して来た経緯があるだけに、この五百石駅の変身ぶりを見にして、「立山町住民のパワーを見せつけられる思いがした」とのことでした。ちなみに、旧大庄村・上滝町・大山町などはさきの町村合併で富山市に編入されていますが、五百石駅のある立山町は今でも独立したままです。
吉峰自然公園
五百石駅からまっすぐ吉峰自然公園へむかいました。この辺は、富山東部中学校に勤めていたころ(30歳前後)から、しばしば足を運んだところです。ちょうど考古学ブームがはじまったころで、吉峰で縄文時代の土器や石器が発見されたことが報道されると、なんとなく血がさわぎました。当時は土曜日も午前中は授業がありましたので、土曜の放課後、学校から吉峰へ直行しました。
高台に登って、まわりの地形をながめながら、「なるほど縄文時代の人たちはこんな場所をえらんで住んでいたんだ」と納得していました。縄文土器のカケラをひろって喜んでいると、近所の農家のおばさんが「よかったら、これもっていかれ」と磨製石斧をわたしてくれたこともありました。
こんどあらためて吉峰へきて、あちこち散歩してみましたが、温泉施設やキャンプ場ができたり、きれいな芝生がうえこまれていたり、まるで景色が変わっていました。縄文土器のカケラをひろったのはどこだったか、それも特定できませんでした。
あいかわらず足腰が悲鳴をあげるので、散歩はそこそこにして、ちいさな池のほとりで一服しました。
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