2014年8月8日金曜日

志田延義先生を偲ぶ会

 
 
ムクゲ
 

カモ 
 
 
縁日の花屋さん 
 
 
志田延義先生を偲ぶ会 
 
 
 
ムクゲの季節
7月26日。ひさしぶりで 石倉町延命地蔵尊 あたりを 散歩しました。いたち川 遊歩道の 一画では、白や ピンクの ムクゲの花が 咲きほこって いました。そして 川面では、3羽ほどの カモが 朝の散歩(?)を していました。
泉橋を はさんで、泉町がわと 石倉町がわと 両方ともに りっぱな 地蔵尊堂が あり、水飲み場が できて います。その名水を くみに くる 人たちの クルマで、まいにち 朝から にぎわって います。とりわけ 土曜日の 朝は、縁日の 花屋さんが 店を だします。いちだんと にぎやかです。
「川面に うかぶ カモ…土手に さく ムクゲ…地蔵尊堂 わきで 名水をくむ 人、花を 買う人…」
すべて、いつも どおりの 風景。この「泰平無事」が いいです。ありがたい です。
最近 しきりに「積極的 平和主義」「集団安全保障 容認」など、いさましい コトバを きかされます。いつのまにか 第2次 世界大戦前夜に タイムスリップした 感じに おそわれます。
もちろん 石油資源も ほしいし、発電施設も ほしいです。しかし、それは ヒトの 生活を豊かで 楽しい ものに する ための ものです。
ところが「集団安全保障 容認」と いう ことは、具体的には「石油輸送 ルートを 確保する ため には、一部 国民の イノチを ギセイに しても かまわない」と いう 論法です。この ばあい、イノチを おとすのは 自衛隊の 兵士だけ とは かぎりません。さきの 世界大戦でも、ヒロシマ・ナガサキの 原爆投下は もちろん、東京・富山の 空襲でも、まったくの 無差別攻撃 でした。「この 攻撃に よって、より おおくの 人命が 失われる のを 防止できた」と いう ヘリクツが、いまでも まかりとおって いる ようです。
 
志田延義先生を偲ぶ会
7月27日 午後、長江新町の 長念寺で「志田延義先生を 偲ぶ会」が 開かれました。
はじめに 澤田友見さんが 琵琶で「井伊大老」を 演奏され、そのあと 参加者一同で「讃仏偈」を となえ、さいごに 富山県立大学教授 中川英佳さんが「ゲーテにおける、法律と文学の世界」と題して講演されました。
中川さんは ドイツ文学者で、とりわけ ゲーテの作品に おくわしい との こと。そういえば、数年まえ にも「偲ぶ会」の席で ゲーテの「野ばら」に ついて 講演されたことが あるのを 思いだしました。今回は その続編に あたる もので、ゲーテが 小説「若きウエルテルの悩み」を 発表した 時代の 社会状況や ゲーテ自身の 生育歴や 恋愛の遍歴 などについて くわしく 解説されました。
記念講演の あと、別室で 懇親会が 開かれ、有志 十数人が 出席しました。出席者 自己紹介の場で、それぞれ 志田延義先生との あいだで どんな 出逢いが あったか、いま どんな テーマを かかえて いるか などに ついて 報告しました。自己紹介の場が 途中で 討論の場に なって しまい、あわてて 自己紹介の 流れに もどす という 場面も ありました。
志田先生が 富山市の 住職で、山梨大学 名誉教授、国語審議会 委員、日本歌謡学会 名誉顧問、北日本新聞文化賞 受賞などの 経歴を もって おられた ことから、「偲ぶ会」出席者の 顔ぶれは 毎回 多彩です。長念寺 門信徒の 方、国文学、歌謡学、外国文学、その他 いろいろ。大阪市在住の 書家で『閑吟集を書く』『梁塵秘抄を書く』などの 著書を 発表された 藤原彰子さんも、その おひとり。数年 まえ、この「偲ぶ会」で 講演された 方です。
志田先生は いわゆる 正統派・学術的な 研究会 ばかり でなく、「和讃」や「歎異抄」などを 題材にした 生涯学習ふうな 研究会・読書会 でも、いつも 全力投球で 講義されました。そして、参会者から 多少 ピント はずれの 質問や 意見が 出されても、まともにうけとった うえで 討論を すすめる ように 指導されました。女性の 参加者が おおぜいいて、「偲ぶ会」でも 毎回 数人 出席して おられた のですが、ことしの 懇親会 出席者は いなかった ようで、すこし さびしい 感じが しました。
わたし 自身は、先生が なく なられる 直前 まで、じぶんの 書いた ものを 先生に 見ていただく など、たいへん お世話に なりました。ことしの 懇親会 でも、先生に 見ていただく 気持ちを こめて、最近の 作品「スミノエ神は Mr. Smith だった…日漢英sm音語の 分析 から」を 数人の 方に おわたし させて いただきました。

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