日本海文化悠学会総会
新幹線拝見(金沢駅)
みやげもの店(金沢駅)
『朴魯禅談集』
雪見橋から
赤いボート
遊歩道
日本海文化悠学会総会
3月27日(金)、豊栄稲荷神社会議室で 日本海文化悠学会総会が 開かれました。会が
組織されて から 3年 すぎた この 時期に、これまでの 経過を ふりかえり、この先 どうするか 考えて みようと
いう こと でしたが、みなさん やる気 満々で、いまの 体制で 続行と いう ことに なりました。かねがね、創3周年を 期に 会誌発行計画が 進められて おり、この 日が いちおう 原稿提出日と されて いました。そんな しだいで、総会あとの 編集会議で いろいろ
議論が かわされました。
おくればせ ながら、この日
ようやく 会誌の 名称が 正式に「悠学」と 決定しました。
また、会誌発行の 費用負担 などに ついても、最終的な 方向が 出ました。これまで 計画の 途中で、①全額を 会および 会員の
負担と する、②外部団体 など から 補助を 受ける、③出版社と 相談する、などの 案が 出て いましたが、将来の 計画は 別として、すでに 原稿提出期限を むかえた
今回の 会誌に ついては、やはり ①の線が 無難だ という ことに なりました。
この日 わたしが
提出した 原稿の タイトルは「スミノエ神はMr.
Smithだった(仮説)」。1995年に『スミ・シム・SMITH』を 発表して 以来、一貫して 主張して いる 持論です。この「仮説」が 世間一般の「常識」と なる 日を
めざして、これからも 手を かえ 品をかえ、主張し つづける つもりです。
北陸新幹線 ためしのり
3月31日(火)、晴。おいっこの Dtsさん から 電話が あり、「今から 花見に いかん まいか」との こと。まもなく、母親の Kzeさんを 車いす ごと クルマに
のせ、妹の Hkmさんも 便乗して、イズミ宅 まで むかえに きて くれました。
ここから「一行5人さま」で サクラ見物に 出かける はず だった のですが、いたち川べりの サクラ見物は そこそこに して、「ついでに、北陸新幹線 開通で 改装された 富山駅を 見に ゆこう」と いう ことに なりました。
新幹線 乗り場が
高架に なった ため、市内電車が 駅の 下まで 乗りいれる ことが できる ように なって いました。また、富山駅を 利用する 人たちの 数が 以前より おおくなった
ようにも 見えました。それに しても、年寄りには やはり つかれ ますね。もうすこし、ベンチ
ぐらいは ほしい です。
そんな ことを
考えて いる うちに、こんどは 「せっかく だから、新幹線に 乗って みよう」と
いう ことに なりました。終着駅 金沢 まで 20分。あっという間でした。スマホで
写真を とる チャンスが なかった わけでは ありませんが、わたしの 運動神経ではなかなか 対応でき そうに ありません。車内 から 外の 景色を うつそうと
して いると、たちまち 防音壁に 変わったり、トンネルに はいったり します。金沢駅に到着してから、ようやく 新幹線の 機関車の姿を カメラに おさめました。
金沢へ 来たのも
ひさしぶり。ちかくの みやげもの店 などを 見て まわりました。どの店も
品ぞろえが 豊富で、おおぜいの 客で にぎわって いました。新幹線開通を まちかまえて
加賀百万石を 日本全国へ 売りこもう とする 意気ごみ みたいな ものを 感じました。くらべて みると、富山の お店屋さんの ほうが おとなし すぎる
感じ です。
ちょうど おひる すぎの 時刻 だった ので、車いすの まま はいれる 店を さがして、ソバを 食べました。
別に 用事が あって
金沢まで 来た わけ では ないので、おりかえし 新幹線で 富山へ かえっ てきました。これにて、90代 3名さまの ための 花見と 北陸新幹線の 旅は 無事終了。出たとこ 勝負で 予定が 変更される ため、老人 として は いささか
疲れ ましたが、天候にも めぐまれ、いい 思い出に なりました。
それに しても、要介護5の 母親を 車いす ごと
クルマに のせて 運転し、富山駅で 車いすを おろし、 クルマを 駐車場に あずけて きて から、エレベーターを 利用して 車いすを 新幹線乗り場 まで おして
ゆく…たいへんな 労働と 気づかい です。妹の Hkmさん ともども、いまどき めったに 見られない 孝行もの だと 思います。
『朴魯禅談集』
4月1日(水)。Usmさん から「朴魯禅談集」と いう 本を いただき ました。「知人の堀辺朴魯氏がこのたび出版した禅談集です」との
こと でした。文芸社 セレクション(文庫版)、63ページの 小冊子。表紙 カバーの 帯に、こう解説してあります。
参禅、修行して知った「禅」について古今の天才禅師たちの教えや行状を織り交ぜて縦横に語る「禅の噺」
わたしは 自称「親鸞の弟子」で、『歎異抄』などは 読みましたが、禅に ついては まったくの 門外漢 です。しかし、せっかくUsmさん からの プレゼントでも あり、ポケット版の 小冊子で 読みやす そう だった ので、さっそく 読ませて いただき
ました。
読みはじめると、気どりの
ない 文章で、途中の リクツを 省略し、結論だけを ズバッと 述べる…そんな 感じ でした。ところどころ、「はてな?」と 思う ところも ありましたが、「なるほど」「そのとおり」と
共感できる ところも あり、なんと なく 「禅」に 親近感を おぼえ ました。
はじめに 目次を
ざっと ながめて いた のですが、とりわけ「真の呼吸」「抜苦与楽」「神道は迷わぬ道、仏教は迷った後に悟る道」「出雲の大国主の大神、少彦名の大神」「孔子」などの ミダシに 興味を ひかれ
ました。ここ では、とりあえず「真の呼吸」の 項から、はじめの 数行だけを
紹介させて いただきます。
真の呼吸というのは、鍛錬に鍛錬を重ねた結果の末に到達した呼吸という人為的な呼吸ではなく、宇宙一体に広がるとんでもない、それはそれは継ぎ目のない、じつにきれいな呼吸であって、自分のものではない、産まれる以前の世界の呼吸。ダルマの顕現というか、とんでもないものがあるのだ。
こんな 調子で、6ページに わたる 呼吸論議が はじまります。ただし、「真の呼吸 とは、どんな ものか」という 初心者むけの 解説は いっさい
出て きません。「只管打坐」「見性成仏」「見性(悟り)」などの コトバは 出て くる のですが…このへんの ところが いかにも「禅問答」らしい ところ なの かも しれません。
そこで、わたしも これに コキュウ[呼吸]を あわせて、イズミ流の 問答を 考えて みました。おもしろいと 思ったら、おおいに わらって ください。
Q: コキュウ[呼吸]とは、なんの こと?
A: コキュウ[呼吸]は 漢語。ヤマトコトバで いえば イキ[息](を する こと)。コ[呼]は、イキを
吐きだす 姿。キュウ[吸]は、イキを 吸いこむ 姿。
Q: そもそも、イキと いう 語音が どうして[息・呼吸]の 意味を 表わす ように なった のか?
A: ヤマトコトバの
組織原則 から 見て、イカ・イキ・イケ などの 語形は 動詞 イクから 派生した
コトバと 解釈すると 分かり やすい。イク・ユク[行・往]は、もともとイク[射來]で、「矢が イク・ユク」姿。イク[生・活]は、生物・動物が イキを
したり、自力で 移動(イク[行])する 姿。矢の ように すばやく イク ものが イカ[烏賊]・イカダ[筏]。動詞 イクの 連用形 兼 名詞形が イキ[生・活・息]。イキつづける 意の 動詞が イキル[生]。自動詞 イク[生・活](動四。生きる)に たいする 他動詞が イク[活](動下二。生かす)。その
連用形 兼 名詞形が イケ[活・池]。つまるところ、「一生をどうイキルか」とは、「いつ・どこで・どんな イキ(息・呼吸)の 仕方を するか」の 問題。
さて、みなさま わらって いただけ ました でしょうか?
サクラ サク、花ザカリ
春と いえば、やはり サクラ です。いたち川べりの
サクラは、ことしも みごとに 咲いて くれました。はじめに 書いた とおり、3月末には 開花。途中 雨が ふったり 風がふいたり しましたが、きょう4月10日に なっても、まだ なんとか
持ちこたえて います。ここに 掲載した のは、4月4日に 散歩の
おり うつした もの。「雪見橋 から」「遊歩道」など、毎度 おなじ 地点の 映像 ばかりで、いささか 気が ひけますが、これも
体力の 限界を しめす もの。一期一会。来年 また おなじ 光景を カメラに
おさめる ことが できる という 保証は ありません ので。
サクラの 花 や、花見用の
ボンボリは 毎年 見なれた 姿 ですが、いたち川に うかぶ 「赤い ボート」は、こんど はじめて 見た 光景です。
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