かんぽの宿、富山(A)6/2
かんぽの宿、富山(B)6/3
『古事記』を読む会 6/7
「東京外語会会報」134号
6月2日(火)、美織さんの クルマに 便乗して、婦中町羽根の「かんぽの 宿」まで でかけました。東京組 4人と 富山組 3人、計 7人の 女性たちが
企画した「もと 加藤家の つどい」に 参加する ため です。
東京組の
うち、西田 恵美子さんは 信子の 妹。伊藤 淳子さんは 信子の 兄 加藤 子規さんの 娘。Rekさんと Tdkさんは、信子の 姉・小柴 菊枝さんの 娘さんたち です。 富山組は、土地 数枝さん(信子の 姉)と、娘の 藤木 美織さん、それに
信子の 3人 です。
北陸新新幹線が 開通して 便利に なった ので、もと 加藤家の 女性たちが 富山で 顔をそろえ、いっしょに 食事したり、おしゃべりしたり
したいと いう 趣旨の よう です。
年齢構成を みると、第一世代
筆頭の 数枝さんが 96歳、信子が 91歳、恵美子さんが 86歳と いう 順に なります。第二世代の 四人は まだ 現役の 女性ばかり なので、年齢の ことは
確認して おりません。ほぼ 60歳代と して おきましょう。
「かんぽの宿」を
えらんだ のは、単純な 理由です。最年長(96歳)の 数枝さん が交通事故に よる 身体障碍者 なので、無事・安全に 入浴できる 装置の ある 温泉旅館を さがした
結果、以前にも 利用した ことの ある「かんぽの宿」に きまったと いう しだい です。
4階にも 大浴場が
あるとの こと でしたが、わたしは 1階の 野天風呂で、ゆっくりした 気分に ひたりました。
夕食の 料理は、一品
ごと 工夫が こらされて いて、分量が 多すぎ ない 点が 年寄り向きだと 感じました。
夕食の あと、わたしは
早めに 部屋に もどって、寝て しまい ましたが、恵美子さん たちは 別室で 夜中 3時ころ まで おしゃべり していた そうです。
3日、東京組は
各自 日程を こなした あと 砂町に 集合、午后3 時すぎの 新幹線で 帰京しました。
「日本は まさに 高齢化社会」、そして「男性に くらべて、女性の ほうが つよい 生命力を もって いる」と 実感させられた 二日間 でした。
6月7日(日)午前、豊栄稲荷神社で、『古事記』を 読む会の 例会が ありました。この日は、雄略天皇の 項 から 輪読を はじめた のですが、一気に 推古天皇の 項 まで 読んで
しまい ました。昨年 4月に 読みはじめて から、1年 あまりで、『古事記』序文 から上・中・下巻 まで 全部 読みおわった ことに なります。
「輪読会」と いう 形式で 第1
ラウンドが 終わった 段階で、さて それでは 第2 ラウンドは「どんな 読み方が
よいか」と いう 話に なりました。いろんな 意見が 出ましたが、大筋の 方向と して、次回 から「会員が 交替で 研究成果を 報告し、ひきつづき出席者 全員で 討論する」方式を
採用する ことに なりました。できれば、あらかじめ 報告予定者の ナマエや 研究テーマ などが わかって いる ほうが、おたがい 都合が よい だろうと いう
ことで、さしあたり 次回 7月5日は、近藤会員が「ヤマトタケル[倭建]命」に ついて、(8月は 休み)、9月13日は
イズミが「マキムクの 日代の 宮」に ついて 報告する などの 日程を 組みました。
6月10日(水)。佐藤正樹さん から
「東京外語会 会報」134号が
送られて きました。特集「戦後70年:激動期を
生き抜いた 先輩たちの 証言」を 読んで ほしいとの こと でした。
「仲田達男さん(85)、阿部幸夫さん(85)(昭和25年 中国科 卒)」、「古茶兵衛さん(87)(昭和25年 ロシア科 卒)」など、計5人の 方の 談話が のって います。年齢では
5歳ほどの バラツキが みられますが、東京外語 在学中は ほぼ 同じ 空気を 吸って おられた はず です。家庭環境の
チガイや ご本人の 個性の チガイも あって、それぞれ ちがった 思い出に なって いますが、わたしは「なるほど」と 感じ ながら 読ませて いただき ました。その中で
1点 だけと いわれれば、阿部幸夫さん(中国文学者)の
談話の1節を あげさせて いただきます(下線は引用者)。
戦争になれば自分の意志を発揮できない。もっと言えば、自分の意見というものが存在しえない。それでいいのですか、ということですよ。私は、モノがないということを想像できない若者たちに我々の経験を伝えるというのは無理があると思います。せめて本や資料に目を通し、わからないなりに現代史を考えてほしい。日本の教育は現代史をきちんと教えて来ませんでした。
6月14日(日)。晴。朝の 散歩に でた ついでに、ハガキを1枚 ポストに 入れました。『教育・文芸とやま』(富山県教職員厚生会 発行の 文芸誌)への 投稿 申しこみ ハガキです。毎年12月に1回発行する だけの 文芸誌ですが、わたしは この10年 あまり 毎回応募して います。昨年(20号)は「『アユの風』を考える…ヤ行音の意味」を のせて いただき ました。ことし(21号)は、「メヒと ネヒと ニヒ…富山県の
地名を 考える」という テーマを 予定して います。
富山県内の 地名と しては 、古代
から「メヒノ コホリ[ 婦負郡]」、「ネヒノ コホリ[婦負郡]」、[ニヒカハ[新河]」などの 用例が 見られますが、これら
メヒ・ネヒ・ニヒなどの 語音が どうして 富山県内の 地名として 定着した
のでしょうか?メヒと ネヒは どうして 同じ 漢字[婦負]と 表記される ので しょうか?メヒ[婦負]と メヒ[姪]は 音韻的に どんな 関係に なる のでしょうか?ニヒカハ[新河]の ニヒ[新]は、ニフ[丹生]・ニハ[庭・丹羽]・ニハカ[俄]などと 関係が ある のでしょうか、ない のでしょうか?
まずは、ヤマトコトバの 音韻組織に かんする 原理・原則に 照らして、これら m-p、n-p音語の 音韻構造を 音素単位 まで 分解した うえで、あらためて
m-p、n-p音語の 共通基本義を 考える ことに します。こうした 手順を ふむ ことに よって、さきほどの 疑問に たいする「客観性・合理性の ある 解答」が 得られる のでは ないかと 考えて います。
必要な 資料は、ほぼ そろって います。あとは、どう まとめるかで 時間が かかります。原稿提出 期限は、8月25日。ブログの ほうを 夏休みに して、提出原稿の とりまとめに 追われる
ことに なる かも しれません。
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