土用の丑の日 7/25
越中おわら節 7/25
お化け灯篭の正体 7/28
『コトダマの世界Ⅱ』を謹呈 7/28
永代祠堂経 7/30
「偲ぶ会」こんしん会 7/30
「暑中見舞い」の来客
7月19日(水)。朝、東京のitkさん(信子の姪)から電話がありました。「暑中見舞いにモモを送る」とのこと。「一人で食べきれない分は、ホームのスタッフの人たちにでも食べてもらって」といっていました。彼女は地域で民生委員をつとめており、いそがしい毎日を過ごしているようです。
11時すぎ、砂町のnksmさんご夫妻が「暑中見舞い」に来られました。
午後、utymさん(信子と女学校以来の親友)が(お嫁さんの車で送られて)、「暑中見舞い」に来られました。信子生前の写真を見てもらい、しばらく思い出話などで時間を過ごしました。そのあと、自宅へ電話して、お嫁さんに迎えに来てもらい、帰宅。
小澤俊夫さんから伝言
7月20日(木)。朝8:40, 佐藤芙美さんから電話をいただきました。土井(もと小杉町長)さんをとおして、小澤俊夫さんから伝言をたのまれたとのことでした。「12月9~10日、金沢へ行く予定なので、その時(イズミとも)会えるようにしたい」。
小澤さんがイズミに会いたいといわれるのは、わたしが学生時代から小澤開策さん(俊夫さんの父上)のファンで、北京市新開路の「小澤公館」へも出入りしていたという話を(佐藤芙美さんをとおして)耳にされたからだと思います。本来ならば、大恩人のご子息のもとへ、こちらからかけつけてお礼のごあいさつをさせていただくのがスジだろうと思いますが、いまの自分の体調では、1カ月、2カ月先の行動日程を確約できる自信がありません。せっかくのご提案をありがたく受け入れさせていただき、当日まで体調をまもってゆくだけで精いっぱいです。
おそくなりましたが、この日、どうにかこうにか、ブログを更新することができました。タイトルは、「ユメ・ウツツの日誌」
吉報・警報さまざま
『コトダマの世界Ⅱ』は7月20日(木)に印刷完了と聞かされていたのですが。ぎりぎりになって、「1週間おくれる」と通知されました。28日(金)の悠学会席上で配布を予定しているので、前日夕方までに入手できるよう、念をおしておきました。
現実の話、27日(木)はデイ・ケアのため、昼間は不在。本を持ちこまれても、なにも対応できません。また、保管するスペースのこともあり、16時~17時,100部ほどだけ、ホームへ搬入。あとはしばらく出版社で保管。郵送分については、別紙寄贈先名簿にしたがって、順次発送していただくようお願いしました。
7月21日(金)。午前、F1で内科検診。異常なし。午後、美織さんから電話。「いまからホームへゆく」。ところが、そのあとすぐ、また電話。「お兄ちゃん(茂樹さん)がインフルエンザで下痢、入院」とのこと。「それはタイヘンだ。大事にしてあげられ」とつたえました。そういえば、茂樹さんはこのところずっと元気がありません。アタマを丸坊主にし、ヒゲもそり落としたのはよいのですが、だいぶ痩せてきたのではと気になっていました。もともと飲食物にスキ・キライがあり、栄養がかたよっているのかもしれません。
夕方、泉久美さんから電話がありました。8月17日(木)午後、泉一家がクルマで來富。18日(金)朝,墓まいりの予定とのこと。オキナガの体調がよければ、参加させていただくことにします。
土用の丑の日
7月25日(火)。きょうは土用の丑の日ということで、ホームでもご覧のような昼食となりました。食事メニューについては、この日にかぎらず、四季おりおりの季節感をあじわえるよう、いろいろ工夫をこらしているようです。
越中おわら節
この日、14時から9Fで「歌と踊り」の会があり、富山南ライオンズクラブ有志のみなさん約20人が、ホーム「めぐみ」へ慰問にこられました。胡弓・三味線をふくめ。歌い手・踊り手・はやし方とも、多士済々。こきりこ節・麦や節・越中おわら節などを熱演。わたしは、いちばん前の席で、鑑賞させていただきましたが。迫力満点でした。
お化け灯篭の正体
7月28日(金)。午後、茶屋町の豊栄稲荷神社で悠学会例会が開かれ、山口悦子さんが「越中稲荷神社のお化け灯篭・・・お化けの正体」と題して調査報告されました。山口さんの調査では、灯篭の中には一部、夜間火袋に点火したとき、そこが「真っ赤なホーズキの眼」となり、全体として「ドンブリ笠とバンドリ[蓑]を羽織ったオバケ」に見えたから、というのが結論のようです。
「オバケの正体」とは大体そんなものかと思いますが、この問題を「歴史上の事実」として実証しようとなると、それはかなりむつかしい作業になるかと思います。いつ・どこで、どれほどの規模でオバケ現象が発生したか?その資料を採集するだけでもたいへんですが、その灯篭を設置した人たち(藩主や庭師・石工など)がオバケ現象の発生を予測・計算して設計したものかどうか。などの判断資料も必要になってくるでしょう。
『コトダマの世界Ⅱ』を謹呈
山口さんの報告が終わったあと、イズミから『コトダマの世界Ⅱ』出版の趣旨について簡単に報告し、出席のみなさんに贈呈させていただきました。また、この本の表紙デザインや装丁などを担当してくださった洋画家・佐藤芙美さんから、これまでの経過について報告していただきました。なお、8月の悠学会は夏休みとなっていますので、9月以後の例会などで。この本の内容について議論していただければありがたいと思っています。
永代祠堂経
7月30日(日)。午前10時20分~、長念寺でおこなわれた永代祠堂開闢法要に、美織さんといっしょに(つきそってもらって)出席しました。故信子の名が、法名「本誓院釈尼香信」として、ことしの開闢法要の対象者名簿にかかげられていました。「開闢・総永代経」につづいて真浄寺住職永田寛雄師の法話があり、そのあと昼食をいただきました。美織さんは、ここで帰宅。わたしはそのまま午後の「偲ぶ会」に参加しました。
「志田延義先生を偲ぶ会」
午後1時半から本堂で、「志田延義先生を偲ぶ会」が開かれ、記念講演として、元奈良教育大学教授で日本歌謡学会会員の永池健二先生が「志田延義先生と『梁塵秘抄』の注釈研究」と題して報告されました。先生が中心になって編集された「梁塵秘抄詳解神分編」は8月初旬、八木書店から発行予定とのこと。門外漢のわたしですが、当日いただいたレジュメの中で「3.漢字と仮名の表記の書き分けについて」の部分に共感をおぼえました。そこだけ引用してご紹介します(下線は引用者)。
『梁塵秘抄』巻第二の今様の文字表記を総体として一覧すると、漢字と仮名の書き分けについて、つぎのような顕著な傾向を見てとることができるように思われる。
1.歌詞の表記に際しては、漢字を多用せず、できるだけ仮名書きを用いること。
2、とりわけ、本来の和語―大和言葉―については、仮名書きにすること。
3.漢字を用いるのは、仏語など本来漢字によって成り立つ漢語の場合に限ること。
以下、具体的な文例が紹介されていますが、長くなるので省略。わたしは、ここでも黒田夏子さんの小説『abさんご』の表記法を思いだしていました。「ヤマトコトバはもちろんのこと、日本語の文章は、漢字でなく,カナ書きとする」という方向が、『梁塵秘抄』の時代(平安後期)に確認されていながら、21世紀になっても「『abさんご』の表記法では読みにくい」といわれるのは、ナゼでしょうか?それは、ワカチガキされていないからです。さらにいえば、タテガキの習慣をのこしているからです。英文のようにヨコガキにすれば、
いやおうなしでワカチガキすることになるでしょう。いずれにしても、いまの日本語の表記法は、中国・韓国・北朝鮮にくらべて数十年おくれていることを自覚すべきだと思いますが、いかがでしょうか?。
こんしん会
「偲ぶ会」には、こんしん会がつきものです。志田延義先生は日本歌謡学会を立ちあげた方なので、「偲ぶ会」では毎回、最先端の研究者たちが講師をつとめられます。また、もと延義先生のファンで、そのまま「偲ぶ会」(こんしん会をふくめて」の常連になった人たちがいます。わたしもその一人です。
こんどの『コトダマの世界Ⅱ』では、延義先生の文章を引用させていただいたこともあり、この席で、出来たての一冊を現住職の常無さんへ、また同席の数人の方にも1冊づつ謹呈させていただきました。
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