信子の一周忌祭壇 3/10
『古事記』を読む會 3/11
松川散歩(A) 3/17
松川散歩(B) 3/17
画像について:
スマホを修理に出し、㈹行機もトラブルつづきで、ブログ原稿に予定していた写真がつぎつぎ「行方不明」状態になってしまいました。そのため前号のブログは、写真ゼロ、パソコンでスキャンした画像だけとなりました。今号の紙面についても、画像ゼロではさびしすぎるので、いちど掲載ずみですが、「松川散歩」の写真(18年11月11日号)に再登場してもらうことも考えました。①「神通川船橋跡」解説掲示板付近。②松川がつくる水かがみ。
ところが、修理ずみのスマホがもどってきたあとになって、「行方不明」の寫眞数枚がパソコンのピクチャーの片すみで発見されました。
① 信子の一周忌祭壇(3月10日、長念寺)。
② 『古事記』を読む会(3月11日、豊栄稲荷神社)。
③ 松川散歩(A)(3月17日)。
④ 松川散歩(B) (3月17日)。
ごらんのとおり、①と②は前号ブログ記事にそえて掲載予定だった写真です。1号おくれの掲載は、まさに「六日のあやめ。十日の菊」。どうにもカッコウがつかない話ですが、これがいまのわたしの実態です。オワライください。
松川散歩
3月17日(土)、晴れ。めぐみのスタッフがつきそい、数人で松川べりまで散歩に出かけました。ホームからここまで、わかい人なら5分もかからないかと思いますが、わたしどもの年になると、途中で一服したいほどの距離です。去年の5月にホームへ移ってから、これが3度目くらいの松川散歩になります。一行のうち、3人ほどはさらにさきにある高志の国文学館へ向かいましたが、わたしは松川べり遊歩道をゆっくりたのしませていただくことにしました。
松川の水は、いつものとおり、ゆっくり流れています。遊歩道のあちこちに設置された彫刻も、いつもとおなじ表情をしています。松川の水は神通川の分流ですが、このさきすぐいたち川と合流します。いたち川は常願寺川の分流ですから、あれこれ総合して、「常願寺川と神通川が合流して海へそそぐ」姿をイメージすることができます。
松川の水の流れを見ていると、なんとなく安らかな気分になってくるのがフシギです。そのうち、いつのまにか自分の体がその流れに乗せられ、いたち川へ合流、やがて日本海へそそぎこまれるような感じがしてきました。日本海といえば、オオウナバラ。海の水は、世界のいたるところ、スミからスミまでスミコミ、シミワタルことができます。いいかえれば、これで全世界・宇宙とつながることができる、そんな感覚です。
客観的に見て、ごくちかい将来、イノチが尽きはてて火葬され、大地にかえされるわが身です。ムダな抵抗はヤメにして、できるだけ安らかな往生をとげたいものです。
三味線を聞く会
3月21日(水)。午後、9Fで「三味線を聞く会」が開かれました。出演者は、いつもお見えになる男性と若い女性のお二人…お名前をぞんじあげないので、ごめんなさい。この日の曲目は;津軽じょんがら節。といちんさ。こきりこ節。花笠音頭。真室川音頭。ソーラン節。黒田節。炭坑節など。たいへんな熱演でした。
スマホ(代行機)で一枚だけ寫眞をとりましたが、そのあとパソコンにコピーする段階で、またしてもトラブル。さきほど「行方不明だった寫眞が見つかった」といいましたが、この写真だけは相変わらず行方不明のまま。残念です。
『大職冠図屏風』に学ぶ
3月23日(金)。午後1時半から、茶屋町豊栄稲荷神社で日本海文化悠学会の総会が開催されましたが、そのまえにまず、針山康雄さんから「『大職冠図屏風』に学ぶ」と題して研究報告がありました。
針山さんは、3月11日の『古事記』を読む会でもおなじテーマで報告・提案されました。『大職冠図屏風』について、なんの予備知識もないわたしにとって、「この屏風図からナニを学ぶか」という問題そのものが、おおきな宿題となってしまいました。
『大職冠図屏風』に描かれた物語などを中心にして、そこから日本歴史の真実をさぐるという方法もあるでしょう。あるいは、純粋に美術・文芸の問題として、その表現技術を追求するなどの研究方法もあるでしょう。「ナニを学びとることができるか」は、「ナニを学びとりたいか」によってきまる、といえるかもしれません。
わたし自身、「ナニを学びとることができたか?」前号のブログで、さしあたりの感想を申しあげました。針山さんから再度報告を聞かせていただいたいまも、ほぼ変化なしの状態ですが、ここであらためて、自分にいい聞かせるつもりで、なるべく簡単に、なるべく具体的に書きしるしてみます。
「『古事記』日向三代」、「大職冠図屏風」、「浦島子伝説」などに共通してみられる「竜宮訪問物語」は、日本人の宇宙観の一部を構成するものだったと考えることができる。その宇宙観によれば、この宇宙は、垂直な軸によって支えられ、上から下へ、三つの世界に区分される。①タカマガハラ[高天原](天上界)。②クニ[国](トヨアシハラミズホノクニ。アキツシマ。ヤマト)。③ウナハラ[海原](海外。海中。竜宮)。
いまのわたしには、このていどのマトメしかできません。これでは客観的・合理的な研究とは呼べないでしょう。研究方法がピンとはずれだった可能性もあります。
正直な話、わたしにはもっと身近なところに、いますぐとりあげ、みなさまといっしょに議論してみたい問題があります。たとえば『古事記』日向三代、ホヲリ命の「竜宮訪問」のくだりで登場する「ワタツミ大神」というナノリの問題です。ワタツミの基本義をさぐるキーワードはワタ。ワタの音形をもつ上代語として、名詞ワタ[海・綿・腸]・ワタクシ[私]・ワタナカ[海中]・ワタリ[渡]・ワタリゼ[渡瀬]、動詞ワタス[渡]・ワタル[渡]・ワタラフ[渡]などが成立している事実に注目したいと思います。これらの語彙資料から、ヤマトコトバのワタwataは英語のwater(水)に対応する語音ではないかというのが、イズミの仮説です。参考までに、英語の辞典をしらべてみると、waterは語根 wed-( =wet湿った)からの派生語で、wet, wash, winterなどと同系と解説されています。
こんなふうにみてくると、ワタ[海・綿・腸]は、いずれもグニャグニャしていて、「形がきまらない」、それだけぎゃくに、どんなせまいスキマにも自由にスミコム・シミコム・シミワタルことができる。つまり、ワタ[海水]=シミワタルもの=waterと解釈して、なんの不都合もなしということになります。ついでにいえば、日本語のアラフ[洗]なども、もともとワラフの語頭w-音脱落と解釈できそうです。ワラフ[笑](口をワル)とアラフ[ワリこんで、ヨゴレをとる]が同源で、英語のlaugh(笑う)とも対応しそうだとなると、話がウマすぎて、ワラッチャイますね。
ダメでもともと。万が一、やがて公認されれば、「世紀の大発見!」かたくるしいことはヌキにして、コトバあそびのゲームとしてもおもしろそうだ、と思われませんか?一人でチャレンジしていてもアキないのですが、二人・三人・五人、仲間がふえれば、それだけ「新発見」が量産され、ますます盛りあがってくると思います。
日本海文化悠学会総会
この日は2017年度最後の月例会なので、総会が予定されており、「年度事業・決算報告」、「新年度事業計画・予算」などについて報告・提案され、審議されました。また、昨年にひきつづき、今年も会誌「悠学」第2号を発行することについて、「ほぼ順調に進行中」との報告もありました。「予定原稿は全部そろった」とのこと。わたしも「ヤ[矢]・[也]・ARROWの系譜」と題した原稿(A5判10㌻)を提出ずみです。
スマホの修理完了
3月24日(土)。美織さん、Zyunさん、親子そろって来訪。修理が終わったスマホを受けとりにゆき、とどけてくれました。Zyunさんは藤木家の次男。パソコンやスマホにはくわしいようなので、これからもいろいろ教えてもらえそうです。よろしくたのみます。
なにはともあれ、日ごろ使いなれたスマホがもどってきたことで、まずは一安心。元気をとりもどして、ブログづくりをつづけたいと思います。
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