2016年1月27日水曜日

富山に 雪が 来た 

 
 
石倉町延命地蔵尊 1/1
 
 
水仙  1/10 
 
 
N家花壇の雪  1/19
 
 
いたち川雪景色  1/24
 
 
雪見橋の雪 1/24
 
 
 
遊歩道の雪 1/24
 
 
悠学会新年会 1/22
 
 
 
年末年始は雪ゼロ
「東京で 積雪 5センチ。北陸は…」などと 報道され、ケイカイは して いましたが、富山の マチナカでは ずっと 雪 ゼロの 日が つづいて いました。
元日の 朝、石倉町 延命地蔵尊に おまいりした ときも、雪が なくて、足場も わるくは ありません でした。ただ、この 時間帯、平日なら「お地蔵さんの 水」を くみに くる ひとたちで にぎやかな はず なのに、これは また なんと しずかな ことかと、妙なところで 感心したり して いました。
1月10日、いたち川の 土手で 水仙が 咲いて いる のを 見つけ、うれしく なって、シャッターを 切りました。しかし、水仙は 太陽に むかって オジギして いる ので、このままでは セナカを 見せて いる 姿に なります。せっかくなら、もっと いい 角度から 写したいと 思った のですが、それには 土手の 石段を 下りて ゆかねば なりません。この ご老体では ムリと 判断。あきらめる ことに しました。
 
ついに 富山も 雪景色
 1月20日(水)、富山にも ついに 雪が やって きました。一夜に して、あたり 一面、雪景色の 出現です。雪の あいまを 見て、散歩に でかけ ました。
これまでの 数十日間、花が 枯れ、紅葉も 散り落ち、いつ 見ても くすんだ 色の 風景でしたが、まっしろな 雪を かむった おかげで、いっぺんに 元気を とりもどした ように 見えました。
 
悠学会の 新年会 
 1月22日(金)午後、丸十さん 2Fで 日本海文化悠学会の 研修会が 開かれ、中島 信之 さんが「将軍義材は なぜ 越中国に きたのか」と 題して 報告されました。
研修会の あと、ひきつづき 新年会が あり、割烹丸十の 経営者、経沢 信弘さんが、「万葉集に 登場する 食材や 献立」を 再現されました(この項、北日本新聞 1月23日号の 記事を参照)。
 「越中万葉料理の 献立 (冬)」の 一部を ご紹介します。
食酒…赤米の にごり酒(巻3-345)
先付…ながらも(ほんだわら)(巻12-3177)
前菜…あしつき・しただみ・菜の花・ゆり根(巻17-4021)(巻20-4455)(巻16-3880)
(巻8-1418)
蒸し物…鴨ロース煮・からし(巻3-375)
揚げ物…山菜の 天婦羅・藻塩(古代の 塩) (巻8-146 0)(巻6-935)
炊き合わせ…猪・株・里芋・ふき (巻2-203)(巻16-3826)(巻16-3825)以下省略。
 
ブログへの コメント
 話が すこし 前後しますが、1月21日(木)の 朝、ブログ「七ころび、八おき」に読者のAtm さん から コメントが 入って いる ことに 気づきました。コメンㇳが 発信された のは 2015年10月22日。わたしの 不注意で、3カ月 ほども 放置して いた ことに なります。申しわけ ありません。連絡先の 電話番号が 書いて ありました ので、とりあえず こちらから おわびの 電話を 入れました。Atm さんの ご用件は、こつぎの とおり。
 祖父が、たしか 「華北交通(株)」の 社員 だったと 聞いて いる。敗戦で 帰国し、2年後 祖父が 病死。父は 当時 3歳。父も 母も、華北交通時代の 祖父に ついて、具体的な 状況は なに 一つ 分かって いない。都内に ある 「満鉄会」で だずねて みたが、「華北交通へ 出向した 社員の ことは 分からない」と いわれた。たまたま ブログで 華北交通の 記事を 拝見した ので、なにか アドバイスを お願い したい。
  せっかく ご相談を 受けた ので、できるだけの ことは お手伝い したい のですが、はたして どれだけ お役に 立てる のか、自信は ありません。いちばん おおきな カベは 「戦後70年」という 時間の カベ。せめて 10年~20年 まえ でしたら、直接の 関係者が おおぜい いた はず です。いまと なっては、その 関係者が 生存して おられる 可能性が とぼしく なって います。
 「満鉄会」「華交互助会」「長安会」などの 組織が 解散したり して 当てに ならないと なれば、あとは まったく 個人的な 人脈を たどる ほか なさ そうです。ただ、祖父 さまが 東大 出身で、(理科系で なく)文系だと すれば、さがす 範囲は かなり かぎられて きます。満鉄や 華北交通の ばあい、理系と 文系とで、はっきり 職場も ちがって きますし、人脈も ちがって きます。それだけ 焦点を しぼる ことが できます。
 まずは、Atm さんが もって おられる 情報資料と わたしが もって いる 資料(「華交互助会」「長安会」などの 会員名簿、その他)を つきあわせ、「東大(文系)」の 該当者 リストを つくる こと。あとは、この リストに したがって 個別に 連絡し、協力方 おねがいする こと。わたしの 計算 では。該当者は 約30名。そのうち、生存者が 何人 おられるか?また、その お方が Atm 祖父さまに かんする 情報資料を もって おられるか?そこで 勝負が きまります。
 気が 遠く なる ほど むづかしい 仕事ですが、可能性が ゼロと きまった わけ では ないと 思います。
 
 
 


2016年1月7日木曜日

あけまして…

 
 
年賀状、A




年賀状、B



年賀状、Ⅽ 



年賀状、D


年賀状、E
 
 
 
あけまして おめでとう ございます
  いろいろ ありましたが、どうやら 無事 2016年を むかえる ことが できました。このまま いけば、2月には 満96歳に なる 計算です。じぶんの 親・兄弟 など、だれも たどりつけ なかった 年齢。じぶん 自身、これまで 考えても みなかった 年齢です。
 ここまで 長生き させて いただいた ので、あとは いつ 死んでも かまわないと いう覚悟は できて いる つもりです。また、せっかく いただいた イノチだ から、死ぬ まで自己流の イキザマで ゆきたいと いう 思いも あります。
  そんな ふうに「カッコ つけた」ものいいが できる のも、客観的に いえば「環境の なかで そんな ふうに 生かされて いる だけの こと」と 気づかされる ことも あります。
さて、2016年も いろんな ことが ある ことと 思います。どうか よろしく ご指導の ほど、お願い 申しあげます。
 
ことしの 年賀状 から
年賀状に ついては、これまで いろいろ 経過が ありました。じつは 数年 まえ、いささか 考える ことが あり、「ことし かぎり、年賀状は やめさせて いただきます」と 一方的に 宣言して しまいました。それで 翌年の 年賀状は ガタッと へりましたが、それでも これまで どおり 年賀状を 送って くださる 方が 数十人 おられました。こちら からの「賀状打ち切りの ご案内」に 気づかれ なった ため かも しれません。あるいは、それは 承知の うえでの こと かも しれません。いずれに しても、いろいろ 反省させられ ました。たった 1枚の ハガキと いう 小さな 存在に すぎませんが、発信者と 受信者との あいだに「万感の 思い」が 伝えられ、共鳴を おこす ことが あり、その 意味では、スミに おけない、大きな 存在でも あります。
それでは、ことし いただいた 年賀状の なか から、いくつか ご紹介 させて いただきます。ご本人の みなさんに 無断の ままの 借用に なりますが、どうか お許し ください。
 
A.「横浜港からの眺め」(切り絵) 福田 温旦 さん。わたしが はじめて 富山市の 中学校教員として 勤務した 学校の 生徒さん です。毎回 切り絵の 賀状を 送っていただくので、楽しみに して います。
         
B. 「赤い顔のサル」川述 昌子 さん。「12年前の絵を使いました」との こと ですが、この赤い顔の サルの 表情が、なんべん 見ても カワイーと 思います。俳句を なさる 方で、この 賀状の 表面に「生も死も釈迦のてのひら初御空…昌子」と ありました。
 
C. 「初日・富士・サクラ」寺尾 純 さん。わたしが 県立雄峰高校に 勤務して いた 時お世話に なった 方 です。英語専攻。賀状の 冒頭で「世界人類が 平和で ありますように」と よびかけて おられます。
 
D. 「猿」(切り絵)湯 麗敏 さん。富山外国語専門学校の 中国語講師 など として ご活躍中の 方。ご主人の 応 広建 さんと ともに 中国語会話 テキスト(白帝社)も 出して おられます。
 
E. 「新春福海…」(年画)姚 偉嘉 さん。昨年 3月まで 桜美林大学の 孔子学院に 勤務。3年間の 任期満了で、同済大学(上海)に 復帰された 方。この 賀状では、まず [福]の字を 大書し、その下に サルの 切り絵を 配置した あと、「新春福海 翔瑞兆…」、新春にあわせて めでたい コトバを ならべたて、七言絶句の 形に まとめて います。漢語(中国語)の 言語感覚の 一つの 典型と 見る ことが できると 思います。
 
姚 さん から 追伸
 姚さんが メールで 賀状を 発信した のは 元旦の 夕方。わたしが パソコンで メールを 開いたのは、2日の 朝。あわてて お礼の メールを おくる ことに なりました。例によって、姚さんは 漢語で、わたしは 日本語での やりとり です。
 姚さんの 賀状が めでた コトバで ねりあげた ものだった のに たいして、わたしは 自分の 近況を 報告する 形式に しました。そして、姚さんが 関心を 示されるか どうかわからない まま、わたしが いま のめりこんで いる テーマ、「日漢英3言語の 音韻比較」、「クネクネ・クネル 姿が クニ[国]」、「クニ[国]とcountry」、「カナフ[叶]とcan」、「クネルとカンセツ[関節]とknee, kneel」などの 対応関係の 話 まで 提案して しまいました。
 すると、あくる日の 3日、さっそく 姚さん から おりかえし メールが とどきました。「(姚さんの)祖母が ことし 92歳で、白内障の 手術を すませた ばかり だが、たいへん 元気。よく 食べ、よく 眠り、毎日 仏さまに お経を あげて いる」など、ご家庭の こと まで おしらせ くださった あと、わたしの ぶしつけな 提案にも、ていねいに こたえて いただき ました。
 気をつけ さえ すれば、いたる ところで 新発見が できるも のですね! 語音現象にかんする あなたの 解説や 結論は、新鮮な 感じで、おもしろい です。ただし、日本語の起源は たいへん 古いのに たいして、当時の 英語は はたして どんな 状況 だった のか? また、どうして このような 語音の 一致 という 現象が おこった のか? このあと さらに 研究すべき 問題です。
 いま わたしの 教室には、10ヶ国 から 来た 学生が います。いちど [労駕laojia](ご苦労さま)の [駕jia]に ついて 解説した ついでに、「中国人は 馬を 速く 走らせたい とき、“駕jia”と いう ことが ある」と 話しました。すると、いくつもの 国の 学生たちが「自分たちの 国でも その ような いい方を する」との こと でした。わたしは この方面の 研究を した ことが ない のですが、たいへん おもしろ そう ですね! 泉さんの成果を 期待して います!
  わたしは、姚 さん から ここまで つっこんだ ご意見を きかせて いただける とは 期待して いなかった ので、たいへん 恐縮して います。“駕jia”に 当たる 「いくつもの国の 言語」と いう のは、おそらく 英語のcheer, cheerful, cheer-leaderなどと 同系の コトバ かと 思われ ますが、わたしは まだ そこまで チェック できて いません。
 姚 さんが 指摘される とおり、多言語相互の 音韻比較に あたっては、判定の 客観性・合理性を 保証する ための ルールが 必用 であり、なにより まず 等質の 比較資料を 準備 しなければ なりません。日漢英の 音韻比較は、本来ならば、3言語の 研究者たちが みんなで 協力し、それでも 数年 かかる 仕事 です。わたしが いま すすめて いる 作業は、その 前座の 前座と いう 段階かと 思って います。
 

2015年12月23日水曜日

2015年を おくる

 
 
紅葉の なごり 11/30 
 
 
赤い 実 12/2  
 
 
いたち川 12/12  
 
 
カモが いた 12/12  
 

「古事記を 読む 会」忘年会 12/13
 
 
 

2015年を おくる
 あれも したい、これも したいと 思い ながら、決断する までに 時間が かかったり、いざ とりかかって みると、手も 足も 動きが にぶく、うっかり ミスで パソコンの 不調を まねいたり という 生活が つづいて います。そして、あれよ あれよ という 間に、2015年が 終わろうと して います。

  このまま 無事 年末年始を 過ごす ことが できれば、2月には めでたく 満96歳に なる という 計算ですが、ここで あらためて ことし1年間の生活を ふりかえって みる ことに します。

 

「アピア」から「まちなか」へ
 わたしは ことし8月まで、稲荷元町の「アピアフィットリハ」に かよって いましたが、9月から 千石町に ある 「まちなか デイ サービス」に 変わり ました(ブログ15.10.8号参照)。二つの 施設を 経験した ことで、あらためて 日本の 介護制度や 施設・運営などの 問題に ついて、いろいろ 考えてみる ように なりました。

 わたしの 場合は「要支援 1」ですが、「要支援 2」の 方も おられます。「要介護」については、1から 5までの 区分が ある そうです。それらの 区分に したがって、必要かつ 十分と される サービスの 内容にも ちがいが あり、さまざまな 施設建設や 運営が 進められて いる ようです。こうした 施設が 整備され、ひろく 利用されて ゆけば、日本人の 平均寿命は さらに のびる のでは という 感じが します。ただし、それには この 平和な 社会が つづいて いる ことが 前提条件 です。もし 日本が 戦争に 巻きこまれる ことに なれば、高齢者むけ 「支援・介護」などの 予算は まっさきに「節約」される こと でしょう。

 この 「まちなか」へ うつって きた ことで、とても うれしかった ことが あります。それは、ン十年ぶりで Mts さんと 再会できた こと です。はじめての 出あいは いつ・どんな 場面 だったか?それは はるか 忘却の 彼方 ですが、いずれに しても わたしが富山市の 中学校に 勤務して いた ころの こと。専攻外の 英語教師を 命じられた わたしは、生徒と いっしょに 英語劇に とりくんだり、アメリカの 中学生との 文通を めざして P.F.Ⅽ.(郵便友の会)の 運動に 熱中したり して いました。富山大学の 須沼 吉太郎 先生に おねがいして パール バック 女史を ご紹介 いただき、また その ご紹介で、アメリカの 私立学校 校長 バリー 先生から ていねいな おたよりを いただいた こともあります。バリー 先生の おたよりは、その後 わたしが 学級経営や 生徒指導の 方針を考える 上で おおきな ささえと なりました。やがて わたしが 日教組の 教研集会の 場で 「能力別学級に よる 英語学習 指導の こころみ」に ついて 報告したり、「発音と 意味を 結びつける 語彙指導法」を 提唱したり したのも、わたしに とっては すべて ただ一すじの 道として つながって います。

 おなじく 中学校教師と いっても、Mts さんは 国語課 担当。教科別の 研修会 などで同席する ことは まず ありません。それでも、Mts さんの ことが ずっと 気になって いたのは、職場を はなれた「学習 サークル」の 場での 言動が キラキラ かがやいて 見えた から でしょう。年齢では 年上の わたし ですが、いつも ひそかに 敬服して いました。

 それが こんど、「パソコンの 機械が 日進月歩 なので、ついて ゆけない」と こぼしている のを きいて、妙な 親近感を おぼえ ました。最近は、文芸書 など よりも 時事問題 関連の ものに  関心が ある との こと。いずれに しても、この時、この場所で、この人に また 会えるとは 思いません でした。まさしく「縁は 異な もの!」

 

「日本海文化 悠学會」の こと
 加齢と ともに、足腰が よわり、会合に 出席する ことも すくなく なりました。そのなかで、いまでも 楽しみに している 会合が あります。それが「日本海文化 悠学會」(略称「悠学會」)と 「古事記を 読む 会」です。

 その 悠学會が 結成 3周年を 記念して、7月に 会誌「悠学」第1号を 発行しました。仙石 正三 さんの「『牛ヶ首 用水』 地名考」を はじめ、五十嵐 顕房 さんの 「渡辺氏の実態を 『渡辺党』の 動向から 探る」、中島 信之 さんの「越中から 日本を 見る」など、あらかたの みなさんが「越中・富山から 日本全国へ 向けて 発信する」という 姿勢で 発言して おられます。その なかで、わたしは「スミノエ神はMr. Smithだった(仮説)」という 1文を のせて いただきました。サブタイトルが 「『古事記』s-m音語の 分析から…」いささか「場チガイ」の 感じを あたえる 結果に なった のでは ないかと 反省も して います。

 じつは、わたしが この テーマで 問題提起した のは、これが はじめて では ありません。1995年に「スミ・シム・SMITH…スミノエ神はSMELTINGの MAGICIAN」を 発表して 以来の 持論で あり、これまで 機会 ある ごとに 提案しつづけ ながら、いまだに 公認されて いない テーマです。わたしと しては、こんど「日本海文化悠学会」の 一員に くわえて いただいた 機会に、わたしの 原点とも いうべき「言語史観」に ついて、みなさまから ご教示を いただきたいと 考えた しだいです。

地球規模で 見れば、日本海や 日本語は ごく ローカルな 存在に すぎません。その ローカルな 日本語=ヤマトコトバを ローカルな 視点から だけで なく、グローバルな 視点からも 合わせて 分析したり、まわりの 民族言語(漢語・英語など)の 音韻組織と 比較する などの 作業を すすめる ことが できれば、日本語の 歴史(語根と 派生語の 関係や音韻変化の 歴史など)は、格段と あきらかに なる ことが 期待できます。日本史に 登場する 神名・人名・地名などに ついても、より 精密な 解釈が できる ように なる でしょう。「日本海文化 悠学会」が めざす 研究項目の 一つとして、とりあげて いただければと 願って います。

 

「古事記を 読む 会」の こと
「古事記を 読む 会」は、昨年 4月に 発足して から まだ 2年 足らず。会員10人 そこそこの ちいさな サークル ですが、わたしに とっては いちばん 楽しみに している サークル です。みなさん、『古事記』を 読むのが 大好き。はじめの 予定では 「12月はお休み」と なって いましたが、ことしは12月 6日に 研修会、ついでに 13日に 忘年会を 開いて 盛りあがって いました。

  12月の 例会で、わたしは 「大国主神を めぐる ナゾ」に ついて 報告・提案 させて いただき ました。「大国主は 神か、命か?」、「オオ[大]と スクナ[少]の 語源は?」、「クニ[国]は、もと クネクネ・クネル 境界線の 姿か?」など。

 とりわけ 最後の 「クニ[国] = クネクネ・クネル 姿」に 気づいた のは、こんど 『古事記』大国主神の くだりを 読みなして みた おかげです。ヤマトコトバと しては、k-n音は ごく 少数派。2音節動詞は、カヌ[兼]だけ。3音節動詞では、カナフ[叶]・カネル[兼]・クナグ[婚]・クネル(折れ 曲がる)・コナス[塾]・コナル[熟]・コネル[捏] などが 成立して います。

  くらべて、漢語や 英語では、k-n音は かなりの 多数派です。漢語では、カン関guan、コン根gen、コン困kun、ケン拳quan などを 参考。英語では、can できる// country 国// connectつなぐ // kneeヒザ関節 //knuckle ユビ関節。ゲンコツ// などを 参照。

 先入観を はなれ、客観的に 考えて みると、ここに あげたk-n音語は、民族語の ワクを こえて 共通の姿を 表わして いる ようです。

Canとは、ユメが 現実として カナフ 姿。クニ[国] も countryも、もとは「クネクネ・クネル 境界線」の 姿から、「領土・国家」などの 意味・用法が 生まれたと 考えられます。カヌ[兼]・クナグ[婚]・カンセツ[関節]・ゲンコツ[拳骨]・コン[根]やcan, connect,knee, knuckle などk-n音語の 背景として、A,B 二つの ものが 関節などに よって合作し、クネクネ・クネリ つながり、あらたな 動作が できる(カナフ・can)ように なった 経過が 推定 されます。

 

「教育・文芸 とやま」第21号の こと
12月15日(水)、富山県教職員厚生会 発行の「教育・文芸とやま」第21号が とどきました。今回は 評論の 部で「ニヒ[新]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音地名を 読む」を のせて いただきました。ここで、n-p音日本語に ついて 議論する 余裕は ありませんが、前記 k-n音と ともに、今後も 機会が あれば くりかえし とりあげて みたい テーマの 一つ です。

 

ことしの 漢字は [安]
12月16日(水)。ことしの 漢字は [安]と 報道され ました。おかげさまで、この ブログも なんとか 無事2015年を 記録し つづける ことが できました。
 いまは ただ、「2016年も、どうか 平安な 1年で あります ように」と いのる ばかりです。

2015年12月10日木曜日

大国主神を めぐる ナゾ

 
 
いたち川
 
 
雪見橋あたり
 
 
遊歩道 
 
 
 
 

画像に ついて
  後述の とおり、いろいろ 想定外の ことが あり、予定して いた 写真が つかえなく なりました。とりあえず、前号画像の 続編と いうことで ご覧 いただく ことに しました。

 

「古事記を 読む 会」で 宿題
11月15日(日)。豊栄稲荷神社で、「古事記を 読む 会」の 研修会。この日は、あらためて「倭健命」の くだりを 全員で 輪読した あと、これまで 提案・報告された 項目を 中心に 意見交換。次回は、「大国主神」の くだりに しぼって、会員各自が 関心の ある テーマを えらび、意見や 疑問点 などを 持ちよって 討論しよう という ことに なりました。そこで、わたしも 自分なりに 宿題の 答案を 書いて みました。

大国主神は、カミ[神]と よばれたり、ミコト[命]と よばれたり します。また、葦原色許男神・八千矛神 など、あわせて 5個の ナノリを もって います。まずは、これらの ナノリの 由来(語源)を さぐる こと から、大国主の 実態に せまりたいと 考えて います。

 

①  大国主はカミ[神]か、ミコト[命]か?
『古事記』では、「大国主神」と 表記されて いて、「大国主命」などと 表記された 例は 見あたり ません。しかし、「ヤチホコノカミ」と ならんで、「ヤチホコノカミノミコト」という 用例が 見られます(歌謡:2, 3, 4, 6)。

 カミ[神]の 基本義は? ミには、甲・乙の  区別が あった。

 カミ[上・髪・帥・守・頭](甲類)…カミツク・カブサル姿。

カミ[神・雷] (乙類)…カミツク・シガミツク・カミツカレル・コモル姿。

 ミコト[命・尊]の 基本義は? ミコト=ミ[御]+コト[事・言]。

  コト[事・言]=カタ[形・型・片・方]の 母音交替=動詞 カツ(カチワル)の 名詞形=モノゴトの カタワレ。 ⇔カツ[割]。One cut.

    素材を カチ割り、cutして、ミゴトな カタチに なれば goodと よび、あまりの ミゴトさに 感動して Godと よぶ ことに なる。そんなふうに 考えると、ミコト[命]と godは 同系の コトバ だった 可能性も でて きます。

 

②  大国主と いう ナノリの 意味
オホ[大・多]の 語源を 考えて みましょう。上代語として、動詞 オフ[覆・負・追・生]・オブ[佩]、名詞 オビ[帯]・オフ[白貝]、形状言 オホ[大] などが 成立して います。オフ[白貝]が どんな 貝なのか、実態は 未詳との こと ですが、「オフ[覆・負・追・生]・オブ[佩] 姿」= 貝の 姿 (貝の カラ[殻]と ミ[身]の 関係)」。そこから、オホ[大・多]の 意味・用法が 生まれた ことが 推定されます。

クニ[国]の 語源に ついて、国語辞典を 見ても、あまり 客観的・合理的な 解説が 見あたり ません。クニに かぎらず、ヤマトコトバの 中で、k-n音語は 少数派の ようです。2音節動詞は カヌ[兼]が 成立して いる だけで、キヌ・クヌ・ケヌ・コヌ などは 成立して いません。

 わたしの 解釈では、クニ[国]は もともと 「クネクネ・クネル 境界線」を 表わす コトバ。やがて 領地・国土・国家を 表わす ように なった もの です。

 漢語では、多数の k-n音語が あります。カン関guan(→関節)や コン根ken(カラダからクネクネ 張りだす ネッコ)などの 語音構造が 参考に なります。

 英語でも、たくさんの k-n音語が あります。country(国。地方)や connect(つなぐ) などの 語音構造が 参考に なります。Knee(ヒザ関節), kneel(ヒザを つく), knuckle(指関節。ゲンコツ) などの 語頭子音k-は 発音され ませんが、「クネクネ・クネル」姿の ナゴリと 考えれば、ナットク できます。日本語で いう 「歴史 カナヅカイ」に 当たります。

 

③  スクナビコナの ナゾ
 大国主は、スクナビコナの 協力を えて、ようやく 「大国主」としての 役割を はたすことが できました。その スクナビコナ とは、いったい どんな 人物だった のか?「オホ~」と{スクナ~}という 対照的な ナノリを 分析する 中で、二人の 人物の 実態がすこしずつ あきらかに なる はずです。オホ[大・多]に ついては、さきほど チェックずみ なので、ここでは「スクナ」を とりあげます(以下、結論だけ のべます)。

 スクナ = スク[鋤] ナ[刃] = スキ [鋤]。ツキ棒や 貝ガラに たよる よりも、金属製の 刃を もつ スキ[鋤]農耕の ほうが、エネルギーの 消費量を スクナク おさえる ことが でき、農民たちの 生活を スク[助]・タスケル[助] ことに なります。

  結論として、スクナビコナは、「ツキ棒から スキ[鋤]へ」(金属利器の 時代 到来)を 意味する ナノリ だったと 考えられます。

 スクナビコナ(神)の 実態は、海外から 渡来した 先進技術者(集団の リーダー)ですから、日本列島 先住の 大国主神たち とは コトバが 通じ ません。そこで、タニグク やクエビコに たずねまわった あげく、ようやく 「カミムスヒ神の 子」との 証言が えられたと されて います。タニグク[谷蟆] = ヒキガエル = 谷間の 湿地に クグル もの。クエビコ[崩彦] = 山田の ソホド = カカシ[案山子](ツキ棒の なごり)。つまり、タニグクと クエビコは 山田の 住人として 仲間同士で あり、クエビコは スクナビコナ(スキ[鋤]の 神)の 前任者として 「知りあい」の 関係 だった という わけです。

 

パソコン 不調
 今回の ブログ原稿は、おそくても11月すえ までに 公開できる 予定でした。それが、わたし自身の 操作ミスから パソコンが 不調と なり、こんなに おくれて しまいました。まことに 申しわけ ございません。

 わたしは いつも、まず ワードで 下書き原稿を つくり、あわせて 写真などの 画像資料を 準備します。そのあと、ブログ画面を 呼びだし、タイトル・画像・本文の 順に コピーして ゆきます。今回も はじめは 順調だった のですが、ある日 突然、ワードで 作成中の 下書き原稿が 画面から フッと 消えて しまいました。ビックリしました。そしてガックリしました

 メカ音痴の わたしは、またしても 甥のDotsさんに 電話して、見て もらいました。これまでにも、しょっちゅう パソコン不調を おこしては 調整して もらって いましたが、こんどは 段ちがいの 重症 でした。1週間 あまり かかって、やっと ほぼ 正常な 状態にもどりましたが、この ブログの 下書き原稿が 半年分 以上も 消えて しまった ままです。

 わるい 時には わるい 事が かさなる ようで、スマホで 写した 写真の1部が パソコンに とりこめない ように なって しまいました。「ヨワリ目に タタリ目。ナキヅラに蜂」と いった ところ です。
 それでも、体の 状態は わるく ありません。毎週 月曜日は「まちなか」(デイ ケア)へ かよい、木曜日は 訪問 マッサージを うけて いるので、その おかげ かも しれません。パソコン不調 などは たしかに ショック ですが、この 年齢で まだ パソコンに さわれる だけでも ありがたいと 考える ことに して います。とりわけ、日本語・漢語・英語に 共通する 音韻感覚を さぐる 作業は、ほぼ 順調に すすんで いる だけで なく、つぎつぎ あらたな 発見に めぐまれて います。「年よりの 冷や水」と いわれる かも しれませんが、本人と しては「一期一会」「日々是好日」です。

2015年11月11日水曜日

「アユの風」から「メヒ・ネヒ[婦負]まで 

 
 
 
 
ゆーとりあ越中 7F 窓 から 11/2
 
 
 N家の花壇 11/3 
 
 
雪見橋 から     11/4 



落葉と 影  11/4
 
 
カモちゃん、おはよう!  11/5  
 
 
ベンチへ、どうぞ!  11/7  
 
 
10月23日(金)。日本海文化悠学会の 例会で「『アユの風』を 考える」と 題して 報告させて いただきました。ことし 3月に 北陸新幹線が 開通し、在来 平行線を 引きつぐ 第三セクターの ナマエが「あいの風 とやま 鉄道」と 決まった こと などで、「アユの 風」「アイの 風」という コトバが しきりに 使われる ように なりました。しかし、「アユ(の風)」の 語源に ついては、まだ 十分に客観的・合理的な 説明が つかない まま、コトバの ほうが かってに 先走りして いる 感じが します。北陸の 住民に とって、いまや「アユ(の風)」は 重要な 観光資源でも ある わけ なので、商品知識と しても、説得力の ある 語源解説を 身に つけて おく 必要が あると 思います。
「アユ」に ついて 国語辞典を 見ると、「風の 名。アユノカゼ とも」(『時代別・国語大辞典・上代編』・三省堂)、「[東風] 上代 北陸方言。ひがし かぜ。あい。あいの かぜ。あゆの かぜ」(『広辞苑』・岩波)などと 解説して いますが、なぜ トウフウ[東風] なのか、なぜ 名詞 アユ[鮎]や 動詞 アユ[肖](あやかる)・アユ[零](こぼれ落ちる)と 同音なのか、客観的・合理的な 解説が ありません。
「アユ(の 風)=東風」と 解釈する 論拠は、大伴 家持が 歌の 中で 「越の 俗語に、東風を アユノ カゼと いふ」(No.4017)と 注釈して いる こと でしょう。たしかに、この 注釈は 重要な 証言です。しかし、この 証言 だけで 「一件 落着」と 考えると したら、それは 「ガキの 使い」と いわれる かも しれません。同一種類の 自然現象を,ヤマトコトバでは その 音韻感覚に したがって アユという 音形で 表わし、漢語では 漢語の音韻感覚に したがって トウ・dongという 音形で 表わして います。どうして そういう ことに なった のか? そのへんの メカニズムを、だれもが 納得できる ように、客観的・合理的に 解説する ことが 言語研究者の仕事では ない でしょうか?
ゆっくり 説明する 余裕が ない ので、結論から さきに 申しあげます。漢語の トウ[東]は 上古音・現代音とも tung (現代中国の ピンインでは dongだが、無気の 清音)。イズミの 分類では、トウ棟dong・ドウ動dong・ツウ通tong などと ともに t-k音 グループ。「ツク・ツキトオル」姿を 表わす コトバを つくります。漢字 トウ[東]の 字形も、もともと 「中に 心棒を 通し、両端を しばった 袋の 形」の 象形で あり、方位名の ヒガシ[東]とは 関係が ありません でした。ただ、ばらばらの シナモノを フクロに つめこむ ことに よって、商品は 東西南北 どこへ でも 効率よく ツキトオル(移動・流通する)ことに なります。方位名としての トウ東dong (ヒガシ)は、「太陽が ツキデル・ツキトオル 姿」から 生まれた コトバ。また、シナモノ[品物]の ことを、現代漢語で トンシ 東西 dongxiと 呼んで いる のも、「東西に ツキトオル(流通する) もの」だから です。
漢語の 世界で 見られる 「トウ[東]と ドウ[動]・ツウ[通]」との 関係は、日本語の「アユ」と「アヤ」・「アユ」・「アユム」との 関係に おいても 見られる 現象 です。上代日本語の 段階で 動詞 アユ[零](下二。こぼれ落ちる)・アユ[肖](下二。似る。あやかる)や 名詞 アヤ[綾・文・漢]・アユ[鮎・風位名] などが 成立して います。ここに 出てくる ア音は、ヤyaの y-音 脱落、つまり ヤ[矢]の 姿と 解釈する ほうが 分かりやすい でしょう。アユ[零]は「(血や 汗が) 矢のように フキデル・ツキデル姿」、アユ[肖]は「矢が 並ぶ 姿(どれも みな おなじ)。あやかる 姿」。もともと 1語と 見られる コトバです。アユ[鮎]も また、「矢が ツキデル・トビデル 姿」の 魚 です。「鮎子 サバシル[走]」の サは 接頭辞と 解説されて いますが、もとは サ[箭](矢の 古語)で あり、「矢の ように 走る(ツキデル)姿」を 表わして います。
そして 結論は、「アユの 風とは、矢が ツキサス ような はげしい 風」の こと であり、「東風・東北風 などと 直接の 関係は ない コトバ だった」という こと です。ただし、方位・風位 など 抽象的な コトバが 生まれる 過程は、日本語 でも 漢語 でも 似たような もの だった という 言語史の 1例 でも あります。
この日の 報告では、ヤ・アヤ・アユ・アユム などの 「ヤ行拗音の 基本義」を とりあげ、さらに「漢語・英語の 拗音との 比較」まで 議論を すすめました。出席の みなさんは、95歳老人の ユメ物語 みたいな 議論に さいご まで つきあって くださいました。ありがとう ございます。
 
1月1日(日)午後、藤木 美織さん(信子の 姪)の クルマに 便乗して 富山空港へ 向かいました。信子の 妹の 西田 恵美子 さん(千葉県に 在住)と 長女のstkさん 親子をむかえる ため です。二人の 来訪は 数十年 ぶり。いまどき、てっきり 新幹線でと 思って いたら、stkさんが 母親の 年齢の ことを 考え、すこしでも 安楽な コースを と、わざわざ 飛行機に した との こと。なるほど、そいう 考え方も あるんだと 思いました。
空港で 二人を むかえた あと、一行 5名、そのまま、神通峡「ゆーとりあ 越中」へ 向かい ました。ここで ゆっくり おしゃべりして、ゆっくり 夕食を 食べ、ゆっくり 温泉に ひたり、部屋へ もどって からも 夜 おそく まで、ゆっくり おしゃべりして いました。それで いいんです よね。せっかく 「ユトリの 越中」へ 来た のです から。
ここは、高山線 笹津駅の 近く、つまり 神通川の 上流に あたり、「神通峡」と 呼ばれる地域 ですが、町村合併の 結果、いまは「富山市 春日」と なって います。旅館で もらった タオルにも 「神通峡、春日温泉」と うたって います。
「神通川」と 「メヒ・ネヒ[婦負]」
温泉に ひたり ながら、そして そのあと ずっと 「神通川」と「春日」という 地名の由来に ついて 考えて いました。両方 とも、以前 から 気に なって いる コトバで、ブログで とりあげて イズミ説を 展開した ことも ありますが、富山市の「春日」に 気がついた のは、これが はじめて です。
大伴家持の 関連で、『萬葉集』の 中で、カタカヒ[片貝]・ハヒツキ[延槻]・ウサカ[鵜坂]・ヲガミ[雄神]など、富山県の 河川の ナマエが 多数 紹介されて いますが、ジョウガンジ[常願寺]や ジンズウ[神通]と いう ナマエは 見あたり ません。そのかわり、メヒガハ[売比河波]・メヒノコホリ[婦負郡]などの 地名が 歌いこまれて います。文脈 から 見て、メヒガハは[婦負川]で あり、神通川の 古称だと 推定されて います。ただし、当時の 神通川は、おそらく 富山市内で 常願寺川と 合流して いたと 考えられて います(松川~いたち川の 線)。そうだと すれば、神通川も 常願寺川も いっしょにして メヒ川と よばれて いたかも しれません。
それよりも 気になる のは、メヒ[婦負]と いう 表記法 です。「女性が 背負う 姿」かと 思われますが、国語辞典や 地名辞典を 見ても,そこまで つっこんだ 解説は 見つかり ません。そこで、イズミ仮説を 立てて みました。
上代語の 段階で メヒ[姪]と いう 名詞が 成立して います。「兄弟の 女子」を さすコトバ ですが、「一族の 繁栄」を 連想させる エンギの よい コトバだ った よう です。メヒ川の ばあいも、神通川と 常願寺川が 合流したり、分流したり して いる 姿を「親子・兄弟・ヲヒ・メヒ などで つくる 大家族集団」と 見たてての 命名かと 考えられます。メヒ=[姪]=「同族の 一員と して 責を 負う もの」=[婦負]と いう 発想法 です。メヒ[姪]の 対語に なる ヲヒ[甥]は、メヒ[婦負]に ならって ヲヒ[男負・雄負]と 表記する ことも できると いう わけ です。
ただし、それは 漢字で 表記する ことに よる 漢語ふうの 発想だと いわれる かも しれません。じっさいは、動詞 メフ[芽生]を 想定して、その 名詞形と しての メヒ(芽生え)だった とも 考えられます。その ばあい、ネヒに ついても、動詞ネフ[根生](=ネバフ[根延])の 名詞形と しての ネヒ(根生え)と 解釈する ことも できる でしょう。メ[芽] でも ネ[根] でも、母体 から あらたな イノチが 生まれる 姿に 変わりは ありません。
このメヒ[婦負]は、そのご まもなく ネヒと 読みかえ られます。M-子音 から n-子音への 音韻変化が おこった ためで、ミラ[韮]→ ニラ、ミナ[蜷] → ニナ なども 同類 です。この 音韻変化の 現象を どう とらえれば よいか? M-p 音語と n-p音語との 関係は どう なって いるか? まだ 解明されて いない 問題が のこって います。
ここでも、すこし 発想を 変えて みると、いままで 見えなかった ものが 見えて くるかと 思います。もともと m-子音と n-子音は 近い 関係に あり、 基本義の 面でも メ[目・芽](ウム・ウマレルもの)と ネ[音・根](ナルもの)の ように、ほぼ 交代可能な 関係 だったと いえます。メヒ から ネヒへの 音韻変化と いう 事例を てがかりに して、ぎゃくに n-p音語の 単語家族を 組織しなおして みる のも おもしろいかと 思います。
上代 n-p音 動詞として ナフ[萎]・ナブ[隠]・ヌフ[縫]・ノブ[展・延・述]が 成立していた こと、また やがて「ナハ[縄]を ナフ[綯]」などの 用法が おこなわれた こと とあわせ 考えれば、ネヒ[婦負・根生]に ならって ニヒ[丹負・丹生・新]を 設定するなど、n-p音語を 見なおす ことが できる でしょう。「ニフ[丹生]の 川が 氾濫した あとに、ニハカ [俄・丹羽処] づくりの ニハ [庭・丹羽] (=ニヒタ「新田」)が 出現、そこで収穫された ニヘ[贄]を 神に ささげて、ニヒナヘ [新嘗] 祭りを した」と いった 調子 で、n-p音語の 連想ゲームを 楽しむ ことが できます。
n-p音語と いえば、漢語でも ニフ[入]・ナイ[内]・ナフ[納] などが あり、上古音は それぞれ niep, nueb, nepと 推定されて います。また、漢字の 字形の 面でも、3字とも [入]の 字形を 共有し、「(根は 地下へ、芽は 地上へ) ノビデル・シノビコム 姿」を 表わして います。その点では、日本語の n-p音語 ナハ[縄]・ナフ[萎・綯]・ニハ[庭・丹羽]・ニヒ[新]・ニフ[丹生]・ネヒ[婦負・根生]・ノブ[延・述] など とも 共通点が あり そうです。
 脱線 ついでに いえば、メヒ[姪]の ことを 英語で nieceと いい、ヲヒ[甥]がnephewです。英語辞典には、「ともに、語根nepot-(孫。甥)からの 派生語」と 解説されて います。これ など、日本語の メヒ・ネヒ と まったく おなじ 感覚の 発想法から 生まれたコトバと 思われます。さらには、ニヒ川 などの ニヒ[新]に ついても、英語 new(新しい), neon(ネオン), nova(新星)との 対応関係が 気に なります。
 
妄想(?)は はてしなく ノビて ゆきますが、またしても 時間切れ です。カスガ[春日]を ふくめ、ユメの つづきは つぎの 機会に まわす ことに します。