2017年8月26日土曜日

お盆のあとさき



『コトダマの世界Ⅱ』の表紙


お墓まいり 8/13  


カーテンのカゲ模様8/17 


泉家と藤木家 8/18  


出版祝いの生花  8/20 


北日本新聞の紹介記事 8/23 



『コトダマの世界Ⅱ』の表紙 

『コトダマの世界Ⅱ』は、これまでお世話になった人など、100人あまりの方々に贈呈させていただきました。そして、さまざまな感想なども聞かせていただきました。本の内容のことはあとまわしにして、「本の表紙や装丁がすばらしい」というのが,みなさま共通の感想だったようです。

 この本の内容についてということになれば、もともとイズミがかってに立てた「象形言語説」をもとに展開された議論ですから、「そんな未公認の仮説につきあっているヒマはない」、「じっくり読んでみて、そのあとで賛否の判断をする」といわれるのが普通でしょう。それが、表紙や装丁を見ただけで「すばらしい」と感じ,ついでにモクジをながめて「オモシロそうだ」と思っていただけるとしたら、たいへんありがたいことです。

 この本の表紙や装丁を洋画家佐藤芙美さんにお願いすることになったいきさつについては、これまでブログでもご紹介してきましたが、肝心の表紙については、まともにご紹介していませんでした。ここであらためてご紹介させていただきます。

 原画のタイトルは「渡来」とうかがいました。チューリップを思わせる花が描かれ、その上の方に2羽の鳥が描かれています。1羽は、羽をひろげて空をトビカケル姿。1羽は、羽をおさめて二本足で着地する姿。それは、コトバ=コトダマの姿でもあると、わたしは考えています。コトバ=コト[]のハ[]=カタリ[]のワン カット=コエ[]・イキ[]のカタマリ(=タマ)。コトバ(コトダマ)は、人の口からトビたち、宇宙空間をトビこえ、まわりにいる人の耳をとおして、そのタマシイ[]にトビかかるハタラキをします。つまり、コトダマは鉄砲ダマとおなじ「トビ道具」だといえます。
 鳥は、宇宙空間をトビかけるだけでなく、声を出して、人に呼びかけます。九官鳥のように物語をカタル鳥もいます。太陽を「アカイ[]」、「不死鳥」と考えたり、アスカ[明日香][飛鳥]と解釈する人もいます。たとえば、この本の表紙を連想しながら、第19章(2.4)「トブヤトリ、アスカの寺」の項をお読みいただければ、日本語の人名・地名などのフシギなおもしろさに気づき、日本語(ヤマトコトバ)を人類のコトバの1例として解釈しなおしてみようという気持ちになっていただけるかもしれません。



お墓まいり 8/13  

信子が亡くなったのが427日。立山町のお墓に納骨したのが614日。「本誓院釈尼香信」として永代祠堂開闢法要に参列させていただいたのが730日。そして8月、初のお盆をむかえることになりました。

お盆の時期には、関東・関西方面から親類の来訪も予想されるので、わたし自身の墓まいりは、すこし早めの13日に済ませることにしました。この日、天候にもめぐまれ。早朝立山町沢端のお墓におまいりし、できたての本をかざって、信子にお礼のコトバをかけました。

無事墓まいりを済ませてホームへ帰ったたあと、11時には長念寺住職志田常無さんをお迎えして、お経をあげていただきました。このさき27には、月命日としてお寺さんに来ていただく予定です。

こんなふうに書いくると、まるでわたし自身にそれだけの行動力があるかのように見えるかもしれません。しかし、ほんとうの話、いまのわたしにそれだけのカイショウ(判断力・行動力)はありません。すべて、藤木夫妻の協力があってのこと。わたしは、なるべくカッコヨク見えるように演戯させてもらっているだけということかもしれません。いつ正体がバレルか?いや、正体はもうバレバレだが、本人は余命イクバクもないのだから、もうしばらくユメを見させておけば、といったところかも…



カーテンのカゲ模様 8/17  

817日(木)。デイ・ケアの日。いつものとおり、窓ぎわのテーブルに女性3人と同席でした。座席は毎回指定されることになっていますが、参加者計20人ほどのうち、男性は4人だけなので、毎回ほぼこんな組みあわせになるようです。

この日は、朝から快晴。つよい日ざしを避けるため、カーテンをひいていました。窓ガラスに、イロガミでこしらえた花とリボンがはりつけてあるので、それがカーテンにうつり、おもしろいカゲ模様をつくっていました。さっそくスマホのシャッターを切りました。30分ほどの間に3回。あとで見ると、3回ともカゲ模様の表情に、びみょうな変化が見られました。午後になると、日ざしがよわまって、カゲ模様が消え、やがてカーテンがあけはなされました。



本家の泉夫妻が来訪

デイ・ケアから帰ったあと、しばらくして泉進さん、公美さん夫妻(東京都在住)が来訪。実は、先日公美さんから電話があり、墓まいりのため、新幹線ではなく、自家用車で、進さんといっしょに富山へ来られるとのことでした。わたしの日程にあわせ、17日午後、わたしがデイ・ケアから帰った時間帯に、ホームへ来訪、いっしょに夕食という予定。
はじめのお話では、まず丸の内のホームまで直行、わたしをのせていっしょに墓まいりという案もあったのですが、わたしのホームでの日常スケジュールをなるべく変更しないですむようにと、単純化していただきました。
この日、立山町で墓まいりをすませたあと、富山市へむかうあたりでラッシュにまきこまれたそうですが、それでも5時まえに丸の内へ到着。イズミ家のお墓のことをふくめて、いろいろ相談。そのあと、富山駅まえCIC 15Fの松屋で夕食をごちそうになりました。
ここはたいへん見晴らしがよく、手前のビル街の屋根から新幹線の線路、神通川の流れへとつづき、さらにその向こうに呉羽丘陵など、ひと目で見わたすことができます。この景色をながめていると、たちまちタイム・スリップして、大伴家持になったような気分になりました。そしてこの時、呉羽丘陵のかなたに沈みかけていた夕日が、これまたミゴトでした。あわててスマホのシャッターを切りましたが、わずか数秒差で雲がくれしたあとでした。
 ごちそうになった日本食はかなりな分量でしたが、おふたりとゆっくりお話できたのはひさしぶり(実は、はじめてのこと)だったので、食欲にまかせてほぼ完食できました。自分でも感心したほどです。



お墓の書類のことなど 

8月18日(金)。お昼まえ、二人がもういちど来訪。開口一番、公美さんが口にされたのが「おじさん、おなかは大丈夫でしたか」というコトバでした。会食のとき、わたしの食べっぷりを見て、胃もたれになっていないか、心配しておられたようです。
きのうにつづいて、電話や手紙では話しにくい問題についても、つっこんで相談できました。公美さんは富山出身ではなく、福岡県出身。富山弁でいわゆる「タビ[旅]の人」にあたるわけですが、じっさいはどんなことでもザックバランに相談できる人がらだということが、よく分かりました。お墓のことについては、わたしが地元にいる分家として、本家にかわって資料(文書)を保管してきましたので、それをのちほど本家(進さん)へお送りすることにしました。

 

身内だけの祝賀会

8月20日(日)。美織さんからの情報として、この日、西田尚信・規子夫妻が来訪。夕食は藤木さんといっしょに会食の予定となっていました。西田夫妻は、それぞれ関東・関西を拠点にIT関係の仕事をしており、多忙な毎日のところ、たまたま休暇がとれたので富山へ来られたとのことでした。夕食会場は市内のトンカツ屋さん。出席者は、西田夫妻・藤木夫妻だけでなく、土地家・藤木家のお孫さんまで動員して、およそ20人ほど。ささやかながら身内だけの出版記念祝賀会を開いてくださったということでした。
この席で飾られたお祝いの生花(写真)をいただいて帰りましたが、ホームのせまい部屋では、飾ってながめるほどのスペースがありません。わたしにとっては、分にすぎた豪勢なプレゼントです。でも、リクツぬきで、うれしいですね。


稗田さんが来訪

 8月21日(月)。デイ・ケアから帰ったところへ、稗田さん来訪。信子の入院・葬式からわたしのホーム入居まで、こちらからなんの連絡もしなかったことについて、おわびしました。1時間あまりおしゃべりしましたが、またしても、わたしの独演会になってしまったようで、ゴメンナサイ。



北日本新聞の紹介記事 

823日(水)。北日本新聞に『コトダマの世界Ⅱ』刊行の紹介記事がのっていました。実は、8月はじめに新聞社へおうかがいして、いちおう 取材していただいてはいた のですが、その後しばらく音沙汰がなかったので、すこし気になっていました。
それが、紙面のトップに、これだけのスペースをとり、3言語の響き比較」、「言葉の由来、音で 解説」など、特大の活字でミダシをつけ、これだけ要領よく、カッコイイ 紹介記事にまとめていただけるとは、まったく予想外のことでした。
 記事の 最期の 部分で、この本の表紙や 装丁を担当していただいた洋画家の佐藤芙美さのことを紹介していただいたこともよかったと思います。これまでのところ、本の内容のことはあとまわしで、「表紙がスバラシイ」と、もっぱらの 評判でした から。
 藤木さんがこの日の新聞を7部持参されました。富山県内在住の方は、大部分北日本新聞を購読しておられるので、かさねてお送りする必要はありません。しかし、県外の方、とりわけ富山出身の方なら、富山地方のニュースをなつかしみながらでも、読んでいただけるかもしれません。そう考えて、さしあたり5人の方へ、23日付の新聞を丸ごとお送りすることにしました。
 824日(木)。デイ・ケアの場でも、スタッフの方から「おめでとう」といわれ、新聞記事のキリヌキにラミネート加工したものをオミヤゲにいただきました。恐縮しました。






2017年8月8日火曜日

『コトダマの世界Ⅱ』ようやく発行


土用の丑の日 7/25


越中おわら節 7/25 


お化け灯篭の正体 7/28  


『コトダマの世界Ⅱ』を謹呈 7/28 


永代祠堂経 7/30  


「偲ぶ会」こんしん会 7/30  


「暑中見舞い」の来客
719日(水)。朝、東京のitkさん(信子の姪)から電話がありました。「暑中見舞いにモモを送る」とのこと。「一人で食べきれない分は、ホームのスタッフの人たちにでも食べてもらって」といっていました。彼女は地域で民生委員をつとめており、いそがしい毎日を過ごしているようです。

11時すぎ、砂町のnksmさんご夫妻が「暑中見舞い」に来られました。

午後、utymさん(信子と女学校以来の親友)が(お嫁さんの車で送られて)、「暑中見舞い」に来られました。信子生前の写真を見てもらい、しばらく思い出話などで時間を過ごしました。そのあと、自宅へ電話して、お嫁さんに迎えに来てもらい、帰宅。



小澤俊夫さんから伝言
720日(木)。朝8:40, 佐藤芙美さんから電話をいただきました。土井(もと小杉町長)さんをとおして、小澤俊夫さんから伝言をたのまれたとのことでした。「12910日、金沢へ行く予定なので、その時(イズミとも)会えるようにしたい」。

 小澤さんがイズミに会いたいといわれるのは、わたしが学生時代から小澤開策さん(俊夫さんの父上)のファンで、北京市新開路の「小澤公館」へも出入りしていたという話を(佐藤芙美さんをとおして)耳にされたからだと思います。本来ならば、大恩人のご子息のもとへ、こちらからかけつけてお礼のごあいさつをさせていただくのがスジだろうと思いますが、いまの自分の体調では、1カ月、2カ月先の行動日程を確約できる自信がありません。せっかくのご提案をありがたく受け入れさせていただき、当日まで体調をまもってゆくだけで精いっぱいです。

おそくなりましたが、この日、どうにかこうにか、ブログを更新することができました。タイトルは、「ユメ・ウツツの日誌



吉報・警報さまざま
『コトダマの世界Ⅱ』は720日(木)に印刷完了と聞かされていたのですが。ぎりぎりになって、「1週間おくれる」と通知されました。28日(金)悠学会席上で配布を予定しているので、前日夕方までに入手できるよう、念をおしておきました。 現実の話、27日(木)はデイ・ケアのため、昼間は不在。本を持ちこまれても、なにも対応できません。また、保管するスペースのこともあり、16時~17,100部ほどだけ、ホームへ搬入。あとはしばらく出版社で保管。郵送分については、別紙寄贈先名簿にしたがって、順次発送していただくようお願いしました。

 721日()。午前、F1で内科検診。異常なし。午後、美織さんから電話。「いまからホームへゆく」。ところが、そのあとすぐ、また電話。「お兄ちゃん(茂樹さん)がインフルエンザで下痢、入院」とのこと。「それはタイヘンだ。大事にしてあげられ」とつたえました。そういえば、茂樹さんはこのところずっと元気がありません。アタマを丸坊主にし、ヒゲもそり落としたのはよいのですが、だいぶ痩せてきたのではと気になっていました。もともと飲食物にスキ・キライがあり、栄養がかたよっているのかもしれません。

夕方、泉久美さんから電話がありました。817日(木)午後、泉一家がクルマで來富。18日(金)朝,墓まいりの予定とのこと。オキナガの体調がよければ、参加させていただくことにします。



土用の丑の日 
 725日(火)。きょうは土用の丑の日ということで、ホームでもご覧のような昼食となりました。食事メニューについては、この日にかぎらず、四季おりおりの季節感をあじわえるよう、いろいろ工夫をこらしているようです。



越中おわら節
この日、14時から9F「歌と踊り」の会があり、富山南ライオンズクラブ有志のみなさん約20人が、ホーム「めぐみ」へ慰問にこられました。胡弓・三味線をふくめ。歌い手・踊り手・はやし方とも、多士済々。こきりこ節・麦や節・越中おわら節などを熱演。わたしは、いちばん前の席で、鑑賞させていただきましたが。迫力満点でした。



お化け灯篭の正体
728日()。午後、茶屋町の豊栄稲荷神社悠学会例会が開かれ、山口悦子さんが「越中稲荷神社のお化け灯篭・・・お化けの正体」と題して調査報告されました。山口さんの調査では、灯篭の中には一部、夜間火袋に点火したとき、そこが「真っ赤なホーズキの眼」となり、全体として「ドンブリ笠とバンドリ[]を羽織ったオバケ」に見えたから、というのが結論のようです。

「オバケの正体」とは大体そんなものかと思いますが、この問題を「歴史上の事実」として実証しようとなると、それはかなりむつかしい作業になるかと思います。いつ・どこで、どれほどの規模でオバケ現象が発生したか?その資料を採集するだけでもたいへんですが、その灯篭を設置した人たち(藩主や庭師・石工など)がオバケ現象の発生を予測・計算して設計したものかどうか。などの判断資料も必要になってくるでしょう。



『コトダマの世界』を謹呈
山口さんの報告が終わったあと、イズミから『コトダマの世界』出版の趣旨について簡単に報告し、出席のみなさんに贈呈させていただきました。また、この本の表紙デザインや装丁などを担当してくださった洋画家・佐藤芙美さんから、これまでの経過について報告していただきました。なお、8月の悠学会は夏休みとなっていますので、9月以後の例会などで。この本の内容について議論していただければありがたいと思っています。



永代祠堂経
730()。午前1020分~、長念寺でおこなわれた永代祠堂開闢法要に、美織さんといっしょに(つきそってもらって)出席しました。故信子の名が、法名「本誓院釈尼香信」として、ことしの開闢法要の対象者名簿にかかげられていました。「開闢・総永代経」につづいて真浄寺住職永田寛雄師の法話があり、そのあと昼食をいただきました。美織さんは、ここで帰宅。わたしはそのまま午後の「偲ぶ会」に参加しました。



「志田延義先生を偲ぶ会」
午後1時半から本堂で、「志田延義先生を偲ぶ会」が開かれ、記念講演として、元奈良教育大学教授で日本歌謡学会会員の永池健二先生が「志田延義先生と『梁塵秘抄』の注釈研究」と題して報告されました。先生が中心になって編集された「梁塵秘抄詳解神分編」は8月初旬、八木書店から発行予定とのこと。門外漢のわたしですが、当日いただいたレジュメの中で「3漢字と仮名の表記の書き分けについて」の部分に共感をおぼえました。そこだけ引用してご紹介します(下線は引用者)。

『梁塵秘抄』巻第二の今様の文字表記を総体として一覧すると、漢字と仮名の書き分けについて、つぎのような顕著な傾向を見てとることができるように思われる。

1.歌詞の表記に際しては、漢字を多用せず、できるだけ仮名書きを用いること。

2、とりわけ、本来の和語―大和言葉―については、仮名書きにすること。

3.漢字を用いるのは、仏語など本来漢字によって成り立つ漢語の場合に限ること。

 以下、具体的な文例が紹介されていますが、長くなるので省略。わたしは、ここでも黒田夏子さんの小説『abさんご』の表記法を思いだしていました。「ヤマトコトバはもちろんのこと、日本語の文章は、漢字でなく,カナ書きとする」という方向が、『梁塵秘抄』の時代(平安後期)に確認されていながら、21世紀になっても「『abさんご』の表記法では読みにくい」といわれるのは、ナゼでしょうか?それは、ワカチガキされていないからです。さらにいえば、タテガキの習慣をのこしているからです。英文のようにヨコガキにすれば、

いやおうなしでワカチガキすることになるでしょう。いずれにしても、いまの日本語の表記法は、中国・韓国・北朝鮮にくらべて数十年おくれていることを自覚すべきだと思いますが、いかがでしょうか?。



こんしん会
 「偲ぶ会」には、こんしん会がつきものです。志田延義先生は日本歌謡学会を立ちあげた方なので、「偲ぶ会」では毎回、最先端の研究者たちが講師をつとめられます。また、もと延義先生のファンで、そのまま「偲ぶ会」(こんしん会をふくめて」の常連になった人たちがいます。わたしもその一人です。
 こんどの『コトダマの世界Ⅱ』では、延義先生の文章を引用させていただいたこともあり、この席で、出来たての一冊を現住職の常無さんへ、また同席の数人の方にも1冊づつ謹呈させていただきました。


2017年7月20日木曜日

ユメ・ウツツの日誌



『古事記』を読む会 7/3


綿菓子づくり 7/10 


花 7/13  


夕食 7/14 


筋トレ 7/14  


射的場 7/14 




『古事記』を読む会 7/3

72()午前、茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた「古事記を読む会」に出席。この日は、五十嵐俊子さんが「古事記に表れる大刀・剣の記述」について、またイズミが「ヤ[矢・屋・谷・哉]の系譜」について、それぞれの調査結果を報告しました。

五十嵐さんは、A46ページのレジュメを用意し、「古事記に表れる大刀・剣の記述」、

「杉谷A遺跡出土の素環頭大刀」、「古代の製鉄法」、「鉄の古語」、「南方系海洋民によって伝えられた鉄文化」などについて報告されました。どの項目もみんな面白いと思いましたが、とりわけ興味を感じたのは、五十嵐さんが「タチ[大刀]・ツルギ[]・ミハカシ[御佩]」、あるいは「テツ・タタラ・タタール・韃靼」、「サヒ・サビ・サム・ソホ・ソブ」など、鉄にかんするさまざまな用語をとりあげ、やがて「サ行音」が表わす意味をさぐるなどの姿勢を見せられたことです。テツ[]やタチ[大刀]にかぎらず、この種の議論を進めるに当たっては、まずキーワードとなる用語の意味について共通理解をたしかめることが重要で、そうしないと、議論がうまくカミあわず、ただの水掛け論になるおそれがあります。

テツ・タタラ・タタール・韃靼」・・・イズミ方式では、t-t、もしくはt-rタイプとして分類される語音であり、世界規模で分布しているとみられます。

ナハ[]・ナフ[]・ナブ[]・ナベ[鍋]・ニフ[丹生]・ニブ[]・ニヒ[]・ヌフ[]・ネフ[根生]・ネブ[合歓木]・ノブ[展・延・暢・述]n-pタイプの語音。漢語ニフ[]・ナイ[]・ナフ[]英語navy(艦隊。鍋型), navel(へそ。鍋型), nephew(甥。姪の対。根や芽がノビデル姿), new()などとの対応関係も考えられる語音です。

ここまで来ると、このブログで議論できる限界をこえることになりますが、まだブログ「コトダマの世界」を再開できる見通しは立っていません。しかし、このことから「日本海文化悠学会」が世界規模で客観性・論理性のある議論の場として成長しつつあることの例証と見ることができるかもしれません。すばらしいことだと思います。



小澤俊夫さんの記事

 この日の北日本新聞文芸欄に「著者が語る」として、「『ときを紡ぐ』の著者小澤俊夫さんのコトバ「敗戦時の涕忘れない」という記事がのっていましたので、キリヌキしておました。

73()。デイ・ケアの日。なんとか無事、きょうの日程を終了。夕方、佐藤芙美さんから電話がありました。きのうの北日小澤さんの記事のことから、「小澤さんは、よく金沢まで来られるので、できれば(富山もしくは金沢で)3(小澤・佐藤・イズミ)で面談できる場をつくりたい」とのこと、ありがたい話。それまで、なんとかして、体調をくずさないようにしてゆきたいと思います。



7月8日()。朝パソコンにむかっていると、画面に「○○アップ」の案内。かるい気持ちでOKしたところ、その作業がおわるまでに1時間以上かかってしまいました。

10:30~、美織さんといっしょに五百石の俊光さんのところへお礼のごあいさつ。お墓のまわりの清掃などでずっとお世話になりながら、俊光さんご自身が療養中との事情もあり、お礼を言う場を設定できずにいたのですが、きのう古川さんと電話で打ちあわせ、ようやく実現できました。これでやっと、おおきな宿題が一つへった感じです。

15:30ホームへ帰りましたが、留守中に桂書房から校正用原稿(最終)を持参されたとのこと。10日(月)はデイ・ケアの日なので、16時ころ構成ずみ原稿を受けとりに来られるよう電話でお願いしました。

おくればせながら、iwtbさんとhtaさんあてに、ややくわしい経過報告を記したお礼のてがみを書きあげました。



綿菓子づくり 7/10

710()。デイ・ケアの日。会場の一角に、夏祭りの夜店のようなワタ菓子作りの機械が設置され、出席者全員、お好みの色でワタ菓子づくりを体験しました。わたしも、ン十年ぶりで、山王さん祭りの夜店をのぞいた気分になりました。そういえば、老人ホームでも、デイ・ケア施設でも、「安あがりで、認知症予防にもなる」モヨオシがつぎつぎ計画・実施されているようです。アタマがいいんだなと感心しています。



711()3日ぶりで(?)大便排泄。気分さわやか。このへんで、便秘とはサヨナラしたい。問題は、やはり運動不足。手・足。腰などの筋肉がおとろえ、排便する機能が弱って来たのでしょう。基本的な体操を、もっとしっかりやってみようと思います。

福岡市の川述さんから電話あり。こちらからの手紙がとどいて、はじめて信子の死を知ったとのこと。ご案内がおくれて、申しわけありません。



花 7/13

713()。デイ・ケアの日。会場のカベ・マド・テーブルなどに、さまざまな作品がかざられています。ここのスタッフの方たちの作品もありますが、出席者自身の作品もあります。イロガミでつくった花やリボンがそうです。また、画像にかかげた花も、出席者の一人が自宅の花壇から採集して持ちよったものだそうです。ナマエは、「チョウセンギク」と呼んでいるそうですが、せっかくのチャンスなので、会場備えつけの図鑑で調べてみました。「アスター。キク科。チョウセンギクとも」と解説されていました。あとでネットでも調べてみると、「中国北部原産。キク科、エゾギク属」となっていました。



夕食 7/13

 この日の夕食の写真をお目にかけます。どんな味だったか、すっかり忘れてしまいましたが、パッと見たところ、鱒ずし(紅白)・のり巻(白黒)・やきとり(茶色)・エダマメ(ミドリ)などのイロドリのミゴトさに目をひかれ、スマホのシャッターを押してしまいました。あとで、この写真をながめるたびに、食材それぞれのイロアイから、それぞれの食感を思いだすことができます。フシギなものですね。

 毎日暑い日がつづくと、冷房のきいた部屋にこもりきりで、運動不足から食欲が落ちてくる傾向があります。どうしたら、ホームの入居者に毎日3度の食事を完食してもらえるか?そこが、ホームの食事担当者にとって、腕の見せどころ。食品の安全性やカロリー計算などのこともありますが、まずは「食べてもらう」ために、食品のイロドリや配列など、演出効果を上げる工夫をしておられるようです。夏まつりのチョウチンに見たてた用紙に「おまつり」と書いたカードをそえるなども、その例だと思います。





筋トレ 7/14

714()午前、1Fで内科受診。午後、デイ・サービス風雲堂(西中野町)で、パワー・リハビリテーション無料体験会に参加しました。さまざまな機械装置を使い、腕・足・腰などの筋肉をきたえる方式のようです。数年まえ、アピアのフィットネス・クラブで体験した方式に近いと思われます。

この日は体験できませんでしたが、ほかにもウオーター・ベッド、マッサージ・チェアなどの機械も設置されているとのこと。この二つは、「めぐみ」へ入居するまえ、デイ・サービス「まちなか」で利用させていただき、有効だと実感していました。

風雲堂のパワー・リハビリは、まる1日でなく、午後からの半日だけで済むということもあり、わたじ自身は「やってみたい」と思っています。ただし、介護保険が適用されるのは「要支援2で、週2回まで」と聞いているので、めぐみのデイ・ケアと併用できるかどうか?その点は、まだよく分かりません。



射的場 7/14

風雲堂から「めぐみ」へもどって来たら、ヘルパーさんが待っていました。そして、そのあと、いそいで3Fの「夏まつり」会場へむかいいました。実は、この日14時から3Fで「夏まつり」を開くので、ぜひ参加してほしいと、さそわれていたからです。わたしがかけつけた時は、あらかたのみなさんが帰られたあとでしたが、いかにも「夏まつり」らしく、「射的場」がセットされていました。わたしは右目のマブタが開いてくれないので、左目にたよって発射したのですが、5発のうち2発的中。おみやげ(洗剤)をいただいて部屋にもどりました。いそがしい1日でした



『コトダマの世界』贈呈先名簿など

715日()。『コトダマの世界』発行予定日が720日ということなので、それにあわせたスケジュールを考えておかねばなりません。お金を払って、この本を買いとり読んでくださる人は、めったにいないかもしれませんが、それでも一人でもおおくの方に読んでいただけるよう、まずは新聞社や放送局などをまわって、取材をお願いしなければと考えています。

贈呈先名簿についても、直接手渡し予定分、郵送予定分(一般の部、中国語学会関係の部)など、書きあげてみました。県内の公立図書館や学校のの図書館などについても、考えてみるつもりです。

 

追記:
20日発行」の予定が1週間ほどおくれるとの知らせがはいりました。28日(金)の「悠学会」には間にあうよう念をおしておきました。出版社のつごうで日程が1週間おくれることは、それはやむをえません。それよりも、アイサツまわりや、郵送分の発送をたしかめるまで、わたし自身の体調を維持できるようにと願っています。

2017年7月7日金曜日

山あり、谷あり、地震あり


大岩山で散歩 6/20


六本滝を背景に 6/20 


悠学会6月例会  6/23  


地震速報 6/25 

こんしん会  6/29 


みどり一色 6/30 



大岩山で散歩

620()午後、「めぐみ」スタッフさんのクルマで、上市町の大岩山まで「散歩」に連れて行っていただきました。「明日は天候がくずれるというから、今日のうちに…」。突然の提案でビックリしましたが、もちろんすぐにOKしました。「めぐみ」の住人二人(女性)も同行。

富山の市街地をはなれ、田園地帯にはいると、向こうから山が迫ってくる感じになりました。立山連峰に雪がのこっている姿も、はっきり分かりました。スタッフさんの出身地・千葉県では、立山連峰のような姿は見られない、それだけ立山の魅力を感じているとのことでした。

30分足らずで、大岩に到着。季節はずれというのか、観光客の姿はだれも見あたりません。時間のつごうで、摩崖仏・不動明王の拝観はあきらめ、六本滝を背景に、スマホのシャッターを切っていただいたり、「大岩不動」と書いたのぼりを立てた細い道を散歩したりしました。山道でずっこけそうになり、「ストックを持ってくればよかった」と思いました。山をおりる途中で、1㍍以上もあるヘビに出あいました。白茶けた山道を横切ったなと思って見ていると、そのまままっすぐ、絶壁のような山肌をミゴトにのぼってゆきました。

せっかく大岩まで来たので、なにかおみやげでも買えたらと、山を下りてさがしましたが、どの店も閉まったままでした。流しそうめん、ちまきなど、まったくゼロ。ザンネンでした。

大岩山へ来て、あらためて昔のことを思いだしました。信子やおばあちゃん(信子の母)が健在だったころ、毎年夏になると、かならず「岩瀬浜での海水浴」と「大岩のお不動さんまいり」に出かけていました。まずは本堂奥の摩崖仏「不動明王」におまいりしたあと、「六本滝」に打たれたり、谷沿いのほそい道を散歩したりしていました。・・

ふだんは「大岩のお不動さん」などと呼んでいますが、正式にいえば「真言密宗大本山、大岩山日石寺」。境内には、重用文化財・大岩日石寺磨崖仏(不動明王)をはじめ、三重の塔、山門、六本滝などがあります。



悠学会6月例会

623()午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、悠学会例会があり、宮原利英さんが「続、石動山」と題して報告されました。A。石動を襲った2つの戦乱。B. 知識米・知識田。 C. 石動の山伏。 D. 五社権現。E. 石動山の築山。 F. 石動寺(天平寺)の瓦解。

以下、イズミの感想をのべます。この種の議論をする時は、まず「ナニについて」、「ドンナ視点から」議論するのか、きちんと整理しておくことが必用だと思います。「石動山」の例でいえば、「イスルギヤマ」か?「セキドウザン」か?ヤマトコトバと漢語では、コトバの意味・用法にも微妙なちがいがあります。また、政治・経済・宗教・科学など、どんな視点から追求するのか?問題を整理し、ネライを定めて、議論をすすめる方が、ムダ・ムラ・ムリがなく、効率のよい議論ができると思います。イスルギという語音に注目し、イザナキ・イザナミとの関連を考えるという方法もあるでしょう。上代語にイスルの用例は見あたらないようですが、ユスル(揺り動かす。ゆさぶる)イザル(魚を捕る。すなどる)イザリヒ(漁火)などの用例があります。古代の日本列島では、まず石棒崇拝(石皿と石棒で食材を調理し、神にささげる。自分もイノチをいただく)という、そぼくな信仰がひろまっていたようです。そこへ、理論武装した仏教が押しよせてきたので、本地垂迹説などで防戦に追われたと見てよさそうです。もともとは信仰にかんする問題のはずですが、現実はやがて「知識米・知識田」や地方豪族との関係など、政治・軍事・経済の問題がからみ、かなりややこしい問題となりました。しかし、もう一段大局的な見地から見て、(宗教的な理論武装をふくめ)、「強いものが勝ちのこった」だけの話と考える方が分かりやすいかもしれません。



地震速報

625()。朝、72分、地震発生。ちょうどFで、テレビを見ながら、朝食をいただいている途中のことでした。ゆっくり、おおきく、横にゆれること、30秒(?)富山では震度2とのこと。9Fではあれだけ「おおきくユレ」を感じたのですが、あとでFにいた人に聞いたところ、「ちいさなユレ」だったとの返事。あるほど、そんなものかとガッテンしました。



県退教協総会

629日(木)。*「越中庄川莊」で開催された富退教総会に出席しました。丸の内の「めぐみ」から会場まで、約1時間。往復とも、土井事務局長さんのクルマに便乗させていただきました。

14時、開会。会長あいさつの中で、坂田勲さんがいきなり芭蕉の句を朗誦・・・「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」

「閑けさ」の、「しみ入る」の、 「蝉」の3個のサ行音の連続によって、「蝉の声」が、聞く人の心のおくそこまで、ふかくシミこんでくる姿が感じとられます。わたし自身も数十年まえ、s-m音の魅力にひかれ、『スミ・シム・SMITH』という本を刊行したことがあり、この日坂田さんの朗誦を聞いただけで、「この会合に来てよかった」と思いました。坂田さんは、立山町出身とのこと。わたしも、(北海道・東京・中国など、あちこち住所を変更しましたが)、本籍地は父の流儀にしたがって、立山町のままです。その点でも、なんとなく、坂田さんには親しみを感じています。

総会議場の写真もとったのですが、アイソモナイ感じなので省略。入浴後・懇親会の場面の写真を1枚かかげました。「ニッキョウソ[日教組]の生きのこり」というイメージとは遠いものですが、入浴のあと、お酒をいただいて,「熱く語りあう老人たち」の姿に、人間味を感じていただけたらと思います。



みどり一色の田園風景

庄川莊では、あたりを散歩する時間がありませんでした。会場のガラス窓をとおして、ながめていただけですが、そこには、みどり一色の田園風景がひろがっていました。木の葉・草の葉の一つ一つがミドリ色にかがやき、イキルことの喜びをうたっているようでした。ただ、時間帯のつごうなど(逆光や天候)で、期待どおりの画像にはなりませんでした。おゆるしください。



『コトダマの世界Ⅱ』、7月中に完成

630日(金)午後3時。桂書房の勝又さんと、洋画家の佐藤芙美さんが来訪。イズミから「校正ずみ原稿」、追加原稿(「まえがき」「あとがき」「経歴」)を提出したあと、『コトダマの世界Ⅱ』表紙デザイン,題字などをふくめ、最終的なチェックをしました。勝又さんから「7月中に刊行できる見こみ」と聞かされ、うれしい感じもしましたが、どこかにもう一人の自分がいて、「ユメではなかろうな」と念をいれていました。

佐藤さんは、東京・銀座で個展を開催、好評を得て富富山へ帰られたばかりとのこと。そこで展示された作品(タイトyル、「渡来」)をそのまま『コトダマの世界Ⅱ』の表紙に使わせていただくことになっています。前作・社会評論社版の表紙デザインとはまったくちがったイメージのものになると思いますが、わたしとしては、これも一つの挑戦であり、

「わかいイノチをいただいた」もの、ありがたいことだと考えています。



山あり、谷あり、地震あり

 毎号、ズログのミダシをどうまとめるかで、ないチエをしぼっています。全体のタイトルは「いたち川散歩」ですが、これもホーム「めぐみ」へ来てからは、生活の実態とくいちがったままになっています。丸の内は松川とちかいので、「松川散歩」と改称する案も考えられますが、いまのところまだ「松川散歩」の実績もありません。

 「ブログのナマエのことは、あわててきまめなくてもよい」という気持ちもあります。いたち川は、もともと常願寺川の分流。同様に、松川は神通川の分流。むかしむかし、常願寺川と神通川は合流して日本海にそそいでいたこともあるとされています。したがって、松川は「マツ[]」、「マタ[股・又]川」であり、いたち川とは「持ちつ、持たれつ」、「イトコ同士」のような関係にあると見ることができます。、

 毎号、ブログをまとめるに当たっては、まずスマホの写真の中から、使えそうな画像をえらびだし、ブログのトップにかかげます。そのあと、日誌風に記事をまとめます。記事のテーマや書き方などは、そのときの気分しだい、言いたいことを言わせていただいています。

 この号では、「大岩山」、「六本滝」(渓谷)、「石動山」のあとに「地震」の記事がつづきました。それで。「山あり、谷あり、地震あり」とまとめてみました。また、最後の「退教協」の記事は、いまの日本社会の谷間(=小中学校教育の現場)の姿と考えてみました。
 「ジシンあり」について、もうひとこと。こんどの本の刊行については、これまでの実績の積み重ねなので、「いささか自信あり」といえないこともありません。しかし、自分の年齢や体調のことから考えれば、いつ・なんどき「(震度5の)地震あり」ということになるかもしれません。


  追記:
  7月5日号の修正版です。


2017年7月5日水曜日

山あり、谷あり、地震あり

画像: ① 大岩山で散歩 6/20 2025 ② 六本滝を背景に 6/20 2024 ③ 悠学会6月例会 6/23  2027 ④ 地震速報 6/25 2031 ⑤ こんしん会 6/29 2047 ⑥ みどり一色 6/30 2048 大岩山で散歩 6月20日(火)午後、「めぐみ」スタッフさんのクルマで、上市町の大岩山まで「散歩」に連れて行っていただきました。「明日は天候がくずれるというから、今日のうちに…」。突然の提案でビックリしましたが、もちろんすぐにOKしました。「めぐみ」の住人二人(女性)も同行。 富山の市街地をはなれ、田園地帯にはいると、向こうから山が迫ってくる感じになりました。立山連峰に雪がのこっている姿も、はっきり分かりました。スタッフさんの出身地・千葉県では、立山連峰のような姿は見られない、それだけ立山の魅力を感じているとのことでした。 30分足らずで、大岩に到着。季節はずれというのか、観光客の姿はだれも見あたりません。時間のつごうで、摩崖仏・不動明王の拝観はあきらめ、六本滝を背景に、スマホのシャッターを切っていただいたり、「大岩不動」と書いたのぼりを立てた細い道を散歩したりしました。山道でずっこけそうになり、「ストックを持ってくればよかった」と思いました。山をおりる途中で、1㍍以上もあるヘビに出あいました。白茶けた山道を横切ったなと思って見ていると、そのまままっすぐ、絶壁のような山肌をミゴトにのぼってゆきました。 せっかく大岩まで来たので、なにかおみやげでも買えたらと、山を下りてさがしましたが、どの店も閉まったままでした。流しそうめん、ちまきなど、まったくゼロ。ザンネンでした。 大岩山へ来て、あらためて昔のことを思いだしました。信子やおばあちゃん(信子の母)が健在だったころ、毎年夏になると、かならず「岩瀬浜での海水浴」と「大岩のお不動さんまいり」に出かけていました。まずは本堂奥の摩崖仏「不動明王」におまいりしたあと、「六本滝」に打たれたり、谷沿いのほそい道を散歩したりしていました。・・ ふだんは「大岩のお不動さん」などと呼んでいますが、正式にいえば「真言密宗大本山、大岩山日石寺」。境内には、重用文化財・大岩日石寺磨崖仏(不動明王)をはじめ、三重の塔、山門、六本滝などがあります。 悠学会6月例会 6月23日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、悠学会例会があり、宮原利英さんが「続、石動山」と題して報告されました。A。石動を襲った2つの戦乱。B. 知識米・知識田。 C. 石動の山伏。 D. 五社権現。E. 石動山の築山。 F. 石動寺(天平寺)の瓦解。 以下、イズミの感想をのべます。この種の議論をする時は、まず「ナニについて」、「ドンナ視点から」議論するのか、きちんと整理しておくことが必用だと思います。「石動山」の例でいえば、「イスルギヤマ」か?「セキドウザン」か?ヤマトコトバと漢語では、コトバの意味・用法にも微妙なちがいがあります。また、政治・経済・宗教・科学など、どんな視点から追求するのか?問題を整理し、ネライを定めて、議論をすすめる方が、ムダ・ムラ・ムリがなく、効率のよい議論ができると思います。イスルギという語音に注目し、イザナキ・イザナミとの関連を考えるという方法もあるでしょう。上代語にイスルの用例は見あたらないようですが、ユスル(揺り動かす。ゆさぶる)・イザル(魚を捕る。すなどる)・イザリヒ(漁火)などの用例があります。古代の日本列島では、まず石棒崇拝(石皿と石棒で食材を調理し、神にささげる。自分もイノチをいただく)という、そぼくな信仰がひろまっていたようです。そこへ、理論武装した仏教が押しよせてきたので、本地垂迹説などで防戦に追われたと見てよさそうです。もともとは信仰にかんする問題のはずですが、現実はやがて「知識米・知識田」や地方豪族との関係など、政治・軍事・経済の問題がからみ、かなりややこしい問題となりました。しかし、もう一段大局的な見地から見て、(宗教的な理論武装をふくめ)、「強いものが勝ちのこった」だけの話と考える方が分かりやすいかもしれません。 地震速報 6月25日(日)。朝、7時2分、地震発生。ちょうど9Fで、テレビを見ながら、朝食をいただいている途中のことでした。ゆっくり、おおきく、横にゆれること、30秒(?)富山では震度2とのこと。9Fではあれだけ「おおきくユレ」を感じたのですが、あとで1Fにいた人に聞いたところ、「ちいさなユレ」だったとの返事。あるほど、そんなものかとガッテンしました。 県退教協総会 6月29日(木)。*「越中庄川莊」で開催された富退教総会に出席しました。丸の内の「めぐみ」から会場まで、約1時間。往復とも、土井事務局長さんのクルマに便乗させていただきました。 14時、開会。会長あいさつの中で、坂田勲さんがいきなり芭蕉の句を朗誦・・・「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」 「閑けさ」のサ、「しみ入る」のシ、 「蝉」のセ、3個のサ行音の連続によって、「蝉の声」が、聞く人の心のおくそこまで、ふかくシミこんでくる姿が感じとられます。わたし自身も数十年まえ、s-m音の魅力にひかれ、『スミ・シム・SMITH』という本を刊行したことがあり、この日坂田さんの朗誦を聞いただけで、「この会合に来てよかった」と思いました。坂田さんは、立山町出身とのこと。わたしも、(北海道・東京・中国など、あちこち住所を変更しましたが)、本籍地は父の流儀にしたがって、立山町のままです。その点でも、なんとなく、坂田さんには親しみを感じています。 総会議場の写真もとったのですが、アイソモナイ感じなので省略。入浴後・懇親会の場面の写真を1枚かかげました。「ニッキョウソ[日教組]の生きのこり」というイメージとは遠いものですが、入浴のあと、お酒をいただいて,「熱く語りあう老人たち」の姿に、人間味を感じていただけたらと思います。 みどり一色の田園風景 庄川莊では、あたりを散歩する時間がありませんでした。会場のガラス窓をとおして、ながめていただけですが、そこには、みどり一色の田園風景がひろがっていました。木の葉・草の葉の一つ一つがミドリ色にかがやき、イキルことの喜びをうたっているようでした。ただ、時間帯のつごうなど(逆光や天候)で、期待どおりの画像にはなりませんでした。おゆるしください。 『コトダマの世界Ⅱ』、7月中に完成 6月30日(金)午後3時。桂書房の勝又さんと、洋画家の佐藤芙美さんが来訪。イズミから「校正ずみ原稿」、追加原稿(「まえがき」「あとがき」「経歴」)を提出したあと、『コトダマの世界Ⅱ』表紙デザイン,題字などをふくめ、最終的なチェックをしました。勝又さんから「7月中に刊行できる見こみ」と聞かされ、うれしい感じもしましたが、どこかにもう一人の自分がいて、「ユメではなかろうな」と念をいれていました。 佐藤さんは、東京・銀座で個展を開催、好評を得て富富山へ帰られたばかりとのこと。そこで展示された作品(タイトyル、「渡来」)をそのまま『コトダマの世界Ⅱ』の表紙に使わせていただくことになっています。前作・社会評論社版の表紙デザインとはまったくちがったイメージのものになると思いますが、わたしとしては、これも一つの挑戦であり、 「わかいイノチをいただいた」もの、ありがたいことだと考えています。 山あり、谷あり、地震ありw  毎号、ズログのミダシをどうまとめるかで、ないチエをしぼっています。全体のタイトルは「いたち川散歩」ですが、これもホーム「めぐみ」へ来てからは、生活の実態とくいちがったままになっています。丸の内は松川とちかいので、「松川散歩」と改称する案も考えられますが、いまのところまだ「松川散歩」の実績もありません。  「ブログのナマエのことは、あわててきまめなくてもよい」という気持ちもあります。いたち川は、もともと常願寺川の分流。同様に、松川は神通川の分流。むかしむかし、常願寺川と神通川は合流して日本海にそそいでいたこともあるとされています。したがって、松川は「マツ[待]」、「マタ[股・又]川」であり、いたち川とは「持ちつ、持たれつ」、「イトコ同士」のような関係にあると見ることができます。、  毎号、ブログをまとめるに当たっては、まずスマホの写真の中から、使えそうな画像をえらびだし、ブログのトップにかかげます。そのあと、日誌風に記事をまとめます。記事のテーマや書き方などは、そのときの気分しだい、言いたいことを言わせていただいています。  この号では、「大岩山」、「六本滝」(渓谷)、「石動山」のあとに「地震」の記事がつづきました。それで。「山あり、谷あり、地震あり」とまとめてみました。また、最後の「退教協」の記事は、いまの日本社会の谷間(=小中学校教育の現場)の姿と考えてみました。  「ジシンあり」について、もうひとこと。こんどの本の刊行については、これまでの実績の積み重ねなので、「いささか自信あり」といえないこともありません。しかし、自分の年齢や体調のことから考えれば、いつ・なんどき「(震度5の)地震あり」ということになるかもしれません。 zzzzzzzzzz 今回は、ワードで原稿をつくり、ブログの下書きに転換するまでは、なんとかなりましたが、プレビューに転換するあたりで、スペースや改行が無視されるなど、、めちゃめちゃな文面になりました。とりあえず、いちおう公開の手続きをとりますが、このあとなんとかして修正したいと思います。お許しください。、