コスモスの花 9/18
「地名は歴史を語る」講演会場 9/20
日本海文化悠学会研修会 9/22
花束 9/22
住めばミヤコ(?)
9月18日(月)。デイ・ケアの日。いつものとおり窓ぎわで、日当たりのよいテーブルに、いつもどおりの4人がそろいました。wtbさん、uszさん、nktさんとわたし。そして、テーブルの上に、いつもの花瓶がおかれ、この日は、先日の鶏頭と交代して、コスモスの花(写真)が活けてありました。いつものとおり、uszさんのお宅の花壇からつみとって来られたそうです。
デイ・ケアに来るのは周2回だけで、あとは毎日朝から晩までホームで暮らしているのですが、「自宅からデイ・ケアまで出かける」というよりは、「もう一つの自宅へもどってきた」みたいな感覚になっています。「住めばミヤコ」というコトワザがありますね。それとぴったりとはいいませんが、人間の意識は案外変化しやすいものだと気づかされました。
そういえば、ホームでは、スタッフの人たちとは必要に応じていろいろ相談することがありますが、住人同士では、毎日3回9F食堂で顔をあわせ、「おはようございます」くらいのあいさつを交わしますが、中身のある会話をしたことがありません。それにくらべて、デイ・ケアでは、毎回午前10時まえから午後3時すぎまで(入浴時を除き)、ずっと同席したまま、食事・体操・唱歌・ゲームなどで時間を過ごします。あるいは、イロガミで花やリボンをつくるなどの共同作業をすることもあります。そんな中で、「こんにちは」、「おやすみ」だけでなく、もうすこしナカミのある会話がかわされるようになりました。
テーブルにかざられた花の話から、それをもってこられたuszさんのご自宅での人間関係がちらっと見えてきました。nktさんのお話からは、ピッカピカの1年生とおばあちゃんとのツーショット姿が見えてきました。そして、ご子息が富山在勤の縁で、新潟から富山の老人ホームへ転居されたというwtbさんは、「新潟にくらべて、富山の空は高い」というコトバで、富山の自然環境や生活環境のよさをほめちぎっていました。こんな話、富山の県知事さんや市長さんが聞いたら、喜ばれるでしょうね。
ヒマつぶしに、まわりを「観察」
デイ・ケアをするスタッフのみなさんはキリキリマイしておられるようですが、ケアされるがわのわたしどもにとっては「待ち時間」みたいな時間がかなりあります。自分ひとりで、なにをしてもよい、フリーな時間にはちがいありませんが、だからといって、ひとりだけ読書したり、テレビを見たりというわけにもゆきません。では、どうすればよいか?
イネムリでもしていたら?それも、やってみました。しかし、あまりいい感じがしませんね。そこで、思いついたのが、まわりを「観察」することです。デイ・ケアの施設・設備、スケジュールの設定・運営など。自分でかってにモノサシをつくり、評価してみます。あるいは、通所者みなさんのカオブレを観察して、高齢化社会、男女別平均年齢、さらには日本の人口問題にまで推測をめぐらすことになります。「観察」とはいいましたが、じっさいはじぶんのアタマの中で、あれこれ考えているだけ。まわりの人の目には、「ボケーッとして座っている」姿にしか見えないでしょう。これなら、だれにもメイワクをかけないですみそうです。
この「観察」をつづけてみて、一つ気づいたことがあります。それは、デイ・ケアに通っているあいだに、そこが「もう一つの自宅」と感じるようになっていた、その意識変化に気づいたこと。そしてまた、まわりを「観察」しているうちに、「観察」している自分の姿を発見したということです。ちょっとしたオドロキであり、フシギな感覚です。ひとりでに、佐藤正樹さんの、あの詩作スタイルを思いだしていました。
「地名は歴史を語る」講演会
9月20日(水)午後、富山市西町キラリホールで冨山第一銀行共寿会の講演会があり、富山近代史研究会会長竹島慎二さんが「地名は歴史を語る」と題して講演されました。
はじめに、アケビ[山女](魚津市)・サンヨシ[三女子](高岡市)・ノデワラ[勝木原]( 高岡市)・ヨメダン[鼠谷](富山市)などの難読地名や、コウベ・カンベ・コウド・ジンゴ(いずれも[神戸])などの同字異読などを紹介。つづいて、「古い地名の多くは自然地名[景観]」であり、「地名は弥生時代からの本格的な水稲農耕の普及によって急増」したことを指摘。そのうえで、古代(律令政府が統治のために地名を作成・・・好字二字令など)、中世(武家社会+荘園制・・・荘園、武士の生活、交通や流通機構の発達、神社・寺院などに関係する地名)、近世(城下町+新田開発・・・城下町の形成や検地・新田開発にちなむ地名など)にわたって、具体例をあげながら、理路整然、しかも分かりやすく解説されました。
おしまいに、「何故『越』、『富山』?」として、「越(古志)の国」=アイヌ語の「ク・シ」?(渡る)と解釈する例を紹介したり、「地名から地域の特色を推定」する方法(たとえばサワ[沢]がつく地名、沢新・沢端・野沢・前沢・米沢などから、もともと湿地帯だったと推定できる)を提案するなど、サービス満点の講義でした。むすびのコトバは、「地名とは、古代からの歴史遺産であり、歴史の生き証人(歴史の文化財)。」
「しかし、それにしても・・・」と、わたしは考えます。地名表記にかぎったことではありませんが、「日本人は、漢字にたよりすぎ」ですね。モジというものがなかった当時の日本では、漢字はたしかに便利で役にたつ道具でした。話をした瞬間に消えてしまうコトバを記録にのこすことができ、空間・時間の制約をうけることなく、イツ・ドコででも再生できる。カミワザのような、ありがたい道具でした。しかし、ツゴウのよいことばかりではありません。フツゴウなこともあります。漢字は、もともと漢民族が漢語を記録するために考案したモジです。日本語(ヤマトコトバ)の音韻組織は漢語のそれとかなりちがいますから、漢字だけでは日本語を書き表わすのに不便なことがあります。そこで、ガタカナやひらがなが生まれました。ほんとうはこの方向でつっぱしればよかったかなと思いますが、現実はやはり「漢字だより」が主流の時代がつづきました。
「好字二字令」の功罪
その典型が「好字二字令」(『続日本紀』和銅6年5月2日条)だろうと思います。この[令]によって、日本全国の地名表記法が泉→和泉、木→紀伊、粟→阿波、近淡海→近江、多邇麻→但馬などのように修正されました。なんでもかんでも、カッコいい漢字を2字ならべさえすれば、カラ[唐]ふうでハイカラなんだと考えたのでしょうが、じつはまったくのカンチガイで、ナンセンス、バカげた発想でした。
「好字二字令」は、漢語の文脈(音韻感覚)でこそ意味があります。漢語としての漢字は「1字=1音節」にきまっており、「前後」「左右」など、2字(=2音節)をならべることで「バランスがとれる」(安定感が生まれる)という美意識がいっぱんに定着しています。しかし、ヤマトコトバの文脈では、漢字1字が1音節、2音節、3音節など、まちまちな音形に対応しています。漢字を2字ならべたからカッコいいというのは、ミセカケ(字形)だけの話。じっさいの中身(音形)が1音節、3音節など奇数のままでは、漢語ふうの(音韻面からの)安定感が生まれる道理がありません。
それだけではありません。漢詩や英文の詩の世界でだいじにされてきた「韻を踏む」(音形をそろえる)という作業が、日本の詩作の世界であまり重視されてこなかったという事実(?)とも関連する問題かと思います。詩作とは門外漢のわたしですが、あえて問題提起させていただきます。いかがでしょうか?
越中の7・8世紀金銅仏
9月22日(金)午後、茶屋町,豊栄稲荷神社で日本海悠学会の研修会があり、富山考古学会会長西井龍儀さんが「越中の7・8世紀金銅仏、宮嶋村の白鳳仏」と題して講演されました(写真)。要約して、ご紹介します。
これまでの調査で、7・8世紀の金銅仏として、①氷見洞窟(鞍骨)如来像、②千光寺観音菩薩像(砺波市芹谷)、③玉泉寺観音菩薩像(速星)、④本覚寺観音菩薩像(富山市富崎)の4体(いずれも銅製仏像で、国の重要文化財)が存在することが確認されていた。
最近の調査で、元富山県宮島村(現小矢部市)から金沢市西光寺へ移された銅造菩薩立像が、鳥取県大山町の大山寺が所蔵する国の重要文化財「銅造十一面観音立像」とよく似ていることが分かり、「兄弟仏」の可能性もある。
さて、「富山・石川両県で、五体目の重要文化財指定か」などの報道を聞くのは、たいへん楽しいことです。しかし、その報道を安心して信用できるのは、その内容の真実性が考古学独特の客観的・多面的・合理的な調査・分析によって裏打ちされていると考えられるからです。
マキ[牧]も モク[牧]もm-k音タイプ
たとえば、富山県の1か所で7・8世紀の金銅仏が発見されたという場合、世界史規模で宗教(神道・仏教)・農耕(焼き畑・イネ耕作)・牧畜・ヤキモノ(木炭・土器・陶磁器)・金属精錬(金・銀・銅・鉄)などについてチェックしてみることも必要でしょう。
金銅仏についてなんの関心も予備知識ももたない人にとっては、それこそ「ネコに小判」。その素材が木材でも金属でも、あるいはそれがいつ・どこで発見されようと、なんの意味もないことです。ぎゃくに、歴史家としては、まずそれら断片的な情報をよせあつめ、つきあわせたうえで、総合的な判断をくだします。そこで、さまざまな「断片的な情報」がおおきな意味をもつことになります。そして、その「情報」は、すべてコトバとして処理されているので、「情報」の真実性を議論するまえに、まずそのコトバ(用語」そのものについて議論し、共通理解してからでないと、そのあと議論がかみあわず、客観的・合理的な結論がでないおそれがあります。
その点で、これまで「わかりきった用語」として、あまり議論しないまま使ってきたものについて、ここでいちど読みなおしてみてはどうかと考え、提案いたします。たとえば、「カネ[金・鐘]とコム[金]」、「カミ[上・髪・守]とカミ[神]とカム[神・噛・醸]」「マキ[巻・牧]とモク[牧・目]」など。
西井さんも、「古代遺物は未確認ながら、屋波牧や原牧などの牧地名がどこまでさかのぼるか注意すべき所」と指摘しています。ついでにいえば、マキ[牧]は日本コトバとされていますが、日本漢字音モク・ボク、上古漢語音miuek、現代漢語音mu。ヤマトコトバのマキ[牧]は、動詞マク[巻・枕・娶](四段)の連用形兼名詞形で、①巻く。まといつける。からみつける。②妻として抱く。めとる、などの意味を表わしています。漢語モク・ボク[牧]の字形も、もともと「牛の繁殖を示す」ものであり、「モ・ボ[母]、マイ・バイ[媒](なこうど)と同系」とされています。
ヤマトコトバのマキ[牧]も 、漢語のモク[牧]も、おなじくm-k音タイプ。それぞれ同系の単語家族をかかえ、いわば単語家族まるごとの対応関係を見せています。単なる偶然の一致と見すごしてよいでしょうか?
花束
7月の悠学会研修会で、会員のみなさんへ『コトダマの世界Ⅱ』を1部ずつ贈呈させていただきましたところ(8月は夏休み)、9月研修会のこの席で、みなさんからお礼の花束をちょうだいいたしました(写真)。ありがとうございます。
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