2011年8月2日火曜日

ブログ開始1周年

いたち川、2011. 7 (雪見橋下流)

アオサギ、2011.8.

あれから1年
2010年8月3日、ブログ「いたち川散歩」第1号を発行してから、ちょうど1周年になります。三日坊主になりそうなところが、よくまあ続いたものだとも思います。ぎゃくに、はじめ考えていたことが、いざ動きだすと、どうもハカがゆかず、見当ちがいの方向へ進んでいないかと心配になることもあります。
このへんでいちど点検しておこうかと思います。

年年歳歳
「年年歳歳 花は相似たり、歳歳年年 人は同じからず」(唐・劉希夷)。
たしかに、いたち川べりの景色は、昨年も今年も変わりないようです。カモやアオサギも、姿を見せてくれます。ただし、このまえブログで紹介したカモ一族やアオサギ君とおなじカオブレなのか、交代したのか、たしかなことはわかりません。
わたし自身のことを考えると、ずいぶん変わりました。毎日散歩はつづけていますが、散歩の距離や時間は半分ほどになりました。それだけ体力が落ちたということでしょうか。これだけでは、どう見ても運動量が不足です。森光子さん(たしか、わたしと同年)がスクワットをしているときいたので、わたしも自己流でやりはじめたところです。

サブタイトルを追加
「いたち川」という名前がおもしろいと思ったので、ブログのタイトルを「いたち川散歩」としました。そのご、「いたち川」をネットで検索したところ、横浜市にも「いたち川」が流れていることが分かりました。さらにブログ「秋のいたち川小景・生涯学生気分」(2008.11.2.)で、「イタチ=イデタチ説」を知りました。とりわけ、兼好法師が「イタチカハ」を読みこんだという歌に共感しきり。そこで9/7「イタチごっこの川」以後、「いたち川散歩」のサブタイトルとして「行雲流水・イタチ・イデタチ・STARTING」を追加することにしました。

行く雲、流れる水
この1年間、いろんなテーマをとりあげ、「散歩」してきました。8/10「お地蔵さんの水」、8/24「いたち川命名の由来」、8/31「川にゆかりの地名」などで「いたち川」周辺を回りつくし、さらに9/7「イタチごっこの川」では、常願寺川や神通川との関係をとりあげ、「両大河川がイタチごっこの関係にあり、双方をつなぐいたち川が立役者の役を果たした」という解釈を披露しました。もともと地理学とはまったく門外漢の老人のヒトリゴトです。
10/26「まぼろしの文化財」では、山室中学校下の專立寺で「康熙皇帝勅諭」(朝鮮国李王宛)を発見した時の思い出を語りました。
東日本大震災のあと、3/22「伊達直人はダテ男」では「危険防止のタテ[楯]」、「役に立つ立役者」、「ダテさんのイデタチ目立つ」など、t-t音の語感を追求。また、4/12「コク[扱]・コク[穀・谷]・COCK」では、日漢英k-k音の基本義を追求。さらに5/10「馬瀬口の尼寺」から3回にわたって、マス[枡・坐]・マズ[交]・マセ[馬瀬]・ムス[生・蒸]・ムシ[虫]、mass, massage, mouse, muscle, measureなど、日英m-s音語の対応関係を話題にしました。
このブログは、「行雲流水」、「足の向くまま、気の向くまま」。いつ、どこへ向かってstartしたのか。どこでstopして、いつまでstayするつもりか。まわりの人には、さっぱり見当がつかない。そういう面があるようです。投稿した本人は、自分なりの コンパスを用意し、それなりの自信をもってブログをつづけているつもりなのですが。

並行して「七ころび、八おき」を発行
もともと「象形言語説」や「現代日本語音図(試案)」などについて提案し、いっしょに考え、討論していただける場ができればと思ってはじめたブログです。ただ、いきなり「音韻比較」とか「音図」とか言っても、だれも話を聞いてもらえそうもありません。それで、とりあえず「散歩」の話からはじめることにしました。
2010年10月から、「いたち川散歩」と並行してブログ「七ころび、八おき」を発行することにしたのも、同工異曲、もとはおなじ趣旨です。サブタイトルは「わたしのリレキ書。イキザマ90年の記録」 これを読んでいただくことで、わたしが「日本語・漢語・英語の音韻比較」や「現代日本語音図づくり」などの作業にのめりこんでいった心理経過をわかっていただければと願っています。

このあとの予定
「七ころび、八おき」も、もうすこしで一段落します。そのあと、いよいよ念願のブログ「コトダマの世界」(仮題)を立ちあげる予定です。ここではずばり、「日漢英の音韻比較」、「象形言語説の設定と検証作業」、「V. H. Mair教授の助言」、「日漢英共通音図試案」など、わたしの研究のあゆみについて報告いたします。
できれば・日本語(国語)・中国語(漢語)・英語などの研究者の方々にもご覧いただき、なにかご指導・ご助言いただければと願っています。

2011年7月19日火曜日

奥村さんのブログに思うこと

奥村さんのブログ

療養手帳

入院診療計画書

奥村隆信さんブログを再開
癌の手術で入院され、途切れがちだった奥村隆信さんのブログが再開されました。
6月28付ブログ「癌日記」は「ケータイからの記事投稿」で、「手術は無事終わりました」とのこと。その末尾に一句、「とほほわれ 六十四の梅雨 おむつかよ  胃無斎」
7月9日になって、「近況ご報告」として長文のブログを公開。そして五七五作品も。
半夏生ナースの二の腕なまめけり
梅雨空に放屁三発、 I Did It !
われもまた ホモサピエンス せみを聴く
奥村さんの、この生命力に脱帽しました。そして、すこし安心しました。
[追記]奥村さん7/15ブログ「今日から抗がん剤開始」に、こうありました。
手術後3回目の入浴
わが姿 理科室標本 夏日射す
バスタブで屈葬真似てる夏の風呂
ゆらゆらり 骨皮筋右衛門 散文の夏

ヒトとしてのイキザマ
奥村さんのブログを読んでいると、次回もつづきを読んでみたい気になります。それは、そこに奥村さんの人柄とか、イキザマみたいなものが見えてきて、引きつけられるからでしょうか。イキル[生]とは、イキ[息]をすること。イキザマとは、イキの仕方。どこで、どんな空気を、どんな方法で呼吸するかです。奥村さんは、生死を分ける手術を受けながら、そのときの自分のイキザマを客観的にながめ、記録して、見せてくれます。そのかげに、「最期まであきらめないど根性」、「底ぬけの楽天主義」が感じられます。
こんどの手術で「胃を全摘(脾臓・膵臓も)」されたとのことで、これからの食生活が大変だろうと思います。それでも、呼吸器官の方はご健在のようなので、「これを機会に1日1刻を大切に生きて」いかれること、そしてまた引きつづき「奥村流五七五」を量産し、読者を楽しませていただけるものと期待しています。

イキザマとイキガイ
奥村さんのブログのタイトルは「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」となっています。このことからも、「日本語教師」が奥村さんのイキガイになっていることが分かります。
わたしの勝手な想像ですが、奥村さんはまずご自身が日本語のおもしろさのトリコになり、やがて「日本語のおもしろさを外国人にも伝える」ことがイキガイとなったのでしょう。
いいかえれば、そのイキガイが奥村さんのイキザマを決めたということでしょうか。

入院40日間の思い出
奥村さんのブログを拝見して、ただただ感服するばかりでしたが、そのあと「自分はどうだったろうか」と反省させられました。
わたしは奥村さんとちがって、もともと胃腸がよわく、しょっちゅう病院に通っていました。それでも、なんとか91才まで生きのびてきました。自分で考えてもフシギなくらいです。死を覚悟したことは、何回もあります。ただ運よくすりぬけただけでしょう。その一つが、2003年、83才のとき、「右顔面神経麻痺」で40日間入院したことです。
12月29日朝、洗顔のときカガミの中の自分の顔を見てビックリしました。右目が垂れさがり、クチビルがひんまがっているのです。すぐさま脳神経外科塚本病院に駆けつけ、30日から入院、40日間療養することになりました。病院では、「高気圧酸素療法」を20回ほど受けました。この療法のおかげで命びろいしたのかなと感じています。

朝夕、カラスの渡りを見る
入院中は、毎日「高気圧酸素療法」、「点滴療法」、「物理療法」などのスケジュールが組まれていて、その途中に空き時間があります。個別にテレビを見る人も多数おられましたが、わたしはテレビを見ないことにしました。そのかわり、新潮文庫の1冊「隠された十字架…法隆寺論。梅原猛」を読むことにしました。「分厚い本で、数行読んだら眠くなりそうな本」。つまり眠り薬がわりに用意した本です。寝る子は育つ。入院中は、シャバのことは一切わすれて、ひたすらネムルことにしよう。あきるほど眠ったら、イノチがヨミガエルかもしれない。そう考えました。
病状が安定したころ、病室が2階から3階へと移りました。ベッドに寝ながら、ひろいガラス窓から空を眺めることができました。そのうち、あることに気づきました。雲以外は、ふだん何にもない空ですが、朝方と夕方のいっとき、カラスの群れが大空を渡るのです。朝方は、西の空から東の空へ。夕方は、東から西へ。どこか西の方に、ネグラになる森があるのでしょうか。童謡「夕焼け小焼け」の中の「カラスといっしょに帰りましょう」というフレーズを思いだしたりしていました

2011年7月5日火曜日

「ヒトと生まれて人間になる」

竹部俊恵さんの講演から

入場券

石像群

水面に浮かぶ美術館

記念講演

「言葉の花束」

いっぷく{百河豚}美術館を見学
6月30日(木)、宇奈月のホテル渓仙で開催された「第36回富退協総会」に参加しました。
富山からバスで宇奈月に向かう途中、下新川郡朝日町不動堂のいっぷく{百河豚}美術館を見学しました。
「いっぷく{百河豚}」という名前、一風変わっていますが、もとは創設者青柳政二の雅号だったとのことです。自分の体重が河豚百匹分だったので、ヒャクフグ「百河豚」。フク料理をタラフク食べ、美術品をながめてイップク{一服}できる時間が最高なので、「百河豚」と書いてイップクと読むことにしたそうです。
屋外にある石像群のまえに立っていると、遠い異国へのあこがれみたいなものを感じます。
本館は、ひろい水面にかこまれた島の姿。「宝島」のイメージです。睡蓮もうつくしい。
こんな場所に、これだけの作品をそろえた私立の美術館が存在すること自体が驚きです。

「第36回富退協総会」に出席
会場につくと、坂田勲会長・森田博事務局長はじめ役員のみなさんで会場づくり。午後3時から、総会がはじまりました。ことしの総会出席者は、計27名。さくねんの総会(ゆーとりあ越中)出席者19名にくらべ、大幅増です。
「富退協」は、昨年の総会で会長はじめ役員が交替したのを機会に、組織を点検し、あらたな組織づくりに取りくんでいるようです。ことしの総会では、議事の運び方や、記念講演の講師選定、また懇親会の進行など、いたるところで、あらたな企画や工夫のあとが見られました。

なぜか男性ばかりの「富退協」
「富退協」というのは、「富山県退職教職員協議会」の略称。つまり、富山県小中学校の元教職員たちの団体です。この種団体には二つの流れがあり、一つは(財)富山県教職員厚生会の「退職会員の組織」、つまり体制側の組織。もう一つが富山県教職員組合と連帯関係にある「元組合員の組織」、つまり「富退協」です。
わたしは都合がつくかぎり、どちらの総会にも出席するようにしてきましたが、最近は体調を第一に考えて、出欠をきめるようにしています。
ところで、この「富退協」という組織。じつは会員がすべて男性ばかりという状態がつづいています。「女性は天の半分をささえる」というコトバがありますが、いま小中学校の職場では、「天の大半」をささえている時代。「富退協」の組織実態は、あまりにも異常です。この点についても、こんどの総会で、あらためて話題にされました。

竹部俊恵さんの講演
温泉もよかったし、懇親会もたのしかったですが、わたしにとって一番の収穫は、竹部俊恵さんの講演を聞かせていただいたことです。竹部さんは「ヒトと生まれて人間になる」というタイトルで、ご自身の人生体験、イキザマを語られました。
前出町中学校長で、浄土真宗大谷派横浜別院輪番。「知った人から頼まれると、断れない性分なので」(もともとご近所同士の森田事務局長から頼まれたので)、はるばる横浜から飛行機を乗りついで、この「富退協総会」に駈けつけられたそうです。総会翌日も、朝の一番電車で富山へ、そして飛行機で羽田へ向かわれたとお聞きしました。頭が下がります。

「言葉の花束」
講演の資料として配布された「出中だより」の巻頭言「言葉の花束」から、一部引用してご紹介します。
「私たちは、自分が生きる時代を、自分では選べませんが、どのような時代に生きようが、その時代の中で、様々な人や出来事に出会い、その中から教えられていくことは変わりません。特に、人との出会いは、その人が発した言葉との出会いです。言葉は聞こうとすれば、言葉の花束として私に届けられ、私を育てます。これから、60年間に私がいただいた言葉の花束の中から、いくつかを紹介します。」
≪大学時代≫
「どこで学んだかじゃないんだ。何を学んだかなんだよ」(大学の先輩)
「人生は、やり直すことは出来ないが、見直すことは出来る」(金子大栄)
≪20代のころ≫
「流されて 行くにはあらず 我はただ 自ら流るる 我は河なる」(藤井一道)
≪最近≫
「どんな時も、人生には、意味がある…この人生のどこかに、あなたを必要とする"何か"があり、あなたを必要とする"誰か"がいる。そして、その"何か"や"誰か"は、あなたに発見されるのを"待って"いる」(諸富祥彦)

2011年6月21日火曜日

義務教育で民主主義教育をさぼったツケ

「たかじんのそこまで言って委員会」


奥村さんのブログ


学級機関紙「カガミ」10号


バリー先生の手紙(部分)


「そこまで言って委員会」
3.11から3か月。テレビも新聞も毎日、くらい、かなしい、さびしい話ばかり。こうなると、ぎゃくに、あかるい、たのしい話がききたくなります。
テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を見ました。原発や石油ではなく、あらたなエネルギー資源の研究が進んでいるという話。どこまで真実か、やっぱりただのホラ話か、にわかに断定できませんが、発表者はいずれも大学教授クラスの肩書を持った人ばかりですから、そうデタラメな話ではないでしょう。日本のエネルギー問題について、一から考えなおしてみようかという気持になりました。

奥村さんのブログ「やっぱり癌でした」
5月24日のブログで、奥村隆信さん(富山国際学院校長)のお話をしましたが、6月9日、奥村さんがブログで「やっぱり癌でした」と書いておられるのを見てびっくりしました。さいわい経過は順調のようで、12日付のブログで「3.11ボランティア」にふれ、「体力が回復したら再訪できるかなあ」とありました。
さらに14日付のブログは「坂東真理子・上野千鶴子『女は後半からがおもしろい』(潮出版社)」というタイトルで、この「富山県生まれの2人の女性」を紹介し、論評しておられます。お元気のようなので、すこし安心しました。

「お上のお考えなさること」
奥村さんは、15日付のブログ「お上のお考えなさることは、ようわからん、と民草の一人は思った」の中で、「某県の某公益財団法人」から届いた「平成23年度日本語教師育成支援事業のご案内」をとりあげ、一刀両断にしています。
「アホなことを思いつくものである。そんなことにお金(税金であろう)を使うくらいなら、もっと使い道があるというものである。勉強お助け隊(米田哲雄代表)や高岡アレッセ(青木由香代表)の活動に支援するとか…」
「日本語教育に限らず行政がボランティアの『善意』に甘えている構図は全国各地似通った状況でしょうね。」 (「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」参照)
まさに「奥村節」全開のご様子。わたしは後期高齢者なので、気力も落ちています。奥村さんのように直言できる人がうらやましく、尊敬しています。

危機に対応できない日本政府と国会
3.11以来の東電や政府の対応について、おおかたの人が「危機管理体制ができていない」と感じているようです。しかし、政府や与党がダメなら、すぐにでも野党に交替してもらえばよさそうなものですが、世論調査の数字を見ても、圧倒的な支持を得ている政党は見あたりません。野党第一党党首の話を聞いても、ただ「政権をよこせ」というだけで、どうやってこの危機を乗りきるのか、説得力のある具体的な政策が見えてきません。
ここでよく考えてみましょう。いま危機におちいっているのは、東北地方の被災地だけではありません。世界という競争社会の中で、日本国全体が地盤沈下をおこしているのです。しかも、そのだいじな時期に、日本政府や国会が必要かつ十分な役割をはたしていません。つまり、日本国の統治機構そのものが危機におちいっているわけです。

日本の民主主義のレベルが問われている
大臣や国会議員は国家公務員ですから、「滅私奉公」、お国の危機脱出のため全力を尽くすのがあたりまえ。「人民のために奉仕する」ものだけが指導者にえらばれる資格を持つ。それが「民主主義国家」です。しかし現実には、「料亭で接待を受けたり」、「権力を利用し、利権をちらつかせて、支持層を拡大したり」するのが目的で国会議員になった人もいます。おそらく「民主主義」について学習したことがないか、なにかカンチガイをしている人たちです。こんな議員さんたちに、国家の危機管理など、できるわけがありません。
アメリカとならんで「民主主義」のチャンピオンだったはずの日本。いま、その民主主義のレベルが問われているのだと思います。
政府や国会の危機管理能力がよわく、統治機構が機能不全、あやうく停止しそうな状態。まちがいなく、日本民主主義の危機です。

義務教育で民主主義教育をさぼったツケ
民主主義を身につけていない国会議員がいることについては、そんな議員さんをえらんだ国民にも責任があるでしょう。また、その議員さんたちを教え育てた小中学校の先生たちにも、責任がないとはいえません。
1945年、大日本帝国の敗戦で学制改革が実施されたとき、義務教育の最重点項目が「民主主義教育」でした。しかし、きのうまで「君主主義」だった人間が、あしたから「民主主義」に変身せよといわれても、それはムリな話です。「民主主義」は、教科書をよんで丸暗記すれば、それで身につくというものではありません。男と女、加害者と被害者など、双方が意見をのべ、納得ゆくまで話しあう。たいへんテマ・ヒマかかる仕事です。
「民主主義教育」は義務教育のカンバンやスローガンとしてかかげられただけでなく、全国各地で真剣な実践活動も進められました。しかし、もともとつよい抵抗勢力があったことも事実です。じっさい義務教育の現場では、いろいろな事情から、「民主主義教育」にあまりテマ・ヒマをかけないようになりました。そういう事実経過を考えれば、いまの政府や国会が機能停止状態にあるのも、じつは戦後の義務教育で民主主義教育をさぼったツケがまわってきただけということかもしれません。

元中学校教師としての反省
1949年から20余年、わたしは富山市立中学校に奉職し、とりわけ学級経営の中で民主的な人間形成を目ざして努力した記憶があります。クラスの生徒たちや父兄たちとの合作で学級機関紙を発行したり、毎日のように反省会を開いて討議したりしました。また、富山大学の須沼吉太郎先生にお願いしてアメリカの作家パール・バック女史をご紹介いただき、そのご縁でクエーカー教の学校のバリー校長先生から助言をいただいたこともあります(ブログ「七ころび、八おき」…4/12「東部中学校のころ②」参照)。
当時担当した生徒たちの教室内外での生活風景を思い出しながら、「もうすこし、うまくやれなかったかな」と反省しきりです。


2011年6月7日火曜日

マウス、マスラオ、マッサージ

m-s音の単語家族しらべ(その3) 

ムスものがムシ[虫]



マシマス[坐]ところがマス[枡]


マウスと申しマスル



森にマシマス[坐]マシラ[猿]



マスラオ[益荒男]は筋肉隆々



筋肉をマサグル、マッサージ


コトダマ効果
3.11の大震災から3か月。テレビで見る被災地は、復興どころか、瓦礫の除去もまだできていません。たくさん集まった義捐金も、被災者の手元に届いていません。政府や国会も、政権の奪いあいには熱心ですが、肝心の政策審議はおざなりのようです。
ここまできたら、東日本だけの問題ではありません。この3か月のあいだに、世界中で日本国の影がかなりうすれてきた感じさえします。
そんなある日、NHKテレビで、「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。鶴瓶師匠とさだ・まさしの二人が石巻市の避難所を訪問する番組でした。落語家と歌手。いってみればなにひとつ生産することもできない二人。それが「コトバのあそび」をするだけで、被災者たちの心の傷をいやし、元気にさせていました。おまけに、テレビを見ているわたしたちまで。
「これがコトダマ効果だ」と思いました。人間とは、コトバをつかう動物。コトバの役割、効果はすごい。コトダマは、コトバのタマ[玉・珠・球・弾・魂]。鉄砲ダマのようにトビかけり、聞く人のタマシイを傷つけたり、ぎゃくに明るい灯をともしたりします。できれば日本国の総理にも、コトダマ効果を発揮してほしいところです。

m-s音の単語家族しらべ
前々回「マセグチ[馬瀬口]の尼寺」の項でm-s音語をとりあげてから、きょうで3回目。わたしが提唱する「64音図」の中で、m-s音タイプのコトバは、けっして多数派ではありません。それでも、日本語と英語のm-s音語を単語家族として比較してみると、意外なほど共通感覚をもって対応していることがわかってきました。
今回は、すこし総合的に「日英m-s音語の家族しらべ」をしてみたいと思います。

m-s-音語の基本義
ここでm-s音語というのは、m-子音のあとにs-子音がつづくタイプの語のことです。日本語では、マス・ムス・ムスコなど2音節以上になりますが、英語ではmass, mouse, miceなどのように1音節の例もあります。
そこで、「m-s音語の基本義は?」ということですが、わたしは、「m-音の基本義とs-音の基本義との連合」だと考えています。

m-音の基本義
m-音の基本義は、「m-音を発声するとき、発声器官に生じる感覚」です。
m-音を発声するには、いったんクチビルを閉じ、イキのながれを口の中に閉じこめます。そのイキがクチビルをモミ破ってモレでる。同時に、鼻にまわったイキが鼻の粘膜をマサグリ、共鳴を起こします。
このとき発声器官に生まれる生理感覚が、やがてm-音の音韻感覚と呼ばれることになります。つまり、m-音語には「ウミだす、ウマれる」、「ウメこむ、コモル、モグル」、「モム、マサグル」、「モレル」などの基本義が生まれることになります。             

s-音の基本義
s-音の基本義も、s-音の調音方法から生まれます。
「舌サキで上ハグキをサスル姿で、イキを吹きつける」ことでs-音が発声されます。そこで、s-音語には「サス、スル、コスル」などの基本義がつきまとうことになります。
たとえば、ス[為]・スル[為]という語音は、もとはスル[擦]・コスル[擦]作業(磨製石器づくりなど)をあらわす技術用語として生まれ、やがて(作業の種類を問わず)一般化された用法と考えられます。

ムスものがムシ[虫]
ムス[産]とは、ム[産]の作業をスルことです。
たとえば、てんとう虫や蝶などの昆虫は、タマゴからサナギ、幼虫、成虫など、くりかえし変身します。ムス[産]作業をムシかえすので、ムシ[虫]と呼ばれたのでしょうね。
ムスコ[息子]やムスメ[娘]も、男性と女性がムスバレ、ムス[産]作業にはげんだ結果として生まれたコ[子]であり、メ[女]でありマス。

マス[坐・座]ことは、マス[益・増]こと
お水、お酒、お米など(命の親)が「マシマス[坐]ところ」がマス[枡]です。
カラッポのマスの中に(お米を)入れマスと、それだけ存在量がマス[益・増]ことになりマス。

マウスと申しマスル
ネズミは、なぜネズミと呼ぶのか?定説はないようです。英語ではmouse、複数はmice。辞典には、「筋肉を意味するmuscleと同源」と解説しています。ネズミの動き、とりわけシッポ[尻尾]の筋肉がみごとな動きを見せる点に着目した命名と思われます。パソコンにつかうマウスも、小型ながらチョコマカ敏捷なはたらきをします。
そういえば、日本語のモウス[申]も、歴史カナヅカイではマヲスです。イズミの解釈では、マ[真]ヲ[尾・緒]ス[為]で、「ピンと尾を立てる、伸ばす」姿、また「筋道の通った話をする」姿をあらわすコトバです。

森にマシマス[坐]マシラ[猿]
「広辞苑」は「マシ[猿]=マシラの略」、また「マサル[真猿]=サル。マは接頭辞」と解説しています。
サルにちなんで「敵もサルもの、ひっかくもの」という表現があります。このサルは、「(負けて)立ち去る」姿ではありません。「サの姿にナル」、「サ[矢]のようにスットブ、トビカカル」姿です。
前記モウスに当てた漢字形[申]は、日本漢字音シンでs-音をもち、もとはイナズマ(電光)をえがいた象形文字。デン[電]やシン[伸](のばす)の原字。さらに、動物名としてはサル[猿]をあらわします。
このように見てきますと、日本語の動物名「サル・マシ・マシラ」は、英語mouse、mice、muscleと発想法がおなじ。マシラとは、森にマシマス[坐]マシラ[猿]が人間にマサル[勝]筋力ワザを見せることによる命名かと思われます。

マスラオは、筋肉隆々の男子
マスラオ[益荒男]はモノノフ[物部・武士]とならんで、上代語として成立しています。
モノは武器のことなので、モノノフといえば武装した男子をさします。マスラオは、漢字で[益荒男・丈夫]などと表記されますが、もともと「成長して、マスマス筋骨隆々となりマスル男子」の意味です。マウスmouseやマシラ[猿]の人間版のコトバ。
英語では、muscular(たくましい)の姿。また、いまどきの感覚でいえば、「キン肉マン」にピッタリのコトバです。

筋肉をマサグル、マッサージ
マスラオは、筋骨隆々の状態を維持するため、たえず筋肉をきたえる一方で、ときどき筋肉をマサグリ、コリをモミホグスことも必要。その作業がマッサージです。
マサグルは、マ[目]サグル[探]とも解釈できそうですが、辞典には漢字[弄]を当てています。つまり、目で見てサグルのではなく、手でマス[摩](こする、もむ)こと、モテアソブことです。緊張した筋肉をときほぐし、弾力性をとりもどす効果があります。
英語のマッサージmassageは、もとアラビア語がフランス語経由で英語にはいったようです。このm-s音は、按摩のマやマシラ[猿]のm-s音とも関係があるかもしれません。

2011年5月24日火曜日

「奥村さんのブログ」から「m-s音語」まで

奥村隆信さんの年賀状


 

ANの会コンサート

託法寺の円空仏


 

かんぽの宿玄関先


奥村隆信さんのブログ
ことし正月、奥村隆信さん(富山国際学院の校長先生)からいただいた年賀状に「身はたとひシニアの境に入りぬとも夢幻を追ひや求めむ…今年10月に高齢者の仲間入りをします」とありました。数年まえからブログを公開しておられ、ブログ1年生のわたしにとっては大先輩です。
その奥村さんがブログ「日本語教師・奥村隆信ひとり語り」(2011.5.12)の中で、「イズミ オキナガさんのブログのご紹介」してくださいました。
「泉先生は僕の父親くらいの年齢で…私なりに理解できた範囲でまとめると、言語間に共通の・音韻(音素)による意味弁別性があるのではないか、ということになるでしょうか…人間の発声器官・発音方法には人種共通に「限界」もあるわけで、そんなことも合わせ考えると、イズミさんの仮説、確かに説得力あります…。チョムスキーの普遍文法と同じで、人類が言語を獲得して以来の・人類に生得な音素DNAってあるのかもしれませんね」
大学院でまともに言語学を専攻された研究者から、こんなふうに評価していただけるとは、考えてもいませんでした。正直いってうれしいです。むかし、中国語学会の年次大会で「象形言語説」にかんする研究発表を十数回つづけた経験がありますが、初期のころは用語などの技術的なミスで落第。後半は、おもに言語観の段階で対立し、議論がかみあいませんでした。「いっしょに相撲をとれる土俵がない」といわれたこともあります。かくれキリシタンのような支持者はいましたが、公然と支持するのははばかられたようです。
その日本が、「小学校英語必修化」の実施段階にはいりました。このあと、学界をふくめて日本人の言語観がどんなふうに変化するか、見とどけたい気がします。いや、そのまえに、わたしのほうがこの世から姿を消しているかも。

ANの会コンサート
5月6日、南砺市の杉原茂さんから「第17回ANの会コンサート」の入場券をそえて案内状がとどきました。
「同封のコンサート、お暇でしたらお出かけください。小生の家内も75才ですが、初回から同コンに出ております。家内は最年長ですが、"好きこそ物の…"でかかわっています。なお、小生は同日旅行で、同コンに行けません」
わたしのところも、当日は前記のとおり、信子の母加藤恵明さんの法事(第2部)が予定されており、信子は動きがとれません。わたしひとりだけでコンサートに行くことになりました。会場は満員の盛況。予想どおり、ほとんどが女性でした。出演者の衣装も、第1部歌曲集「智恵子抄」では和装、第2部世界の歌では洋装。合唱にくらべて、ソロで歌われる方が堂々として、風格を感じました。楽譜もよめないわたしですが、たのしい思いにひたることができました。あわせて、富山県の女性たちの健在ぶりを感じさせられました。

託法寺の円空仏
もともと杉原茂さんと知りあったのは、富山県退職教職員協議会の会合の席です。2007年総会の席で、会長だった杉原さんが「円空仏」を話題にされたのがきっかけ。9月7日、「魚津・託法寺円空仏」の写真を送ってくださいました。送り状に「最近、県外の社寺ばかり回って県内の仏像に目を向けていないことを反省し、これからは先ず近くの仏を調べて拝観したいものと念じております。お盆には、魚津の円空仏をたずねて感動しました」、また、同封写真のうらに「託法寺円空仏。元禄初期?作(1688~)」と記されていました。

恵明さんの法事第2部
わたしがコンサートを聴きに出かけたあと、信子は妹の西田恵美子さんといっしょに光厳寺で墓参りを済ませ、こんどは姪の藤木美織さんの運転で、姉の土地数枝さんとともに馬瀬口の梅香庵へ向かいました。
ここでアンジュ[庵主]さんにお経をあげていただき、3姉妹そろっての法事第2部がつとめられたわけです。

かんぽの宿
法事のあとは、羽根の「かんぽの宿」でナオライ。日本の習慣として、お祭りや法事のあとにナオライ(関係者一同で飲食)がついてまわります。このナオライが済むまでは、お祭りが終わったといえないようです。法事も、一種のお祭り。恵明さんの法事も、3姉妹そろっての会食=ナオライでようやく完結できました。

再論、「m-s音のコトバ」
あわただしい1週間が過ぎました。ブログやら、コンサートやら、法事やら、あれこれマゼコゼになって、モタモタしましたが、これでどうやら一件落着。
それはそれでよいのですが、じつはわたしの頭の中で、まだ落着してない一件がありました。それは、前回「マセグチ[馬瀬口]の地名由来」の項でとりあげたm-s音語のことです。
日本語では、2音節の動詞マス[坐・増]、マズ[雑]、ミス[見]、ムス[蒸・産・咽]、メス[見・召・食]や、名詞マス[枡・鱒]、マシ[猿]、マセ[馬瀬・老成]、マソ[真麻]、ミソ[御服]、ミゾ[溝]、ムシ[虫]、モズ[百舌鳥]、数詞ミソ[三十]などが成立しています。これらのm-s(z)音語は、相互に同族関係にあるといえるかどうか?それが気にかかっていました。
漢語では、上古音でm-t,m-dの音節が成立していましたが、m-s音は成立していません。現代漢語では、語尾の子音は-n, -ngをのぞき、すべて脱落、母音終止となっています。

mouseは muscleのmass
英語では、どうなっているでしょうか?辞典では、m-sタイプの語根はm-s-だけで、基本義は「ネズミ。また、筋肉」、派生語はmouse(ネズミ), mice, muscle(筋肉), murine(ネズミ科)など、と解説しています。

ここで、ネズミを「筋肉のカタマリ」と見ていることに注目しましょう。カタマリといえば、mass(粘性のある物質のカタマリ)もm-s音のコトバです。「集まってカタマリになる」という意味の動詞用法もあります。
mouse(ネズミ)と muscle(筋肉)が同源語だというのなら、ムス[蒸・産・咽]とムシ[虫]だって同源語と考えてよいはずです。タマゴ→サナギ→チョウ[蝶]とムス作業をくりかえす生命体がムシ[虫]なんですから。

マス[枡]でmassのマス目を measureする
ひょっとして、日本語のマス[枡]と英語のmass(カタマリ。集積)、measure(マス目。分量)なども、同源かもしれません。「お金なら、マスで量るほどある」などというように、マスやmeasureはそれ自体が一定の「カタマリ、分量」としてマス[坐](存在する)からこそ、それを単位として穀物や液体の量をはかることができるわけです。
マッサージmassageは「西洋風のあんま」ですが、もともとmuscle(筋肉)のmass(カタマリ)をモム、マサグル、マサツ[摩擦]する作業です。

2011年5月10日火曜日

馬瀬口の尼寺

サクラが咲きました


加藤恵明さん


天満宮


供養塔


「梅香庵」の扁額


お仏壇


ランちゃんもおまいり


おつかれさま



 

サクラが咲きました
2月22日、ニュージーランド地震で富山外国語学校生徒が被災。つづいて3月11日、東日本大震災、そして福島原発事故レベル7。「国破レテ山河在リ…」といいますが、こんどの大震災で、その「山河」もずいぶん痛めつけられました。

それでも、4月にはいってサクラが咲きました。恒例のチンドンまつり行事は中止になりましたが、いたち川べりの遊歩道は花見の人たちでにぎやかでした。

加藤恵明さん50回忌
信子の母加藤恵明さんには、2男5女、あわせて7人のこどもがいました。そのうち、いま生き残っているのは5女の数枝、6女の信子、7女の恵美子、3人だけです。
「加藤のばあちゃんの50回忌をやりたい」といいだしたのは、姉の数枝ちゃんです。
土地数枝、ことし92歳。数年まえ交通事故にあい、手足が不自由。いまも車いすでしか移動できませんが、目も耳も正常。入れ歯がきらいで、食事に時間がかかりますが、おしゃべりは達者です。

いい加減な計画
50回忌の話は出たものの、いつ・どこで・どんなふうにするか、具体的な計画がなかなか決まりません。そこへ東日本大震災が発生。富山でも、地震を感じました。これでは、法事どころでない。50回忌はしばらく延期しようかという話も出ました。しかし、ここで延期して、いつならできるというら保証もありません。せっかく思いたったことだから、はじめの計画にそって準備をすすめようということになりました。
期日は4月14日、または5月15日。場所は光厳寺、または馬瀬口の尼寺。
たしかに「いい加減な計画」ですが、それなりの理由があります。法事をつとめる3人の娘と3人の孫娘には、それぞれ「家庭の事情」があり、調整がむつかしい。適当にルーズな計画の方が「ちょうどよい加減」ということもあります。

馬瀬口の尼寺
加藤家は代々光厳寺の檀家ですが、じっさい毎月オトキ[斎]にまわってこられるのは馬瀬口の尼寺のアンジュ[庵主]さんです。
信子の話では、いまのアンジュさんは小さいころ、まえのアンジュさんにつんだって、檀家まわりに来ていました。だからいまでも、気がねなしに話ができるといいます。
光厳寺までは、歩いて10分ほど。馬瀬口の尼寺は、車でも20~30分かかります。
こんどの法事も、はじめは光厳寺でお願いする予定でした。ところが、だんだん話を聞いてみると、光厳寺の住職さんは能登の寺と兼務なので、とてもいそがしいご様子。よほど重要な法事でないかぎり、住職さんに時間をあけていただくのは無理らしい。お彼岸に、お墓まいりかたがたお寺をのぞいたときも、だれも人がいる気配がなかった…
もともと身内だけで、こじんまりした法事をと考えていたので、すこしとおくても馬瀬口の尼寺のほうがよかろうという結論になりました。

尼寺は天満宮わきに
4月14日、馬瀬口の尼寺「梅香庵」で加藤恵明さんの50回忌がつとめられました。
出席したのは、加藤富美(長男康正の妻)、土地数枝、泉信子、伊藤淳子(次男子規の長女)、藤木美織(数枝の長女)、それにわたし。「女の中に男がひとり」でした。
この日が法事の第1部で、このあと5月15日、西田恵美子さんが出席して第2部という2部構成です。

尼寺「梅香庵」は、天満宮のとなりにひっそりと建っていました。天満宮の方は、りっぱな鳥居や社殿があり、天然記念物に指定されたサルスベリ[百日紅]の巨木もあって、だれの目にもすぐわかります。尼寺の方は、寺院独特の高い屋根が反りかえっているわけでもなし、ここに寺があるとは気づかずに通りすぎる人がおおいかもしれません。

お仏壇と扁額
外見は普通の住宅のようでしたが、中はさすが尼寺、お仏壇はじめ部屋の照明装置まで金色にかがやき、まったくの「別世界」が出現していました。「梅香庵」と書かれた扁額も印象的でした。

供養塔 
尼寺の入り口に、供養塔がひとつ建っていました。アンジュさんの話では、加藤平助さん(恵明さんの夫)が寄進されたとのことですが、くわしい話は聞きそびれました。
恵明さんは加藤家の次女でしたが、こどものころなにかの事情で、いちどこの尼寺にはいりました。「恵明」という僧名は、そのとき以来のものです。
長女のミキさんは、馬瀬口の田近家次男平助さんをむかえて結婚し、二人のこどもがいました。そのミキさん亡くなられたため、妹の恵明さんが呼びもどされ、後妻さんにおさまったということです。供養塔の建立はそのことと関係しているようです。
こんどの法事をとおして、忘れられていた加藤家の歴史の一部が見えてきた感じがします。

ランちゃんもおまいり
こんどの法事には、シーズ犬のランちゃんも参加しました。ランちゃんは、伊藤淳子さんのペット。外出するときは、いつも女の子らしい衣装を身につけます。住所は東京ですが、JRで、あるいはマイカーで、なんべんも東京と富山を往復。富山へ来ると、イズミ宅にあずけられるのが習慣です。人なつこく、甘えん坊。おとなしく、めったにほえません。
尼寺では、アンジュ[庵主]さんがお経をあげているあいだ、土間でじっとオスワリしていました。オツカレサマ。そのあと、たたみの上でゆっくりオヤスミでした。

マセグチ[馬瀬口]の地名由来について
わたしも信子も、馬瀬口の尼寺をたずねるのは初めて。興味津々でした。しかし実をいうと、わたし自身一番の関心事は、マセグチ[馬瀬口]という地名そのものでした。マセグチは、もともと地形名でしょうか?地形名だとしたら、どんな地形の名前でしょうか?
まず「広辞苑」でmase, maze音のコトバを調べてみました。
マセ[老成]ませていること。早熟。
マセ[籬・笆]①竹・木などで作った、低く目の粗い垣。ませがき。まがき。②劇場のマス[枡]の仕切り。
マゼ[雑・交]「まぜもの」の略。雑ぜ入れる物。
マゼ[接尾]間をおくこと。
マセゴシ[籬越]ませ垣を越えてすること。
マセル[老成]年齢の割におとなびて見える。
マゼル[交・雑・混]入れ合わす。まじえる。

地名辞典(「角川・日本地名大辞典・富山」)の解説も調べました。
マセ[馬瀬]ウマノセとも読む…地形が南北に細長く馬の背に似ているところから馬背と称したが、のちに馬瀬となった。

イズミ式解釈では、こうなります。基本になるコトバは動詞マス[座・坐・増・益]で、基本形そのままの名詞用法がマス[枡]=命の親(穀物・水・酒など)がマシマスところ。また、動詞マスの連用形兼名詞形がマセ[籬・笆](ませ垣)。マス[枡]の「仕切り部分」やマセ[馬背]とおなじ分水嶺型です。
マセ[老成]とは、男子席・女子席を仕切るマセ[籬・笆]を意識してふるまうこと。
マセ[籬]を越すことは、やがてマジル・マゼル[交・雑・混]こと。男と女がマジル・マゼルことは、やがてあらたな生命が生まれること、つまり家族が一人マス[増]ことにつながります。

用水の取り入れ口
マセグチ[馬瀬口]の地形に当てはめて、考えてみましょう。ここは、常願寺川扇状地の扇頂部。常願寺川から分流するいたち川や常西合口用水などの取り入れ口にあたります。
用水取り入れ口の事故は、氾濫という大災害につながります。必要かつ十分な量の用水を安全確実に取り入れるため、そこにどんなマス[枡](取水量計算装置)やマセ[籬](堤防など、防御装置)を設定すればよいか、綿密に計算し、設計施工されてきたはずです。