2011年9月6日火曜日

ナデシコと「五七五」とアバレ川 


ナデシコ


 奥村さんのブログ「五七五」


 イカラシ川増水
asahi.comより借用

アッパレ、ナデシコ ジャパン
7月17日、「なでしこジャパン」がFIFA女子ワールドカップ決勝でアメリカを破って初優勝。くらいニュースがつづく中で、日本全国民に勇気と感動をあたえました。アッパレです。そしてさっそく、こんどはオリンピックをめざし、アジア最終予選でタイ(9/1)と韓国(9/3)に連勝しました。それにしても、ナデシコとか、ヤマトナデシコとか、よく聞く名前ですが、実物を見た記憶がありません。どんな花か、じぶんの目でたしかめたいと思いました。
それから数日、町内の中島松鶴堂さんまえの花壇で見つけました。かわいい花で、つつましい感じ。ひとめ見るなり「これがナデシコではないか」と直感。すぐさまケイタイのカメラにおさめました。あとで奥さんにたずねましたが、まちがいなし。「花が咲いているのは数日だけ」とのことでした。念のため、ナデシコをネットで検索してみました;
①ナデシコ科の多年草。山野に自生。夏から秋、淡黄色の花を開き、花びらの先は細く裂けている。秋の七草の一。とこなつ、かわらなでしこ、やまとなでしことも。
②襲(かさね)の色目の名。表は紅梅、裏は青。一説に、表裏ともに紅色。夏に用いる。
③紋所の名。ナデシコの花と葉を取り合わせて図案化したもの。
④撫でるようにしている子。愛児。植物のナデシコと「撫でし子」を掛けことばにしていうことが多い。

アッパレ、アワレ、「五七五」
奥村隆信さんのブログについては、このブログでも数回(5/24, 6/21, 7/19)ご紹介しましたが、わたしはずっと毎日奥村さんのブログをのぞいては、一喜一憂しています。とりわけ「五七五」(俳句風作品)を読むのが楽しみです。アッパレで、アワレです。奥村さんの8/28ブログ「五七五」(「癌日記」より)の中からかってに数句えらんでご紹介します。
6/22 大患(たいかん)の身はさりながら蚊のかゆみ
7/22 生きる意味問はるる夏を過ごしをり
   思ひきや 点滴スタンド 夏の供(とも)
   かくなれどもう二夏(ふたなつ)も生きばやな
   夏の花 生老病死(しょうろうびょうし)うつしけり
   生き生きて夏 死に至るは どの季節
7/26 遠花火(とおはなび)がん患者にも届きけり
   葬列のイメージしきり夏深更
8/13 爆と発。Hiroshima、Nagasaki、Fukushimaと
   生きるとは 死ぬとは何か せみしぐれ
   アルプス席 いくたりありや 癌患者

アワレ、アワレ、アバレ川
つぎつぎ災害報道がある中で、いまやっととりあげる失礼を、お許しください。
7月29日からの記録的な豪雨で、新潟県三条市の五十嵐川や魚沼市の破間川などの堤防決壊が相次ぎ、流域の住民に避難指示が出されたとのこと。被災者のみなさまに、おくればせながら心からお見舞い申しあげます。
実は、テレビで新潟県水害発生のニュースを見ていて、画面に「アブルマ[破間]川」、「イカラシ[五十嵐]川」と表記されているのを見たとたん、「あっ、これは?」と思いました。 
「アブルマ[破間]」も「イカラシ[五十嵐]」も、もともと人間と自然災害との戦いの中で生まれた地名ではなかろうかと気づいたからです。さっそくウェブで調べてみました。

アブルマ[破間]川 新潟県魚沼市を流れる一級河川。信濃川水系魚野川の支流。
アブルマ[破間]川ダム 魚沼市(旧北魚沼郡入広瀬村)、破間川に建設されたダム。高さ93.5メートルの重力式コンクリートダム。洪水調節・不特定利水・水力発電を目的とする。新潟県営。魚野川は急流…古くから水力発電所の建設が進められていたが、治水に関して堤防整備以外は行われておらず水害が頻発。とくに1969年8月の集中豪雨で深刻な被害…新潟県が多目的ダムを破間川に建設することを計画。1973年に着手、1986年に完成。
イカラシ[五十嵐]川  新潟県三条市を流れる一級河川。信濃川水系。イカラシと発音する。7年前の豪雨でも決壊。死者2人、不明4人。名称の由来:三条市下田地区周辺は、第11代垂仁天皇の第8皇子「イカタラシ[五十日足]彦命」が開拓したと伝えられ、その子孫が「五十嵐」をなのるようになった。「五十嵐」は、豊作をもたらす「五風十雨」を意味する。五十嵐神社の祭神が「五十日足彦命」。神社の立つ丘が「五十日足彦命」の陵墓とされる。また、アイヌ語由来説もある。物見をするような見晴らしの良い場所を「インカルシベ」といい、北海道遠軽町などの地名として現在も残っている。流域の小山「要塞山」が「インカルシベ」だろう。

地名にこめられた意味を考える
こんどの水害は、「破間川」や「五十嵐川」という地名と直接関係がないともいえます。しかし、アブルマ川に[破]が当てられ、イカラシ川に[嵐]が当てられていることから、もともと洪水災害との関係をしめす地名だったことも想像できます。
<イズミの解釈> 「アブル」も「イカラシ」も、いちおうヤマトコトバですから、ヤマトコトバの音韻組織原則にしたがって解釈する方が、合理的で、わかりやすいと思います。アブルマはアブル[破]マ[間]で、「(川の堤防が)ヤブレ、(水流が)アフレル空間」。アブルaburuは、アフル[溢]afuruと同源で、またヤブル[破]yaburuの語頭y-音が脱落した音形とも考えられます。いずれにしても、「矢がフレル、フエル、flolwする」、「ヤブレル、アバレル、breakする」姿です。ア=ヤ[矢]=飛ぶもの、流れるもの。ヤマトコトバでは、川(の流れ)・峡谷なども「ヤ」と呼んでいます。たとえばイチガヤ[市谷]・カリヤ[刈谷]・クマガヤ[熊谷]・シブヤ[渋谷]・ヨツヤ[四谷]など。
 イカラシ=イガラシ=五十嵐。動詞イク[射来・行・生]から、イカ・イカル・イカラス・イカラシなどの派生語が生まれたと考えられます。漢字は、すべて当て字。参考にはすべきですが、コトバの意味を決定するものはコトバの発音そのものです。イカ[烏賊]は、イクもの。水中を矢を射るようにイク生物。人工のイカがイカダ[筏]。イカ・イカニ・イカサマなどのイカ[如何・何如]は、「矢が鋭く速くイク[射来]」姿へのおどろきから、疑問の意を生じたもの。イク・イクツ・イクラ・イクバクもおなじ。イカヅチは、イカのチ[霊道]で、カミナリのこと。また、イナビカリのことか。太陽を「空をイク矢=イカ」と見れば、イナビカリ=イナヅマ=イカヅチ=太陽光線。[五十日]と書いて、イカと読むのは、ヤマトコトバと漢語・漢字とのアソビ(カケアイ漫才のような)。漢語で[五十]は[百]の半分の数。モモカ[百日]をイク[射来](割りこむ)ことで、イカ[五十日]になる計算。モモ[桃]とイカ[烏賊]という珍味の食材をひっかけたコトバ遊び。
さきほど引用した解説に<「五十嵐」は、豊作をもたらす「五風十雨」を意味する>とありましたが、それは順調な気候をいのる立場からの解釈でしょう。<現実には天のイカリ[怒]がアラシ[暴風雨]となり、作物をイカラス[射枯]というアワレな事態になったことを記憶し、警告するもの>と解釈することもできると思います。もちろん、イカラシ「五十嵐・射枯」が洪水につながり、そのあとに広大で肥沃な田地が生み出され、そこを「イカタラシ[五十日足]彦命が開拓した」というアッパレな事実もあったことでしょう。

2011年8月23日火曜日

敗戦記念日に思うこと 




北日本新聞記事   2011.8.14.


北日本新聞記事のこと
8月14日付の北日本新聞に「あの夏…戦争とやまの証言者」という特集記事がのりました。社会部・小林大介さんの署名入り記事。地図や写真を添え、特大の見出し語を読むだけで、ほぼ内容が分かるようになっていました。つまり、(1945年8月15日)「砺波の岡部さん、富山の泉さん」(の2人が、それぞれ)「海外で玉音放送」(を聞き)、「喪失感」(におそわれたが、同時に)「逆境を克服し、復興を誓った」というお話です。

実は、むかし「コトダマの世界」を発表した時にも、文化部記者だった小林さんから取材を受けた記憶があります。それで、8月2日に取材に来られた時も、質問されるまま、あれこれ気楽におしゃべりしました。とりわけ8月15日、日本が無条件降伏したあと、蒙彊派遣軍司令官(根本博)独自の判断で、張家口地区の在留邦人の引揚を完了するまで戦闘態勢をくずさなかったこと。そのおかげで、東北(旧満州)地区からの引揚者たちのような悲惨な目にあわずに済んだこと。それだけ、非常事態に対する指導者の判断・決意が国家・社会の命運を分けることになるという思いを語りました。また、「天津の貨物倉庫で、若者たちが挫折感を感じながらも、祖国再建の道を毎日論じ合った」、あのころが日本の民主主義元年であり、戦後半世紀以上をすぎた今も、その点ではすこしも進歩していないと思われることなども指摘しました。

新聞記事の内容は、一言一句、わたしの発言を正確にとらえています。その上で、わたしが話した内容を取捨選択し、これだけコンパクトな読み物にしあげるとは、さすがプロだなと感心させられました。

岡部昇栄さんとは、直接お目にかかってお話した記憶がありません。しかし、「県議を経て、砺波市長になった」ことは知っていました。また、1985年に「日中友好富山県民の翼」(団長・中沖豊知事以下百六十余名)が遼寧省を訪問したおり、岡部さんが副団長兼総秘書長を務められ、わたしも事務局の一員として参加させていただきましたので、なにかとお世話になったことはまちがいありません。

「敗戦」と「終戦」
新聞でもテレビでも、みんな「終戦記念日」といい、「敗戦記念日」とはいわないようです。しかし、わたしはあえて「敗戦」というコトバを使うことにしています。だって、「戦争を終えた」のではなく、まちがいなく「戦争に敗れた」のですから。「敗戦」という現実から目をそむけて、「終戦」というコトバでごまかすようないい方には賛成できません。

2011年8月2日火曜日

ブログ開始1周年

いたち川、2011. 7 (雪見橋下流)

アオサギ、2011.8.

あれから1年
2010年8月3日、ブログ「いたち川散歩」第1号を発行してから、ちょうど1周年になります。三日坊主になりそうなところが、よくまあ続いたものだとも思います。ぎゃくに、はじめ考えていたことが、いざ動きだすと、どうもハカがゆかず、見当ちがいの方向へ進んでいないかと心配になることもあります。
このへんでいちど点検しておこうかと思います。

年年歳歳
「年年歳歳 花は相似たり、歳歳年年 人は同じからず」(唐・劉希夷)。
たしかに、いたち川べりの景色は、昨年も今年も変わりないようです。カモやアオサギも、姿を見せてくれます。ただし、このまえブログで紹介したカモ一族やアオサギ君とおなじカオブレなのか、交代したのか、たしかなことはわかりません。
わたし自身のことを考えると、ずいぶん変わりました。毎日散歩はつづけていますが、散歩の距離や時間は半分ほどになりました。それだけ体力が落ちたということでしょうか。これだけでは、どう見ても運動量が不足です。森光子さん(たしか、わたしと同年)がスクワットをしているときいたので、わたしも自己流でやりはじめたところです。

サブタイトルを追加
「いたち川」という名前がおもしろいと思ったので、ブログのタイトルを「いたち川散歩」としました。そのご、「いたち川」をネットで検索したところ、横浜市にも「いたち川」が流れていることが分かりました。さらにブログ「秋のいたち川小景・生涯学生気分」(2008.11.2.)で、「イタチ=イデタチ説」を知りました。とりわけ、兼好法師が「イタチカハ」を読みこんだという歌に共感しきり。そこで9/7「イタチごっこの川」以後、「いたち川散歩」のサブタイトルとして「行雲流水・イタチ・イデタチ・STARTING」を追加することにしました。

行く雲、流れる水
この1年間、いろんなテーマをとりあげ、「散歩」してきました。8/10「お地蔵さんの水」、8/24「いたち川命名の由来」、8/31「川にゆかりの地名」などで「いたち川」周辺を回りつくし、さらに9/7「イタチごっこの川」では、常願寺川や神通川との関係をとりあげ、「両大河川がイタチごっこの関係にあり、双方をつなぐいたち川が立役者の役を果たした」という解釈を披露しました。もともと地理学とはまったく門外漢の老人のヒトリゴトです。
10/26「まぼろしの文化財」では、山室中学校下の專立寺で「康熙皇帝勅諭」(朝鮮国李王宛)を発見した時の思い出を語りました。
東日本大震災のあと、3/22「伊達直人はダテ男」では「危険防止のタテ[楯]」、「役に立つ立役者」、「ダテさんのイデタチ目立つ」など、t-t音の語感を追求。また、4/12「コク[扱]・コク[穀・谷]・COCK」では、日漢英k-k音の基本義を追求。さらに5/10「馬瀬口の尼寺」から3回にわたって、マス[枡・坐]・マズ[交]・マセ[馬瀬]・ムス[生・蒸]・ムシ[虫]、mass, massage, mouse, muscle, measureなど、日英m-s音語の対応関係を話題にしました。
このブログは、「行雲流水」、「足の向くまま、気の向くまま」。いつ、どこへ向かってstartしたのか。どこでstopして、いつまでstayするつもりか。まわりの人には、さっぱり見当がつかない。そういう面があるようです。投稿した本人は、自分なりの コンパスを用意し、それなりの自信をもってブログをつづけているつもりなのですが。

並行して「七ころび、八おき」を発行
もともと「象形言語説」や「現代日本語音図(試案)」などについて提案し、いっしょに考え、討論していただける場ができればと思ってはじめたブログです。ただ、いきなり「音韻比較」とか「音図」とか言っても、だれも話を聞いてもらえそうもありません。それで、とりあえず「散歩」の話からはじめることにしました。
2010年10月から、「いたち川散歩」と並行してブログ「七ころび、八おき」を発行することにしたのも、同工異曲、もとはおなじ趣旨です。サブタイトルは「わたしのリレキ書。イキザマ90年の記録」 これを読んでいただくことで、わたしが「日本語・漢語・英語の音韻比較」や「現代日本語音図づくり」などの作業にのめりこんでいった心理経過をわかっていただければと願っています。

このあとの予定
「七ころび、八おき」も、もうすこしで一段落します。そのあと、いよいよ念願のブログ「コトダマの世界」(仮題)を立ちあげる予定です。ここではずばり、「日漢英の音韻比較」、「象形言語説の設定と検証作業」、「V. H. Mair教授の助言」、「日漢英共通音図試案」など、わたしの研究のあゆみについて報告いたします。
できれば・日本語(国語)・中国語(漢語)・英語などの研究者の方々にもご覧いただき、なにかご指導・ご助言いただければと願っています。

2011年7月19日火曜日

奥村さんのブログに思うこと

奥村さんのブログ

療養手帳

入院診療計画書

奥村隆信さんブログを再開
癌の手術で入院され、途切れがちだった奥村隆信さんのブログが再開されました。
6月28付ブログ「癌日記」は「ケータイからの記事投稿」で、「手術は無事終わりました」とのこと。その末尾に一句、「とほほわれ 六十四の梅雨 おむつかよ  胃無斎」
7月9日になって、「近況ご報告」として長文のブログを公開。そして五七五作品も。
半夏生ナースの二の腕なまめけり
梅雨空に放屁三発、 I Did It !
われもまた ホモサピエンス せみを聴く
奥村さんの、この生命力に脱帽しました。そして、すこし安心しました。
[追記]奥村さん7/15ブログ「今日から抗がん剤開始」に、こうありました。
手術後3回目の入浴
わが姿 理科室標本 夏日射す
バスタブで屈葬真似てる夏の風呂
ゆらゆらり 骨皮筋右衛門 散文の夏

ヒトとしてのイキザマ
奥村さんのブログを読んでいると、次回もつづきを読んでみたい気になります。それは、そこに奥村さんの人柄とか、イキザマみたいなものが見えてきて、引きつけられるからでしょうか。イキル[生]とは、イキ[息]をすること。イキザマとは、イキの仕方。どこで、どんな空気を、どんな方法で呼吸するかです。奥村さんは、生死を分ける手術を受けながら、そのときの自分のイキザマを客観的にながめ、記録して、見せてくれます。そのかげに、「最期まであきらめないど根性」、「底ぬけの楽天主義」が感じられます。
こんどの手術で「胃を全摘(脾臓・膵臓も)」されたとのことで、これからの食生活が大変だろうと思います。それでも、呼吸器官の方はご健在のようなので、「これを機会に1日1刻を大切に生きて」いかれること、そしてまた引きつづき「奥村流五七五」を量産し、読者を楽しませていただけるものと期待しています。

イキザマとイキガイ
奥村さんのブログのタイトルは「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」となっています。このことからも、「日本語教師」が奥村さんのイキガイになっていることが分かります。
わたしの勝手な想像ですが、奥村さんはまずご自身が日本語のおもしろさのトリコになり、やがて「日本語のおもしろさを外国人にも伝える」ことがイキガイとなったのでしょう。
いいかえれば、そのイキガイが奥村さんのイキザマを決めたということでしょうか。

入院40日間の思い出
奥村さんのブログを拝見して、ただただ感服するばかりでしたが、そのあと「自分はどうだったろうか」と反省させられました。
わたしは奥村さんとちがって、もともと胃腸がよわく、しょっちゅう病院に通っていました。それでも、なんとか91才まで生きのびてきました。自分で考えてもフシギなくらいです。死を覚悟したことは、何回もあります。ただ運よくすりぬけただけでしょう。その一つが、2003年、83才のとき、「右顔面神経麻痺」で40日間入院したことです。
12月29日朝、洗顔のときカガミの中の自分の顔を見てビックリしました。右目が垂れさがり、クチビルがひんまがっているのです。すぐさま脳神経外科塚本病院に駆けつけ、30日から入院、40日間療養することになりました。病院では、「高気圧酸素療法」を20回ほど受けました。この療法のおかげで命びろいしたのかなと感じています。

朝夕、カラスの渡りを見る
入院中は、毎日「高気圧酸素療法」、「点滴療法」、「物理療法」などのスケジュールが組まれていて、その途中に空き時間があります。個別にテレビを見る人も多数おられましたが、わたしはテレビを見ないことにしました。そのかわり、新潮文庫の1冊「隠された十字架…法隆寺論。梅原猛」を読むことにしました。「分厚い本で、数行読んだら眠くなりそうな本」。つまり眠り薬がわりに用意した本です。寝る子は育つ。入院中は、シャバのことは一切わすれて、ひたすらネムルことにしよう。あきるほど眠ったら、イノチがヨミガエルかもしれない。そう考えました。
病状が安定したころ、病室が2階から3階へと移りました。ベッドに寝ながら、ひろいガラス窓から空を眺めることができました。そのうち、あることに気づきました。雲以外は、ふだん何にもない空ですが、朝方と夕方のいっとき、カラスの群れが大空を渡るのです。朝方は、西の空から東の空へ。夕方は、東から西へ。どこか西の方に、ネグラになる森があるのでしょうか。童謡「夕焼け小焼け」の中の「カラスといっしょに帰りましょう」というフレーズを思いだしたりしていました
。

2011年7月5日火曜日

「ヒトと生まれて人間になる」

竹部俊恵さんの講演から

入場券

石像群

水面に浮かぶ美術館

記念講演

「言葉の花束」

いっぷく{百河豚}美術館を見学
6月30日(木)、宇奈月のホテル渓仙で開催された「第36回富退協総会」に参加しました。
富山からバスで宇奈月に向かう途中、下新川郡朝日町不動堂のいっぷく{百河豚}美術館を見学しました。
「いっぷく{百河豚}」という名前、一風変わっていますが、もとは創設者青柳政二の雅号だったとのことです。自分の体重が河豚百匹分だったので、ヒャクフグ「百河豚」。フク料理をタラフク食べ、美術品をながめてイップク{一服}できる時間が最高なので、「百河豚」と書いてイップクと読むことにしたそうです。
屋外にある石像群のまえに立っていると、遠い異国へのあこがれみたいなものを感じます。
本館は、ひろい水面にかこまれた島の姿。「宝島」のイメージです。睡蓮もうつくしい。
こんな場所に、これだけの作品をそろえた私立の美術館が存在すること自体が驚きです。

「第36回富退協総会」に出席
会場につくと、坂田勲会長・森田博事務局長はじめ役員のみなさんで会場づくり。午後3時から、総会がはじまりました。ことしの総会出席者は、計27名。さくねんの総会(ゆーとりあ越中)出席者19名にくらべ、大幅増です。
「富退協」は、昨年の総会で会長はじめ役員が交替したのを機会に、組織を点検し、あらたな組織づくりに取りくんでいるようです。ことしの総会では、議事の運び方や、記念講演の講師選定、また懇親会の進行など、いたるところで、あらたな企画や工夫のあとが見られました。

なぜか男性ばかりの「富退協」
「富退協」というのは、「富山県退職教職員協議会」の略称。つまり、富山県小中学校の元教職員たちの団体です。この種団体には二つの流れがあり、一つは(財)富山県教職員厚生会の「退職会員の組織」、つまり体制側の組織。もう一つが富山県教職員組合と連帯関係にある「元組合員の組織」、つまり「富退協」です。
わたしは都合がつくかぎり、どちらの総会にも出席するようにしてきましたが、最近は体調を第一に考えて、出欠をきめるようにしています。
ところで、この「富退協」という組織。じつは会員がすべて男性ばかりという状態がつづいています。「女性は天の半分をささえる」というコトバがありますが、いま小中学校の職場では、「天の大半」をささえている時代。「富退協」の組織実態は、あまりにも異常です。この点についても、こんどの総会で、あらためて話題にされました。

竹部俊恵さんの講演
温泉もよかったし、懇親会もたのしかったですが、わたしにとって一番の収穫は、竹部俊恵さんの講演を聞かせていただいたことです。竹部さんは「ヒトと生まれて人間になる」というタイトルで、ご自身の人生体験、イキザマを語られました。
前出町中学校長で、浄土真宗大谷派横浜別院輪番。「知った人から頼まれると、断れない性分なので」(もともとご近所同士の森田事務局長から頼まれたので)、はるばる横浜から飛行機を乗りついで、この「富退協総会」に駈けつけられたそうです。総会翌日も、朝の一番電車で富山へ、そして飛行機で羽田へ向かわれたとお聞きしました。頭が下がります。

「言葉の花束」
講演の資料として配布された「出中だより」の巻頭言「言葉の花束」から、一部引用してご紹介します。
「私たちは、自分が生きる時代を、自分では選べませんが、どのような時代に生きようが、その時代の中で、様々な人や出来事に出会い、その中から教えられていくことは変わりません。特に、人との出会いは、その人が発した言葉との出会いです。言葉は聞こうとすれば、言葉の花束として私に届けられ、私を育てます。これから、60年間に私がいただいた言葉の花束の中から、いくつかを紹介します。」
≪大学時代≫
「どこで学んだかじゃないんだ。何を学んだかなんだよ」(大学の先輩)
「人生は、やり直すことは出来ないが、見直すことは出来る」(金子大栄)
≪20代のころ≫
「流されて 行くにはあらず 我はただ 自ら流るる 我は河なる」(藤井一道)
≪最近≫
「どんな時も、人生には、意味がある…この人生のどこかに、あなたを必要とする"何か"があり、あなたを必要とする"誰か"がいる。そして、その"何か"や"誰か"は、あなたに発見されるのを"待って"いる」(諸富祥彦)

2011年6月21日火曜日

義務教育で民主主義教育をさぼったツケ

「たかじんのそこまで言って委員会」


奥村さんのブログ


学級機関紙「カガミ」10号


バリー先生の手紙(部分)


「そこまで言って委員会」
3.11から3か月。テレビも新聞も毎日、くらい、かなしい、さびしい話ばかり。こうなると、ぎゃくに、あかるい、たのしい話がききたくなります。
テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を見ました。原発や石油ではなく、あらたなエネルギー資源の研究が進んでいるという話。どこまで真実か、やっぱりただのホラ話か、にわかに断定できませんが、発表者はいずれも大学教授クラスの肩書を持った人ばかりですから、そうデタラメな話ではないでしょう。日本のエネルギー問題について、一から考えなおしてみようかという気持になりました。

奥村さんのブログ「やっぱり癌でした」
5月24日のブログで、奥村隆信さん(富山国際学院校長)のお話をしましたが、6月9日、奥村さんがブログで「やっぱり癌でした」と書いておられるのを見てびっくりしました。さいわい経過は順調のようで、12日付のブログで「3.11ボランティア」にふれ、「体力が回復したら再訪できるかなあ」とありました。
さらに14日付のブログは「坂東真理子・上野千鶴子『女は後半からがおもしろい』(潮出版社)」というタイトルで、この「富山県生まれの2人の女性」を紹介し、論評しておられます。お元気のようなので、すこし安心しました。

「お上のお考えなさること」
奥村さんは、15日付のブログ「お上のお考えなさることは、ようわからん、と民草の一人は思った」の中で、「某県の某公益財団法人」から届いた「平成23年度日本語教師育成支援事業のご案内」をとりあげ、一刀両断にしています。
「アホなことを思いつくものである。そんなことにお金(税金であろう)を使うくらいなら、もっと使い道があるというものである。勉強お助け隊(米田哲雄代表)や高岡アレッセ(青木由香代表)の活動に支援するとか…」
「日本語教育に限らず行政がボランティアの『善意』に甘えている構図は全国各地似通った状況でしょうね。」 (「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」参照)
まさに「奥村節」全開のご様子。わたしは後期高齢者なので、気力も落ちています。奥村さんのように直言できる人がうらやましく、尊敬しています。

危機に対応できない日本政府と国会
3.11以来の東電や政府の対応について、おおかたの人が「危機管理体制ができていない」と感じているようです。しかし、政府や与党がダメなら、すぐにでも野党に交替してもらえばよさそうなものですが、世論調査の数字を見ても、圧倒的な支持を得ている政党は見あたりません。野党第一党党首の話を聞いても、ただ「政権をよこせ」というだけで、どうやってこの危機を乗りきるのか、説得力のある具体的な政策が見えてきません。
ここでよく考えてみましょう。いま危機におちいっているのは、東北地方の被災地だけではありません。世界という競争社会の中で、日本国全体が地盤沈下をおこしているのです。しかも、そのだいじな時期に、日本政府や国会が必要かつ十分な役割をはたしていません。つまり、日本国の統治機構そのものが危機におちいっているわけです。

日本の民主主義のレベルが問われている
大臣や国会議員は国家公務員ですから、「滅私奉公」、お国の危機脱出のため全力を尽くすのがあたりまえ。「人民のために奉仕する」ものだけが指導者にえらばれる資格を持つ。それが「民主主義国家」です。しかし現実には、「料亭で接待を受けたり」、「権力を利用し、利権をちらつかせて、支持層を拡大したり」するのが目的で国会議員になった人もいます。おそらく「民主主義」について学習したことがないか、なにかカンチガイをしている人たちです。こんな議員さんたちに、国家の危機管理など、できるわけがありません。
アメリカとならんで「民主主義」のチャンピオンだったはずの日本。いま、その民主主義のレベルが問われているのだと思います。
政府や国会の危機管理能力がよわく、統治機構が機能不全、あやうく停止しそうな状態。まちがいなく、日本民主主義の危機です。

義務教育で民主主義教育をさぼったツケ
民主主義を身につけていない国会議員がいることについては、そんな議員さんをえらんだ国民にも責任があるでしょう。また、その議員さんたちを教え育てた小中学校の先生たちにも、責任がないとはいえません。
1945年、大日本帝国の敗戦で学制改革が実施されたとき、義務教育の最重点項目が「民主主義教育」でした。しかし、きのうまで「君主主義」だった人間が、あしたから「民主主義」に変身せよといわれても、それはムリな話です。「民主主義」は、教科書をよんで丸暗記すれば、それで身につくというものではありません。男と女、加害者と被害者など、双方が意見をのべ、納得ゆくまで話しあう。たいへんテマ・ヒマかかる仕事です。
「民主主義教育」は義務教育のカンバンやスローガンとしてかかげられただけでなく、全国各地で真剣な実践活動も進められました。しかし、もともとつよい抵抗勢力があったことも事実です。じっさい義務教育の現場では、いろいろな事情から、「民主主義教育」にあまりテマ・ヒマをかけないようになりました。そういう事実経過を考えれば、いまの政府や国会が機能停止状態にあるのも、じつは戦後の義務教育で民主主義教育をさぼったツケがまわってきただけということかもしれません。

元中学校教師としての反省
1949年から20余年、わたしは富山市立中学校に奉職し、とりわけ学級経営の中で民主的な人間形成を目ざして努力した記憶があります。クラスの生徒たちや父兄たちとの合作で学級機関紙を発行したり、毎日のように反省会を開いて討議したりしました。また、富山大学の須沼吉太郎先生にお願いしてアメリカの作家パール・バック女史をご紹介いただき、そのご縁でクエーカー教の学校のバリー校長先生から助言をいただいたこともあります(ブログ「七ころび、八おき」…4/12「東部中学校のころ②」参照)。
当時担当した生徒たちの教室内外での生活風景を思い出しながら、「もうすこし、うまくやれなかったかな」と反省しきりです。


2011年6月7日火曜日

マウス、マスラオ、マッサージ

m-s音の単語家族しらべ(その3) 

ムスものがムシ[虫]



マシマス[坐]ところがマス[枡]


マウスと申しマスル



森にマシマス[坐]マシラ[猿]



マスラオ[益荒男]は筋肉隆々



筋肉をマサグル、マッサージ


コトダマ効果
3.11の大震災から3か月。テレビで見る被災地は、復興どころか、瓦礫の除去もまだできていません。たくさん集まった義捐金も、被災者の手元に届いていません。政府や国会も、政権の奪いあいには熱心ですが、肝心の政策審議はおざなりのようです。
ここまできたら、東日本だけの問題ではありません。この3か月のあいだに、世界中で日本国の影がかなりうすれてきた感じさえします。
そんなある日、NHKテレビで、「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。鶴瓶師匠とさだ・まさしの二人が石巻市の避難所を訪問する番組でした。落語家と歌手。いってみればなにひとつ生産することもできない二人。それが「コトバのあそび」をするだけで、被災者たちの心の傷をいやし、元気にさせていました。おまけに、テレビを見ているわたしたちまで。
「これがコトダマ効果だ」と思いました。人間とは、コトバをつかう動物。コトバの役割、効果はすごい。コトダマは、コトバのタマ[玉・珠・球・弾・魂]。鉄砲ダマのようにトビかけり、聞く人のタマシイを傷つけたり、ぎゃくに明るい灯をともしたりします。できれば日本国の総理にも、コトダマ効果を発揮してほしいところです。

m-s音の単語家族しらべ
前々回「マセグチ[馬瀬口]の尼寺」の項でm-s音語をとりあげてから、きょうで3回目。わたしが提唱する「64音図」の中で、m-s音タイプのコトバは、けっして多数派ではありません。それでも、日本語と英語のm-s音語を単語家族として比較してみると、意外なほど共通感覚をもって対応していることがわかってきました。
今回は、すこし総合的に「日英m-s音語の家族しらべ」をしてみたいと思います。

m-s-音語の基本義
ここでm-s音語というのは、m-子音のあとにs-子音がつづくタイプの語のことです。日本語では、マス・ムス・ムスコなど2音節以上になりますが、英語ではmass, mouse, miceなどのように1音節の例もあります。
そこで、「m-s音語の基本義は?」ということですが、わたしは、「m-音の基本義とs-音の基本義との連合」だと考えています。

m-音の基本義
m-音の基本義は、「m-音を発声するとき、発声器官に生じる感覚」です。
m-音を発声するには、いったんクチビルを閉じ、イキのながれを口の中に閉じこめます。そのイキがクチビルをモミ破ってモレでる。同時に、鼻にまわったイキが鼻の粘膜をマサグリ、共鳴を起こします。
このとき発声器官に生まれる生理感覚が、やがてm-音の音韻感覚と呼ばれることになります。つまり、m-音語には「ウミだす、ウマれる」、「ウメこむ、コモル、モグル」、「モム、マサグル」、「モレル」などの基本義が生まれることになります。             

s-音の基本義
s-音の基本義も、s-音の調音方法から生まれます。
「舌サキで上ハグキをサスル姿で、イキを吹きつける」ことでs-音が発声されます。そこで、s-音語には「サス、スル、コスル」などの基本義がつきまとうことになります。
たとえば、ス[為]・スル[為]という語音は、もとはスル[擦]・コスル[擦]作業(磨製石器づくりなど)をあらわす技術用語として生まれ、やがて(作業の種類を問わず)一般化された用法と考えられます。

ムスものがムシ[虫]
ムス[産]とは、ム[産]の作業をスルことです。
たとえば、てんとう虫や蝶などの昆虫は、タマゴからサナギ、幼虫、成虫など、くりかえし変身します。ムス[産]作業をムシかえすので、ムシ[虫]と呼ばれたのでしょうね。
ムスコ[息子]やムスメ[娘]も、男性と女性がムスバレ、ムス[産]作業にはげんだ結果として生まれたコ[子]であり、メ[女]でありマス。

マス[坐・座]ことは、マス[益・増]こと
お水、お酒、お米など(命の親)が「マシマス[坐]ところ」がマス[枡]です。
カラッポのマスの中に(お米を)入れマスと、それだけ存在量がマス[益・増]ことになりマス。

マウスと申しマスル
ネズミは、なぜネズミと呼ぶのか?定説はないようです。英語ではmouse、複数はmice。辞典には、「筋肉を意味するmuscleと同源」と解説しています。ネズミの動き、とりわけシッポ[尻尾]の筋肉がみごとな動きを見せる点に着目した命名と思われます。パソコンにつかうマウスも、小型ながらチョコマカ敏捷なはたらきをします。
そういえば、日本語のモウス[申]も、歴史カナヅカイではマヲスです。イズミの解釈では、マ[真]ヲ[尾・緒]ス[為]で、「ピンと尾を立てる、伸ばす」姿、また「筋道の通った話をする」姿をあらわすコトバです。

森にマシマス[坐]マシラ[猿]
「広辞苑」は「マシ[猿]=マシラの略」、また「マサル[真猿]=サル。マは接頭辞」と解説しています。
サルにちなんで「敵もサルもの、ひっかくもの」という表現があります。このサルは、「(負けて)立ち去る」姿ではありません。「サの姿にナル」、「サ[矢]のようにスットブ、トビカカル」姿です。
前記モウスに当てた漢字形[申]は、日本漢字音シンでs-音をもち、もとはイナズマ(電光)をえがいた象形文字。デン[電]やシン[伸](のばす)の原字。さらに、動物名としてはサル[猿]をあらわします。
このように見てきますと、日本語の動物名「サル・マシ・マシラ」は、英語mouse、mice、muscleと発想法がおなじ。マシラとは、森にマシマス[坐]マシラ[猿]が人間にマサル[勝]筋力ワザを見せることによる命名かと思われます。

マスラオは、筋肉隆々の男子
マスラオ[益荒男]はモノノフ[物部・武士]とならんで、上代語として成立しています。
モノは武器のことなので、モノノフといえば武装した男子をさします。マスラオは、漢字で[益荒男・丈夫]などと表記されますが、もともと「成長して、マスマス筋骨隆々となりマスル男子」の意味です。マウスmouseやマシラ[猿]の人間版のコトバ。
英語では、muscular(たくましい)の姿。また、いまどきの感覚でいえば、「キン肉マン」にピッタリのコトバです。

筋肉をマサグル、マッサージ
マスラオは、筋骨隆々の状態を維持するため、たえず筋肉をきたえる一方で、ときどき筋肉をマサグリ、コリをモミホグスことも必要。その作業がマッサージです。
マサグルは、マ[目]サグル[探]とも解釈できそうですが、辞典には漢字[弄]を当てています。つまり、目で見てサグルのではなく、手でマス[摩](こする、もむ)こと、モテアソブことです。緊張した筋肉をときほぐし、弾力性をとりもどす効果があります。
英語のマッサージmassageは、もとアラビア語がフランス語経由で英語にはいったようです。このm-s音は、按摩のマやマシラ[猿]のm-s音とも関係があるかもしれません。