2016年12月3日土曜日

タカガリ[鷹狩] から ニエモン[仁右衛門] まで 


金魚ツリゲーム 11/17


悠学会研修会 11/25 


中教院前通り 11/26 


豊川町通り    11/26 





画像に ついて

金魚つりゲーム 11/17 …デイ サービス まちなかでは、入浴・マッサージの ほか、毎回「ヵラオケ」「シリトリ ゲーム」「習字」「輪投げ」などの 時間が 組まれて います。1117日は「金魚つり ゲーム」でした。

紙製の 金魚を ツリバリに ひっかけて、手元の ビンに 落とす だけの 作業ですが、ツリバリが ソリかえって、うまく 金魚を ひっかけて くれません。悪戦 苦闘。2分間 かかって、やっと4匹!「こんな ママゴト遊び みたいな こと」とは 思い ながら、いざ やって みると、闘争心 みたいな ものが わいて くるのを 感じました。

悠学会研修会 11/25  …日本海文化悠学会11月 研修会の 会場 スナップです

中教院前通り 11/26  … 午前中で、まだ ヒザシが たりない 感じ。

豊川町通り11/26…中教院前に つづく 通りです。並木の 紅葉に ヒカリを 当てたかったのですが、タイミングが わるく、失敗でした。ゴメンナサイ。



悠学会研修会 

 1125日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社で 日本海文化悠学会の 研修会が あり、山口悦子さんが「鷹狩りと 平助開き」と 題して 報告・提案 されました。レジュメ から 要約して、ご紹介 します。

 <一部>

1.  額絵鑑賞…『兵助開』。天保7年作。今井兵典氏所蔵。

2.  鷹狩りと平助開き

  鷹狩りとは

  鳥見役とは

  鷹場  (中略)

<二部>

1.  富山藩の鷹狩地

(初代藩主)利次(分国の砌―家臣団)より

 ・御鷹巣見 (桐谷村)3人 (御鷹山2ヶ所

  ・鳥 見 (布目村) 1

  ・同   (中宮村)  1人(?)

  ・同   (栃谷村)  2

2.『吉川随筆』からみる…(2代藩主)正甫の放鷹

3.9代藩主)利幹放鷹コース (享和3年3月―栃谷方面)

 道筋;白壁御門―舟橋不動院下通り―御福村―寺町―金屋―古沢-杉谷―北押川 御小休御宿(朝食―栗山三郎兵衛宅)―<放鷹>—北押川-栃谷―古澤―加勢谷―住吉―吉作―高木 御休御宿(昼食―土田半兵衛宅)―大塚―利波新―八町―針原―百塚―石坂―四ツ屋―牛嶋―向川原より御源所江御舟

 山口さんは、額絵『兵助開』を じっくり 観察した あと、この額絵に 登場する 人物や図面に 関連する 文書を 採集・解読し、また 自分の 足で 実地検分を くりかえした 結果、「鷹狩りと 平助開き」の 実態を ほぼ 把握できた ご様子です。長い 年月に わたって、信念と 情熱を もって 作業を つづけて こられた ことに、敬服する  ばかりです。

 わたしと しては、ここで 「タカ・タカガリ・トリ・トリミ・テラマチ・カナヤ・スミヨシ・タカギ・オホツカ・ヒャクヅカ・カヂガハ・古澤屋 ニエモン[仁右衛門]・セコ[勢子]などの 用語が 出てきた ことに 興味を もちました。「タカ・タカガリ・タカギ」は、t-k グループの 語音。「トリ・トリミ・テラマチ」は、t-r グループ。カナヤは、k-n グループ。・スミヨシは、s-m グループ。それぞれの 語音グループ独特の 基本義を 共有しながら 日本語の 語彙体系を 組織し、歴史の 上でも、しかるべき 場面で しかるべき役割(意味を 表現)を はたして いる わけ ですが、その 話を はじめると 長く なります から やめます。研修会の 席では、「セコ」と「ニエモン」の 語源や 意味・用法に しぼって、私見を 述べさせて いただきま した。

セコ[勢子]…この 漢字表記法では、ヤマトコトバ なのか 漢語なのか 分かり にくいです。むしろ、2音節動詞 セク[塞・堰・急]の 名詞形と 解釈する ほうが よいかと 思います。「川原の 草むら などに いる トリ・ケモノの 退路を セキ止め、セキたてる もの(ヒト・イヌ など)」という 意味の 用法です。

ニエモン[仁右衛門]…一見した ところ、漢語ふう (守衛などの 役名)に 見えますが、もとは ニエモノ(ニヘモノ[贄物・贄者]で あり、ニヘモツノコ[贄持之](記、神武) 以来の 伝統ある 職名だった 可能性も あります。上代語に ニヘス(動サ変。食糧を 神に 供える)ニヘドノ[贄殿](天皇や 神の ために 食糧を 貯蔵し、また 調理する ための 建物)・ニヘヒト[贄人](天皇や 貴人の 食糧に する 魚や 鳥を 捕える人)などの 用例が あります。

 ここで参考までに、エモン[衛門]関連のコトバについて、『広辞苑』の解説を紹介します。

エモン[衛門] ①衛門府の略。②ウエモン[右衛門]の略。

エモンフ[衛門府] 左衛門府と右衛門府の総称。諸門の護衛00、出入を管し、非違の巡検・

糾察及び門籍・門榜、行幸の供奉を掌った役所。ユゲイフ[靭負府]         

 ついでに、『大漢和辞典』の 解説も 見ておきます。

エモンフ[衛門府] 昔、禁中の諸門を守衛し、又は巡邏して警戒することを掌った所。

左右に分れ、督・佐・大少尉・志等の職を置く。                                                                                                                                                                            

中國大陸から 漢字が 伝来し、ヤマトコトバを 漢字で 表記する 方法が くふうされ、

やがて 「訓読み」にも たどりつく のですが、ニエモノ(ニヘモノ[贄物・贄者]ニエモン[仁右衛門]と 表記すれば、音形・語意 とも なんとなく 共通する ので、この 種の 表記法が ある 程度 流行した ことが 考えられます。

ついでに いえば、ウエモン[右衛門]の 対語、 サエモン[左衛門]に ついても、もとサヘモノ だった 可能性が あります。上代語 サヘ[]は、サヒ[]と おなじく 「刀・鋤の類」で、武器とも利器とも なります。魚・鳥などの 食糧調達や 調理を 中心に 天皇や 貴人の 生活を ささえた 人たちが ニヘモノで、刀や 鋤などの 武器や 利器を 使った 人たちが サヘモノ、と いうような 役割分担が あったかも しれませんが、ニヘモノが サカナ・トリを トル 場合にも、ツリバリ・アミ・モリ・ヤス・ヤ・ユミが 必用、調理には カタナも 使った こと でしょう。

  つまる ところ、ニヘモノと サヘモノの チガイは、n-p音語 s-p音語の チガイ。さらに いえば、n- s-の チガイに 求める べき かも しれません。N-p音語と いば、ナハ・ナフ・ニハ・ニヒ・ニヒナヘ・ニヘ・ヌフ など イネ農耕推進に よる 日本列島改造政策の 問題が からんで きます。そして、その 先進的農耕具が サヒ[]s-p音語)や スキ[]s-k音語)だった わけ です。  
   これから さきの 話は、また 別の 機会に ゆずり ましょう。

2016年11月22日火曜日

シロと テラと サケの 話 


雪見橋から 11/12



水神社への道 11/12 


『古事記』を読む会 11/13  


立山が見えた! 11.13 




画像に ついて

雪見橋 から…変りばえ しない 「定点観測」の 1枚 ですが、両岸の サクラ並木の 紅葉ぶりが 季節を 感じ させて くれます。

水神社への 道…雪見橋 下流・右岸、水神社へ つづく 
  遊歩道です。

『古事記』を 読む 会…毎回 こんな 感じ です。

立山が見えた!…研修会が 終わって、呉羽山 から 市街
 地まで 送って いただく 途中、車窓ごしに 写した 1枚。
 ひさしぶりに、いい 位置で、立山連峰を 見せて いただ 
 きました。
               

富山市内の「鉱山」の話

1021() 午後、茶屋町 豊栄稲荷神社で。日文悠の 研修会が あり、仙石 正三 さんが「富山市大・大山の鉱山」と題して,研究報告されました。レジュメレから  要約させていただきます。

1.  大航海時代

2.  宗教改革

3.  イエズス会の東洋進出

  1560年代においてマカオの人口が急増した背景には、1561年にゴア(インド)に異端審問所が設置され、イベリア半島からゴアへ移住してきた多くのコンベルソ(新キリスト教徒、マラーノ)が宗教穿鑿を逃れるため、コチン、マラッカ、マカオなどのポルトガル領インデイアの官吏の手の届きにくい土地へと流出したことが考えられる。マカオでは、キリスト教徒ではないポルトガル人たちが宗教施設(シナゴーグ)の建設を広東の海道副使に申し出ていたとされ…ユダヤ教に再改宗したものがいた…一族は東アジア貿易で活躍していた。

4.  鉛を食らう「銀の島」(飯沼賢治)

・大伴氏の貿易船は、府内より九州南岸を南下し、琉球を経て中国南部の福建・広東を目指した。そこは東南アジアの文物を入手できる倭寇の拠点であった。

・豊後の出土品にメダイ(イエス、マリア、聖人の像を描いたペンダント風の製品)など。同位体比率から、タイ最大の生産地鉱山ソントー島鉱山の鉛であることが分かった。21世紀初めまで世界屈指の銅山であった。

・当時、鉛は日本国内でも生産が進んでいたのに、なぜ輸入していたのか?それは、国内生産鉛は銀の精錬に必需品であったから。1533年から倭銀は一説では世界生産の3分の1に達し、国産鉛が不足だった。

・当時の佐渡銀山の鉛インゴットは村上市・葡萄山近接の鉛山産。石見銀山の鉛は、近くの仙ノ山鉱山では不足、越中産の鉛と推察できる・外国産鉛はメダイや鉄砲銃弾鉛玉に使用され、国内産鉛は銀生産に使われた。

1609年オランダ船は家康に金杯、象牙、生糸と共に、三千斤の鉛を献上した。⇒大阪の陣。(1614615

5.  大山の鉛は何処へ?

・寛永8年(1631)、但馬生野銀山に720貫売却.

 ・地元越中諸鉱山へ。

 ・佐渡相川銀山:終始莫大な鉛を購入。越中長棟鉛山も:天和3年(1683)越中鉛3641貫余を代金一両につき鉛11貫で購入。

 正直な 話、[亀谷]と 書かれても、カメタニか、カメガヤか、カメガイか 分からない。「長棟」は ナガムネと 読むと 思って いました。まさか ナガトと 読むとは 考えて いません でした。そして、その 越中(富山市)長棟鉱山 産出の 鉛が 但馬 生野銀山・佐渡 相川銀山に 売却され、銀の 精錬に 利用される など、日本列島、さらには 世界経済の 潮流の 中で、一定の 役割を はたして いた らしい ことが 分かって きました。目から ウロコが 落ちる 感じ。ありがとう ございました。



まずは、カメガイ・ナガトの 戸籍しらべ から

 わたしには、歴史・経済・鉱山などの ことは よく 分かりません。しかし、まったく ローカルな 存在に すぎない「亀谷・長棟金山」が、ある 時期、ある 事情で、日本全国 あるいは 全世界規模の 変動の 中で、ある種の 役割を 果たしたと いう 解釈(判断)は、よく 分かる 気が します。そして、そのことは、わたしたちが 毎日 使っている コトバについても、同様の ことが いえるかと 思います。

 たとえば、地名の カメガイ・ナガト などは、いつ・どんな 事情で 生まれた (伝来した)ので しょうか?鉱物(カナモノ)の クガネ・シロガネ・アカガネ・ナマリ などの 命名には、なにか 原理・原則の ような ものが あったので しょうか?シロガネの シロシラギ[新羅], silk, silverなど との 関係 など、いろいろ 戸籍しらべを して みたらおもしろいと 思います。

 研修会などで 討論する とき、参加者 全員の あいだで、基礎的な 用語に ついて、客観的・合理的な 意味・用法が 共有されて いれば、それだけ 議論が かみあい やすく、それだけ 客観的・合理的で 説得力の ある 結論が 得られる ことと 思います。



アマテラスの なぞ

11月13日() 午前、豊栄稲荷神社で、「古事記を読む会」の 研修会が あり、近藤 さんと 服部 征雄 さん から、それぞれの テーマに ついて 報告・提案され ました。以下、レジュメから 要約させて いただきます。

アマテラスのなぞ(近藤)

  女神にされたアマテラス

・『延喜式』には天照御魂神、天照神、天照玉命などを祀る神社が大和、摂津、丹波、対馬など各地に散見できる。

・これらの神々はらしく、伊勢の天照大神も古くは土地のアマテル神だった可能性がある。

・『大神宮参詣記』には、天照大神が斎宮の寝所に通う噺が載っているが、これもアマテラスが男神との記憶が残っていたのかも。

・皇大神宮の北側にある別宮『荒祭宮』の祭神はアマザカルムカツヒメであり、このムカツヒメは元来男神であるアマテラスの正妻(ムカツヒメ)であろう。(中略)

  皇祖神としてのアマテラス

・『延喜式』の祝詞には、この神の名が殆んど出てこない。わずかに祈年祭、月次祭の祝詞に大勢の神々の後で付加的な形で、アマテラスが挙げられている。しかも皇祖神としてではなく「伊勢にいます神」として。(中略)

・日本書紀本文における天孫降臨説話の中では、オシホミミに降臨を命ずるのはタカミムスビであり、アマテラスではない。最高神で皇祖神はタカミムスビであったのかも知れない。

アマテラスは、いつから女神になり、皇祖神となったのか?

・「太陽=男=光」「月=女=闇」はヨーロッパ方、その逆は北欧・バルト方、そして日本。

・書紀本文だは、大日孁貴と記す。太陽神の妻の意か(日妻・日女)。孁は巫女の意か。(中略)

・敏達帝の大宮の地、他田には他田坐天照御魂神社があり、日祀り部の遺制だと思われるが、祭神はアマテラスではなく、火明命であった。6世紀後半の宮廷では、まだアマテラスへの崇拝は無かったようである。

・天皇による伊勢行幸は、持統天皇が初見である。

持統天皇が仕掛け人か?

・孫の軽皇子(文武天皇)に皇位を恙無く継承させる爲、アマテラスに女性の太陽神

及び皇祖神としての絶対的な権威を与え、自身をそれに仮託した。

・天武の后ながらも、」天智の娘として、天武系の皇子を排除し、」不比等と共に持統朝とも云うべき王統(女帝の意識は100%近く天智系)の継続に傾注した。

・皇太子の草壁には異母妹の阿閉皇女を嫁がせ、草壁が亡くなると、自身が即位する。孫の文武が即位したが、これも早世すると、文武の子首(聖武)に繋ぐため阿閉(元正)、そして元明と即位させる。持統と藤原の天武封じは、聖武の即位で完成したと思える。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山1巻-28 勝利宣言か。



歴史学・考古学 などの 視点

 アマテラスに かぎらず、最近話題に なっている 「天皇の 生前 退位」の 問題に ついても、「いろいろな 解釈・議論が しめされるが、なかなか 議論が かみあわ ない」傾向が ある ように 感じられる のですが、いかがで しょうか?

 「アマテラスは 男性か、女性か?]、「持統天皇が 果たした 役割は?」などの 問題に ついては、歴史上の 真実を 求める 立場 から、歴史学・考古学 などの 結論に したがう べきで しょう。

 それにしては、戦後 70年を すぎて、いまの 日本人は こうした「歴史上の 真実」を どこまで 認識して いるで しょうか?ただし、ここで 問題は、「歴史上の 真実は 何だったのか?」から「歴史上の 真実は どう 伝え られたか?」に 変化します。ずばり 具体的に いえば、たとえば 小・中・高校の 教育現場で、どれだけ「歴史の 真実」が 追求されたか(されなかったか)という ような 問題です。

 「クルマは、すぐには 止まれない」と いう コトバが あります。慣性の 法則。日本民族は、どんな 状況に おかれた とき、どんな 行動を とるか?どれだけ 自分の行動を コントロール できるか?さきの 世界大戦での 失敗 から ナニを 学びとり、21世紀を 生きぬく ために ドウ 役立てるか?その 作業が 未完成 なの では?心配です。



コノハナサクヤ姫も酒の神(服部 征雄)

 (10月研修会・提案の補足)

木花開耶姫も酒の神

ニニギ尊の妻コノハナサクヤ姫が酒を醸した記載が日本書紀 巻二 神代下にあり、酒の神として大国主命、少彦名に合わせて祀られる。

 「アマノタムサケ[天甜酒]を醸みてニヒナヘ[]す」

 テンシュ[甜酒] 中国産醸造酒の一。もち米を蒸し、発酵させた 甘い酒。



ヤシホオリ[八塩折]の酒

  『古事記』や『日本書紀』の中で最初に現れる酒。

  スサノオ命がヤマトノオロチを退治したときに、オロチに飲ませた酒。

 [八塩折之酒]とは、いったん酒を造り、粕を取り除いた搾り汁()にまた原料を入れ。酒を造り…何度も繰り返した酒と解することができる。アルコール発酵はさまたげられるが、糖発酵は進むので、甘い酒となる(味醂)。



コウジ[]を使った?…帰化人の到来

古事記・応神天皇、百済の朝貢。

 「百済国に科せ賜ひしく『もし賢しき人あらば、貢上れ』」…「ハタノミヤツコ[秦造]が祖・アヤノアタヒ[漢値]が祖と、酒を醸むことを知れる人、名はニホ[仁番]、亦の名はススコリ[須須許理]等と参ゐ渡り来たり。故、このススコリ、大御酒を醸みて献りき」



大蛇への毒

  八岐大蛇は毒により死したとの日本書紀の記載…その毒は何か

  酒の毒

  呼吸器に働く毒…トリカブト毒(アコニチン)、蝦蟇の皮下腺から流れ出る毒(ブファジェノライド)

  金属類…砒石(石見銀山猫いらず)で作った殺鼠剤。ヒ素を含む。



タムサケ[甜酒]に ついて

 服部さんは、化学・薬学の 視点 から『古事記』『日本書紀』などの 記事を 解釈し、報告・提案 されて います。わたしに とっては、 あらたな 視点 から ヤマトコトバを 見なおす きっかけと なり、ありがたい ことです。

 今回も、アマノタムサケ[天甜酒]に ついて、ご提案 いただき ました ので、わたしなりに 考えて みました。『時代別・国語大辞典・上代編』を 見ると、つぎの ように 解説されて いました

タムサケ[甜酒] 味のある酒。タムは舌で味わう意か。(中略)[]「タメツモノ[多米都物](貞観儀式)「タメツサケ[多明酒](延喜式神祇)なども同じものをさすかと考えられる。これから抽出される動詞タムは、舌で味わうというような意であろう。なお、「種種味物」(記神代)の「味物」、「種種之珍味」(記応神)の「珍味」はタメツモノと訓まれることもある。その場合のタメもタムサケのタムと同じであろう。

 ついでに もう 一つ、おもしろい ことに 気づき ました。それは 漢語 テンシュ[甜酒]の テン[甜](現代音tian)が 上古漢語音では dem だったと いう こと です。つまり、上古漢語音 t-mが 途中で 音韻変化を して、t-n音に 合流したと 考えて よい でしょう。

 ヤマトコトバの サカ・サケ[酒]は、動詞 サク[裂・割]の 名詞形。コメ・ムギ・キビ などの 植物細胞が サケル(分裂)姿を 表わす コトバ。タムサケ・タメツモノの タム・タメに ついても、動詞 タム(まわる。めぐる。まがる。たまる。とどまる。たわめる)と 同系と 考えて みては、いかが でしょうか。うまい 酒を 口に 含めば、その味がしばらく 舌に タマリ、トマリ、やがて 口の中を あちこち マワル・メグル ことに なります。
 このように 見て くると、ヤマトコトバの タムと 上古漢語のdemとは、ほぼ 同音・同義のコトバ だったと 考えて よい かも しれません。脱線 ついでに いえば、英語の ダムdamなども、日本語で いえば タメ池 です よね。いつか、じっくり、タメツ、スガメツ、 考えて みましょう。

2016年11月12日土曜日

点滴から メヒ・ネヒ・ニヒ まで


トンボ(雪見橋ランカン)10/16


O家花壇 10/16 


天高く…」(「まちなか」所見)11/3   




藤の木病院で 点滴、4

 まずは、信子の症状に ついて ご報告します。

107()。信子の 激ヤセ状態や 食欲不振が 心配で なりません。この日は、デイサービス通所の 予定でしたが、それは キャンセル。Mioriさんに 同行して もらい、藤の木病院を たずね、血液検査と 点滴を お願い しました。

1012()。介護タクシーで、藤の木病院へ。血液検査の 結果を 聞き、再度 点滴を 受けました。

1019日()26()、同様にして、藤の木病院へ 通院。計4回 点滴を 受けた ことに なります。

気のせいかも しれませんが、ある程度 元気に なった ように 見えます。これで、しばらく 様子を見る ことに しました。お医者さんも、「もし 予想外の ことが あれば、またいつでも 点滴などの 求めに 応じる」と 約束して いただきました。



朝からの デイ・サービスに

1110()。この日から、毎週4(月・水・木・土)ヘルパーさんに 来ていただく ことに なりました。また、これまで 午後から だった デイ・サービス「まちなか」への 通所も、明11()からは、「午前中から(昼食を ふくめて)夕方近く まで」あずかって いただく ことに なりました。「介護役」96歳老人の 負担を できるだけ 軽くする という ネライを ふくめた、ケア・マネさんたち からの 提案に よるもので、ありがたいと 思って います。



「古代北陸道の国制と特質」(日文悠9月研修会)

  認知症の妻を かかえた介 護人として ウロウロ・オロオロしている あいだに 月日が すぎて、「日文悠」や「古事記を読む会」などに ついての ご報告が すっかり おくれてしまいました。申しわけ ありません。

923()午後、茶屋町の 豊栄稲荷神社で 日文悠の 研修会が あり、木本 秀樹 さんが「古代北陸道の国制と特質」と 題して 講演され ました。A4版 10ページ にわたる資料を 準備して 配布され、「北陸道の国制」、「北陸道と越中国との諸相」、「北陸道諸国の変遷」、「能登国と佐渡国の特性」、「近江国と越中国新川郡」などに ついて、くわしく 解説して いただきました。その一部を ご紹介させて いただきます。わたしの 当面の ネライは ニヒカハ[新川]・ネヒ[婦負]・メヒ[姪・婦負]など、n-p 音やm-p音の語彙資料ですが、それが この「北陸道の国制…其の諸相・変遷」の中で 散見 されます。m-p音語の 発生・発達・分布などに ついて 考える 上で 重要な 資料と なる はずです。要領が 悪くて、長文の引用に なって しまい ました。お許し ください

はじめに

  参考資料…律令の制定・施行・遷都等関係年表

 ・天智7(668) 近江玲令制定?

 ・天武1213年(683684)国境確定事業

 ・持統3年(689)浄御原令施行

・持統8年(694)藤原宮遷都

 ・大宝元年(701)大宝令制定、同2年(702)施行

 ・和銅3年(710)平城宮遷都

・養老2年(718)養老令制定、天平宝宇元年(757)施行

 *国制⇒五畿内(大和・山城・河内・和泉・摂津)、七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海道)。662嶋(平安期)

② 『令義解』職員令第二、

大国条…守一人。介一人。大掾一人。少掾一人。大目一人。少目一人。史生三人。

上国条…守一人。介一人。掾一人。目一人。史生三人。

中国条…守一人。掾一人。目一人。史生三人。

下国条…守一人。目一人。史生三人。

➂ 『令義解』職員令第二、

大郡条…1620里。大領一人。少領一人。主政三人。主帳三人。

上郡条…12里以上。大領一人。少領一人。主政二人。主帳二人。

中郡条…8里以上。大領一人。少領一人。主政一人。主帳一人。

下郡条…4里以上。大領一人。少領一人。主帳一人。

小郡条…2里以上。領一人。主帳一人。



1 北陸道の国制

  『令義解』公式令第七、朝集使条…凡朝集使、東海道坂東、謂駿河与相模、界坂也。北陸道神済以北、謂越中与越後、界河也。山陰道出雲以北、山陽道安芸以西、南海道土佐等国、及西海道皆乗駅馬、自余各乗当国馬、(略)

  『延喜式』巻二十二 民部上

北陸道

 若狭国中…管 遠敷 大飯 三方、 右為 近国

 越前国大…管 敦賀 丹生 今立 足羽 大野 坂井、

 加賀国上…管 江沼 能美 加賀 石川、

 能登国中…管 羽咋 能登 鳳至 珠洲、

 越中国上…管 砺波 射水 婦負 新川、右為 中国

 越後国上…管 頚城 古志 三嶋 魚沼 蒲原 沼垂 石舟、

 佐渡国中…管 羽茂 雑太 賀茂、 右為 遠国  ()

 陸奥国、出羽国、佐渡国、隠岐国、壹岐国、対馬嶋、右四国二嶋 為 辺要。 

  『延喜式』巻二十八 兵部省 諸国駅伝馬 () 北陸道

 若狭国駅馬 弥美、濃飯各互疋、

 越前国駅馬 松原八匹、鹿韮、叔羅、丹生、朝津、阿味、足羽、三尾,各五疋。

    伝馬 敦賀、丹生、足羽、坂井郡各五疋。 

 加賀国駅馬 朝倉、潮津、安宅、比楽、田上、深見、横山、各五疋。

    伝馬 江沼、加賀郡、各五疋。

 能登国駅馬 撰才、越蘇各五疋。

 越中国駅馬 坂本、川合、亘理、白城、磐瀬、水橋、布勢各五疋、佐味八疋、

    伝馬 砺波、射水、婦負、新川各五疋。 ()

  『延喜式』巻二十四 主計上 北陸道 行程・調・庸 ()

  『延喜式』巻九・十、神祇九・十。

神名上 級中 京中 五畿内 東海道、

天神地祇惣三千一百丗二座。

  ()

東海道神 七百丗一座、

神名下 東山 北陸 山陰 山陽 南海 西海、

東山道神三百八十二座、

北陸道神三百五十二座、(大十四座、小三百丗八座) (略)

越前国一百廿六座、大八座、小百十八座、 ()

加賀国四十二座、並小、 ()

能登国四十三座、大一座、小丗二座、 ()

越中国丗四座、大一座、小丗三座。」

 砺波郡七座、並小、

  高瀬神社     長岡神社

  林神社      荊波神社

  日売神社     雄神神社

  浅井神社

 射水郡十三座、大一座、小十二座。

  射水神社     道神社

物部神社     加久弥神社

久目神社     布勢神社

速川神社     櫛田神社

磯部神社     箭代神社

草岡神社     気多神社 那神大

  婦負郡七社、並小、

  姉倉比売神社   速星神社

  白鳥神社     多久比礼志神社

  熊野神社    杉原神社

  鵜坂神社

 新川郡七座、並小、

  神度神社     建石勝神社

  櫟原神社     八心大市比古神社

  日置神社     布勢神社

  雄山神社       ()

2北陸道と越中国との諸相

  飛鳥宮跡出土木簡…「高志利波…」、「高志□新川評…」()

 古代の行政区画

 ・国・評・五十戸  以前の組織。コオリ[]、サト[]

 ・国・評・里    天武12年(683)以降、ほぼ「里」。持統2年(688)以降、全

  て「里」。

 ・国・郡・里   大宝元年(701)制定、同2年施行。

 ・国・郡・郷・里  霊亀元年(715)改制。

 ・国・郡・郷    天平11年(739)末~同12年初に改制。(略)

 ・「高志国」の表記は、天武十二年(683)からの国境確定事業による越前・越中・越後三国分割以前のものか。「評」は、郡制へと移行する以前の評制下のものである。

  (略)

 ②『和名類聚抄』(郡名「大東急記念文庫本」、郷名「高山寺本」底本。他、適宜校訂)

  越中国第一百

  砺波郡

   川上加波加美 八田 川合加波安比 拝師波也之 長岡奈加乎加 大岡於保乎加 高楊多加也岐 陽知 三野美乃 意悲 大野於保乃 小野乎乃

  射水郡(略)

  婦負郡

   高野多加乃 小子知比佐古 大山於保也萬(於保夜:高本) 菅田須加太 亘理 川合 大乗 高島 岡本於加毛止 余戸(高本なし)。

  新川郡

   長谷波世 志麻之万 石勢以波世 大荊於保也不 川枯 丈部 車持 鳥取 布   留 佐味左比。

 *北陸道と越中国の郷名(『和名類聚抄』諸本と「正倉院文書」等) (中略)

  ・越中国…新川郡佐味郷・志麻郷、射水郡三嶋郷・川口郷、婦負郡岡本郷・川合郷・亘理郷・大山郷・大桑郷、

砺波郡八田郷・大野郷・小野郷・川合郷・拝師郷。 (略)

3 北陸道諸国の変遷

  諸国印の鋳造 『続日本紀』慶雲元年(704)四月九日条  令鍛冶司鋳諸国印。

  諸国郡郷名著好字令・風土記の撰進  『続日本紀』和銅六年(713)五月二日条、(略)*泉国⇒イズミ[和泉]国、木国⇒紀伊国、チカツオウミ[近淡海]国⇒オウミ[近江]国、トオツオウミ[遠淡海]⇒トオトウミ[トオトウミ[遠江]国。 (略)

  越中国の初見 『続日本紀』大宝二年(702)三月十七日条…分越中国四郡、属越後国。頚城・古志・魚沼・神原四郡を越後国に分割した。()

4 能登国と佐渡国の特性 ()

5 近江国と越中国新川郡

  『延喜式』巻十 神名帳

 近江国一百五十五座 大十三座 小一百丗二座 ()

 甲賀郡八座 大二座 小六座

  矢川神社          水口神社

  石部鹿鹽上神社       川田神社二座 並名神大、月並神嘗

    飯道神社          川枯神社二社

 野洲郡九坐 大二座、小七座  

 御上神社 名神大、月並神嘗   小津神社

 下新川神社          ヒョウズ[兵主]神社

 比利多神社          上新川神社   

ウマジイソベ[馬路石邊神社]  コジノ[己尓乃]神社二座

*下新川神社「シモニフカワ」(九条家本『延喜式』)、「シモニヒカワ」(『神祇志料』)

 現鎮座地は守山市幸津川町、論者なし。祭神トヨキイリヒコ[豊城入彦]、ニイカワコタテヒメ[新川小楯姫]

*上新川神社、諸書「カミノニフカワ」。野洲川河畔を挟む野洲町(現野洲市)及び守山市大字立入に論者あり。同川氾濫で二分されたか。祭神スサノヲ[須佐之男]命、オオモノヌシ[大物主]命、クシナダヒメ[奇稲田媛]命、ニイカワヒメ[新川姫]命。

*上下両社は琵琶湖東肥地にあり、新川姫命、新川小楯姫命が水利・農耕神として崇敬を得たか。(『式内社調査報告、第十二巻 東山道』)

⇒関連資料

 ア 『日本三代実録』貞観十一年(869)十二月二十五日戊申条…授()近江国従五位上新川神並正五位下、(略)

 イ 『日本三代実録』仁和元年(885)九月二十二日癸卯条…近江国正五位下新川上神、並授正五位上、()

  ・ア以降の段階で新川()神が上下に分祀されたか?

 ウ 『日本三代実録』貞観九年(867)二月廿七日丁酉条…授()越中国従四位上鵜坂神従三位、従四位下日置神従四位上、正五位上新川神従四位下、(略)

 エ 『日本三代実録』同十八年(876)七月十一日丙戌条…授甲斐国従四位下勲十二等物部神、越中国新川神並従四位上、()美濃国正六位上児安神、越中国櫛田神並従五位下、()

 ・越中国新川郡「爾比可波」(『万葉集』巻十七)、「ニヒカハ」・「ニフカハ」(『延喜式』巻十・二十九諸本)。近江国新川社の和訓に通ず。 

 ・近江国式内社百五十五座、越中国三十四座のうち、両国に共通する神社名として草岡・熊野・日置・櫟原各社。

 ・越中国四郡にある四十二郡名(『和名類聚抄』)と同一名の近江神社として、高野・川枯・佐味・大野・小野各社。

 ・越中国新川郡川枯郷と近江国甲賀郡川枯神社・水口神社の存在。

  *『先代旧事本紀』巻五 天孫本紀(物部氏系譜)

   (要約)饒速日尊の孫、ヒコユキ[彦湯支]命がオウミ[淡海]川枯姫を妾としてイズシゴコロ[出石心]命を生む。出石心命は新河小楯姫を妻とし、大水口宿禰命・大矢口宿禰命を生む。大矢口宿禰命の三瀬孫には、大新河命・建新川命がいる。



 以上、長々と 引用させて いただきました。わたしは 富山県の 地名 ニヒカハ(ニフカハ)[新川]・ネヒ[婦負]など(いわゆるn-p音語)に ついて 調査している 最中なので、こんど 木本さんの レジュメを 拝見して、「近江国上()新川神社」と「越中国新川神」との 関係などに ついて 教えて いただき、たいへん よい 勉強に なりました。ありがとう ございます。

なお、日文悠 会員の 関谷さんの ご厚意で、木本さんの 別講座(915日)レジュメ 「メヒから ネヒへ…婦負郡の 成立(富山市婦中安田城跡歴史の広場・歴史講座、説話と信仰の舞台…①婦負)も 入手できました。タイトル名からも わかる とおり、こちらの方が ニヒカハ[新川]・ネヒ[婦負]・メヒ[婦負・姪]などの m-p , m-p音のコトバに 注目していることが 分かり、共感できました。

メヒと ネヒの 語音の チガイに ついて、本居宣長説「…ネヒ[禰比]は、後の訛にて、めひなるべし」を とりあげたり、喪葬令集解服紀条所引古紀説「身兄の子、弟の子、案ずるに兄弟のムスメ[女]も亦同じなり、俗にオヒ[乎備]・メヒ[売比]と云ふなり」を 紹介したり して います。

わたしの構想(仮説)では、日本語(ヤマトコトバ)では 2音節動詞 ナフ・ナブ・ヌフ・ネフ・ノブなどを 中心に かなり おおきな n-p音単語家族が 成立して います。漢語でも、少数派ですが、上古漢語の段階ニフniepru・ナイnuebnei・ナフnepna などの n-p音語が 成立して いましたが、その後 語尾のp, b子音が 脱落し、現代漢語ではすべて「母音終わり」の 音節と なって います。ただ、日本漢字音 ニフ[入]・ナフ[納]などは、日本へ伝来した 当時の 漢語がn-p音だった ことの 証言だと 考えられて います。そして、その基本義(意味・用法)は ヤマトコトバの ナフ・ナブ・ヌフ・ノブ などと 一致して います。

さらに いえば、インド・ヨーロッパ語に 属する 英語の 世界 でも、nave(①教会の 正面入り口。②へそ。こしき), navel(へそ。こしき), navy(艦隊), navigate(航行する), neohew(),new(新しい),neo-(), nova(新星)などの n-p音語が 成立して おり、その基本義を たずねて みると、日本語や 漢語の n-p音とも 一定の 対応関係を もっている ことが 見えて きます。たとえば、navyは もともと「兵士や 武器を ナブ[]・ナフ[]する ところ」です から、日本語の ナベ[]と おなじ 意味を あらわす コトバに なる わけです。英語の つづりは naveですが、日本語ローマ字式に 読めば、ナベ(na + veと なります。Nephew()の 語音を めぐっては、日本語の ヲヒ[]・メヒ[姪・婦負]・ネヒ[婦負]などの 意味・用法とも あわせ考えると、洋の 東西を こえて、共通の 音韻感覚が はたらいていたと いう 感じが します。New, neo-, novaなどの語音は、まさに 日本語 ニヒ・ニヒカハ・ニヒナヘ・ニヒミヤなどの ニヒに 対応する 語音と 考えて よさそう です。「ニフ[丹生]の 川が ニハカに つくる ニハ[]」の 姿と 見ても よいでしょう。水源地帯を 流れる 小川が、雪解け時に 鉄砲水と なり、平野部に 出た とたん一面に 氾濫、やがて 水が 引いた あと、ニハカづくりの ニハ[庭・丹羽](耕作に 適した、肥沃な 土地)が 出現する、という 話。ユメの ような 話ですが、世界各地で くりかえされて きた 現実の 物語 です。

ユメを 語るのは 楽しい こと ですが、このさきの 話は、また つぎの機会に まわす ことに いたしましょう。



点滴から メヒ・ネヒ・ニヒ まで

90歳まで 生きる ことが でき、ありがたい。いつ 死んでも、モンクは ない」とは いう ものの、いざと なると、「点滴を 受けて でも…」と 延命を 願う。これが 人間の 現実で しょうか。一カ月先か 半年先か、あるいは 23年先か、いずれ 死んで しまう ことは 分かっている のですが、それでも 1日でも 生きのびようと する。それが イキモノ本来の 姿なのかも しれません。                                     

漢字で フフ[婦負]と 書いて、メヒと 讀んだり、ネヒと 読んだり するのも、おおくの人に とっては「どうでも よい こと」かも しれません。「漢字は 意味(事物の 姿)を あらわす モジで あり、特定の 発音(音形)に 対応する もの では ない」と いう 論理です。しかし、わたしなどは「コトバは、音声に よって 語られる もの」、「コトバの 意味の チガイ1に よって 表現される」と 考えて います。そこで、メヒ・ネヒ・ニヒ などの 語音の チガイや 共通点に ついて、トコトン こだわる ことに なります。                
つまる ところは、「コトバとは なにか?」と いう 問題。ここで しっかり 共通理解ができて いないと、議論を すれば するほど、議論が かみあわないことになります。ぎゃくに、「音声言語が 基本」と いう点で 共通理解が 固まれば、これを 土台に して、「日・漢・英の 音韻比較」への 道も みえて くる でしょう。