2018年5月18日金曜日

「三輪山伝説」のナゾ、など 



音を聞く会     5/2


みどりの日 5/4


訪問販売  5/10 


『古事記』を読む会 5/13



講演「富山の文学者たち」 5/14




を聞く会

52日(水)。午後、9Fで「音を聞く会」。いつものとおり「歌のお姉さん」が出演。大判の歌詞カードを、つぎつぎ白板に張りつけて、歌唱指導。この日の曲目は、季節にあわせて「 鯉のぼり」、「鐘の鳴る丘」、「ちゃっきり節」、「みかんの花咲く丘」など。みなさん、昔なじみのメロデイーにさそわれ、歌詞カードを追いかけながら声を出していました。



みどりの日

54日(金)。「みどりの日」ということで、昼食は写真でご覧のようなメニューでした。

もちろんお金をかけた豪華版というわけではありませんが、まずは「みどりの日」のカードをそえてフンイキをととのえ、ご飯はちょっと目先を変えた混ぜご飯。食後のデザートとして静岡産のお茶プリンをセットするという演出。なんとなく楽しい気分になりました。



訪問販売

510日(木)。午後、9Fで訪問販売。品目は、イチゴ・バナナ・ミカン・トロロこぶ、など。それらにまじって、アズキとキナコを1個ずついれてワンパックにした「おはぎ」が並んでいました。「きょうはこれにしよう」と思い、それだけ買って、部屋へかえりました。べつに、腹がへっていたわけではありません。ホームでは、毎日「三食・ヒルネつき」、めったに外出せず、カイモノもしない生活がつづくことになります。たまにも自分のサイフをさらえてカイモノすることによって、しばらく童心にかえることができ、よい気分転換になります。こんなお客さんばかりででは商売にならんといわれるかもしれませんが、こんごともよろしくお願いします。



『古事記』を読む会

513日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた『古事記』を読む会に出席。今月のテーマは,「【崇神】三輪山伝説」。たまたまこの会の有志一行が5月下旬に、23日の日程で、三輪山を中心に研修旅行を予定しているということもあり、その事前研修をかねて、さまざまな意見。提案が出されました。

五十嵐俊子さんが『神社の起源と古代朝鮮』(岡谷公二著、平凡社新書)および『出雲と大和』村井康彦著、岩波新書)を紹介。「大和の三輪山に出雲の神がまつられていること」のナゾをとく参考にすることを提案。

また、三輪山伝説に登場する「ヲ[麻]」に関連して、服部征雄さんから「前回の補足」説明がありました。

魏志倭人伝では、邪馬台国では「稲・からむしを植え」と読まれている。しかしの時代の図巻には「稲・あわ[禾]・麻・からむし[苧]を植え」と記されている。つまり邪馬台国では大麻が栽培されていたと解釈できる。後漢書の東夷列伝でも禾・稲・苧・麻となっている。

古代日本の植物繊維としては、大麻が主であったと思われるが、次第に苧麻に代わってきている。上杉謙信アヲソ[青苧]の栽培を奨励して、現在でも越後上布として受け継がれている。

アサヲ[麻苧]麻の別称。玉串や大麻の麻苧を木綿と呼ぶ。

アヲソ[青苧] カラムシの別名。原料としてつくった衣料。大麻と苧麻を組みあわせた布もある。

カラムシ[苧麻]

ジョウフ[上布] 会津上布。越後上布。能登上布。近江上布。宮古上布。八重山上布。薩摩上布。

五十嵐さん、服部さんにつづいて、イズミから「ミワ・ミモロの系譜…地名にこめられた情報をさぐる」と題して、自己流「ナゾとき法」を提案させていただきました。

伝説記事の中から「ミワ・ミワ山・ミモロ山」などの用語を採集し、これをキーワードとして、当時の社会生活の実態(=歴史の真実)をさぐり出す方法です。結論だけいいますと:ワは[輪]であり、ワ[吾]・ワラ[]・ワリ[]・ワル[割・悪]・ワレ[吾・割]などの語根に当たる語音。ミは動詞ム[生・産]の語尾母音が-iに変化して、「ウム[生・産]こと」を意味する名詞形となったもの。[水・神・見・三・御]はもと1。土器づくりとは、まず粘土ヒ[]をつくり、その輪をつみかさねる、つまり「モノをウミだす」作業。

イクタマヨリヒメの親が「スヱツミミ命」だったとの記事とあわせて、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができるという発想法です。

 この種の話は、論理性や精密さが求めれれるので、それだけ話がややこしくなります。くわしくは、つぎの項目をご覧ください。



三輪山伝説のナゾをとく

『古事記』中巻、崇神天皇のくだりに「三輪山伝説」と呼ばれる記事がのっています。現代文に直してみると、ほぼこんなお話です

活玉依姫(いくたまよりびめ)という美しい娘の元に、夜になると立派な男性が訪れ、姫は身ごもった。しかし、男性の正体がわからなかったため、着物の裾に麻糸のついたを刺し、翌朝たどることにした。すると、麻糸は戸の鍵穴から通り抜け、たどってみると、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の社に留まっていたので、おなかの子は大物主神の子とわかった。この時、麻糸が3残っていたので、この地を三輪と名付けたとされる。

(2012-04-26 朝日新聞 )

 伝説とか物語としては、けっこう楽しめるお話だと思いますが、さて歴史研究の視点から読む場合、どれだけの「歴史の真実」を読みとることができるでしょうか?まったくの自己流ですが、わたしも「三輪山伝説」のナゾときに参加することにしました。

 伝説の内容は、その伝説が生まれた時代の社会状況の反映であり、その範囲をハミダスことはありません。「三輪山伝説」についても、これを精確に読みとくことで、当時の日本社会がどこまでの発達段階にあったのか、判断材料を見つけることができるはずです。

 具体的なナゾとき作業として、まず伝説記事の中からキーワードを採集し、その意味(情報)を追究することにします。オホタタネコ[意富多多泥古]・イクタマヨリヒメ[活玉依毘]・ハニ[赤土]・ヘソヲ[巻子紡麻]・ハリ[]・カギアナ[鉤穴]・ミワ[]勾・ミワヤマ[美和山]など。これらのコトバは、「伝説」を語るための意味用法になっているので、これを「歴史の真実」を語るための意味用法にホンヤクする作業が必要になってきます。それには、「三輪山伝説」直前の項目「神々の祭祀」の中の用語、とりわけ「イクタマヨリヒメ=スヱツミミ命の女」、「ミモロヤマオホミワの大神の前を拝き祭り…天のヤソヒラカを作り、天神地祇の社を定めまつり」などの記事もチェックしなければならず、さらには考古学上の資料も参考にすべきでしょう。

 以下、いろいろ作業をすすめ、これまでにえられた結論(試論)をご報告して、みなさまのご教示をいただければと願っています。

*「三輪山伝説」は、当時の住民たち(客観的には権力者たち)の「モノの見方」(宇宙館・世界観・生命観)を語ったものと考えてよい。

*「三輪山伝説」のナゾをとく、いちばんのキーワードはミワ。さらにいえば、ワ[輪]そのもの。waを発声するとき、口が大きく開かれ、クチビルが[](マル)の姿になる。そこで、ヤマトコトバでは、ワという語音(音形)がひとりでにワ[輪]という意味(事物の姿)をあらわすことになる。このワ音は、ワク・ワル・ワラ・ワタ・ワタツミ・ワタルなどのワ(やがて英語waterに通じる語音)。男性マラ・マロは女性のワ[輪]にワケ入り、精子をマル[放]ことにより、やがてあらたなイノチが生まれ,ワ[輪](子宮)からワキデル、ワカレルことになる。ミワ・ミモロのミは「敬語の接頭辞」とされているが、もともとム[生・産](ウム・ウマレル)の基本義をもつ語音である。

*決定的なキーワードは、スヱツミミ命(タマヨリヒメの親)。以上のキーワードを総合して、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、(弥生土器・土師器以上製作以上に高度な技術による)スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができる。



講演:「富山の文学者たち」

514日(月)午後、市内13高志会館で開かれた県教職員厚生会富山支部総会に出席。総会のあと、講演「富山の文学者たち」を聴講。高志の国文学館主任学芸員綿引香織さんが同館常設展で紹介している文学者たち23人の代表作などについて解説・紹介されました。その中に、わたしと縁のある3人の方の名前があることに気づき、あらためて「人間の縁のフシギ」について考えさせられました。

  翁久允さん:わたしの兄タケヨシ[長嘉]の奥さんが翁一族だったこともあり、わたしが富山市の中学校に勤務しながら、友人仲間とともに文芸サークル「ちんぐるまの会」を立ちあげ、機関誌「ちんぐるま」を創刊したとき、むりやりお願いして、会長になっていただくなど、たいへんお世話になりました。

  岩倉政治さん:わたしの住所砂町から約2㎞、自転車で気楽にゆけるところ(奥田町)に岩倉さんのお宅があり(奥さまが歯科医院を開業)、なんべんもオジャマさせていただきました。そこでナニがあったか?具体的なことは、あらかた「忘却の彼方」ですが、そこには、さまざまな分野の人たちがつぎつぎたずねてきて、「いま、この時代をどう生きるか」などについて語りあっていました。わたしは、自称「親鸞の弟子」として、「唯物史観と他力本願の接点」を求めてウロウロしていた記憶があります。

  遠藤和子さん:故信子の女学校時代の同期生であり、わたし自身とも、富山市立学校の教員同士として交流する場がありました。いまも、たがいに作品を交換したりする仲間関係がつづいています。

 講演会のあと、懇親会が予定されていたので出席しました。講師の綿引香織さんがおられれば、ぜひごあいさつしたいと思い、自分の本(『コトダマの世界Ⅱ』)も持参していたのですが、講演終了後すぐお帰りになったようで、ザンネンでした。

 懇親会の席では、悠学会の仙石正三さんにお会いしたほか、むかし中学校で同僚だった木澤隆さんとも、ひさしぶりにお会いでき、もと同僚mtsさんのことなど情報交換をしました。そのついでに、わたしが持参した本を1冊お持ち帰りしていただきました。また、わたしが98歳だと聞いて、わざわざわたしの席まで足をはこばれた女性の方お二人にも、1冊ずつお持ち帰りしていただきました。

 わたしの年齢では、こうした会合に出席するだけで精いっぱい。席を立って、まわりの人たちに酒をついで廻るほどの気力・体力がありません。それでも、どうにかして、せっかく会場まで持参した本を、人さまの手にお渡しすることができました。このあとも、この本が一人でもおおくの人の目にふれ、「この本を読んでよかった」と思っていただける人にめぐりあえるようにと願っています。








2018年5月4日金曜日

呉山飛天から「悠学」第2号刊行まで



呉山・飛天からの展望 4/26


和風レストラン「呉山・飛天」4/26  



 花束  4/27


日本海文化悠学会研修会 4/27 



「悠学」第2号 4/27



 
『ひらがなでよめばわかる日本語』




物干しセットを新調

4月18日(水)泉公美さんから電話あり。この23日ころ來富、泉家の墓まいりなどを予定していたのですが、ご本人が肺炎にかかってしまったので、予定を中止することになったとのことでした。こちらこそ、自分のことだけで精いっぱい、本家の法事に出席しておりません。いろいろ心づかいしていただいて、申しわけありません。

午後3時すぎ、美織さんが次男のZyunさんといっしょに顔をを見せてくれました。これまでの物干しセットが倒れやすく危険だということで、あらたな物干しセットを持参。Zyunさんが組み立ててくれました。こんどは4本足なので、ほぼ安心できそうです。



水野信利さんが来訪

4月25日(水)。午後、先日東京から電話してきた水野信利さんが来訪。わたしはまず(水野さんから贈られた)『学研・漢和大字典』について、あらためてお礼をいいました。

この数十年来、自己流で「日漢英の音韻比較」作業をつづけてきましたが、その土台となる語彙資料として、3冊の辞典を重視してきました。日本語については、『時代別・国語大字典・上代編』(三省堂)。漢語については、この『学研・漢和大字典』。英語については、A.H.D.(『アメリカの遺産、英語辞典』第3版)、とりわけ、そのフロク「インド・ヨーロッパ語の語根と派生語」(一覧表)1993年秋、アメリカのペンシルバニア大学・デユーク大学の兼任教授で京都大学へ交換教授として来ておられたV.H.Mairさんにすすめられて購入したもの)。もしこれら3冊のうち1冊でも欠けていたら、おそらく「象形言語説」を提唱することもなく、この年齢まで音韻比較をつづける気力も生まれなかったと思われます。

 水野さんが聞き上手で、だまって話を聞いてくれるので、ついついわたしの長談義がつづきました。あとでつくづく「教師というのは、ありがたい職業だな」と思いました。生徒さんに話を聞いてもらうと、そのことがハゲマシとなり、自分がかかえているテーマについてナットクゆくまで、真実を追究する気分になる。つまり、生徒さんのおかげで、教師がさらに一歩成長進歩できるのだと思います。

 

「呉山・飛天」で麦とろご膳

4月26日(木)。午前10時すぎ、長念寺住職志田常無さんに来ていただいて、故信子月命日のお経をあげていただきました。いろいろな事情で。一周忌の法事を410日にすませ、月命日も1日くりあげて、お勤めさせたいただきました。

 この日の昼飯は、美織さんの提案で、和風レストラン「呉山・飛天」でということになりました。呉羽山の一画ですが、茶屋町の豊栄稲荷神社から呉羽山展望台をすぎたその先、地図で見ると北代のあたりに、別名「和風カフエ」ともよばれるお店がありました。

 サクラの花は終わったあとですが、あたり一面黄緑の樹木にかこまれ、わかわかしい生命力が感じられました。立山連峰、新幹線、そして富山平野を一望でき、どの方向を見ても絵になりそうです。たまたま、富山駅を発車した新幹線列車の姿も見えました。

 店の中はほぼ満席状態。どの席も外の景色を楽しめるようにくふうされています。天井は格天井。たしか、桜木町にあった奥田屋旅館が取りこわされたので、その古材を再利用したものだと聞きました。

 ここで「ジネンジョの麦とろご膳」をいただきました。はじめに出された「ナマ野菜」はきわめてシンプルなものでしたが、野菜がもっている本来のウマミを思い知らされるものでした。麦飯のご飯、ジネンジョのとろろなども同様。この自然環境に身を入れると、目・耳など五官にたまっていたゴミが洗い流され、イノチのみずみずしさがよみがえってくるのかもしれません。

 「故人の命日だというのに、生きのこった人間がこんなゼータクな思いをしていてよいのか」という考え方もあるかと思います。しかし美織さんの発想法は、そのギャクです。、「おばちゃんはいつも、おじちゃんが満足する食事づくりをイキガイとしていた。だから、こうすることが、おばちゃんの供養になる」と考えるわけです。いわれてみれば、結婚してから亡くなる直前まで、信子はずっとその基本姿勢で、わたしのイノチをささえてくれました。わたしが「食事がまずい」など、グチをこぼしてばかりいたら、信子は「何のために苦労したか」わからなくなり、いつまでも成仏できなくなるでしょう。

 そこで、わたし自身も「おいしく食事をいただくこと。それがホトケの供養になる」と考えるようにしています。

 さて、食事をすませたあとは砂町へ。Knkさんへ駐車場料金を納入、メガネのハラダで、先日注文したメガネを受領。

 ホームへ帰ってみると、水野さんからみごとな花束がとどいていました。昨日は、わたしの一方的な長談義を聞いていただいただけだったのに、こんな花束をもらったりして…ただただキョーシュクです。



「悠学」第2号刊行

4月27日(金)。午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、日本海文化悠学会例会。この日、会誌「悠学」第2ができあがり、会員に配布されました、

 第1号発刊から3年、予定どおり第2号が刊行されたことは、それだけでもすばらしいことです。おめでとうございます。かぎられた予算、かぎられた期間で、これだけ内容のある会誌を作りあげた編集委員のみなさま、ご苦労さまでした。

 表紙の色をピンク色にしたこと、表紙うらを黄緑色にしたことなどについて、担当した佐藤芙美さんから、「第1号からの継続性とともに、新学期を迎えたような感覚も伝えたかった」との解説があり、なるほどと思いました。

 問題は、作品の中味ですが、このあと時間をかけて読ませていただくことを楽しみにしています。

 この日、五十嵐俊子さんと北河美智子さんから、掲載作品にかんする補足説明がありました。五十嵐さんのテーマは「越国の素環頭鉄刀」。北陸地方で出土した5遺跡6点の素環頭鉄刀について、綿密な調査報告をまとめておられます。

 また、北河さんのテーマは「発見!埋められた銅鐸」。わたしとしては、当日補足説明資料として配布された「銅鐸の絵」の方に興味をひかれました。銅鐸の画面には、「狩人・シカ・トンボ・カニ・イモリ・スッポン(カメ)・カエル」などがえがかれ、一つの画面が一つの物語を構成していると思われます。それをどう読みとくか?銅鐸制作当時、これらの事物がどんなヨビナをもっていたか、たしかめることが必要。とりわけ、トンボについては、上代語にトンボというコトバの用例は見あたりません。『古事記』・『萬葉集』などの用例から見て、アキツと呼ばれていたことが考えられます。アキツは、「ア[][][]」(威力のあるキ[]と呼ばれる利器)という意味構造を持ち、ヲノ・マサカリ・ツルハシなどの利器のヨビナ。イタヤグシ[痛矢串](『記』神武東征)なども同類の利器(武器)かと思われます。

さらにいえば、アキツは英語ax()などとの対応関係も考えられる語音です。ただし、いずれもイズミの仮説。学界の承認を受けたものではありませんが、さらに追究してみるのもおもしろいかと思います。



『ひらがなでよめばわかる日本語』

 先日西田規子さんからSatieさんを通して、『ひらがなでよめばわかる日本語』という本をプレゼントされました。中西進著、新潮文庫

 まず、裏表紙のキャッチコピーを読んでみました。

 (目・鼻・歯)も(芽・花・葉)も(め・はな・は)太陽も焚きも()…日本語はひらがなで考えると俄然面白くなる。漢字の影響を外すと日本語本来の形が見えてくる。言葉がわかれば人間がわかる。日本人の心はこんなに豊かだったのかと驚く。稀代の万葉学者が語る日本人の原点。『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』改題。

 まえがきの部では、ずばり著者の言語観が語られています。

 (日本人が日本人とは何かを真剣に考える場合)、知っていることばを洗いざらい取り上げて、日本人の正体をつきとめよう、ということでよいかというと、じつはそれは正しくありません。日本は歴史始まって以来、たくさんの外国語を受容してきたので、それらを

ごちゃまぜにして考えてみても、日本人の基本の考えは、出てこないからです。…そもそもの日本人の心を知るために、まず漢字を取り払ってみましょう。「は」とは、歯でも葉でもあるのですから、「漢字で書くと別だ」という考えを捨ててほしいのです。

 次に、とおもわれるもののなかにも外国語があるので、それも除きましょう。「」は、音がバイ、訓がウメといっても、ウメはバイの訛ったものだから、ともに中国語なのです…。

 (歯と葉と端は)、今日ではそれぞれ別物です。ところが、古代の日本人は同じものと考えたのだから、非科学的だ!といって怒る方もいるかもしれません。しかしそうではない。同じ立場や役割をもつものを一つの単語で呼び、ものとして、形態が違っていても区別しない、という考え方なのです。とかく、ものを分解したがる現代人にとってはびっくりするでしょうが、大事な考えではないでしょうか…本書を読まれる方々は、充分に挑発され,知の跳梁を求められるでしょう。どうか、そうしてほしいと願います。その結果、日本人の知のダイナミズムが見えてくるのですから。

 このあと、4部門にわたって、著者独特の日本語論が展開されています。ここではモクジの一部だけを紹介させていただきます。

  ひらがなで読めばわかる、自然界から生まれたことば

  第1章 体のパーツなぜこうよぶの?め・みみ・はな//ひたい・ほほ・かお//み・からだ・て//つめ//ち・ちち//

  第2章 人の一生は、草木の一生…もえる//さく・さいわい//さかり//なる//しぬ・しなえる//かれる (中略)

  もう一度考えたい、たましいと対話することば

   第1章 どうして命は尊いのだろういきる・いのち//いのちにむかう//たまきはる//たましい・こころ//いきのお//みたまのふゆ//ひつぎ (中略)

   第2章 神とともにある暮らし…かみ//ほとけ//いわう・ねがう (中略)

  知っていますか。日本人の考え方がわかることば

   第1章 具体からはじまって抽象へもの//こと//とこ・つね//とき・ところ//かげ//うつし (中略)

 4 誤解していませんか。日本語の基本ルール

   第1章 音と訓とはなにか (中略)

   第4章 失われた古代の発音

第5章 ことばは国境を越える

 走り読みていどですが、一通り読ませていただきました。そして正直な話、ビックリしました。基本的な言語観の面でも、また具体的なヤマトコトバ(単語)の解釈の面でも、共感させられる場面の連続だったからです。

 わたしは1970年に「象形言語説」を発表した後、仮説の検証作業や『現代日本語音図』(イズミ試案)作成作業などにおわれ、自分のまわりに「共通の言語観を持ち、連帯できそうな研究者」は見つかりませんでした。それが規子さんのおかげで、この本に出あうことができ、すっかりうれしくなりました。ありがたいことです。

 中西さんは、有名な万葉学者であり、日本ペンクラブ副会長でもあるとのことですが、実は富山県「高志の国文学館」の館長さんでもあります。場所は、富山市船橋南町。ホームめぐみからの散歩コースにもはいっています。



残された問題

本のタイトル「ひらがなでよめばわかる日本語」は、文庫本本体の表紙では「ヨコガキ、1」、背表紙では「タテガキ、1」。ベタガキなので、正直なところヨミニクイです。その点、ブックカバーでは「タテガキだが、3行に分割」、「『ひらがな』だけ赤色印刷」などの方法で、ワカチガキ効果を演出し、読みやすくなっています。このことは、日本の文書表記法時代おくれとなり、その場しのぎの状態になっていることを示しています。公式には、「文書はヨコガキ」と宣言しながら、新聞・雑誌・単行本の大多数がタテガキのまま。国語教科書もすべてタテガキ。部分的にでもヨコガキ教材をとりいれた国語教科書はゼロのようです。

 朝鮮半島では、南北とも漢字という表意モジからハングルという表音モジに切りかえました。世界のなかで、漢字にたよっているのは日本と中国だけです。その中國では、中国語教科書をはじめ、新聞・雑誌・単行本などすべてヨコガキが主流になっています。そればかりか、小学校で漢字を学習するまえに、まずローマ字(音素モジ)を習得し、そのローマ字つづりをたよりに漢字の発音を習得できるようになっています。論より証拠。この政策を実施した結果、南と北の方言のちがいをのりこえ、共通語を中国全土にひろめることができました。それにくらべて、日本語の文書の現状はあまりにも保守的。このままでは、21世紀の競争世界で生きのこれる見通しがつきません。ぜひとも改革が必要です。

  なにより、まず「言語観」を切りかえること。コトバはオト(音声)がイノチ。具体的にいえば、数千にのぼる漢字をおぼえるというムダな作業をやめ、カナ・ローマ字など表音モジをつかい、耳で聞いただけで意味が通じるようなコトバで文章を書くことです。

  国語教科書をはじめ、新聞・雑誌・単行本などのヨコガキを実行すること。

  ワカチガキを実行すること。ヨコガキ文書のばあい、ひらがなのベタガキでは「ヨミニクイのでワカチガキを」ということになります。ところが、「単語のどこでくぎるか」、「ワカチガキの公式ルール」ができていないのが現状です。

  パソコンや印刷機器の改善も必要。ワカチガキをするばあい、単語と単語の間隔を全角分あけると、かえって読みにくくなります。そこで英文用半角を利用してワカチガキの文書をつくることができます。しかし、そのさき、まだ問題がのこっています。たとえば、この原稿をブログへ転換しようとすると、途中で「全角」あるいは「改行」指示として処理されてしまうおそれがあります。これでは、ブログでのワカチガキは不可能となります。早急に改善を求められている問題であり、またやる気になれば、早期に解決できる問題だと信じています。




2018年4月28日土曜日

ワタ[海・腸・綿]=water(水)



『古事記』を読む会 4/8



 訪問販売 4/12


東部中卒業生クラス会  4/15  


つるぎ恋月入り口 4/17  


故数枝さん49日法要祭壇 4/17 



『古事記』を読む会

48日(日)午前、茶屋町豊栄神社『古事記』を読む会に出席しました。この日のテーマは、前回にひきつづき「日向三代」。はじめに出席者全員で。テキストの関連部分を輪読。そのあと、「日向三代」にかんする報告・提案が2件ありました。

1日向三代のなぞ」…近藤智秀さんの報告。(*印以下に、イズミの私見を付記)

①意味不明な用語…「うきじまり[宇岐士摩理]、「そりたたし[蘇理多多斯]」。P.117 

*たとえばウキ[宇岐]はウキ[]、ジマリ[士摩理]はシマリ[]かと思われますが、念

のため、漢語・英語をふくめ、周辺の民族言語音との対応関係について調査することができれば、それだけ客観的で説得力のある議論ができるかもしれません。

  降臨地は、なぜ日向なのか…せっかく「国譲り」してもらった出雲ではなく、日向へ降臨したのはなぜか。P.117 *『古事記』「上つ巻」は、「序」・「伊邪那岐命と伊邪那美命」・「天照大神」・「大国主神」などをふくめて構成されており、編纂者の宇宙観・世界観・歴史観を述べたもの。その点で「中つ巻」・「下つ巻」とは性格が異なる。そう考えてみては、いかがでしょうか?「天孫族」・「出雲族」などについて、「歴史上の真実」を追求するには、やはりまず「考古学上の事実」をたしかめることが必要だろうと思われます。

  日向三代説話…天孫降臨からストレートに神武による国土支配へと話を進めれば如何か。*古代日本人の宇宙観・世界観などを伝える資料として、説話は貴重だと思います。それよりなにより、日本の歴史研究者たちは、天皇制の根幹にかかわる「天孫族の実態」について、「歴史の真実」を追究する作業を進めてきたかどうか?なにか政治権力者がわへのソンタク〔忖度〕みたいなものがはたらいていなかったかどうか、その方が問題だと思います。



2「日向三代人名・神名メモ」…イズミから報告・提案。その要点だけ紹介させていただきます。

日向三代とは、初代の天孫(アマテラスの孫=アマツヒダカヒコホノニニギ)からホヲリを経て、3アマツヒダカヒコナギサタケフキアヘズにいたる時代。そのあと、すぐ神武天皇につながります。つまり、神代からてスメラミコト[天皇]の時代への転換期。日本天皇制の根幹にかかわる、だいじな時期です。テキスト(『古事記』小学館版)フロク「神代・歴代天皇系図」で紹介された人名・神名だけをみても、そこにさまざまな語音が使われていることが分かります。

 「マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ」など、やたらに長ッタラシイ名前なので、現代人としては、つい敬遠したくなりますが、そこには、それだけゆたかな情報がこめられているからだと考えるべきかもしれません。

 この神の名は、ふつう漢字で「正勝吾勝勝速日天忍穂耳」と表記され、「まさしく私が勝った」という「勝ナノリ」だと解釈されているようです。しかし、ほんとうにそれだけの意味でしょうか?この場面の記事としては、これだけの表現で終わっていますが、そのかげに重要な情報がこめられているはずだと、わたしは考えています。くわしく解説する余裕がないので、結論(イズミ仮説)だけのべて、ご教示をお待ちすることにします。

 「マサ・カツ・ア・カツ・カチ・ハヤヒ・アメノ・オシホ・ミミ」、これだけのコトバ(語音)が、この順番に配列されていることから、『古事記』にふさわしい「歴史の真実」をさぐるテガカリが得られるかと思います。マサ[正]は、もともと「[][]の古称)」で、「マサシク、サシコム。ウチコムもの」の姿。カツ[]、もと「カツカル」姿から、やがて「カチワル」姿。剣道の試合で、敵の面をカチワルことができれば、カチ[]です。漢語カツ[]も、英語cutも、まったくおなじ音韻感覚で生まれた語音です。

 アマ[天・雨]とアメ[天・雨]は、語尾母音が交替しただけのもの。アマは、もとヤマyamay-音が脱落した語音と解釈することができます(英語でもarrow, appleなどでは、a-音が強調されて、ほぼya-となります)。日光(太陽光)やアマミズ[雨水]は、それぞれ一種の[]ですから、アマ[]=ヤマ=矢をウム[生・産][]、アマ[]=アマ[]がウミ[生・産]出したもの、と解釈できます。

 「アメノ・オシホ・ミミ」の語音構造からは、「アマ[]からおしよせる(日光や雨水)のおかげで、イネのホ[]が耳なりに実った」姿がうかんできます。

 さらにいえば、「マサ・カツ・ア・カツ…」はアマテラスの子ですが、そのアマテラスを生む直前に、イザナキ・イザナミがワタツミ(綿津神)を生んでいます。ワタツミは、ワタノカミ[海神]と表記されることもあります。つまり、海水・綿・腸(ハラワタ)などをひっくるめて、ワタと呼んだことが分かります。海の実体はミズ[水]=液体。ワタ[綿・腸]も、液体に近い姿。いずれも安定した形がなく、とらえにくい。ぎゃくに、スキマさえあれば、どんなにセマイところでも、自由にスミコミ、シミワタルことができます。

 上代語の段階で、wat- 2音節動詞は見あたりませんが、多音節動詞ワタル[]・ワタス[]・ワタラフ[渡]などが成立しています。

 ワタwataという語音がミズ[水]を意味することと関連して、英語でもwater=ミズ[水]という対応関係が見られることは、参考になると思います。英語辞典の解説を紹介しておきます。語根・基本義・派生語の順(日本語訳は引用者)。

wed- (water; wetしめった) water, wet, washあらう, winter, whiskeyウイスキー, vodkaウオッカ)

  ワタ=シミワタルモノ=ミズ[水]ということになれば、ワタナベ[渡辺]=ミズベ[水辺]、ワタリ[渡・亘]ワタシ[渡]­=水路ということで分かりやすくなります。ただし、このばあい、「同一の事物」を二重の音韻感覚(mid-タイプとwat-タイプ)でとらえているいるという現実を認めざるを得ないことになります。いいかえれば、ヤマトコトバが成立当初からチャンポン語だったということの証言の1例と考えられます。

 そのほか、アマテラス・ハタ・アキヅなども、ふかく調べるほど、あらたな情報に気づかされるヨビナです。アマテラスのテラスは、動詞テル[照]の語尾にをつけて再動詞化したもの。テル[照]とは、デル[出]姿。仏教寺院のテラ[寺]は、堂塔のカワラブキ屋根が天空高くツキデルことによって、あらたに伝来した宗教の存在をテラシダス(民衆の心をタラシコム)シカケです。これにたいして、アマテラスをまつる伊勢神宮は、神社神道の総本山として、ライバルの布教活動を野放しにしておくわけにはゆきません。そこで、その拠点となるテラ[寺]という用語そのものを禁句としました。テル・テラスは、やがてタラス・タラシ[帯・足]につながり、歴代天皇の権威を示す称号ともなった語音です(○〇タラシヒコ天皇)。

 日本語だけではありません。英語の世界でも、tell告げる, talk話す, telephone電話, terraceテラス, territory領土など、いずれもそれぞれ、日本語のデル[]・テル[]・テラス[照ら]・タラス[帯・足]に通じる姿をもっているようです。

 ハタは、p-tタイプのコトバ。[幡・旗・秦・畑・機]などと書きわけられていますが、いずれも「バタバタ・パタパタ、ハツ[]・ハタク[]・ハタス[]・ハタル[]・ハツル[]」などの姿を共有しています。p-w-もクチビルの音なので、p-t音(ブツ・ブタなど)とw-t音(ウツ・ウタなど)との交替関係も考えられます。同種・異種、さまざまな技術者集団が渡来したことの証拠と見てよいかもしれません。

 アキヅについては、アキツ[蜻蛉]、アキヅ[蜻蛉]、アキツシマ[秋津嶋]などの用例がりますが、語音の面アキとアキツ[蜻蛉](トンボ)とアキツシマ[秋津嶋]の対応関係がよく分かりません。アキを「アキ[阿杵](威力のあるキネ[杵])」と解釈できれば、アキヅ(トンボ)についても「キネ[杵]型利器の姿をもつ昆虫」ということで説明ができそうです。

 ついでにいえば、『古事記』神武東征のくだりに、神武天皇の兄イツセ命が「腕にイタヤグシ[痛矢串]を打たれ、致命傷となった」という記事があります。イタヤグシ[痛矢串]とは、どんな形態の武器だったのか?「イタ[板]矢串」(板状のヤイバをもつ武器)だとすれば、ヲノ[斧]・マサカリ[鉞]のような形だったかもしれません。ヲノ[斧]のことを英語でアクスaxといいますから、アキヅ[秋津・蜻蛉]:イタヤグシ[板矢串]:アクス(axという対応関係が考えられます。

 「落語の三題噺みたいで、話がウマすぎる」と笑ってしまいそうですが、ダメでもともと。さしあたり、考古学上の資料の中から、ウラヅケになりそうなものを探してみるのもおもしろいかと思います。



眼科医院で検診

4月11日(水)午後、ひさしぶり片山眼科医院で検診を受けました。左右両眼とも、ン十年まえに白内障の手術をすませていますが、「白内障は再発することもある」との話を聞かされたこともあり、念のため、受診しました。ホームへ入居してからは、はじめてです。「屈折検査」、「矯正視力検査」、「精密眼圧測定」、「精密眼底検査」など、むずかしい名前の検査をしていただきました。「白内障再発」の心配はないとのことで、ひとまず安心。ついでに、いまの視力にあわせて、パソコン作業用のメガネを作ることにして、その処方箋もだしていただきました。

ホームへ帰る途中、「メガネのハラダ」に寄って、メガネを注文しました。これまでうっかりしていましたが、ひとことで「パソコン作業」といっても、「ナニを見る場面か」(「パソコン画画」、「キーボード」、「資料」)によって、目からの距離がちがい、メガネに求められる機能もちがってくるということです。

そこまでつきつめて考えたことがなかったので、「そこは適当に」ということで、ひとまず使ってみたうえで、もういちど考えることにしました。【追記】16日以後にはできているとのことでしたが、雑用がつづき、23日現在、まだ受けとりにいっていません。



クダモノなどの訪問販売

4月12日(木)午後、9Fで果物などの訪問販売がありました。イチゴ・バナナ・キーウイ・しょうがのど飴など。品目は多いといえませんが、お店屋さんの判断で、「安全第一」、「安心して食べられる」、「食べて、満足感がもてる」などを中心に、品目をえらび、出品されたのだと思います。ホームでは毎日「三食昼寝付き」の生活がつづき、めったに外出もしませんので、こんなふうに「自分が食べたいと思ったものを、自分で直接お金を支払い、自分の流儀で食べる」ということが、ちょっとした気分転換にもなっているようです。



むかしの生徒さんからたより

 12日午後、東京の水野信利さんから電話があり、4月の後半に來富の予定とのことでした。彼は、わたしがはじめて中学校教員として勤務した富山市立東部中学校の生徒さんです。富山大学へ進学、さらに東京の国際基督教大学大学院を経て「学習研究社」に就職。わたしが「日漢英3言語の音韻比較研究」をめざして試行錯誤をくりかえしていたころ、『学研・漢和大字典』(第28刷、1990)を寄贈してくれました.「音韻比較」のためには、それぞれの民族言語について音韻変化の実態が分からないと、まともな比較研究ができません。その点、藤堂明保編のこの字典は、ミダシの漢字すべてに上古音~現代音まで音韻変化の流れが注記されています。この字典を入手できたおかげで、わたしはある程度自信をもって音韻比較作業を進めることができるようになりました。こんど会ったら、そのことのお礼もいわなければと思っています。

 それにつけても思うのは、日本の言語教育に「音韻感覚」の視点が脱落していること、もしくは弱すぎることです。コトバはもともと「音声言語」であり、モジはコトバを記録する道具なのですが、日本ではモジの字形(漢字の字形は数千)をおぼえるのに時間をとられ、だいじな「音声信号」、「音韻感覚」の習得にかける時間がほとんどなくなっています。英語の世界では、まともな辞典なら、一つ一つの単語について、「語根と派生語の関係」、「音韻変化の歴史」などを注記してあるのが常識ですが、日本語の辞典では、特殊な辞典をのぞき、その常識が通用しません。日本の「漢和字典」・「中国語辞典」などを見ても、「ミダシ漢字すべてに上古音~現代音までの音韻変化を注記」したのは『学研・漢和大字典』だけのようです。このよな実態をほうっておいて、「小学1年生から英語学習」、「聞く力・話す力をのばす」などのお題目をたたいている姿を見ていると、戦時中「ハタキ棒で、焼夷弾の火を消せ!」と叫んでいた人たちの姿を思いだしてしまいます。「漢字崇拝」の亡霊にとりつかれ、コトバとモジの見分けがつかなくなった日本人(文科省当局、言語研究者をふくめ)の言語観は、英語など音素モジをつかうヨーロッパ人の言語感覚にくららべて、すくなくとも数十年時代おくれになっているのですが、大多数のひとはそのことに気づかないままです。気づいた人は、「日本人や日本語が21世紀の競争世界で生きのこれるかどうかのピンチに立たされていることを知らせるため、できるだけ大きな声をあげることにしましょう。

 言語観のクルイに気づき、転換することさえできれば、ピンチこそチャンス。ヤマトコトバを核として、漢語・カタカナ語など大量の外来語をとりいれて現代日本語を組織してきた日本人ですから、さまざまな課題を最短の時間で解決できることも期待してよいでしょう。



東部中卒業生のクラス会

4月15日(日)午前中、9F会議室で、ブログ前号ででも予告しておりました東部中卒業生のクラス会が開かれました。もうすこし正確に言うと、「富山市立東部中学校,昭和30年(1955)卒、37組クラス会」ということでしょうか。

 先日東京から電話してきた水野さんたちは、わたしが東部中に勤務するようになって最初の卒業生、こんどymzkさんたちは、そのひと回りあとの卒業生です。1年生から3年生まで、途中でクラスの編成替えはありましたが、わたしは3年間、7クラス全体を通して英語科の授業を担当していました。また、教科とは別に、生徒指導を担当、とりわけ学級担任として、独自の学級管理の方法を進めていましたので、この日のクラス会でも、そういった思い出も話題になりました。毎日、放課後のホームルームの時間に、「反省会」形式をとりいれたこと。「中学生なりに、民主主義を身につけてほしい」と願って、それこそ「死にもの狂い」ではじめたことですが、あとで考えてみて、「いささかヤリすぎ」、「 カラ振りに終わった のでは」と「反省」したりしているところです。

 平成16年(2004124日に開催されたクラス会で配布された資料「近況報告集録」(ハガキ)および当日の記念写真、さらには平成11年(199911月のクラス会の写真も提供されるなどで、わたしの頭の中はしばらくタイム・スリップをくりかえしていました。

 みなさんの近況報告では、現役を退いてかなりの年月がすぎ、孫やひ孫さんの話が多くなっていました。さいごにわたしから、近況報告をかねて、中学校教員をやめて以後のイキザマについて報告。そして、「サイゴのサイゴのお願い」として、昨年出版した『コトダマの世界Ⅱ』について、「どうか、みなさん、もよりの公立図書館、もしくは学校図書館(大学・高・中・小学校)へ寄贈する作業にご協力ください」とお願いしました。

 正直な話、わたしははじめから、この本が「売れる」ことを当てにしておりません。お金を出してまで、本を買っていただけるのは、ありがたいことですが、この種の本がスイスイ売れるような世の中なら、わたしなどがムリして出版する必要がありません。

いまの日本語は、実はたいへんなピンチに立たされています。しかし、日本の文教当局は、この現実に気づいていません。もしかしたら、気つかないフリをしているのかもしれません。このままほうっておくわけにはゆきません。だれかが声をあげ、まわりの人たちにキケンを知らせなければなりません。そう考えて、この本を出版することにしたのです。  

はじめの計画では、富山市内の公立図書館や学校を中心に足を運び、この本を寄贈させていただくよう、直接お願いするつもりでした。ところが現実には、わたし自身が老人ホームへ入居することとなり、さらには妻信子をはじめ土地数枝・茂樹さん親子の葬式がつづいたことから、この計画はまだ実行されていません。98歳老人、頭の中でユメみたいな計画を立てるのは得意ですが、ユメを実現するための体力はゼロにちかいようです



土地数枝さん49日法要

4月16日(月)午後、西田恵美子さん・Satieさん親子が来富。上市町のホテル「つるぎ恋月」で宿泊。わたしも富山からSatieさんが運転するクルマに便乗、同行させてもらいました。このホテルには、信子や数枝さんたちもいっしょに来たことがあり、みなさん共通の思い出がつまった場所です。夕食は美織さんも参加して、しばらくにぎやかな時間をすごしました。

 ここの温泉は、茶褐色でヌメリのある露店風呂が有名なのですが、「床がヌメリすぎてアブナイ」ということで、わたしは部屋のわきにあるミニ露天風呂につかることにしました。

4月17日(火)。午前1030分から立山町西光寺で、故土地数枝さんの49日法要。つづいて土地家のお墓に移動、数枝さんの遺骨を納めました。そのあと、富山へもどり「五万国本店」で会食。天候にも恵まれ、無事すべての日程を終了。美織さん、ご苦労さまでした。