2018年7月15日日曜日

ワタからwaterにワタル話など



『古事記』を読む会 7/1



 音を聞く会 7/4


かざはな(尺八と筝)演奏会 7/5 


出張販売 7/12  




『古事記』を読む会

71日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で、『古事記』を読む会の研修会が開かれ、考古学者藤田富士夫さんが「黄泉の国」と題してて講義されました。『古事記』を読むばあい、考古学の基礎的な知識や情報・資料がほしくなります。貴重な学習チャンスを与えていただきました。ただし、ザンネンながら98歳老人の頭では、せっかく教えていただいても、すぐには理解できず、分かったつもりで、その視点から『古事記』を読みなおそうとしても、なかなかうまくゆかないのが現状です。

 たとえば、イザナキ・イザナミの物語や三輪山伝説などの記事が古墳時代3世紀中ごろ~7世紀ごろ)の作品だとわかれば、古墳時代の考古資料にあわせてチェックすることで、その記事の背景となった「歴史の真実」が見えてくるはず。そう考えて、ボチボチやってきました。そのうちに、「歴史の真実」らしきものが少し見えてきました。それをまとめた小論の一つが「[][]ARROWの系譜(『悠学』第2,2017)です。

 これで一段落と思う間もなく、こんどは[]音グループと並行して、[]音グループが存在していたことに気づかされました。



ワ・ワタ・ワタル・WATERの系譜

 waを見なおすようになったきっかけは、三輪山伝説(記・崇神)のナゾときをはじめたことです。「ミワ[美和][三輪][三勾]」、「ミワヤマ[美和山・三輪山]」、「ミワノキミ[神君]などと表記されるワ音の正体(基本義)をさぐりたいと考えたわけです。ワ音ではじまるコトバにはワク・ワナ・ワタ・ワルなど多数ありますが、ここでキー・ワードとして「ワ[]」を設定することで、ほぼ説明できることが分かりました。

ただワタ音については、綿と腸(ハラワタ)と海水(ワタツミ)がナゼ同音なのか、説明にテマがかかりました。「いずれも、安定した体形をもたず、とらえどころがないが、容器があれば、その形にしたがう。ただし、容器にわずかでもスキがあれば、すぐにモレだし、まわり一面にシミワタルことになる」という説明でナットクしました。とりわけワタ[海水]は、固体・液体・気体と姿を変え、宇宙空間にシミワタル・シロモノです。それだけではありません。ワタツミ[海神]のワタ[海水]という語音が日本語のワクを越えて、英語のwater()にまでつながる可能性が見えてきました。念のため、英語辞典でだしかめてみると、「waterインド・ヨーロッパ語根wed-からの派生語で、wet湿った, wash洗う, winter, surroundとりかこむ, wiskeyウイスキー, vodkaウオッカなどと同系」と解説されています。

 ヤマトコトバのワタ[海水・水]・ワタル[渡]が英語wterにつながる語音だとなれば、それはやがて「日本語がインド・ヨーロッパ語と接触・交流した」ことのアカシということになるかもしれません。じっくり腰をすえてとりくむだけのネウチがあると思います。



音を聞く会 

7月4日(水)。午後、9Fで「音を聞く会」が開かれ、「歌のお姉さん」から、なつかしい歌の数々を聞かせていただきました。

1⃣ かもめの水兵さん

かもめの水兵さん 並んだ水兵さん

白い帽子 白いシャツ 白い服

波にチャップチャップ 浮かんでる



2⃣星影のワルツ

別れることはつらいけど

仕方がないんだ君のため

別れに星影のワルツをうたおう

冷たい心じゃないんだよ

冷たい心じゃないんだよ

今でも好きだ死ぬほどに

以下省略。



かざはな(尺八と筝)演奏会

75日(木)。午後、9Fかざはなkazahana演奏会が開かれ、小熊昭良さん(尺八)と高崎英里さん()の合奏で、みごとな音色を聞かせていただきました。この日の曲目は[川の流れのように]、「ゴンドラの唄」、[憧れのハワイ航路]、[上を向いて歩こう]、[桑港のチャイナタウン]、おまけに「ドラえもんのうた」、さいごは「夏のうたメドレー」として「たなばたさま」、「海」、「きらきらぼし」。フル・サービスの1時間でした。

案内用はがきから

小熊昭良日本ではマイナーな尺八ですが、なぜか諸外国では結構人気の楽器です。後継者を育成し、本家日本の尺八奏者が増えるようにと願うばかりです。

高崎英里一人でも多くの方に私のコト[]を届かせたい。日本の邦楽というジャンルを超えて、幅広く演奏していけたらと思っています。

なによりも、お二人の志の高さが伝わってきて、たくさんの元気をもらいました。そして、尺八とコト[]のコンビということから、ついつい信子の姉夫妻のことを思いだしていました。

信子のすぐ上の姉が土地数枝さん。その上の姉が小柴菊枝さんといって、華道(池坊)の師匠であり、箏も演奏できたそうです。ご主人は剣道の達人で、中学校の教師。戦前の陸軍現役時代は連隊旗手をつとめる反面、家では菊枝さんといっしょに尺八を演奏する、文武両道の達人だったとのこと。わたしは直接そうした場面を見たことがないのですが、信子はなんべんかその場に居あわせたことがあるといっていました。菊枝さんは、職業柄というか、かなり社交的なひとがらで、敗戦後大陸から引きあげてきて、失業中だったわたしが、旧制富山商業中国語教師として就職できたのも、菊枝さんが県の教育委員会へ紹介してくださったおかげでした。尺八や箏とはまったくエン[縁]がないと考えていたわたしですが、やはりどこかでつながっていたのかなと感じさせられています。



7月11日(水)。しばらくぶりで美織さんがきてくれました。実は先日もホームへ来る予定だったのが、すこし体調がよくなかったので、藤の木病院でみてもらったところ、血圧が高く(165)なっているとことが分かり、それから毎日血圧を下げる薬を飲んでいるとのことでした。

 信子が亡くなり、茂樹さんも亡くなったいま、わたしが頼りにできるのは美織さんだけです。その美織さんには、いつも元気であってほしいと願っています。



「教育・文芸とやま」原稿募集に応募

8月は、『古事記』を読む会も日本海文化悠学会も夏休みですが、あらたに「教育・文芸とやま」第24号原稿募集に応募することになりました。昨年は『コトダマの世界Ⅱ』出版のことがあったので応募できなかったのですが、それまではほとんど毎年応募していました。つい先日「都合により、第24号かぎりで発行を中止する」との案内があり、「これがラスト・チャンス。なんとかして応募してみたい」と考えるようになりました。

 応募するとなれば、テーマは「ワ[輪]の系譜」(仮題)ときまっています。ワ[輪・曲・勾・吾]・ワク[分・別・枠]・ワナ[]・ワタ[綿・腸・海水]・ワタル[]・ワル[割・破・悪]・ワラ[]・ワレ[吾・割]など、ワ音語の採集もほぼ終了しています。ただ、それらのワ音語を分析・比較する作業の中で、つぎつぎあらたな発見がある状態なので、原稿シメキリ日までにどこまで整理できるか、あまり自信がありません。完全版はあとの楽しみとして、まずは前座をつとめさせていただくつもりです。



出張販売

 712日(木)。午後、9Fで出張販売がありました。この日の品目はブドウ・ミカン・キーウイ・バナナ・おぼろ昆布、その他いろいろ。その中に「かりんとう」と「わらび餅」がならんでいたのが見つかり、なんとなくナツカシイ感じがして、買いもとめました。

 ホームへ来てからは、めったに外出することがなく、近所にコンビニなどもあることはあるのですが、これだけ暑い日がつづくと、買いものをするためにお店まで出かけようという気持がしぼんでしまいます。一つには、毎月の生活経費が銀行預金から自動的に引きおとされ、自分で計算し、自分の財布から支払うわけではないので、金銭感覚がうすれていることも事実です。こうして、たまに出張販売の場で、現金で買いものをすると、ママゴト買いものごっこをしているみたいで、新鮮な感じがします。


2018年7月5日木曜日

アジサイとサクランボの季節


日本海文化悠学会研修会 6/22



 長念寺「第一回寺[サロン」6/24


いたち川べりのアジサイ 6/25 


富退教総会     6/26 


出張販売  6/28 




日本海文化悠学会研修会

622日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社日本海文化悠学会研修会がひらかれ、機関誌「悠学」第2に掲載された研究報告の補足説明などがありました。

  中世放生津「禅興律寺」の研究動向仙石正三さん。

 下記文献を紹介することによって、表題の研究動向を分かりやすく解説されました。

 <文献資料>1律宗僧・乗船、曽根禅興律寺で写経。2『新湊市史』昭和39年(1964

 3久保尚文『越中における中世信仰史の展開』1984.(以下9までありますが省略)

「おわりに」の項で、つぎのよな「留意点」をあげています。

 放生会の起源について、仏教側(禅興寺)に沿って説くものと神社(八幡社)に沿って説くものがある。殺生懺悔する八幡神と、八幡神を慰め救済する寺院の双方が不可欠なのである…そこで八幡神社に神宮寺が併存してあれば、自前で放生会ができることになると考えられる。

 *叡尊教団女性、非人、ハンセン病患者など、社会的弱者の救済に取り組んだ。今日も格差や差別の問題が指摘されており、教団はもっと研究されてもいいと思われる

  絵への軌跡佐藤芙美さん、

アトリエ砺波市別所に求めた(2005)」佐藤さんは、「タイひとり度(1993)」、「アメリカ短期留学(1996年?)」、「タイ、カンボジアを歩く2003年)」などの経歴について報告。最後に「絵への軌跡」として、感想をのべています。

  1986年、海外取材はインドに始まり、トルコ、チュニジア、ハンガリー、チェコ、台湾、中国、インドネシア、ラオス、ミャンマー、オーストリア、クロアチア…とそれぞれの国の文化・史跡を辿る。計り知れないエネルギーの史跡は、画面からはみ出し、心の中に大きな力を与えてくれる。そして、美しさと驚きの出合い…旅である。

   また、文章につづけて、見開き2ページ分をカラー印刷とし、個展(東京、2017年)で発表した作品を紹介しています。そのうち一番の大作に、チューリップや鳥などがえがかれています。わたしは絵画にかんして、まったくのオンチですが、この作品にはヒトメぼれして、『コトダマの世界Ⅱ』の表紙カバーに採用させていただいた経過があります。

  この作品に登場するチューリップをめぐって、わたしは自分勝手な物語を考えています。チューリップはユリ科の球根植物。小アジア原産ですが、ウコンノコウ[欝金香]とも呼ばれ、現代ではオランダ・日本をはじめ、世界各地で栽培・鑑賞されています。

トリ[鳥]をめぐっては、太陽を「宇宙を飛びかける鳥」と考える人たちもいます。日本でも、トブトリ[飛鳥]と書いてアスカとよんでいますが、これも「新天地を求めてタズネまわるもの」(ask>asker)の姿だと解釈することができます。

 さらにいえば、鳥はコトバをあやつるのが得意です。オウム[鸚鵡]・九官鳥などは、、飼い主が語った物語をそっくりそのままのコトバヅカイと音色で、もういちど語ることができます。この絵では、①鳥が宇宙を飛びかける姿と②鳥が大地に降り立つ姿が描き分けられています。それは、たとえば①シャカの教えが「渡り鳥」の姿を借りてインド・中国・朝鮮半島・日本へとトビカケル姿であり、②その途中で「ここが新天地」と見定め、大地に降り立ち、堂・塔を建てて布教をはじめる姿と考えることができます。



長念寺で「第一回寺サロン」

624日(日)午後、長江新町長念寺で開かれた「第一回寺サロン」に出席しました。先日「寺でお茶を飲みながら、お経の練習・頭、体の体操・カラオケなど、リラックスした雰囲気で2時間ほどすごしませんか」というご案内をいただき、「オモシロイかもしれない」と思ったからです。「対象は門信徒のほか、一般のどなたでも参加自由。お手伝い役は、住職・坊守・門信徒・婦人会のみなさまが担当」とのことでした。

 さて、かなりの期待をこめて参加した「第一回寺サロン」でしたが、わたしのあまい期待はみごとにはずれました。その第一は、この日の参加者数が、「お手伝い役」をふくめても10人たらずだったことです。「量より質が問題だ」といわれるかもしれませんが、参加者のみなさんが「楽しかった。次回もぜひ参加したい」と思われるような内容になっていたかどうか。いささか心配です。わたし自身としては、この日も自分の作品(『コトダマの世界Ⅱ』)をもちこみ、国語・外国語学習や言語観などの問題についてお話させていただいたので感謝しています。しかし、ぎゃくの見方をすれば、わたしの発言が「寺サロン」のフンイキをダメにしたかもしれません。

 このあと9月、12月にも「寺サロン」の開催が予定されているようです。せっかくのよい企画だと思いますので、着実に成長してゆけるようにと期待しています。



いたち川べりのアジサイ

625日(月)。午前中に信子の月命日のおつとめをさせていただきました。正式には27日なのですが、このさき富退教総会と日程が重なりましたので。長念寺さんにお願いして、くりあげ実施させていただきました。

午後、美織さんのクルマで砂町へゆき。用事をすませたあと、いたち川べりを散歩することにしました。そういえば、このまえ熱中症で失敗したのにこりて、自分ひとりでの散歩はひかえています。せっかくなら、いたち川と松川の合流地点まで行ってみよう。あそこなら、50㎝以上もあるがウジャウジャいるはず。ひさしぶりに、あの元気な姿を見てみたい。そう思って出かけたのですが、あいにく「工事中」のカンバンがかかっていて、ちかよれません。車から降りて、自分の足で歩くなら別ですが、そこまでの体力はありません。ザンネンですが鯉はあきらめて、いたち川べりのアジサイをながめてから帰ることにしました。とりわけ、ガクアジサイがキレイだと思いました。



富退教総会に出席

626日(火)~27日(水)、宇奈月・ホテル渓仙で開かれた富退教総会に出席しました。むかし富山市内の中学校に勤務し、県教組の組合員でもあったので、最近でもほぼ毎年、そのOBの会合=富退教総会に出席することにしています。この年齢になると、公共の電車やバスの乗り降りはかなり危険ですが、今回などは世話役の方がマイカーでホームめぐみまで迎えに来ていただけるとのことでしたので、安心して便乗させていただきました。2611時、丸の内を出発。途中、コンビニでオニギリを2個購入、会場についてから昼食として食べました。

 14時から総会15時から学習会。「知っておこう、介護のしくみ」と題して、社会福祉法人海望福祉会総合福祉長大崎雅子さんが解説されました。

 配布された日程表では、ひきつづき「意見交換会」(県教組を交えて1時間)が予定されていましたが、県教組の到着が遅れたため、それは実質的に懇親会の持ちこされました。

 ここで、ひとまず「入浴・休憩」。わたしも、しばらくぶりで宇奈月温泉の湯にひたりました。ただし、ゆっくり休憩している時間もないまま、18:30から「懇親会」。

 出席者の中で、わたしがいちばんの年長者だということから、「懇親会」の場では、県教組執行委員長のとなりに座らせていただきました。おかげで、わたしは席を立つまでもなく、自分の思いを委員長に聞いていただくことができました。その「思い」とは;

 最近、小中学校の先生たちがやたら忙しい反面、教科の学習指導改善のための時間がとぼしくなっていることが、マスコミでもしばしば報道されています。話題を国語と外国語の学習指導にしぼって考えてみましょう。このさき人口減少の時代をむかえる日本民族の実態を前提に、「21世紀の競争社会で、日本民族が生きのこれるよう、必要かつ十分な学力を身につけさせる」ことが要求さえているわけです。学校教育の現場が、その要求にこたえられる態勢になっていれば安心できますが、だれが見ても準備できていないようです。具体的な例として、文科省が示す「学習指導要領」について考えてみます。カンバンは「学習指導要領」となっていますが、その中身を見ると、「学習到達目標」は設定されていますが、教師が「どんな要領で指導するか」、生徒が「どんな要領で学習活動をすすめるか」、具体的な「要領>が示されていません。

 国語(母語)であろうが、外国語であろうが、コトバの基本はハナシコトバ(音声言語)であり、コトバを習得するにはなによりまず「音韻感覚を身につける」ことが基本です。文科省の「学習指導要領」が当てにならないとすれば、あとは現場の教師たちが自分たちの手で「学習指導要領」を作ってゆくしかありません。そこは、毎日直接生徒たちと接している教師たちの強み。テマもヒマもかかりますげ、ムダがなく、効率のよい「学習指導要領」をつくることができるにちがいないと思います。

 いまどき、日本全国どこの大学でも、「日本語と外国語との比較研究(語法・文法)」は花ざかりですが、「音韻面からの比較研究」はほとんどゼロの状態です。きわめてイビツな現象ですが、それをイビツと気づいていません。日本人の「音韻感覚」や「言語観」は、「世界史の流れ」の中で、かなり危険な状態になっていると考えられます

 どこまで理解していただけたか分かりませんが、県教組執行部の方に自分の思いを伝えたくて、この総会に出席したというのがホンネですから、これだけしゃべったら、すっきりしました。また、この日のために『コトダマの世界Ⅱ』を5部かついできましたが、それも「読んでもらえそうな方」へ贈呈することができました。

 わかいころとちがって、こちらから足をはこんで、酒をついでまわるだけの元気はありませんが、こんどはぎゃくに、98歳老人に敬意を表して、酒をついでくださる方もおられ、ありがたくちょうだいしました。ふだんホームの生活では、お酒を飲みたいと思ったこともありませんが、こうした仲間同士の会食となると、ついつい食欲がすすみ、を飲んで「うまい!」と感じるようになります。ふだんの2倍ほど食べた気がします。ビールもコップで5杯以上いただきました。

 たらふく飲んだり食べたりしたので、そのあとどうなるか、すこし心配でしたが、夜中にトイレのため目をさましたのは2だけでした。ふだんは34回なのが、ぎゃくにへったというのはフシギです。

 27日(水)。朝食後、解散。帰りも、ホームめぐみまで送っていただきました。退教協のみなさま、お世話になりました。



出張販売

628日(木)。午後、9Fで「出張販売」がありました。今回の品目は、バナナ・ブドウ・サクランボ・しょうが飴など。わたしはサクランボの色にひかれて1箱(700円)買いました。部屋にかえって、サクランボの色を見つめ、一粒一粒ジックリかみしめながら、こどものころを思いだしていました。

 あのころも、サクランボはありましたが、それはめったに味わうことのできない「高級なくだもの」でした。それが品種改良で、こんなに大粒でおいしく、しかも手ごろな値段でかえるようになった。「これは自由競争時代のおかげか」と感心したりしていました。

<追記>

 ちょうどサクランボが出まわる季節になったからでしょうか、あくる日美織さんからも1箱もらいました。そしてつぎの日、こんどはUszmさん(中国語学習の古い仲間)からいただいたオミヤゲにも、サクランボがはいっていました。たてつづけにこんなにたくさんのサクランボを食べたのははじめてです。ごちそうさま。