2017年7月20日木曜日

ユメ・ウツツの日誌



『古事記』を読む会 7/3


綿菓子づくり 7/10 


花 7/13  


夕食 7/14 


筋トレ 7/14  


射的場 7/14 




『古事記』を読む会 7/3

72()午前、茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた「古事記を読む会」に出席。この日は、五十嵐俊子さんが「古事記に表れる大刀・剣の記述」について、またイズミが「ヤ[矢・屋・谷・哉]の系譜」について、それぞれの調査結果を報告しました。

五十嵐さんは、A46ページのレジュメを用意し、「古事記に表れる大刀・剣の記述」、

「杉谷A遺跡出土の素環頭大刀」、「古代の製鉄法」、「鉄の古語」、「南方系海洋民によって伝えられた鉄文化」などについて報告されました。どの項目もみんな面白いと思いましたが、とりわけ興味を感じたのは、五十嵐さんが「タチ[大刀]・ツルギ[]・ミハカシ[御佩]」、あるいは「テツ・タタラ・タタール・韃靼」、「サヒ・サビ・サム・ソホ・ソブ」など、鉄にかんするさまざまな用語をとりあげ、やがて「サ行音」が表わす意味をさぐるなどの姿勢を見せられたことです。テツ[]やタチ[大刀]にかぎらず、この種の議論を進めるに当たっては、まずキーワードとなる用語の意味について共通理解をたしかめることが重要で、そうしないと、議論がうまくカミあわず、ただの水掛け論になるおそれがあります。

テツ・タタラ・タタール・韃靼」・・・イズミ方式では、t-t、もしくはt-rタイプとして分類される語音であり、世界規模で分布しているとみられます。

ナハ[]・ナフ[]・ナブ[]・ナベ[鍋]・ニフ[丹生]・ニブ[]・ニヒ[]・ヌフ[]・ネフ[根生]・ネブ[合歓木]・ノブ[展・延・暢・述]n-pタイプの語音。漢語ニフ[]・ナイ[]・ナフ[]英語navy(艦隊。鍋型), navel(へそ。鍋型), nephew(甥。姪の対。根や芽がノビデル姿), new()などとの対応関係も考えられる語音です。

ここまで来ると、このブログで議論できる限界をこえることになりますが、まだブログ「コトダマの世界」を再開できる見通しは立っていません。しかし、このことから「日本海文化悠学会」が世界規模で客観性・論理性のある議論の場として成長しつつあることの例証と見ることができるかもしれません。すばらしいことだと思います。



小澤俊夫さんの記事

 この日の北日本新聞文芸欄に「著者が語る」として、「『ときを紡ぐ』の著者小澤俊夫さんのコトバ「敗戦時の涕忘れない」という記事がのっていましたので、キリヌキしておました。

73()。デイ・ケアの日。なんとか無事、きょうの日程を終了。夕方、佐藤芙美さんから電話がありました。きのうの北日小澤さんの記事のことから、「小澤さんは、よく金沢まで来られるので、できれば(富山もしくは金沢で)3(小澤・佐藤・イズミ)で面談できる場をつくりたい」とのこと、ありがたい話。それまで、なんとかして、体調をくずさないようにしてゆきたいと思います。



7月8日()。朝パソコンにむかっていると、画面に「○○アップ」の案内。かるい気持ちでOKしたところ、その作業がおわるまでに1時間以上かかってしまいました。

10:30~、美織さんといっしょに五百石の俊光さんのところへお礼のごあいさつ。お墓のまわりの清掃などでずっとお世話になりながら、俊光さんご自身が療養中との事情もあり、お礼を言う場を設定できずにいたのですが、きのう古川さんと電話で打ちあわせ、ようやく実現できました。これでやっと、おおきな宿題が一つへった感じです。

15:30ホームへ帰りましたが、留守中に桂書房から校正用原稿(最終)を持参されたとのこと。10日(月)はデイ・ケアの日なので、16時ころ構成ずみ原稿を受けとりに来られるよう電話でお願いしました。

おくればせながら、iwtbさんとhtaさんあてに、ややくわしい経過報告を記したお礼のてがみを書きあげました。



綿菓子づくり 7/10

710()。デイ・ケアの日。会場の一角に、夏祭りの夜店のようなワタ菓子作りの機械が設置され、出席者全員、お好みの色でワタ菓子づくりを体験しました。わたしも、ン十年ぶりで、山王さん祭りの夜店をのぞいた気分になりました。そういえば、老人ホームでも、デイ・ケア施設でも、「安あがりで、認知症予防にもなる」モヨオシがつぎつぎ計画・実施されているようです。アタマがいいんだなと感心しています。



711()3日ぶりで(?)大便排泄。気分さわやか。このへんで、便秘とはサヨナラしたい。問題は、やはり運動不足。手・足。腰などの筋肉がおとろえ、排便する機能が弱って来たのでしょう。基本的な体操を、もっとしっかりやってみようと思います。

福岡市の川述さんから電話あり。こちらからの手紙がとどいて、はじめて信子の死を知ったとのこと。ご案内がおくれて、申しわけありません。



花 7/13

713()。デイ・ケアの日。会場のカベ・マド・テーブルなどに、さまざまな作品がかざられています。ここのスタッフの方たちの作品もありますが、出席者自身の作品もあります。イロガミでつくった花やリボンがそうです。また、画像にかかげた花も、出席者の一人が自宅の花壇から採集して持ちよったものだそうです。ナマエは、「チョウセンギク」と呼んでいるそうですが、せっかくのチャンスなので、会場備えつけの図鑑で調べてみました。「アスター。キク科。チョウセンギクとも」と解説されていました。あとでネットでも調べてみると、「中国北部原産。キク科、エゾギク属」となっていました。



夕食 7/13

 この日の夕食の写真をお目にかけます。どんな味だったか、すっかり忘れてしまいましたが、パッと見たところ、鱒ずし(紅白)・のり巻(白黒)・やきとり(茶色)・エダマメ(ミドリ)などのイロドリのミゴトさに目をひかれ、スマホのシャッターを押してしまいました。あとで、この写真をながめるたびに、食材それぞれのイロアイから、それぞれの食感を思いだすことができます。フシギなものですね。

 毎日暑い日がつづくと、冷房のきいた部屋にこもりきりで、運動不足から食欲が落ちてくる傾向があります。どうしたら、ホームの入居者に毎日3度の食事を完食してもらえるか?そこが、ホームの食事担当者にとって、腕の見せどころ。食品の安全性やカロリー計算などのこともありますが、まずは「食べてもらう」ために、食品のイロドリや配列など、演出効果を上げる工夫をしておられるようです。夏まつりのチョウチンに見たてた用紙に「おまつり」と書いたカードをそえるなども、その例だと思います。





筋トレ 7/14

714()午前、1Fで内科受診。午後、デイ・サービス風雲堂(西中野町)で、パワー・リハビリテーション無料体験会に参加しました。さまざまな機械装置を使い、腕・足・腰などの筋肉をきたえる方式のようです。数年まえ、アピアのフィットネス・クラブで体験した方式に近いと思われます。

この日は体験できませんでしたが、ほかにもウオーター・ベッド、マッサージ・チェアなどの機械も設置されているとのこと。この二つは、「めぐみ」へ入居するまえ、デイ・サービス「まちなか」で利用させていただき、有効だと実感していました。

風雲堂のパワー・リハビリは、まる1日でなく、午後からの半日だけで済むということもあり、わたじ自身は「やってみたい」と思っています。ただし、介護保険が適用されるのは「要支援2で、週2回まで」と聞いているので、めぐみのデイ・ケアと併用できるかどうか?その点は、まだよく分かりません。



射的場 7/14

風雲堂から「めぐみ」へもどって来たら、ヘルパーさんが待っていました。そして、そのあと、いそいで3Fの「夏まつり」会場へむかいいました。実は、この日14時から3Fで「夏まつり」を開くので、ぜひ参加してほしいと、さそわれていたからです。わたしがかけつけた時は、あらかたのみなさんが帰られたあとでしたが、いかにも「夏まつり」らしく、「射的場」がセットされていました。わたしは右目のマブタが開いてくれないので、左目にたよって発射したのですが、5発のうち2発的中。おみやげ(洗剤)をいただいて部屋にもどりました。いそがしい1日でした



『コトダマの世界』贈呈先名簿など

715日()。『コトダマの世界』発行予定日が720日ということなので、それにあわせたスケジュールを考えておかねばなりません。お金を払って、この本を買いとり読んでくださる人は、めったにいないかもしれませんが、それでも一人でもおおくの方に読んでいただけるよう、まずは新聞社や放送局などをまわって、取材をお願いしなければと考えています。

贈呈先名簿についても、直接手渡し予定分、郵送予定分(一般の部、中国語学会関係の部)など、書きあげてみました。県内の公立図書館や学校のの図書館などについても、考えてみるつもりです。

 

追記:
20日発行」の予定が1週間ほどおくれるとの知らせがはいりました。28日(金)の「悠学会」には間にあうよう念をおしておきました。出版社のつごうで日程が1週間おくれることは、それはやむをえません。それよりも、アイサツまわりや、郵送分の発送をたしかめるまで、わたし自身の体調を維持できるようにと願っています。

2017年7月7日金曜日

山あり、谷あり、地震あり


大岩山で散歩 6/20


六本滝を背景に 6/20 


悠学会6月例会  6/23  


地震速報 6/25 

こんしん会  6/29 


みどり一色 6/30 



大岩山で散歩

620()午後、「めぐみ」スタッフさんのクルマで、上市町の大岩山まで「散歩」に連れて行っていただきました。「明日は天候がくずれるというから、今日のうちに…」。突然の提案でビックリしましたが、もちろんすぐにOKしました。「めぐみ」の住人二人(女性)も同行。

富山の市街地をはなれ、田園地帯にはいると、向こうから山が迫ってくる感じになりました。立山連峰に雪がのこっている姿も、はっきり分かりました。スタッフさんの出身地・千葉県では、立山連峰のような姿は見られない、それだけ立山の魅力を感じているとのことでした。

30分足らずで、大岩に到着。季節はずれというのか、観光客の姿はだれも見あたりません。時間のつごうで、摩崖仏・不動明王の拝観はあきらめ、六本滝を背景に、スマホのシャッターを切っていただいたり、「大岩不動」と書いたのぼりを立てた細い道を散歩したりしました。山道でずっこけそうになり、「ストックを持ってくればよかった」と思いました。山をおりる途中で、1㍍以上もあるヘビに出あいました。白茶けた山道を横切ったなと思って見ていると、そのまままっすぐ、絶壁のような山肌をミゴトにのぼってゆきました。

せっかく大岩まで来たので、なにかおみやげでも買えたらと、山を下りてさがしましたが、どの店も閉まったままでした。流しそうめん、ちまきなど、まったくゼロ。ザンネンでした。

大岩山へ来て、あらためて昔のことを思いだしました。信子やおばあちゃん(信子の母)が健在だったころ、毎年夏になると、かならず「岩瀬浜での海水浴」と「大岩のお不動さんまいり」に出かけていました。まずは本堂奥の摩崖仏「不動明王」におまいりしたあと、「六本滝」に打たれたり、谷沿いのほそい道を散歩したりしていました。・・

ふだんは「大岩のお不動さん」などと呼んでいますが、正式にいえば「真言密宗大本山、大岩山日石寺」。境内には、重用文化財・大岩日石寺磨崖仏(不動明王)をはじめ、三重の塔、山門、六本滝などがあります。



悠学会6月例会

623()午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、悠学会例会があり、宮原利英さんが「続、石動山」と題して報告されました。A。石動を襲った2つの戦乱。B. 知識米・知識田。 C. 石動の山伏。 D. 五社権現。E. 石動山の築山。 F. 石動寺(天平寺)の瓦解。

以下、イズミの感想をのべます。この種の議論をする時は、まず「ナニについて」、「ドンナ視点から」議論するのか、きちんと整理しておくことが必用だと思います。「石動山」の例でいえば、「イスルギヤマ」か?「セキドウザン」か?ヤマトコトバと漢語では、コトバの意味・用法にも微妙なちがいがあります。また、政治・経済・宗教・科学など、どんな視点から追求するのか?問題を整理し、ネライを定めて、議論をすすめる方が、ムダ・ムラ・ムリがなく、効率のよい議論ができると思います。イスルギという語音に注目し、イザナキ・イザナミとの関連を考えるという方法もあるでしょう。上代語にイスルの用例は見あたらないようですが、ユスル(揺り動かす。ゆさぶる)イザル(魚を捕る。すなどる)イザリヒ(漁火)などの用例があります。古代の日本列島では、まず石棒崇拝(石皿と石棒で食材を調理し、神にささげる。自分もイノチをいただく)という、そぼくな信仰がひろまっていたようです。そこへ、理論武装した仏教が押しよせてきたので、本地垂迹説などで防戦に追われたと見てよさそうです。もともとは信仰にかんする問題のはずですが、現実はやがて「知識米・知識田」や地方豪族との関係など、政治・軍事・経済の問題がからみ、かなりややこしい問題となりました。しかし、もう一段大局的な見地から見て、(宗教的な理論武装をふくめ)、「強いものが勝ちのこった」だけの話と考える方が分かりやすいかもしれません。



地震速報

625()。朝、72分、地震発生。ちょうどFで、テレビを見ながら、朝食をいただいている途中のことでした。ゆっくり、おおきく、横にゆれること、30秒(?)富山では震度2とのこと。9Fではあれだけ「おおきくユレ」を感じたのですが、あとでFにいた人に聞いたところ、「ちいさなユレ」だったとの返事。あるほど、そんなものかとガッテンしました。



県退教協総会

629日(木)。*「越中庄川莊」で開催された富退教総会に出席しました。丸の内の「めぐみ」から会場まで、約1時間。往復とも、土井事務局長さんのクルマに便乗させていただきました。

14時、開会。会長あいさつの中で、坂田勲さんがいきなり芭蕉の句を朗誦・・・「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」

「閑けさ」の、「しみ入る」の、 「蝉」の3個のサ行音の連続によって、「蝉の声」が、聞く人の心のおくそこまで、ふかくシミこんでくる姿が感じとられます。わたし自身も数十年まえ、s-m音の魅力にひかれ、『スミ・シム・SMITH』という本を刊行したことがあり、この日坂田さんの朗誦を聞いただけで、「この会合に来てよかった」と思いました。坂田さんは、立山町出身とのこと。わたしも、(北海道・東京・中国など、あちこち住所を変更しましたが)、本籍地は父の流儀にしたがって、立山町のままです。その点でも、なんとなく、坂田さんには親しみを感じています。

総会議場の写真もとったのですが、アイソモナイ感じなので省略。入浴後・懇親会の場面の写真を1枚かかげました。「ニッキョウソ[日教組]の生きのこり」というイメージとは遠いものですが、入浴のあと、お酒をいただいて,「熱く語りあう老人たち」の姿に、人間味を感じていただけたらと思います。



みどり一色の田園風景

庄川莊では、あたりを散歩する時間がありませんでした。会場のガラス窓をとおして、ながめていただけですが、そこには、みどり一色の田園風景がひろがっていました。木の葉・草の葉の一つ一つがミドリ色にかがやき、イキルことの喜びをうたっているようでした。ただ、時間帯のつごうなど(逆光や天候)で、期待どおりの画像にはなりませんでした。おゆるしください。



『コトダマの世界Ⅱ』、7月中に完成

630日(金)午後3時。桂書房の勝又さんと、洋画家の佐藤芙美さんが来訪。イズミから「校正ずみ原稿」、追加原稿(「まえがき」「あとがき」「経歴」)を提出したあと、『コトダマの世界Ⅱ』表紙デザイン,題字などをふくめ、最終的なチェックをしました。勝又さんから「7月中に刊行できる見こみ」と聞かされ、うれしい感じもしましたが、どこかにもう一人の自分がいて、「ユメではなかろうな」と念をいれていました。

佐藤さんは、東京・銀座で個展を開催、好評を得て富富山へ帰られたばかりとのこと。そこで展示された作品(タイトyル、「渡来」)をそのまま『コトダマの世界Ⅱ』の表紙に使わせていただくことになっています。前作・社会評論社版の表紙デザインとはまったくちがったイメージのものになると思いますが、わたしとしては、これも一つの挑戦であり、

「わかいイノチをいただいた」もの、ありがたいことだと考えています。



山あり、谷あり、地震あり

 毎号、ズログのミダシをどうまとめるかで、ないチエをしぼっています。全体のタイトルは「いたち川散歩」ですが、これもホーム「めぐみ」へ来てからは、生活の実態とくいちがったままになっています。丸の内は松川とちかいので、「松川散歩」と改称する案も考えられますが、いまのところまだ「松川散歩」の実績もありません。

 「ブログのナマエのことは、あわててきまめなくてもよい」という気持ちもあります。いたち川は、もともと常願寺川の分流。同様に、松川は神通川の分流。むかしむかし、常願寺川と神通川は合流して日本海にそそいでいたこともあるとされています。したがって、松川は「マツ[]」、「マタ[股・又]川」であり、いたち川とは「持ちつ、持たれつ」、「イトコ同士」のような関係にあると見ることができます。、

 毎号、ブログをまとめるに当たっては、まずスマホの写真の中から、使えそうな画像をえらびだし、ブログのトップにかかげます。そのあと、日誌風に記事をまとめます。記事のテーマや書き方などは、そのときの気分しだい、言いたいことを言わせていただいています。

 この号では、「大岩山」、「六本滝」(渓谷)、「石動山」のあとに「地震」の記事がつづきました。それで。「山あり、谷あり、地震あり」とまとめてみました。また、最後の「退教協」の記事は、いまの日本社会の谷間(=小中学校教育の現場)の姿と考えてみました。
 「ジシンあり」について、もうひとこと。こんどの本の刊行については、これまでの実績の積み重ねなので、「いささか自信あり」といえないこともありません。しかし、自分の年齢や体調のことから考えれば、いつ・なんどき「(震度5の)地震あり」ということになるかもしれません。


  追記:
  7月5日号の修正版です。


2017年7月5日水曜日

山あり、谷あり、地震あり

画像: ① 大岩山で散歩 6/20 2025 ② 六本滝を背景に 6/20 2024 ③ 悠学会6月例会 6/23  2027 ④ 地震速報 6/25 2031 ⑤ こんしん会 6/29 2047 ⑥ みどり一色 6/30 2048 大岩山で散歩 6月20日(火)午後、「めぐみ」スタッフさんのクルマで、上市町の大岩山まで「散歩」に連れて行っていただきました。「明日は天候がくずれるというから、今日のうちに…」。突然の提案でビックリしましたが、もちろんすぐにOKしました。「めぐみ」の住人二人(女性)も同行。 富山の市街地をはなれ、田園地帯にはいると、向こうから山が迫ってくる感じになりました。立山連峰に雪がのこっている姿も、はっきり分かりました。スタッフさんの出身地・千葉県では、立山連峰のような姿は見られない、それだけ立山の魅力を感じているとのことでした。 30分足らずで、大岩に到着。季節はずれというのか、観光客の姿はだれも見あたりません。時間のつごうで、摩崖仏・不動明王の拝観はあきらめ、六本滝を背景に、スマホのシャッターを切っていただいたり、「大岩不動」と書いたのぼりを立てた細い道を散歩したりしました。山道でずっこけそうになり、「ストックを持ってくればよかった」と思いました。山をおりる途中で、1㍍以上もあるヘビに出あいました。白茶けた山道を横切ったなと思って見ていると、そのまままっすぐ、絶壁のような山肌をミゴトにのぼってゆきました。 せっかく大岩まで来たので、なにかおみやげでも買えたらと、山を下りてさがしましたが、どの店も閉まったままでした。流しそうめん、ちまきなど、まったくゼロ。ザンネンでした。 大岩山へ来て、あらためて昔のことを思いだしました。信子やおばあちゃん(信子の母)が健在だったころ、毎年夏になると、かならず「岩瀬浜での海水浴」と「大岩のお不動さんまいり」に出かけていました。まずは本堂奥の摩崖仏「不動明王」におまいりしたあと、「六本滝」に打たれたり、谷沿いのほそい道を散歩したりしていました。・・ ふだんは「大岩のお不動さん」などと呼んでいますが、正式にいえば「真言密宗大本山、大岩山日石寺」。境内には、重用文化財・大岩日石寺磨崖仏(不動明王)をはじめ、三重の塔、山門、六本滝などがあります。 悠学会6月例会 6月23日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、悠学会例会があり、宮原利英さんが「続、石動山」と題して報告されました。A。石動を襲った2つの戦乱。B. 知識米・知識田。 C. 石動の山伏。 D. 五社権現。E. 石動山の築山。 F. 石動寺(天平寺)の瓦解。 以下、イズミの感想をのべます。この種の議論をする時は、まず「ナニについて」、「ドンナ視点から」議論するのか、きちんと整理しておくことが必用だと思います。「石動山」の例でいえば、「イスルギヤマ」か?「セキドウザン」か?ヤマトコトバと漢語では、コトバの意味・用法にも微妙なちがいがあります。また、政治・経済・宗教・科学など、どんな視点から追求するのか?問題を整理し、ネライを定めて、議論をすすめる方が、ムダ・ムラ・ムリがなく、効率のよい議論ができると思います。イスルギという語音に注目し、イザナキ・イザナミとの関連を考えるという方法もあるでしょう。上代語にイスルの用例は見あたらないようですが、ユスル(揺り動かす。ゆさぶる)・イザル(魚を捕る。すなどる)・イザリヒ(漁火)などの用例があります。古代の日本列島では、まず石棒崇拝(石皿と石棒で食材を調理し、神にささげる。自分もイノチをいただく)という、そぼくな信仰がひろまっていたようです。そこへ、理論武装した仏教が押しよせてきたので、本地垂迹説などで防戦に追われたと見てよさそうです。もともとは信仰にかんする問題のはずですが、現実はやがて「知識米・知識田」や地方豪族との関係など、政治・軍事・経済の問題がからみ、かなりややこしい問題となりました。しかし、もう一段大局的な見地から見て、(宗教的な理論武装をふくめ)、「強いものが勝ちのこった」だけの話と考える方が分かりやすいかもしれません。 地震速報 6月25日(日)。朝、7時2分、地震発生。ちょうど9Fで、テレビを見ながら、朝食をいただいている途中のことでした。ゆっくり、おおきく、横にゆれること、30秒(?)富山では震度2とのこと。9Fではあれだけ「おおきくユレ」を感じたのですが、あとで1Fにいた人に聞いたところ、「ちいさなユレ」だったとの返事。あるほど、そんなものかとガッテンしました。 県退教協総会 6月29日(木)。*「越中庄川莊」で開催された富退教総会に出席しました。丸の内の「めぐみ」から会場まで、約1時間。往復とも、土井事務局長さんのクルマに便乗させていただきました。 14時、開会。会長あいさつの中で、坂田勲さんがいきなり芭蕉の句を朗誦・・・「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」 「閑けさ」のサ、「しみ入る」のシ、 「蝉」のセ、3個のサ行音の連続によって、「蝉の声」が、聞く人の心のおくそこまで、ふかくシミこんでくる姿が感じとられます。わたし自身も数十年まえ、s-m音の魅力にひかれ、『スミ・シム・SMITH』という本を刊行したことがあり、この日坂田さんの朗誦を聞いただけで、「この会合に来てよかった」と思いました。坂田さんは、立山町出身とのこと。わたしも、(北海道・東京・中国など、あちこち住所を変更しましたが)、本籍地は父の流儀にしたがって、立山町のままです。その点でも、なんとなく、坂田さんには親しみを感じています。 総会議場の写真もとったのですが、アイソモナイ感じなので省略。入浴後・懇親会の場面の写真を1枚かかげました。「ニッキョウソ[日教組]の生きのこり」というイメージとは遠いものですが、入浴のあと、お酒をいただいて,「熱く語りあう老人たち」の姿に、人間味を感じていただけたらと思います。 みどり一色の田園風景 庄川莊では、あたりを散歩する時間がありませんでした。会場のガラス窓をとおして、ながめていただけですが、そこには、みどり一色の田園風景がひろがっていました。木の葉・草の葉の一つ一つがミドリ色にかがやき、イキルことの喜びをうたっているようでした。ただ、時間帯のつごうなど(逆光や天候)で、期待どおりの画像にはなりませんでした。おゆるしください。 『コトダマの世界Ⅱ』、7月中に完成 6月30日(金)午後3時。桂書房の勝又さんと、洋画家の佐藤芙美さんが来訪。イズミから「校正ずみ原稿」、追加原稿(「まえがき」「あとがき」「経歴」)を提出したあと、『コトダマの世界Ⅱ』表紙デザイン,題字などをふくめ、最終的なチェックをしました。勝又さんから「7月中に刊行できる見こみ」と聞かされ、うれしい感じもしましたが、どこかにもう一人の自分がいて、「ユメではなかろうな」と念をいれていました。 佐藤さんは、東京・銀座で個展を開催、好評を得て富富山へ帰られたばかりとのこと。そこで展示された作品(タイトyル、「渡来」)をそのまま『コトダマの世界Ⅱ』の表紙に使わせていただくことになっています。前作・社会評論社版の表紙デザインとはまったくちがったイメージのものになると思いますが、わたしとしては、これも一つの挑戦であり、 「わかいイノチをいただいた」もの、ありがたいことだと考えています。 山あり、谷あり、地震ありw  毎号、ズログのミダシをどうまとめるかで、ないチエをしぼっています。全体のタイトルは「いたち川散歩」ですが、これもホーム「めぐみ」へ来てからは、生活の実態とくいちがったままになっています。丸の内は松川とちかいので、「松川散歩」と改称する案も考えられますが、いまのところまだ「松川散歩」の実績もありません。  「ブログのナマエのことは、あわててきまめなくてもよい」という気持ちもあります。いたち川は、もともと常願寺川の分流。同様に、松川は神通川の分流。むかしむかし、常願寺川と神通川は合流して日本海にそそいでいたこともあるとされています。したがって、松川は「マツ[待]」、「マタ[股・又]川」であり、いたち川とは「持ちつ、持たれつ」、「イトコ同士」のような関係にあると見ることができます。、  毎号、ブログをまとめるに当たっては、まずスマホの写真の中から、使えそうな画像をえらびだし、ブログのトップにかかげます。そのあと、日誌風に記事をまとめます。記事のテーマや書き方などは、そのときの気分しだい、言いたいことを言わせていただいています。  この号では、「大岩山」、「六本滝」(渓谷)、「石動山」のあとに「地震」の記事がつづきました。それで。「山あり、谷あり、地震あり」とまとめてみました。また、最後の「退教協」の記事は、いまの日本社会の谷間(=小中学校教育の現場)の姿と考えてみました。  「ジシンあり」について、もうひとこと。こんどの本の刊行については、これまでの実績の積み重ねなので、「いささか自信あり」といえないこともありません。しかし、自分の年齢や体調のことから考えれば、いつ・なんどき「(震度5の)地震あり」ということになるかもしれません。 zzzzzzzzzz 今回は、ワードで原稿をつくり、ブログの下書きに転換するまでは、なんとかなりましたが、プレビューに転換するあたりで、スペースや改行が無視されるなど、、めちゃめちゃな文面になりました。とりあえず、いちおう公開の手続きをとりますが、このあとなんとかして修正したいと思います。お許しください。、