2017年7月5日水曜日

山あり、谷あり、地震あり

画像: ① 大岩山で散歩 6/20 2025 ② 六本滝を背景に 6/20 2024 ③ 悠学会6月例会 6/23  2027 ④ 地震速報 6/25 2031 ⑤ こんしん会 6/29 2047 ⑥ みどり一色 6/30 2048 大岩山で散歩 6月20日(火)午後、「めぐみ」スタッフさんのクルマで、上市町の大岩山まで「散歩」に連れて行っていただきました。「明日は天候がくずれるというから、今日のうちに…」。突然の提案でビックリしましたが、もちろんすぐにOKしました。「めぐみ」の住人二人(女性)も同行。 富山の市街地をはなれ、田園地帯にはいると、向こうから山が迫ってくる感じになりました。立山連峰に雪がのこっている姿も、はっきり分かりました。スタッフさんの出身地・千葉県では、立山連峰のような姿は見られない、それだけ立山の魅力を感じているとのことでした。 30分足らずで、大岩に到着。季節はずれというのか、観光客の姿はだれも見あたりません。時間のつごうで、摩崖仏・不動明王の拝観はあきらめ、六本滝を背景に、スマホのシャッターを切っていただいたり、「大岩不動」と書いたのぼりを立てた細い道を散歩したりしました。山道でずっこけそうになり、「ストックを持ってくればよかった」と思いました。山をおりる途中で、1㍍以上もあるヘビに出あいました。白茶けた山道を横切ったなと思って見ていると、そのまままっすぐ、絶壁のような山肌をミゴトにのぼってゆきました。 せっかく大岩まで来たので、なにかおみやげでも買えたらと、山を下りてさがしましたが、どの店も閉まったままでした。流しそうめん、ちまきなど、まったくゼロ。ザンネンでした。 大岩山へ来て、あらためて昔のことを思いだしました。信子やおばあちゃん(信子の母)が健在だったころ、毎年夏になると、かならず「岩瀬浜での海水浴」と「大岩のお不動さんまいり」に出かけていました。まずは本堂奥の摩崖仏「不動明王」におまいりしたあと、「六本滝」に打たれたり、谷沿いのほそい道を散歩したりしていました。・・ ふだんは「大岩のお不動さん」などと呼んでいますが、正式にいえば「真言密宗大本山、大岩山日石寺」。境内には、重用文化財・大岩日石寺磨崖仏(不動明王)をはじめ、三重の塔、山門、六本滝などがあります。 悠学会6月例会 6月23日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、悠学会例会があり、宮原利英さんが「続、石動山」と題して報告されました。A。石動を襲った2つの戦乱。B. 知識米・知識田。 C. 石動の山伏。 D. 五社権現。E. 石動山の築山。 F. 石動寺(天平寺)の瓦解。 以下、イズミの感想をのべます。この種の議論をする時は、まず「ナニについて」、「ドンナ視点から」議論するのか、きちんと整理しておくことが必用だと思います。「石動山」の例でいえば、「イスルギヤマ」か?「セキドウザン」か?ヤマトコトバと漢語では、コトバの意味・用法にも微妙なちがいがあります。また、政治・経済・宗教・科学など、どんな視点から追求するのか?問題を整理し、ネライを定めて、議論をすすめる方が、ムダ・ムラ・ムリがなく、効率のよい議論ができると思います。イスルギという語音に注目し、イザナキ・イザナミとの関連を考えるという方法もあるでしょう。上代語にイスルの用例は見あたらないようですが、ユスル(揺り動かす。ゆさぶる)・イザル(魚を捕る。すなどる)・イザリヒ(漁火)などの用例があります。古代の日本列島では、まず石棒崇拝(石皿と石棒で食材を調理し、神にささげる。自分もイノチをいただく)という、そぼくな信仰がひろまっていたようです。そこへ、理論武装した仏教が押しよせてきたので、本地垂迹説などで防戦に追われたと見てよさそうです。もともとは信仰にかんする問題のはずですが、現実はやがて「知識米・知識田」や地方豪族との関係など、政治・軍事・経済の問題がからみ、かなりややこしい問題となりました。しかし、もう一段大局的な見地から見て、(宗教的な理論武装をふくめ)、「強いものが勝ちのこった」だけの話と考える方が分かりやすいかもしれません。 地震速報 6月25日(日)。朝、7時2分、地震発生。ちょうど9Fで、テレビを見ながら、朝食をいただいている途中のことでした。ゆっくり、おおきく、横にゆれること、30秒(?)富山では震度2とのこと。9Fではあれだけ「おおきくユレ」を感じたのですが、あとで1Fにいた人に聞いたところ、「ちいさなユレ」だったとの返事。あるほど、そんなものかとガッテンしました。 県退教協総会 6月29日(木)。*「越中庄川莊」で開催された富退教総会に出席しました。丸の内の「めぐみ」から会場まで、約1時間。往復とも、土井事務局長さんのクルマに便乗させていただきました。 14時、開会。会長あいさつの中で、坂田勲さんがいきなり芭蕉の句を朗誦・・・「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」 「閑けさ」のサ、「しみ入る」のシ、 「蝉」のセ、3個のサ行音の連続によって、「蝉の声」が、聞く人の心のおくそこまで、ふかくシミこんでくる姿が感じとられます。わたし自身も数十年まえ、s-m音の魅力にひかれ、『スミ・シム・SMITH』という本を刊行したことがあり、この日坂田さんの朗誦を聞いただけで、「この会合に来てよかった」と思いました。坂田さんは、立山町出身とのこと。わたしも、(北海道・東京・中国など、あちこち住所を変更しましたが)、本籍地は父の流儀にしたがって、立山町のままです。その点でも、なんとなく、坂田さんには親しみを感じています。 総会議場の写真もとったのですが、アイソモナイ感じなので省略。入浴後・懇親会の場面の写真を1枚かかげました。「ニッキョウソ[日教組]の生きのこり」というイメージとは遠いものですが、入浴のあと、お酒をいただいて,「熱く語りあう老人たち」の姿に、人間味を感じていただけたらと思います。 みどり一色の田園風景 庄川莊では、あたりを散歩する時間がありませんでした。会場のガラス窓をとおして、ながめていただけですが、そこには、みどり一色の田園風景がひろがっていました。木の葉・草の葉の一つ一つがミドリ色にかがやき、イキルことの喜びをうたっているようでした。ただ、時間帯のつごうなど(逆光や天候)で、期待どおりの画像にはなりませんでした。おゆるしください。 『コトダマの世界Ⅱ』、7月中に完成 6月30日(金)午後3時。桂書房の勝又さんと、洋画家の佐藤芙美さんが来訪。イズミから「校正ずみ原稿」、追加原稿(「まえがき」「あとがき」「経歴」)を提出したあと、『コトダマの世界Ⅱ』表紙デザイン,題字などをふくめ、最終的なチェックをしました。勝又さんから「7月中に刊行できる見こみ」と聞かされ、うれしい感じもしましたが、どこかにもう一人の自分がいて、「ユメではなかろうな」と念をいれていました。 佐藤さんは、東京・銀座で個展を開催、好評を得て富富山へ帰られたばかりとのこと。そこで展示された作品(タイトyル、「渡来」)をそのまま『コトダマの世界Ⅱ』の表紙に使わせていただくことになっています。前作・社会評論社版の表紙デザインとはまったくちがったイメージのものになると思いますが、わたしとしては、これも一つの挑戦であり、 「わかいイノチをいただいた」もの、ありがたいことだと考えています。 山あり、谷あり、地震ありw  毎号、ズログのミダシをどうまとめるかで、ないチエをしぼっています。全体のタイトルは「いたち川散歩」ですが、これもホーム「めぐみ」へ来てからは、生活の実態とくいちがったままになっています。丸の内は松川とちかいので、「松川散歩」と改称する案も考えられますが、いまのところまだ「松川散歩」の実績もありません。  「ブログのナマエのことは、あわててきまめなくてもよい」という気持ちもあります。いたち川は、もともと常願寺川の分流。同様に、松川は神通川の分流。むかしむかし、常願寺川と神通川は合流して日本海にそそいでいたこともあるとされています。したがって、松川は「マツ[待]」、「マタ[股・又]川」であり、いたち川とは「持ちつ、持たれつ」、「イトコ同士」のような関係にあると見ることができます。、  毎号、ブログをまとめるに当たっては、まずスマホの写真の中から、使えそうな画像をえらびだし、ブログのトップにかかげます。そのあと、日誌風に記事をまとめます。記事のテーマや書き方などは、そのときの気分しだい、言いたいことを言わせていただいています。  この号では、「大岩山」、「六本滝」(渓谷)、「石動山」のあとに「地震」の記事がつづきました。それで。「山あり、谷あり、地震あり」とまとめてみました。また、最後の「退教協」の記事は、いまの日本社会の谷間(=小中学校教育の現場)の姿と考えてみました。  「ジシンあり」について、もうひとこと。こんどの本の刊行については、これまでの実績の積み重ねなので、「いささか自信あり」といえないこともありません。しかし、自分の年齢や体調のことから考えれば、いつ・なんどき「(震度5の)地震あり」ということになるかもしれません。 zzzzzzzzzz 今回は、ワードで原稿をつくり、ブログの下書きに転換するまでは、なんとかなりましたが、プレビューに転換するあたりで、スペースや改行が無視されるなど、、めちゃめちゃな文面になりました。とりあえず、いちおう公開の手続きをとりますが、このあとなんとかして修正したいと思います。お許しください。、

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