2018年9月14日金曜日

ブログ、つづけます


花火大会 8/1


納涼祭 8/8   


『古事記』を読む会  9/2 


音を聞く会 9/5 



<おわび>
パソコン不調で、ブログやりなおし
 なによりまず、1か月あまりにわたって、ブログを更新できなかったことについて、ふかくおわび申しあげます。
 ことしは例年になく猛暑日がつづくなか、ホーム住まいのおかげで、なんとか体調を崩すこともなく、ほそぼそブログをつづけてきました。お盆すぎには更新できるようにと、準備していました。ところが、なにかの拍子でパソコンがうごかなくなりました。
 わたしはまったくのメカ・オンチで、パソコンの構造や機能原理などのことはわかりません。マウスとキーボードの使い方を、教えられたとおりにうごかすだけ。クルマの構造や運転の原理について無知のまま、ハンドルさばきだけおぼえてクルマを運転しているドライバーとおなじ状態です。
むかしパソコン教室で教えていただいたysd先生に相談し、メーカー(富士通)とも連絡していただいた結果、故障したパソコンは富士通の工場へ送り、できるだけ多くデータを取り出すこと、機体は旧式なので、新式のものを購入することにしました。想定外の出費になりましたが、いまのわたしにはパソコンがイキガイとつながっているので、これでアキラメタというわけにはゆきません。全国各地で、猛暑や風水害のため大きな被害を受けられた方たちのことを思えば、これくらいの被害ですんでいるのは、むしろありがたいことです。    
828日、もとのパソコンを富士通へ発送。30日、新パソコン到着。91日、旧パソコンおよび旧パソコンからのデータ資料が到着。ただし、新パソコンを設置する作業も,わたしの手におえることではないので、ysd先生にきていただいてからにしました。
まずは、新パソコンの扱い方になれることですが、しばらく日数がかかりそうです。基本的にはほぼおなじ要領なのでしょうが、ちょっとした点でのちがいが、いくつもあるようです。老人のアタマでは、そのたびごとにつまずき、時間をかけることになります。
もうひとつは、旧パソコンから回収できたデータ資料の実態をたしかめること。ブログの記事そのものは別途保存されているので安心しましたが、ワードでの下書き原稿はほぼゼンメツ のようで、ガッカリしました。公開直前だった原稿は、やりなおしするしかありません。
このさき、いつまでブログをつづけられるか?それはわかりませんが、ダメでもともと。さいごまで努力するつもりです。「往生ぎわがわるい」といわれるかもしれませんが、これがわたしの生き方です。
おくればせながら原稿を書きなおし、ブログをつづけさせていただくことにします。どうか、よろしくお願いします。

花火大会 
 81日、9ベランダで、恒例の花火大会を見物しました。砂町に住んでいたころは、雪見橋まで出かけて、人家の屋根の上まで打ちあげられた花火をながめているだけでしたが、ここ丸の内は花火大会会場のすぐ近くであり、しかもビルの9fという高さからなので、仕掛け花火なども見物でき、それだけ臨場感もあります。わたしのスマホでも、ある程度その光景をとらえることができたかと思います。

納涼祭 
8月8日(水)。9fで「納涼祭」。ホームのスタッフのみなさんがチエをしぼり、テマ・ヒマかけての演出です。「かき氷」、「どんど焼き」、「水ふうせん」、「射的」など、むかしなつかしい「祭りの場」ができていました。手まわしの「氷カキ」機械は、スタッフの一人が自宅の物置からさがしだして出品されたとのこと。わたしは「水ふうせん」を吊ったあと、「射的」に挑戦。2発打って、2発とも命中。至近距離ですから、命中するのはアタリマエなのですが、なんとなく「いい気分」になりました。そのへんのところが「オマツリ効果」ということでしょうか。

『古事記』を読む会
 9月2日(日)午前、茶屋町豊栄稲荷神社で『古事記』を読む会に出席。8月は夏休みでしたから、2か月ぶりの研修会です。また、5月に多数の有志会員三輪山など大和路めぐりの研修旅行に参加されたので、その報告を聞く会ということになりました。この日は、まず5人の会員から報告があり、のこりは次回(10月)を予定とのこと。
 ひと口で「大和路の遺跡」といっても、具体的にはそれぞれ独自の存在であり、報告の内容も、報告者それぞれの視点から報告されますので、わたしのアタマでは、いちど口頭で報告を聞いただけで、報告の内容を正確に理解し・消化することは、きわめて困難です。やはり、文書として解説したものがあれば、あとでくりかえし読むことができるので、たすかります。そんなわけで、以下この日の報告をきかせていただいた感想をしるします。
    五十嵐顕房さん・・・「三輪山の登山時間まで2時間あまりあるので、予定外ではあったが唐古・鍵遺跡へ向かう。さらに、多神社に向かう。太安万侶一族の多氏の祖がまつられている」などの点について報告されました。わたしとしては、やはり「三輪山」「唐古」「鍵」「多神社」「太安万侶」などの人名・神名・地名などに注目したいと思います。「固有名詞だから、意味とは関係ない」などといって、固有名詞を無視する傾向がありますが、とんでもないマチガイです。とりわけ『古事記』や『萬葉集』などを解読する場合、人名や地名こそ重要な情報の宝庫だと考えるべきです。「三輪山」のは、どうして[輪](漢字音はリン)と表記されるようになったのか?オホという音形は、どうして[大・多]の意味を表わすことになったのか?そもそも、日本語とはどんなコトバなのか?考古学上の資料や漢字の構成原理(象形・会意・形声など)とつきあわせ、さらにはインド・ヨーロッパ語における「語根と派生語の関係」調査・研究を参考にして、日本語についても単語家族の研究をすすめるべきだと考えているのですが、いかがでしょうか?そこまでやってこそ、世界規模で客観的・合理的、つまり科学的な研究と呼ばれる資格がそなわるというものです。
 「語根と派生語の関係」、「単語家族」などというと、「そんなメンドクサイことを」といわれるかもしれませんが、いまのところこれ以上に科学的な研究方法は見あたりません。いまの言語学は、この方法によって、「ヨーロッパおよびインド」の民族言語を採集・分析・比較・総合し、「インド・ヨーロッパ語」という体系として整理しています。この体系の中で、英語・フランス語・ドイツ語やインド語などの位置づけがわかるようになっていますが、日本語や漢語・朝鮮語などアジア諸国の民族言語は「カヤのソト」の状態がつずいています。
 一日でもはやく日本語(ヤマトコトバ)の特別あつかいをやめ、「人類語の一つ」と考え、インド・ヨーロッパの民族言語とおなじ土俵、おなじルールにしたがって調査・研究をすすめ、等質の客観性・合理性のある研究データをもとめるべきです。わたしがこれまで試行錯誤をくりかえした経過から考えても、ヤマトコトバをこの方法で調査・研究することによるさまざまな成果が期待されます。ヤマトコトバにこめられた宇宙観・世界観・自然観・人生観などもあきらかになってくると思います。

    五十嵐俊子さん…「古墳とマキムク遺跡」と題して、9㌻(B4)にわたるレジュメをそえて報告。「箸墓古墳」、「瑞垣宮」、「土橋」、「纏向遺跡」,「土師部」などの用語について、ひとつひとつ考古学上の資料とつきあわせ、「歴史の真実」をたしかめる作業をすすめています。その結果として、これらの用語の意味・用法について、あらたな解釈も提案されています。たとえば;
瑞垣宮=河川で区切られた水の垣根を持つ所に建てた」、
「土橋=大規模の古墳建設工事に当たり、資材(葺石など)運搬用に築かれた土の橋」、「纏向遺跡…(『倭人伝』記事の直後に)ウマ[]を輸入、マキ[牧]・マキ[牧場](マク[]ところ)を設置して、繁殖をはじめた」、
土師部ハニ[埴]シ[師]ベ[部]ハニ[埴](粘土)を使って、土木作業土器づくりを担当する技術者集団」。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  
  たいへん綿密な調査報告で、よい勉強になりました。それにつけても、日本の古代史をまともに研究しようとすれば、なによりまずヤマトコトバの音韻感覚をつかみとることが基本条件だと痛感しました。
 このほか、近藤智英秀さんが「二上山と大津皇子」について、また黒田昌子さんが「三輪山登山」について報告されました。

音を聞く会 
 95日(水)午後、9fで「音を聞く会」があり、「歌のおねえさん」の指導で、文部省唱歌から民謡・歌謡曲まで、歌ったり聞いたりしました。「かかし[案山子]」、「虫の声」、「こきりこ節」、「炭坑節」、「ああ人生にあり」など。「かかし」の場面では、スタッフの一人がスゲ笠をかぶってカカシの役を演じたりしていました。

<かかし[案山子]>
山田の中の 一本足のかかし
天気の良いのに 蓑笠つけて
朝から晩まで ただ立ち通し
歩けないのか 山田のかかし

カカシというコトバの意味
 ここで歌われているとおり、カカシというコトバを聞いただけで、なんとなくナツカシイ感じがします。そしてやがて、なんとなくサビシイ感じがします。まわりから、「歩けないのか」、「耳がないのか」とからかわれ、カラスにまでカアカとわらわれる。「フーテンの寅さん」みたいな心境です。
 たしかにそのとおりだと思う反面、カカシというコトバの意味・用法について、いまひとつ疑問がのこっています。国語辞典では;
かかし[案山子・鹿驚]①獣肉などを焼いて串に貫き、田畑に刺し、その臭いをかがせて鳥獣を退散させさせたもの。ヤイグシ[焼串]。②竹や藁などで人の形を造り、田畑に立てて、鳥獣が寄るのをおどし防ぐもの。とりおどし。③みかけばかりもっともらしくて、役に立たない人。みかけだおし(『広辞苑』)。
と解説されています。しかし、この解説だけでは、カカシというコトバ本来の意味・用法が「行方不明」になっているように思われます。
 ここで、わたしの解釈を提案します。もともと「みかけばかりもっともらしくて、役に立たない人」のことをカカシと呼んだはずはありません。「人のために手をカス[貸]ことができる」しっかりモノのことをカカシと呼んだはずです。カカシは、動詞カカスの連用形、兼名詞形と解釈します。上代語にカカス・カカシの用例は見あたらないようですが、動詞カク・カスの用例は多数あります。カク[掻]四、[書・画]四、[懸]四・下二、[欠]。カグ[嗅]四。カス[貸]四、など。カカスとは、「カズ[数]ある所有物の一部(=カス[粕・滓]をカケ[欠](cut)させ、人にカス[貸])ことであり、やがて「そのカゲ[影]として、相手にカガ(利益)を請求できる」行為です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
 架空のつくり話ではありません。「山田のカカシ」本来の姿です。むかし、日本列島でタロイモ農耕をはじめた人たちが、カシの木でクイをつくり、地面にツキさしてアナを掘り、そこへタロイモのタネを埋めこんでいました。このクイ(=ツキ[突]棒)が、耕作の主役でした。
 ところが、水田でイネ農耕がはじまると同時に、状況が一変します。カシの木のツキ棒で地面をカカス[欠]方式から、鉄製のハ[刃]をかぶせたスキ[鋤]で地面をスキはねる
方式に変わったため、カカシの出番がなくなったのです。それでも、田んぼの一角にカカシを立てておくことで、占有者の存在を宣言し、着替えの衣服や食べ物をククリつけておく場所を提供するなどの役割をはたすことはできました。
 以上、「山田のカカシ」という歌の文句にひかれて、「日本列島農耕の歴史」について考えさせられた一曲でした。

<虫の声>
あれまつむしが ないている
チンチロチンチロ チンチロリン
あれすずむしも なきだして
リンリンリンリン リインリン
あきのよながを なきとおす
ああおもしろい むしのこえ

キリキリキリキリ こおろぎや
ガチャガチャガチャガチャ くつわむし
あとからうまおい おいついて
チョンチョンチョンチョン スイッチョン
(以下省略。 作詞・作曲、作者不詳。文部省唱歌)を

キリギリスか、コオロギか?
 あとからネットで調べて分かったことですが、この歌の2番目の歌詞は、原作の段階で
「きりきりきりきり きりぎりす」となっていたのですが、そのご「きりぎりす」の部分を「こおろぎや」に書きかえたそうです。その理由は、「虫の名前コオロギは、地域によってキリギリスと呼ばれることがある。原作者はその地域の呼び方にしたがってキリギリスとしたが、「文部省唱歌」としては、より一般的な呼び名「コオロギ」を採用することにした」ということのようです。
 ここでも、日本語(ヤマトコトバ)の音韻感覚がもっているキメのこまかさを教えられた思いがします。