2011年7月5日火曜日

「ヒトと生まれて人間になる」

竹部俊恵さんの講演から

入場券

石像群

水面に浮かぶ美術館

記念講演

「言葉の花束」

いっぷく{百河豚}美術館を見学
6月30日(木)、宇奈月のホテル渓仙で開催された「第36回富退協総会」に参加しました。
富山からバスで宇奈月に向かう途中、下新川郡朝日町不動堂のいっぷく{百河豚}美術館を見学しました。
「いっぷく{百河豚}」という名前、一風変わっていますが、もとは創設者青柳政二の雅号だったとのことです。自分の体重が河豚百匹分だったので、ヒャクフグ「百河豚」。フク料理をタラフク食べ、美術品をながめてイップク{一服}できる時間が最高なので、「百河豚」と書いてイップクと読むことにしたそうです。
屋外にある石像群のまえに立っていると、遠い異国へのあこがれみたいなものを感じます。
本館は、ひろい水面にかこまれた島の姿。「宝島」のイメージです。睡蓮もうつくしい。
こんな場所に、これだけの作品をそろえた私立の美術館が存在すること自体が驚きです。

「第36回富退協総会」に出席
会場につくと、坂田勲会長・森田博事務局長はじめ役員のみなさんで会場づくり。午後3時から、総会がはじまりました。ことしの総会出席者は、計27名。さくねんの総会(ゆーとりあ越中)出席者19名にくらべ、大幅増です。
「富退協」は、昨年の総会で会長はじめ役員が交替したのを機会に、組織を点検し、あらたな組織づくりに取りくんでいるようです。ことしの総会では、議事の運び方や、記念講演の講師選定、また懇親会の進行など、いたるところで、あらたな企画や工夫のあとが見られました。

なぜか男性ばかりの「富退協」
「富退協」というのは、「富山県退職教職員協議会」の略称。つまり、富山県小中学校の元教職員たちの団体です。この種団体には二つの流れがあり、一つは(財)富山県教職員厚生会の「退職会員の組織」、つまり体制側の組織。もう一つが富山県教職員組合と連帯関係にある「元組合員の組織」、つまり「富退協」です。
わたしは都合がつくかぎり、どちらの総会にも出席するようにしてきましたが、最近は体調を第一に考えて、出欠をきめるようにしています。
ところで、この「富退協」という組織。じつは会員がすべて男性ばかりという状態がつづいています。「女性は天の半分をささえる」というコトバがありますが、いま小中学校の職場では、「天の大半」をささえている時代。「富退協」の組織実態は、あまりにも異常です。この点についても、こんどの総会で、あらためて話題にされました。

竹部俊恵さんの講演
温泉もよかったし、懇親会もたのしかったですが、わたしにとって一番の収穫は、竹部俊恵さんの講演を聞かせていただいたことです。竹部さんは「ヒトと生まれて人間になる」というタイトルで、ご自身の人生体験、イキザマを語られました。
前出町中学校長で、浄土真宗大谷派横浜別院輪番。「知った人から頼まれると、断れない性分なので」(もともとご近所同士の森田事務局長から頼まれたので)、はるばる横浜から飛行機を乗りついで、この「富退協総会」に駈けつけられたそうです。総会翌日も、朝の一番電車で富山へ、そして飛行機で羽田へ向かわれたとお聞きしました。頭が下がります。

「言葉の花束」
講演の資料として配布された「出中だより」の巻頭言「言葉の花束」から、一部引用してご紹介します。
「私たちは、自分が生きる時代を、自分では選べませんが、どのような時代に生きようが、その時代の中で、様々な人や出来事に出会い、その中から教えられていくことは変わりません。特に、人との出会いは、その人が発した言葉との出会いです。言葉は聞こうとすれば、言葉の花束として私に届けられ、私を育てます。これから、60年間に私がいただいた言葉の花束の中から、いくつかを紹介します。」
≪大学時代≫
「どこで学んだかじゃないんだ。何を学んだかなんだよ」(大学の先輩)
「人生は、やり直すことは出来ないが、見直すことは出来る」(金子大栄)
≪20代のころ≫
「流されて 行くにはあらず 我はただ 自ら流るる 我は河なる」(藤井一道)
≪最近≫
「どんな時も、人生には、意味がある…この人生のどこかに、あなたを必要とする"何か"があり、あなたを必要とする"誰か"がいる。そして、その"何か"や"誰か"は、あなたに発見されるのを"待って"いる」(諸富祥彦)

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