2013年7月16日火曜日

まだツユの中

 
いたち川 
 

アジサイ 



ドンドコ公園(みらーれ7月号)
 
 
 
 「都に賠償命令」の記事



ツユどきの いたち川
711日。富山は まだ ツユが あけて いません。しかも、毎日35℃を 出たり入ったり、朝から あつい 日ざしが 照りつけます。

けさ 散歩の おり、「ツユの間の いたち川」の姿をと 思って、シャッターを 切ったのですが、仕上がりを 見ると、ちょっと 異様な 感じ。まるで そのときの 脳内の 写真を 見せつけられた ような 錯覚を おぼえました。 

 

アジサイ
わたしの 散歩道は ごく せまい 範囲に かぎられて いる ので、いまどきは アジサイ 以外には めぼしい 花が 見あたり ません。

アオサギ君 にも、この 数日 会って いません。先日、遊歩道 まで たどりついて 水面をながめた とたん、そこに アオサギ君が じっと 立っている 姿が 目に はいり ました。10秒か 20秒か たった あと、さっと おおきく ツバさを はばたかせ、わたしの 目のまえを とおりすぎ、上流へ むかって とびさり ました。絶好の シャッター チャンスでしたが、この 日に かぎって、ケータイを 家に おいた まま でした。いま 思いだしても、ザンネン です。「のがした サカナは おおきい」と いいますよね!

 

ドンドコ公園
714日。北日本新聞 富山市内 ミニコミ紙 「みら~れ」7月号の トップに、「富山・とっておきの 景色」と して、「いたち川 ドンドコ公園」の 記事が のって いました。

わたしも、このブログを はじめた ころ まで、いまよりは 足腰も しっかりして いましたので、朝の 散歩に この へん まで 足を のばした ことが あります。すばらしい 写真で、なつかしさの あまり、借用して 紹介させて いただき ました。

 

国歌斉唱時の 不起立で 停職…賠償命令
こんどの 日曜日、21日が 参議院選挙の 投票日だと いう ことで、この ところ 新聞もテレビも 選挙報道一色の 感じが します。そんな中で(13日)、ネットを 見て いて、ちょっと 気にかかる 記事が ありました。

「国歌斉唱時の不起立で停職…東京都への賠償命令が確定」とのミダシで、

学校行事で国歌斉唱時に国旗に向かって起立せず、停職処分を受けた東京都立養護学校の元女性教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の差し戻し上告審で、最高裁第⒉小法廷(小貫芳信裁判長)は12日、都側の上告を退ける決定をした。都に30万円の賠償を命じた東京高裁判決が確定した。都教委は2006年、式典での不起立を理由に女性を停職1カ月の懲戒処分とした。

という 記事 です。ただし、わたしが「気にかかる」と いった のは、この 記事に 寄せられた 読者たちの コメント(2ちゃんねる)の 内容です。たとえば こんな具合:

  賠償命令って、法曹界の暴走だな。近隣国なら死刑もありえるレベルだろうに。

  君が代歌いたくないならさ、教諭にならなければいいだけ。

  教師にチョンは驚くほど多い。特に女。

  こんなのクビに出来る条例さっさと作るべき。

  小貫さんて、どこの国の人ですか?

  韓国では子供たちに強制的に国旗に敬礼と誓約文を朗誦させている。

  教員試験で君が代歌わせたら?

  国家に敬意を払えない者が教育現場に居ること自体がテロでありテロリストである。

  こういう女性は全くモテナイ歪な醜い女に違いない。

  国旗国歌は大切にすべきだが、「君が代」は時代にも国民感情からも乖離している。しかも曲調が暗すぎる。あれは葬送の唄だよ。新しい国歌をつくるべきだ。祖国とおおきみの弥栄を祈りつつ玉砕したる忠君愛国のつわものどもの魂魄いまも九段の杜にあり。しかるに何ぞや。靖国に背を向け、かえりみぬ暗愚非徳不仁のおおきみヒロヒトアキヒト。いまさら「君が代」でもなかろう。

25項目 ほど あった 中から、10項目だけ 紹介しました。全体として、最高裁判決に 反対し 非難する もの ばかりで、一方的 すぎる ようにも みえますが、賛成派の 人たちは
わざわざ コメントする 必要を 感じなかった からと 考えれば、ナルホド とも 思います。

③や⑨の コメント には、「女性差別」を 感じとる 人が いるかも しれません。

⑥の 原文では、このあと10行 あまりの 長文で、韓国の 現状を 紹介して いますが、ご本人の 意見は 述べられて いません。

  の コメントは 比較的 長文ですが、明快な 表現で、理路整然。おおくの 人たちが ムネの中に 抱えながら、あえて 口に しなかった 問題に ズバリ 切りこんだ 感じです。ただし、さいごの「しかるに何ぞや…」以下の 発言は、いささか「八つ当たり」「絶望的」「投げやり」の 感じが します。しずかに、正直に「絶望的」な 現実を 認めてしまった ほうが、そこで、あらためて 真実の 世界が ひらけ、あらたな イノチ(生きがい)が よみがえる かも しれません。「身を捨てて こそ、浮かぶ 瀬もあれ」と いう 歌の文句が ありましたね。

追記:
コメント⑩は、13日の ネット上で 見つけた もの ですが、14日に もういちど 検索した ところ、この 項目 だけ 削除されて いました。なるほどと 安心したり、せっかくの 討議資料をと ザンネンがったり、いろいろです。

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