2014年5月17日土曜日

ミドリ、ミドリゴ、「古事記を読む会」

 
 
ミドリの 遊歩道
 
 
ミドリ児  ハルト[悠人]君 、A 
 
 
ミドリ児  ハルト[悠人]君、B 
 
 
 


ミドリの 遊歩道
いたち川 遊歩道の サクラは すっかり ミドリ色に 変わりました。

しかし よく見ると、先日 ま で歩道に 敷きつめて いた サクラの 花びらの かわりに、こんどは 花の 柄の 部分 までが 散って、歩道を 赤茶色に そめて いました(5月2日)。

 

ミドリ児  ハルト[悠人]
512日、東京 から 西田尚信・規子夫妻が 長男 ハルト[悠人]ともども 来富しました。

1日 夜、藤木芳明・美織夫妻も 参加して 夕食会を 開きましたが、3歳児 ハルト君の 成長ぶりが いちばんの 話題に なりました。去年 会った ときは まだ カタコト しゃべりの ヨチヨチ 歩き でしたが、こんど 会って みると、よく しゃべる こと、よく 動きまわる こと! そのうち、なにか 歌ったり おどったり しはじめ ました。規子さんの 話では、「ふれあい コトバ」とか いう 幼児むけの 歌も できて いて、ネットで しらべれば 分かる との こと でした。

いずれに しても、ミドリの 季節に ミドリ児に 会って、その エネルギーを わけて もらう という のは、めでたい かぎりです。

<追記>

5月15日、規子さん から メールが あり、「先日の 旅行に ついて オンライン アルバムを 作成しました」との ことで、すぐ アクセスして みました。「20140501GW富山旅行」という タイトルで、悠人君 富山滞在 2日間の 記録写真 数十枚が おさめられて いました。「なるほど、こんな ことが できる 時代 なんだ!」と 感心しました。

 

「古事記を 読む 会」第2回 例会
46日に 発足した ばかりの「古事記を 読む 会」第2回 例会が 53日、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所で 開かれました。

前回と ほぼ おなじ 要領で、テキストを 輪読。上巻「イザナキ命のミソギ」から「スミノエ大神・アマテラス大神・スサノヲ命誕生…マサカツカツカチハヤヒアメノオシホミミ命誕生」まで、一気に 読みあげ ました。そのあと、しばらく 時間を とって、参加者 全員で 感想を 出しあい ました。  

わたし 自身の 感想…

『古事記』は わたしの 愛読書の 一つですが、いつも 黙読 ばかり。こんな ふうに 声に出して 朗読した のは はじめてです。おおぜいで、ぶっつけ本番で、これだけの 分量を輪読した のも はじめて。緊張しました。いつも でしたら、途中で 会場風景を ケータイの カメラに おさめて おくのですが、この日 気がついいた ときは もう 会合が 終わって から でした。

『古事記』の 文面を 目で おいかける だけ でなく、声を 出して 読む、また それを 耳で 聞いて 意味を 考える という のは、たしかに 一つの 方法だと 思います。ただ、じっさいの ところ たいへんな 苦行です。まず「書き下し文」とは いっても、文章が 現代文と かけはなれた 文語体。内容も 現代生活 から 想像も つかない 神代の 時代の 話。暗号の ような 神名・人名の 洪水。はじめての 読者に とって、ハードルが 高すぎる 感じも します。

さいわい、テキスト(小学館版)には 現代語訳も ついて います。また、かなり くわしい注釈も そろって います。テマヒマ かけ さえ すれば、いちおう「読んで 理解する」ことは できる でしょう。しかし、問題は その先です。

 

なんの ために 『古事記』を 読む のか?
「古事記を読む会」の みなさんは、いったい なんの ために 『古事記』を 読もうと して いる ので しょうか?また、どんな 目標を 立て、どんな 方法で 研究を すすめられる ので しょうか?例会を かさねる うち、しだいに 分かって くる ことと、楽しみに しています。

ところで、ひとさまの ことは 別と して、わたし自身 どんな 目的、どんな 目標を 設定し、また どんな姿勢、どんな 方法で『古事記』と とりくんで いるか? あらためて 自問自答して みました。自戒を こめて、書きだして みます。

  『古事記』は「宝の山」
『古事記』は、『日本書紀』『万葉集』などと ともに、1級品の 古典であり、「宝の 山」だと 思います。ただし、この「宝の山」から どれだけの タカラを 引きだせるかは、読む 人の 読み方 しだいです。「ないもの ねだり」は ダメ ですが、「古代日本人の 世界観・国家観」、「歴史観」、「言語観」など さまざまな テーマに わたって、貴重な 情報資料が えられるに ちがい ありません。

  歴史観について
いっぱんに『古事記』は「歴史書」として 読まれる ことが おおい よう ですが、その 実態は「歴史書の 体裁」を もたせた「大和政権の 政治報告書」だったと 考えるほうが より 正確と いえる でしょう。しかし、それだからと いって、『古事記』の 価値が へる わけでは ありません。
序文に 出てくる「稽古照今(イニシエ[]を カムガエ[] 今に テラス[])」という 文句は、当時 いちばんの 先進的 歴史観に もとづいて『古事記』が 編纂された ことの 宣言です。そして 21世紀の いま、考古学・歴史学・歴史学・言語学など 最新の 理論や 技術を 総動員して『古事記』を 読みとく こと こそ、「稽古照今」の 伝統を まもる ことに なる でしょう。

  コトバに こだわる
まったく 個人的な こと ですが、わたしは もともと 中国語 専攻で、この 数十年来「日本語・漢語・英語の 音韻比較」作業を つづけて います。たとえば、カツ[搗・勝]とカツ[]cut、サム[]some、スミ[炭・住・澄]smith、テラ[]・テラス[]terraceなど。この 作業で、日本語(ヤマトコトバ) 比較資料の 原典 として、『古事記』(とりわけ 歌謡の 部)や『万葉集』が欠かせ ません。
『古事記』の 用字法を しらべて みると、モジを もたなか
った 日本人が、表意モジの 漢字を 表音モジ として つか
ったり、もとの 漢字音と 関係のない ヤマトコトバに あて
て 読んで みたりしてきた 経過が よく 分かります。
モジの 発明・発達の 歴史は、コトバの 発明・発達の 歴
の くりかえし かと 見られる こと から、古代日本語の
成立・発達の 過程に かんする ヒントを あたえられる こ
とも あります。
  
日漢英 3言語の 音韻を 比較し、その 共通点・相違点を
あきらかに する ことが できれば、インド・ヨーロッパ語
と 日本語や 漢語との 関係も あきらかに なる かもしれ
ません。その点 からも、『古事記』や 『万葉集』は 「
界文化遺産」といってよいでしょう。

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