2015年2月5日木曜日

夜光 NIGHT LIGHT

 
 
 
『夜光』表紙
 
 
東京都大田区西蒲田 
 
 
大阪市中央区道頓堀(部分) 
 
 
  佐藤正樹文集 
 
 
 
もう 一つの 宿題
遺伝子と 宇宙子』を 読む と いう 宿題の ほかに、もう 一つの 宿題が ありました。それは、新年 そうそう 佐藤 正樹 さん から おくられてきた 1冊の 写真集を 読む こと です。同封された 手紙に、こう 書かれて いました。
…私共の長男の写真集です。受取って下さい。ご覧いただければ幸いです。ご返事などのお心遣いはご無用にお願いいたします…
 
写真集『夜光』
佐藤 信太郎 著。201411月、青幻社から 発行。
この 写真集を 制作した 趣旨に ついて、著者自身の 解説を 読んでみます。
この本に収録されている写真は、1997年から99年にかけて東京と大阪で撮影された。主として繁華街と呼ばれる場所で撮影している。美しさとは縁遠いような猥雑な場所がもつ特有の美しさや雰囲気を捉えたいと思った…
撮影にあたり、街そのものを引き出すために、人影は消し去った。多くの人でにぎわう街角も、数秒だけ人波が途切れることがある。その間だけレンズを開ける。人が来た時にまたレンズの前を黒い紙で隠す…いわば人のいない瞬間の多重露光である…
…通りから人の姿を取り除くと、街は普段目にすることのない姿を現す…ネオンの過剰な色彩や光は、人を引きつけるという本来の役割を失ったように見える…人間が消滅し、人の制御を離れても永久に活動し続ける有機体を思わせる。
15年の歳月が過ぎ去り…今から振り返ると、世紀末の街は…小奇麗になっていく今の街より魅力的だったように思う。しかし、表層がどんなに変化していっても、根底に流れる、地霊(spirit of the place)ともいうべき、場所の持つ猥雑な美しさと固有の雰囲気は、街の歴史の奥底に残り続けていると感じている。
 
風変わりな 写真集
わたしは 音楽や 美術に かんする 教養が とぼしい ので、作品の 芸術性に ついて 批評する 能力は ありません。ただ、これまで 佐藤 正樹 さん から 作品文集を いただいており、それが わたしの よい 勉強に なって います。こんどは その ご子息の 作品 という こと なので、「なにか 新発見が ある かも しれない」という 期待 みたいな ものはありました。
この本の 表紙を 見た ときの 第一印象は、「風変わりな 本」という こと でした。まず、どっちが 表紙なのか、裏表紙 なのか、判断が つきません。ギラギラした 色づかいの カンバン文字が 目に せまって くる だけで、本の タイトルが 見あたり ません。じっと 目を こらして、さがす こと 数秒。ようやく「夜光 NIGHT LIGHT」と 読みとる ことが できました。
そのあと 著者自身の 解説(前記)を 読んで みて、「なるほど…ワカル」と 共感する きもちに なりました。 それと 同時に、「この 世界、この 風景、この 感覚」が わたしに とって 初体験では ない ように 思われて きました。そして、やがて、「風変わりな 文集」の 著者 と「風変わりな 写真集」の 著者が 父子関係に ある ことを 再認識し、あらためて「なるほど…ワカッタ」と 感じました。
 
佐藤 父子の DNA (遺伝子)
佐藤 正樹 さん とは ふしぎな ご縁で、これまで 「泰山木…その時の山…房総丘陵歩き…山行記録(1997) から 「ヌーベス・雲…歩いて日々…山野歩きの記録」(2014年)まで 計6冊の 文集を いただいて います。
「風変わり」という 点 では、この 文集の ほうが いっそう 「風変わり」といえる かもしれません。たとえば、本の タイトル6冊 とも 34行 ならべて 書かれて います。いっぱんの 単行本 では めったに 見られ ない 形式 です。ただし、この ばあいは アマチュアの 文集 です から、だれに 気がねする ことも なく、じぶんで ナットクできる 方法で、自由に 表現すれば よいと 思います。「風変わり」と 見るか、「個性的」と 見るかは、これ また 読む人の 自由という ことに なります。
文集の 内容は 詩作品が 主流 ですが、「山歩き、野歩き」などの 紀行文も ふくまれて います。その 詩作品紀行文 とも 一貫して いる ものが 「まわりの ものを 見る 目」です。詩作品は、自由詩という ので しょうか。どちらか というと、俳句を つくる 人たちの 「コトバで 写生する」姿勢が 基本に なって いる よう です。しかし、それが ただの 写生で 終わっては いません。コツコツ 写生する のは、その さきに 人間や 自然や宇宙の イノチを 感じとる ための 手段 なの でしょう。
たとえば、「幹から直接顔を出す桜の小花」を観察しながら、かたわらの「赤ん坊」に むかって、「お前のようだね」と 呼びかけて います。つまり、「桜の小花」と「赤ん坊」の姿 から 遺伝子か 宇宙子の はたらきを 感じとる ことが できた から でしょう。
コトバ (もともと 音声信号)を ならべるか、写真(視覚信号)を ならべるか、手段は ちがいますが、そこに 一つの 世界を えがきだし、その 奥 から イノチの はたらきを あぶりだす、その 手法は おなじ と いえます。
文集と 写真集とを よみくらべて、佐藤 父子の DNA (遺伝子)を 見せつけ られる 思いがしました。
それに しても、『遺伝子と宇宙子』に つづいて 『夜光』、よい 勉強に なりました。ありがとう ございました。
 
<参考>
佐藤 正樹 さんの 文集内容に ついては、この ブログ 記事「新緑の 季節…佐藤正樹詩集」(2014.5.5.6)を あわせて ご参照 ください。

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