2015年9月2日水曜日

ブログを 再開します 

 
 
日本海文化悠学会 7月例会
 
 
  • 「悠学」第1集 表紙 
 
 
志田先生を偲ぶ会 記念講演 
 
 
同上 懇親会場  
 
 
北日本新聞記事 
 
 
 

ブログ 再開の ごあいさつ
710日号 以来、長期間に わたって ブログを 休ませて いただき、たいへん 失礼いたしました。おかげさまで、「教育・文芸とやま」21号の 応募原稿は シメキリ 1週間前の 818日に 提出する ことが できました。

さくねん 20に のせて いただいた 原稿は 「『アユの 風』を 考える…ヤ行音の 意味」という タイトルで、「日本語の アユと いう 語音は、動詞 アユ[零・肖]・アユム[]・イユ[癒・被癒]・オユ[]や 名詞 アヤ[漢・文・綾]・アユ[]・オヤ[] などと 同系の 語音」であり、「アユ[]=弓で 矢を 射る 姿の 魚」、「アユの 風=矢を 射る ようなはげしい 風」と 指摘しました。

ことしの 応募原稿は「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音 地名を 読む」というタイトルで、地名 ニヒ[]・ネヒ[婦負]を 中心に、動詞 ナフ[]・ヌフ[]・ネバフ[根延]・ノブ[延・述]や 名詞 ナハ[]・ナヘ[]・ナベ[]・ニハ[]・ニヒバリ[新治]・ニヘ[]・ヌヒバリ[縫針] など、n-p音 日本語の 発生・発達の 問題として 議論して みました。あわせて、「メヒ から ネヒへの 音韻変化」や「漢語・英語のn-p音との 対応関係」などに ついて、私見を のべました。12月 中旬 発行の 予定です。

 

「悠学」第1集 発行
7月24日(金)、日本海文化悠学会 月例会の 席で、会誌 第1集が 配布されました。会が 結成されて から 3年、全会員が 協力して つくり あげた 会誌 第1号です。まずは 表紙 デザインの みごとさに おどろき、つづいて カカラー 印刷の 写真や 図表が くみこまれて いるのを 見て、「カッコイイ 作品に なったな」と 感心しました。

 表紙は、佐藤 芙美 会員 (洋画家)の 作品。すばらしい センスですが、問題は、会誌の内容です。目次を 見ると、たしかに 多彩です。

 第1部 「婦負」の 歴史を 求めて

 越中と 頼光の 四天王…宮原 利英

 渡辺氏の 実態を「渡辺党」の 動向から 探る…五十嵐 顕房

 古文書から 野積谷を 考える…五十嵐 俊子

 祖父岳…山口 悦子

 「牛ヶ首用水」地名考…仙石 正三

 (中略)

第2部 コトの 始まり

 弓から 生まれた 古代の 琴…北河 美智子

 スミノエ神は Mr. Smith だった (仮説)…イズミ オキナガ

 越中から 日本を 見る…中島 信之

 歴史と 文化の 薫る まち「ふるこはん」…針山 康雄

 古代 立山信仰の 源流を 探る…関谷 克己

 そして 最後に、「活動記録」「会員名簿」「会則」「日文悠 ニュース」などが 記録されています。

 わたしは もともと 歴史学や 考古学の 門外漢です から、みなさんの 研究報告を 読ませて いただいて、「ああ、そう だった のか」と 感心する ばかり ですが、その 研究報告に 用いられる コトバや モジに ついては、いろいろ 注文を つけたい 感じを もっています。

 たとえば、第1部の タイトルを 「『婦負』の 歴史を 求めて」と したのは 編集者の 見識を しめす ものと して 高く 評価したいと 思います。ただし、せっかく「『婦負』の 歴史…」を タイトルと して おきながら、ネイ[婦負]と いう 用語に かんする 解説記事が見あたら ないのは、いささか 残念です。ネイ[婦負]は、歴史カナヅカイでは ネヒ。『万葉集』など では メヒ[婦負]と 呼ばれて いた ものが、m-子音 から n-子音への 音韻変化の 結果 ネヒと なり、さらには ネイと 変化した ものと されて います。それにしても、地名 メヒは ナゼ 漢字で [婦負]と 表記された のか?親族関係を あらわす メヒ[]と まったく おなじ 音形なのは ナゼか?そう いった ナゾを 解説して くれる 記事が あれば、「日本海文化 悠学会」の イメージに ぴったりだと 思う のですが、いかがで しょうか?

 第2部の 「コトの 始まり」に ついても、おなじ ことが いえます。コトと いう 語音は、漢字で [事・言・辞・琴・箏・殊・異]などと 書き分け られて いますが、ヤマトコトバと しては もともと 1語です。それだけでは ありません。コトは カタ[方・肩・形・潟・片]・クチ[]・クツ[靴・沓] などと ともに k-t音 タイプの 語音で あり、動詞カツ[搗・勝](カチワル)・クツ[](クダケル)などと 同系の コトバです。さらに いえば、漢語の カツkatge・クツgiuetjuや 英語の cut(切る、掘る)などにも 対応する 語音です。

 学問研究には、一つ一つの 用語に ついても、客観性・合理性が 求められ ます。ネイ・メイ・コト などの 用語に ついても、日本・北陸・富山県と いう ローカルな 意味・用法に あわせる だけで なく、漢語や 英語の n-p, k-t音との 対応関係を 利用して 議論する ことが できれば、それだけ 説得力が たかまり、いちだんと グローバルな 議論ができる でしょう。こうした 基礎 がための 作業が「日本海文化」学習の コトハジメに なる のでは ないで しょうか?

 

志田先生を偲ぶ会
726日(日)。富山市長江の 長念寺で「志田延義先生を 偲ぶ会」が 開催されました。この日、記念講演の席で 大村 歌子さんが「志田 義秀・志田 延義・志田 麓 三学者の 足跡」と 題して 講演されました。「志田文庫(富山県立図書館収蔵)に ついて」、「素琴(志田 義秀)先生と 内田百閒の 交流」、「志田家と 佐佐木 信綱・由紀子 夫妻との 関係」、「ヘルン文庫と 志田家の 関わり」などの 項目に ついて、それぞれ 関係者(内田 百閒・大田 栄太郎 など)の 証言記録を そえて 解説された ので、たいへん 説得力が ありました。

志田 延義先生は 山梨大学 名誉教授・国語審議会 委員・日本歌謡学会 創立者などの 肩書を もつ 偉い 学者先生ですが、わたしが はじめて 先生に お目に かかった のは、知人に さそわれて 出席した 文学(?)学習サークル での こと。その 会場が 長念寺ですから、まさに 「寺子屋」の 感じ でした。てもとに 正確な 記録は ありませんが、このサークルは 10年 以上 つづき、『歎異抄』・『親鸞和讃』・『教行信証』などが テーマと して とりあげられ ました。延義 先生は 毎回 講義用 テキストを 準備して 出席者に 配布し、全力投球で 講義され ました。そして 講義の あと、わたし など まったくの 門外漢を ふくめ、参加者 から さまざまな 質問や 意見が だされます。先生は、それを 正面から 受けとめ、ていねいに 解説されました。

 そんな 先生の 人がらに 引かれて、ついつい サークルの 定例会 以外の 日にも 長念寺へ おしかけて、いろいろ 教えて いただく ように なりました。わたしは 中国語 専攻ですが、日本語と 漢語(中国語)と 英語の 音韻比較作業を つづける 中で、日漢英 語音の 対応関係に 気づき、かってに「象形言語説」と いう 仮説を 発表したり して いました ので、自分の 作品が まとまる たびに、先生に 読んで いただき、助言を お願い しました。

 19919月、社会評論社 から『コトダマの 世界…象形言語説の 検証』を 出版した とき,先生は 地元の 北日本新聞 紙上に「『コトダマの 世界』を 読んで」と いう 紹介記事を よせて ください ました。この 記事の 中で 先生は、「江戸時代には、五十音図の各音もしくは各行に特定の意義をみようとする音義説あるいは言霊論が行われたが、近代国語学・言語学ではこれを非科学的として顧みないことにした。しかし(その後)上代特殊仮名遣い(甲・乙の別」が明らかにされ、上代の漢字音も次第に確かめられるようになり、上代語の意義がより正確にとらえやすくなった。泉さんの象形言語の仮説は、この新しい科学的道具をも活用して、音義説・言霊論を科学的に再構築することを目指したものだ」と 評価され ました(当時の 状況に ついては、ブログ「コトダマの 世界」2011.9.27号、「五十音図を 見なおす」の 項を 参照)。 あれから もう 20年 以上に なりますが、わたしに とって いちばんの「心の ササエ」で あり、ま た ハゲマシ とも なって います。

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