2015年12月23日水曜日

2015年を おくる

 
 
紅葉の なごり 11/30 
 
 
赤い 実 12/2  
 
 
いたち川 12/12  
 
 
カモが いた 12/12  
 

「古事記を 読む 会」忘年会 12/13
 
 
 

2015年を おくる
 あれも したい、これも したいと 思い ながら、決断する までに 時間が かかったり、いざ とりかかって みると、手も 足も 動きが にぶく、うっかり ミスで パソコンの 不調を まねいたり という 生活が つづいて います。そして、あれよ あれよ という 間に、2015年が 終わろうと して います。

  このまま 無事 年末年始を 過ごす ことが できれば、2月には めでたく 満96歳に なる という 計算ですが、ここで あらためて ことし1年間の生活を ふりかえって みる ことに します。

 

「アピア」から「まちなか」へ
 わたしは ことし8月まで、稲荷元町の「アピアフィットリハ」に かよって いましたが、9月から 千石町に ある 「まちなか デイ サービス」に 変わり ました(ブログ15.10.8号参照)。二つの 施設を 経験した ことで、あらためて 日本の 介護制度や 施設・運営などの 問題に ついて、いろいろ 考えてみる ように なりました。

 わたしの 場合は「要支援 1」ですが、「要支援 2」の 方も おられます。「要介護」については、1から 5までの 区分が ある そうです。それらの 区分に したがって、必要かつ 十分と される サービスの 内容にも ちがいが あり、さまざまな 施設建設や 運営が 進められて いる ようです。こうした 施設が 整備され、ひろく 利用されて ゆけば、日本人の 平均寿命は さらに のびる のでは という 感じが します。ただし、それには この 平和な 社会が つづいて いる ことが 前提条件 です。もし 日本が 戦争に 巻きこまれる ことに なれば、高齢者むけ 「支援・介護」などの 予算は まっさきに「節約」される こと でしょう。

 この 「まちなか」へ うつって きた ことで、とても うれしかった ことが あります。それは、ン十年ぶりで Mts さんと 再会できた こと です。はじめての 出あいは いつ・どんな 場面 だったか?それは はるか 忘却の 彼方 ですが、いずれに しても わたしが富山市の 中学校に 勤務して いた ころの こと。専攻外の 英語教師を 命じられた わたしは、生徒と いっしょに 英語劇に とりくんだり、アメリカの 中学生との 文通を めざして P.F..(郵便友の会)の 運動に 熱中したり して いました。富山大学の 須沼 吉太郎 先生に おねがいして パール バック 女史を ご紹介 いただき、また その ご紹介で、アメリカの 私立学校 校長 バリー 先生から ていねいな おたよりを いただいた こともあります。バリー 先生の おたよりは、その後 わたしが 学級経営や 生徒指導の 方針を考える 上で おおきな ささえと なりました。やがて わたしが 日教組の 教研集会の 場で 「能力別学級に よる 英語学習 指導の こころみ」に ついて 報告したり、「発音と 意味を 結びつける 語彙指導法」を 提唱したり したのも、わたしに とっては すべて ただ一すじの 道として つながって います。

 おなじく 中学校教師と いっても、Mts さんは 国語課 担当。教科別の 研修会 などで同席する ことは まず ありません。それでも、Mts さんの ことが ずっと 気になって いたのは、職場を はなれた「学習 サークル」の 場での 言動が キラキラ かがやいて 見えた から でしょう。年齢では 年上の わたし ですが、いつも ひそかに 敬服して いました。

 それが こんど、「パソコンの 機械が 日進月歩 なので、ついて ゆけない」と こぼしている のを きいて、妙な 親近感を おぼえ ました。最近は、文芸書 など よりも 時事問題 関連の ものに  関心が ある との こと。いずれに しても、この時、この場所で、この人に また 会えるとは 思いません でした。まさしく「縁は 異な もの!」

 

「日本海文化 悠学會」の こと
 加齢と ともに、足腰が よわり、会合に 出席する ことも すくなく なりました。そのなかで、いまでも 楽しみに している 会合が あります。それが「日本海文化 悠学會」(略称「悠学會」)と 「古事記を 読む 会」です。

 その 悠学會が 結成 3周年を 記念して、7月に 会誌「悠学」第1を 発行しました。仙石 正三 さんの「『牛ヶ首 用水』 地名考」を はじめ、五十嵐 顕房 さんの 「渡辺氏の実態を 『渡辺党』の 動向から 探る」、中島 信之 さんの「越中から 日本を 見る」など、あらかたの みなさんが「越中・富山から 日本全国へ 向けて 発信する」という 姿勢で 発言して おられます。その なかで、わたしは「スミノエ神はMr. Smithだった(仮説)」という 1文を のせて いただきました。サブタイトルが 「『古事記』s-m音語の 分析から…」いささか「場チガイ」の 感じを あたえる 結果に なった のでは ないかと 反省も して います。

 じつは、わたしが この テーマで 問題提起した のは、これが はじめて では ありません。1995年に「スミ・シム・SMITH…スミノエ神はSMELTING MAGICIAN」を 発表して 以来の 持論で あり、これまで 機会 ある ごとに 提案しつづけ ながら、いまだに 公認されて いない テーマです。わたしと しては、こんど「日本海文化悠学会」の 一員に くわえて いただいた 機会に、わたしの 原点とも いうべき「言語史観」に ついて、みなさまから ご教示を いただきたいと 考えた しだいです。

地球規模で 見れば、日本海や 日本語は ごく ローカルな 存在に すぎません。その ローカルな 日本語=ヤマトコトバを ローカルな 視点から だけで なく、グローバルな 視点からも 合わせて 分析したり、まわりの 民族言語(漢語・英語など)の 音韻組織と 比較する などの 作業を すすめる ことが できれば、日本語の 歴史(語根と 派生語の 関係や音韻変化の 歴史など)は、格段と あきらかに なる ことが 期待できます。日本史に 登場する 神名・人名・地名などに ついても、より 精密な 解釈が できる ように なる でしょう。「日本海文化 悠学会」が めざす 研究項目の 一つとして、とりあげて いただければと 願って います。

 

「古事記を 読む 会」の こと
「古事記を 読む 会」は、昨年 4月に 発足して から まだ 2年 足らず。会員10人 そこそこの ちいさな サークル ですが、わたしに とっては いちばん 楽しみに している サークル です。みなさん、『古事記』を 読むのが 大好き。はじめの 予定では 「12月はお休み」と なって いましたが、ことしは126日に 研修会、ついでに 13日に 忘年会を 開いて 盛りあがって いました。

  12月の 例会で、わたしは 「大国主神を めぐる ナゾ」に ついて 報告・提案 させて いただき ました。「大国主は 神か、命か?」、「オオ[]と スクナ[]の 語源は?」、「クニ[]は、もと クネクネ・クネル 境界線の 姿か?」など。

 とりわけ 最後の 「クニ[] = クネクネ・クネル 姿」に 気づいた のは、こんど 『古事記』大国主神の くだりを 読みなして みた おかげです。ヤマトコトバと しては、k-nは ごく 少数派2音節動詞は、カヌ[]だけ。3音節動詞では、カナフ[]・カネル[]・クナグ[]・クネル(折れ 曲がる)・コナス[]・コナル[]・コネル[] などが 成立して います。

  くらべて、漢語や 英語では、k-n音は かなりの 多数派です。漢語では、カン関guan、コン根gen、コン困kun、ケン拳quan などを 参考。英語では、can できる// country // connectつなぐ // kneeヒザ関節 //knuckle ユビ関節。ゲンコツ// などを 参照。

 先入観を はなれ、客観的に 考えて みると、ここに あげたk-n音語は、民族語の ワクを こえて 共通の姿を 表わして いる ようです。

Canとは、ユメが 現実として カナフ 姿。クニ[] countryも、もとは「クネクネ・クネル 境界線」の 姿から、「領土・国家」などの 意味・用法が 生まれたと 考えられます。カヌ[]・クナグ[]・カンセツ[関節]・ゲンコツ[拳骨]・コン[]can, connectknee, knuckle などk-n音語の 背景として、,B 二つの もの 関節などに よって合作し、クネクネ・クネリ つながり、あらたな 動作が できる(カナフ・can)ように なった 経過が 推定 されます。

 

「教育・文芸 とやま」第21号の こと
1215日()富山県教職員厚生会 発行の「教育・文芸とやま」第21が とどきました。今回は 評論の 部で「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音地名を 読む」を のせて いただきました。ここで、n-p音日本語に ついて 議論する 余裕は ありませんが、前記 k-nと ともに、今後も 機会が あれば くりかえし とりあげて みたい テーマの 一つ です。

 

ことしの 漢字は []
1216日()。ことしの 漢字は []と 報道され ました。おかげさまで、この ブログも なんとか 無事2015年を 記録し つづける ことが できました。
 いまは ただ、「2016年も、どうか 平安な 1で あります ように」と いのる ばかりです。

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