2017年11月22日水曜日

カゼは、なおりました


『古事記』を読む会 11/5 


サンタクロースかざり 11/9 


デイ・ケアの風景11/13  


音の会 11/18  



『古事記』を読む会
 115日(日)午前、茶屋町豊栄稲荷神社で「『古事記』を読む会」に出席。この日、服部征雄さんから「天の御中主神・高御産巣日神・神産巣日神」の神名およびそれぞれの役割などにかんする調査報告と提案がありました。あわせて、『後漢書』(巻八五東夷列伝)の記事についても資料として提示されました。

 まことに申しわけないことですが、わたしは10月下旬からカゼぎみで、当日もいささか頭がボーッとした感じでした。この日の研修会で、ナニをドコまで研修できたのか、いま考えてみても、どうもピンとこないままです。

 そのこととは別に、これまでの研修会でくりかえし議論されているテーマの一つ、「ヤマト(政権)とイズモとの関係」について、わたしなりの解釈をまとめてみましたので、ぜひいちどみなさんに提案し、議論していただけたらと願っています。このブログでも先日とりあげた問題(2017.10.18.「『古事記』と鉄と祭り」)ですが、くりかえし提案させていただきます。

「ヤマト(政権)とイズモとの関係」をどう考えるか?それは、どんな視点から、この問題をとりあげるかによって、議論の方向がおおきく分かれることでしょう。また、せっかく複数の論者で討論し、実りある結論を期待するなら、議論にはいるまえにまず「ヤマト」、「イズモ」など基本的な用語の意味・用法について共通理解をたしかめておくことが必用でしょう。あるいは、議論の途中でも、「当時の日本列島は、母系家族の社会だったのか」、さらには「鉄を生産・使用する技術はどこまで広まっていたのか」などの問題についてもチェックしてみることが必要になるかもしれません。

 そして、みなさんがいちばん関心をもち追求しているテーマの一つが、「ヤマト(政権)のイズモにたいする基本政策」といってよいかと思います。そこで、『古事記』・『日本書紀』はじめ、「ヤマタイ国論争」(九州説・畿内説)などを参考にすべきことはもちろんですが、もう一つの重要参考資料として、越中国守をつとめた大伴家持の作品(和歌)をとりあげるよう提案したいと考えています。

ヤマト朝廷のミカドの指名で「しなざかるコシの国」へ派遣された家持は、なにはさておき、まずその土地の実態にあわせた和歌づくりにはげみました。コシの国へ来たら、東西各地域まで足をはこび、その土地の実力者たちとコトバをかわし、なによりまず人間同士としての信頼関係をものにしたいと考えていたようです。鉄製スキによるイネ農耕という先進技術をもつヤマト中央政権から派遣された地方長官の「新任あいさつ」の場ですから、「国府の館まで、豪族たちを呼びよせる」という方法などもあったかと考えられるのですが、家持は、そのぎゃくの手をうちました。「新任のあいさつ」を和歌の朗詠という形で披露。ここまでていねいなアイサツを受けた豪族たちは、その後どんな反応をみせたでしょうか?

家持の地方豪族たちへの接し方は、越中国守としての基本政策にしたがったものであり、さらにいえば、ヤマト政権の基本政策を忠実に実践した事例かと思われます。

家持の(外交)基本政策が、ヤマタイ国以来の伝統といえるかどうか? にわかに断定はできませんが、可能性はありそうです。さいきん、アメリカの大統領や日本の総理大臣などの発言を聞く機会がおおく、いますぐにでも戦争がはじまりそうで、気になります。そして、それとは対照的に、ひたすら平和を願って発言しつづけてこられた天皇陛下退位の日程がとりざたされています。いろいろ考えさせられますね。



デイ・ケアの風景

119日(木)。デイ・ケアのスタッフの一人が、ゴムふうせんでサンタクロースかざりをつくってくれました。それも、二つ。テーブルの上に、座らせようとしましたが、クネクネするばかりで、おとなしく座ってくれません。まあ、これくらいでいいとしますか。

それにしても、つい先日までハロウィンかざりでおおさわぎしていましたが、11月にはいったとたんに、サンタクロースかざりとは!

 1113日(月)。この日、デイ・ケアの風景をスナップしてみました。毎回ほぼおなじ風景ですが、壁かざりの木の枝のナリモノ(葉・実)がすこし変化しました。ユズは常連。花びんの花(ムラサキ)の名はスターチス。赤い実はヒペリカムだそうです。



あらためてパソコン・レッスン

1117日(金)午後1時過ぎ、ホーム6Fで散髪。定期的に、南砺市福光から「髪や」さん(女性二人)が出張、臨時開業。カミキリだけなら、1800円。

 この日、午後2時~3時、ysdさんから、パソコンのレッスンを受けました。これまでは、甥の土地茂樹さんにたよって、なんとかブログをつづけてきましたが、茂樹さんが亡くなってからは、それができません。ホ-ムのスタッフの方に教えていただいたりもしましたが、つぎつぎトラブルがつづきます。そこで、むかし西町にあったパソコン教室以来、いろいろお世話になったysdさんに、あらためてご指導をお願いすることにしました。パソコンの世界は日進月歩。ぎゃくに、こちらのアタマはすでにポンコツ状態。いまさらムダということになるかもしれませんが、やれるだけのことはやってみたいと思います。よろしくお願いします。



音の会 
 1118日(土)午後、ホーム「めぐみ」9Fで、恒例の「音の会」が開かれました。携帯用楽器・手書きの大判歌詞カードなど持参で、歌のお姉さんが登場。季節にあわせて、「もみじ」からはじまり、全員で「高校三年生」、「きよしのズンドコ節」、「里の秋」などを歌いました。途中で、ミニ楽器を配ってフンイキをもりあげたり、紙製の棒を配って、かるいタイソウをおりこんだりしていました。出席者10人あまり。よい気分転換になったと思います。


カゼは、なおりました
 ハジメにちょっとふれましたが、10月下旬からカゼをひいた感じで、1F桝谷内科でカゼ薬をいただき、ウガイもやってみましたが、どうもスッキリしないまま、11月にはいりました。そろそろインフルエンザの予防接種を受ける季節だが、これではどうにもならない。そんなアセリも感じました。カゼ薬を追加服用することになったとき、医師からいわれたヒトコトがわたしの考えを変えました。「いま、カゼそのものをナオスクスリはない」。あとでネットでもしらべてみました。そのとおりでした。「いまあるのは、カゼの症状を改善できるだけ」、「カゼそのものをなおす薬を発明できれば、ノーベル賞もの」、「いま、たよりになるのは、患者本人がもっている治癒力だけ」。そこで、わたしもハラをきめました。97歳老人に、カゼをなおすだけの体力がのこっているかどうか、証拠はありません。しかし、体温が平温にもどり、セキもかなりおさまってきましたので、あとはダメモトで、自分の「治癒力」にたよってみることにします。カゼ薬は、オシマイにする。夜は、できるだけはやくネル。水分は、サユでよいから、ガブガブのむことにしています。
 いろいろご心配をかけましたが、カゼはどうにかのりこえることができました。インフルエンザの予防接種もすませました。ありがとうございます。


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