2018年10月20日土曜日

手足指カラメ・マッサージなど


音を聞く会 10/3


『古事記』を読む会  10/7  


「体育の日」の昼食  10/8 



 「陰陽五行説」参考図 


三味線を聞く会 10/18  




音を聞く会

103日(水)。午後、9fで「音を聞く会」に出席。この日は、「のお姉さん」にあわせて「のお姉さん」が共演。「出た出た月が…」の「月」ではじまり、「里の秋」、「もみじ」、「故郷」、「高原列車は行く」,「村まつり」、「こきりこ節」、「赤とんぼ」など、秋の歌オンパレード。一曲ごとに毛筆で手書きされた大判歌詞カードが掲示されるので、忘れかけていた歌詞を思いだしながら、いっしょになって歌っていました。



『古事記』を読む会

107日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社『古事記』を読む会研修会。

服部征雄さんが「三輪山をめぐる話題」として報告・提案されました。当日配布されたレジュメ(A判2)から要約してご紹介します。

 梅原猛の『神々のルザン[流穴+鼠]では、出雲神話は大和神話であったとの思いつきを基に議論を発展させている。その根拠となる「八俣大蛇=三輪山」仮説を検討してみた。

梅原の主張】①ヤマタノオロチは女好きで、大酒好き。大神神社(三輪山)と一致する。②ヤマタノオロチの身長は「渓八谷・峡八尾」にわたり、苔・檜・杉が生えているが、三輪山にも多くの峡や尾根があり、一致する。③三輪山のご神体は蛇であり、出雲の大蛇と共通する。

反論】①出雲神話における八俣の大蛇は娘を毎年食べる恐怖の対象であるが、三輪山は大和の守り神として畏敬の念とともに極めて親しみを感じさせる神である。例証として、萬葉集から;三諸は 人の守る山 本辺は 馬酔木 花咲く 末辺は 椿花咲く うらぐはし山ぞ 泣く子守る山(3222)。また、萬17, 18. ②「大蛇の姿形は三輪山の地形と良く一致する」としているが、三輪山の航空写真を見ても、大蛇の形容とは相容れない。

 服部さんは、さらに「ウエブログから」として、「梅原猛が主張した点」をつぎのように「羅列」しています。

1.      出雲神話の舞台は大和であり、アマテラス系の神々に敗れたスサノオや大国主命など、元は大和にいた神々が流されて成立した。

2.      背中に松の木が生えたヤマタノオロチは三輪山である。

3.      因幡の白ウサギの話は、福岡の沖ノ島の話である。

4.      出雲大社は記紀成立のころに、大和の西(根の国)に建立された。対して、伊勢神宮は東に建てられた。

5.      アマテラスが天孫ニニギノミコトに地上の統治を任せるのは、持統天皇が皇統を孫の天武天皇に伝えることを正統化するためにつくられた。

6.      古事記を暗誦した稗田阿礼は、藤原不比等である。中臣鎌足の次男だが、田辺史という文筆を生業とする人に養育される。本名は史(ふひと)であり、史書を書く才能をもっていたことは容易に推察できる。長男の武智麻呂は図書頭。

7.    天武天皇は28歳の稗田阿礼に歴史編集を命じた。658年生まれの不比等はまさに28歳。

(以下省略)

 さて、これだけの資料から、梅原猛説についてどう判断したらよいでしょうか?学習不足のわたしには判断する資格がなさそうですが、感想だけのべます。梅原説は、独自の哲学者の視点からズバリ判断をくだし、議論をすすめています。それだけ傾聴にあたいすると思いますが、おなじ日本語で語りながら、その具体的な意味内容は、普通一般の人のそれと比べて、かなりちがう傾向があります。その点で、「歴史の真実」をさぐるばあいには、やはり歴史学や考古学の資料を基本にして判断するほうが無難だと思います。

 三輪山にかぎらず、と呼ばれる地点は一定の高さを持ち、水源地帯ともなっています。そのは、地域一帯の住民や動植物のイノチを守る役割を果たしていますが、時には、洪水・土砂くずれ・鉄砲水などの災害をもたらすこともあります。山や水それ自体は、大自然の摂理にしたがって変化しているだけなのでしょうが、そこの住民としては、「守られている」と感じたり、「被害をうけた」と感じたりすることになります。その点では、『古事記』(崇神)の「三輪山伝説」は、当時の地域住民が「守られている」と意識していたことの例証とみるのが順当かと思われます。



「体育の日」の昼食

10月8日(月)。「体育の日」ということで、昼食のご膳には「体育の日」の祝賀カードが立てられ、「秋のたきこみご飯」、「ブタ汁」、「えびフライ」といっしょに、デザートの「マロン・ババロア」がならんでいました。この「マロン・ババロア」という名前は、あとで「10月の献立表」を見て、やっと分かりました。マロンフランス語クリ[栗]だということも、ネットでたしかめることができました。

せっかくおいしいゴチソウをいただいても、その名前も知らないままでは、食品にたいして申しわけない気がします。ぎゃくに、その名前や素材のことなどがわかれば、それだけ余計においしさを味わえると思います。その点、この老人ホームへ入居してから、わたしの「モノの見方」がすこし変化してきたようです。

 それにしても、祝日や入居者誕生日にあわせてメニューを考える調理担当スタッフの方の気苦労を考えると、これはたいへんなことだなと思います。ひと口に入居者といっても、ひとりひとり身体的条件(消化・吸収能力など)も食品の好みもちがうわけですから…



「機能訓練」の話

 この日午後2時から9fで「機能訓練」に出席。「機能訓練」というのは、ホームで生活している老人たちが「ネタキリ」にならないよう、最低限度必要な身体機能を維持するための訓練=体操です。「自分の手をつかい、自分の口で食事をとることができる」、「自分の足でトイレまで歩き、用事を足すことができる」などが基準で、そのための基本動作ひとつひとつについて、くりかえし訓練することになります。たとえば、①頭(くび)を前後左右にかたむける。また、左右にまわす(ひねる)。②左右の手の指を組みあわせ、そのまま頭の上にかざす。③(棒を使って)上半身(胴体)を左右にたおす(かたむける)、まわす(ひねる)。④イスに腰かけた状態から、まえにあるテーブルに両手をそえ、頭を下げ、両足を踏んばって、立ち上がる。⑤腰かけたまま、左右の足でアシブミする(以下省略)

 この日は、施設長が直接指導されました。訓練項目は、あらかたこれまでどおりでしたが、1点だけはじめての項目がありました。それは「足指のシビレ」などの手当法の一つで、「手の指5足の指にしっかりカラマセル(組みあわせる)、そして前後左右にふりまわす」、ただそれだけの作業ですが、かなり効果があるようです。というのは、わたし自身、ホームへ入居してまもなく、左右とも足の指あたりにシビレを感じるようになり、あまりのイタサで夜中に目をさまし、ねぼけマナコでマッサージをする状態がつづきました。その話をきいた美織さんが、母親を介護した経験から、この手当法を教えてくれました。早速実験してみたところ、すぐに効果があらわれました。シビレ・イタミがぜんぶ消えたということではありませんが、それほど気にならなくなりました。ありがたいと思っています。この指カラメ・マッサージは、いまも毎日(朝食まえと夜ねるまえ農耕2回)やっています。

 「縁の下の力持ち」というコトワザがありますが、考えてみると、足のユビやカガト身体の最底辺そのものであり、2足歩行など人の行動すべてを支える土台となっています。やがてまるまる1世紀にわたってわたしのカラダを支えつづけた功労者ですから、せめてマッサージという感謝状くらいはさしあげたいと思っています。



「陰陽五行説」の話

悠学会の9月研修会で、「エビス土面」が話題になったことは、前回のブログでご報告しましたが、そのことと関連して、「エビス土面」が流布するようになった当時、日本人の「ものの見方」、「宇宙観」がどんなものだったのか、気になって、すこしだけ考えてみました。

モジを持たなかった日本へ、中国本土から漢字が伝わり、詩経・論語をはじめ、儒教諸子百家の作品も伝来しました。そのあとさらに、インドではじまった釈迦の教え(仏教)漢訳経典として日本へもちこまれました。

漢字伝来によって,モジを手に入れた日本人の生活は成長をつづけ、モノの見方にも変化が見られます。やがて漢字の表意性をたよりに「訓読み」を始めたり、ぎゃくに漢字のだけを利用して、「万葉仮名」(カタカナ・ひらがな)を考案したり、さらに『古事記』『萬葉集』などの文芸作品も生みだすことになります。また、「モノの見方」という点では、仏教の影響を見のがすことができません。もともと日本列島では、自然崇拝が基本。ヤオヨロヅの神が祭られ、「コトアゲ(議論)せず」の状態がつづいていましたが、理路整然とした仏教が伝来してからは、「コトアゲぞ、わがする」人たちも出てきます。「本地垂迹説」、「反本地垂迹説」などがおこなわれ、「カムナガラの道」(神道)は事実上仏教の議論を取りいれることによって神社神道として理論武装をととのえてきたと考えられます。

このように見てくると、日本の文化はもともときわめて素朴で、ローカルなものでしたが、外来の文化にたいして開放的で,「これは役に立つ」と思ったら、片っぱしから取りいれることで高度成長をとげ、客観性・合理性のある豊かな文化をもつことができたと思われます。先日からとりあげてきた「エビス土面」や「梅原猛説」なども、そういった「外来思想の影響」の例証と考えればわかりやすいかもしれません。

その点で、漢字・儒教・仏教などとならんで、、陰陽五行説」の影響ということも気になります。この仮説は、中国の春秋戦国時代に発生した陰陽説と五行説とが漢代に一体化したものとされています。五行の木・火は陽、金・水は陰、土はその中間であるとし、これらの消長を観察することによって、天地の変異、人間界の吉凶などについて説明しています。その考え方は、天文・暦法・医学の分野にわたり、またやがて現代の土木・建築・鉱業・金属精錬などにも通じるものがあります。その意味では、「エビス土面」の出土も、「陰陽五行説」など外来文化への関心の表われと解釈できそうです。ただし、まだほんの思いつき程度なので、ご教示をお待ちします。



三味線を聞く会

1018日(木)。午後2時から9fで「三味線を聞く会」があり、「こきりこ節」、「八尾おわら節」、「真室川音頭」、「花笠音頭」などの民謡を聞かせていただきました。とりわけ「八尾おわら節」のくだりでは、踊りの動作を分解して実演し、出席者も手まね足まねしてみるという場面がありました。また、現在定番となっている踊りの源流と見られるフリツケ(明治時代)を練習中とのことで、それも披露していただきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿