2019年3月27日水曜日

信子3回忌法事のことなど


『古事記』を読む会 3/10


社会人大楽塾 3/14 


信子3回忌祭壇(長念寺) 3/16 


同上会食(五万石) 3/16  


白寿の祝い() 3/16 


瑞龍寺見学    3/17 


カラオケ同好会のみなさん 3/18 


サクラ餅づくり 3/19 


『古事記』を読む会
3月10日()。10時半から茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた『古事記』を読む会に出席。この日はイズミから「ワ・ワタ・ワタル・water の系譜」と題して研修報告並びに提案をさせていただきました。テキストには、同名の小論(教育・文芸とやま」第24所載。201812月刊)を使用しました。わたしが「ヤ[矢・屋・谷-哉]の系譜…日本人の宇宙観をさぐる」(『コトダマの世界Ⅱ』第19章。桂書房、20177月刊)を発表したあと、ヤ行拗音とならぶものとしてワ行拗音を追いかけまわすようになった動機や,途中で一喜一憂した経過などについてご理解いただきたいと考え、このテキストにしました。以下、要約してご紹介します。

三輪山伝説のナゾ
 わたしが最初に「ワ行拗音がもたらすフシギ効果」に気づいたのは、『古事記』を読む会で「三輪山伝説」(中巻、崇神)」の項を輪読したときのことです。この伝説記事の中に登場するのは、「若い男女のカップル」と「三輪山」と「ミワ[三勾・三巻・輪]の麻糸」などですが、「若い男女のカップルのあいだに赤ちゃんが生まれる」のは、ごくアタリマエの話。フシギでもナゾでもありません。フシギとされるのは、「麻糸をまきつけたワ[勾・輪]をたよりに、男性の身元(=三輪山にまつられる神の子)を確認できたということ、つまりという語音のハタラキそのものがフシギなのです。
 『古事記』が成立したのは8世紀(712)ですが、その数百年前に「三輪山伝説」の原型ができていたと考えられます。邪馬台国女王卑弥呼の時代(3世紀)とする説もあるようです。21世紀のいま、考古学・歴史学などの資料とあわせて、「三輪山伝説」の記事からどれだけの「歴史の真実」を読みとることができるか、それが問題だと思います。
 弓矢とならんで、[]・ワク[]・ワナ[]などが、利器や武器として一定の役割をはたしてきたことはあきらかですが、「三輪山伝説」が生まれた時代には、土器制作の面でも
技術革新がすすみ、ハニワ[埴輪]つくりなどの段階になっていました。ハニワをつくるには、ハニシ[土師]ハニ[埴・赤土](粘土)粘土ヒモのワ[]をつくり、その輪を数段積みかさねてゆきます。単純な作業のようにみえますが、粘土ヒモにどれだけ湿気をふくませるか、その「水加減」ひとつでハニモノ[土物](埴輪の類、ハニヘ〚埴とも)制作作業の成功と失敗がわかれます。その点で、ハニモノつくりには高度の専門技術をもつハニシ[土師]が必要だと考えられていたことが分かります。
 さて、「三輪山伝説」の背景としては、①ミワ[美和・三輪]は、ミモロ[三諸]ともよばれたこと、②三輪山の西麓にオホミワ[大神]神社があり、ミワ[三輪]氏の氏神だったこと、③現代でも、大神神社の登拝者には、「受付」から「下山」まで、きびしい礼節を守ることが求められていること、などの「事実]あげることができます。そして、これらの事実から、三輪氏流の「モノの見方(宇宙観・発想法・言語観)の一端を知ることもできます。たとえば、赤ちゃんがワーワー泣きワメクときの口形が[]の姿であり、そのワメキを聞きつけた人がテダスケしてくれることがあります。客観的にみれば、ワメキ声=タスケをよぶテダテ(手段)ということになります。その点では、ワ[]・ワク[]・ワナ[]などの道具を使ってエモノを確保する(トリワケル)ときと、まったく同じ原理がはたらいているワケです。いいかえれば、コトバの「音形」と「意味(事物の姿)」とのあいだに一定の対応関係が存在することが確認できる状態だということであり、そこではじめてそのコトバが「意思伝達の手段」として一般世間に通用するようになるワケです。
この原理に気づいた三輪一族が、粘土ヒモに湿気をもたせる「水加減」のワザ(技術)を習得して、ハニワなどのハニモノを生産し、地域の人々にゆたかな生活をもたらすことができました。「三輪山伝説」は、このような「モノの見方・宇宙観・言語観」を示す伝説として成立し、その数百年後、『古事記』編纂者によって採用・記録されたと考えられます。21世紀の現代になっても、「三輪山伝説」は一定の人気をもっているようですが、研究者たちのあいだで「音形ワ・ワク・ワナとその意味[]・ワク[]・ワナ[]との対応関係」にかんする議論があまり見あたらないことが気になります。
 『古事記』では、「クサカ[日下]とタラシ[帯]」(序)、「チカツアスカ[近飛鳥]トホツアスカ[遠飛鳥]」(履中)など、語源解説風の記事が見られます。いずれも編纂者の言語観・世界観を示すものと考えられるので、21世紀の言語観・世界観と比較研究する視点も必要だと思うのですが、いかがでしょうか?

ワタ・ワタル・waterのナゾ
 ワ音のコトバとして、ワ[輪・曲・勾]・ワカ[若・稚]・ワキ[腋・傍・別]・ワク[沸・涌・別・分]・ワケ[]・ワナ[]・ワラ[]]・ワル[割・破・悪]・ワレ[割・吾]などについては、マルク、マガルなど、ワ[輪]の姿をもつもの」ということで、なんとか説明がつきました。しかし、ワタ・ワタス・ワタルなどの基本になる音形ワタについては、「音形ワタwataとその意味『海(水)・綿・腸』との対応関係」をドウ説明すればよいか、わかりませんでした。説明のヒントをえたのは、日本語のワタに近い音形をもつ漢語や英語をさがしまわるなかで、英語音water(語根wetからの派生語)を見つけたことです。英語の世界ではウオーターと発音されますが、日本語ローマ字つづり式によめば、ワテルくらい。ワタルとも読めそうなつづりです。また、日本語でも英語でも、動詞(基本形)の語尾に母音ア(-er, -orをつけると、「~する人()」という意味の名詞になります。たとえば、カツ(カチワル)⇒カタ[型]。cutcutter. pitchpitcher. かりにwat-という動詞が成立したとすれば、「wat-するモノ」という意味の名詞としてワタ(wat + a)が成立する可能性があるというワケです。  
 そこで、もういちどワタの音形と意味との関係を考えなおすことにしました。ワタ[海(水)・綿・腸]は、一見したところ、なんの共通点もないシロモノですが、ムリヤリさがせといわれれば、一点だけ共通点があります。それは、「独自のきまった形がなく、ツカマエにくいが、容器さえあれば、そのカタチにあわせてシミ[滲・浸]コミ、シメ[占]ツクスことができることです。とりわけワタ[海(水)]は、固体・液体・気体と変身し、宇宙いたるところにシミワタリ、シメツクスだけでなく、太陽のヒ[日・火](光線・熱線)とならんで、地球上のすべてのイキモノの生死を支配しています。
 このように考えてくると、ワタの音形についても「ワタ=ワ[輪]型のテ[手](タ[手]の交替音)」ということで、説明できそうだと考えるようになりました。
 名詞ワタの語音構造について、わたし自身ナットクできる説明がえられたことから、動詞ワタル(自)・ワタス(他)についても、「ワタ+ル=ワタル(自)」、「ワタ+ス=ワタス(他)」と説明できそうだということも分かリました。
 その一方で、ワ[輪]の意味・用法についても、考えなおしてみました。ただ1個だけの輪で使うこともありますが、多数の輪をつないで使うこともあります。数珠つなぎ式もあり、またクサリ式につなぐこともあります。とりわけ、クサリ式につながる輪の姿は、それ自体ガ「ワタル姿」だともいえます。

仮説の検証が課題
ワ行日本語「ワ・ワタ・ワタル・ワタス」の系譜をさぐる作業の中で、英語water, wet, wash, winter」の系譜との対応関係に気づくことができたのは幸運でした。さっそく「インド・ヨーロッパ語とアジア語との接触・交流があったことの例証」(仮説)として提案させていただきました。ただし、いまのところまだイズミ個人の思いつき仮説にとどまっています。このあと、一人でもおおくの研究者たちに仮説としてとりあげ、議論をつくしていただけたらと願っています。仮説検証に必要なwat音語としては、漢語アツ・uatwoインド・ヨーロッパ語根wed-¹ (基本義water, wet. 派生語water, wet, wash, winter)などの存在がかなり有力な証言とされる可能性があります。とりわけ漢語アツ[]の字形は、「斗(北斗七星)+ ケン[乾]の略態」の会意モジ。北極星を中心に北斗七星が円を描いてめぐることを示す。ケン[乾]は、日が高く登るように、高くあがった旗の姿。太陽や天をあらわす。アッセン[斡旋]は、「めぐり歩く。両者の間に立って、世話する。取り持つ」の意。まさに、ワタル・ワタス姿です。

社会人大楽塾
  3月14日(木)。午後、9fで開かれた「社会人大楽塾」に参加しました。この「大学塾」の売りは、大声で「ワッハッハと笑う」、そして「アリガトウゴザイマスと唱える」ことだと思いますが、回をかさねるごとに、すこしずつ落ちついてきたような感じがします。聴講するがわとしても、ナレ[慣]の効果で、最初に受けた抵抗感がしだいにうすれてきたせいかもしれませんが、講師のがわでも、演出の方法などについて、毎回チエをしぼり、改善をはかってこられた結果かと拝察しています。
 「ワッハッハと笑う」ことが健康によいということは、たしかにそうだと思います。しかし、年をとると、そのへんの筋肉がこわばって、うまく笑えません。「アリガトウゴザイマス」というセリフも長すぎて、一気にはいえません。本人は全文まともにしゃべったつもりでも、じっさいはカスレ声ばかりで、まともな声になっていないことがおおいのです。どうしたらよいか。まずは、発声練習からということになるかもしれません。それも正面から「発声練習」という用語をつかうと、これまたカタクルシイ感じになるので、まずは「なつかしい歌」、「たのしい歌」を耳で聞きとることからはじめ、やがて自分の口で歌ってみようという気分になることを期待する。そういった長期にわたるスケジュールがくまれているということでしょうか。
 この日歌われた曲名は、つぎのとおり。
「笑顔がいっぱい」、「さくら」、「黒田節」、「二人は若い」、「赤い靴」、「手のうた」など。

信子の3回忌法事
315日(金)。午前中に入浴をすませ、午後は6fで散髪もすませました。これで、明日信子の3回忌に向けて、わたし自身でできる準備作業がいちおう終わったという感じです。3回忌の法事をつとめるのは、わたし自身の願いであり、自分の頭で計画を立て、準備作業をすすめるべきだということは分かっています。しかし、いまのわたしには、精神的にも身体的にも、それだけの能力がありません。あれもこれも、すべてMioriさんにダンドリしてもらい、本番ではどうにか着席して、カッコよくふるまう。それだけで、せいいっぱいです。出席される方たちも、およその事情はわかっておられるようで、とにもかくにも99才老人が「元気そうな顔をしている」こと自体がメデタイというワケでしょうか。
 そういえば自分自身、日ごとにゼロ歳児か2~3歳の赤ん坊状態になっていることに気づいて、いろいろ考えさせられています。人間はだれでも、生まれたときは無一物でした。そして,死ぬときも無一物。どれだけの財産知識も無用・無効です。生まれて間もない赤ん坊は、将来富や知識を身につけて長生きできることが期待されるので、メデタイといわれ、高齢者は、若い人から見て、「これくらい長生きしたい」という目標として、メデタイといわれているようです。
 「それは絶対の真理か?」と問われると、「ものの見方の一つ」としかいえません。「ものの見方」は、人により、またバアイによって、さまざまです。たとえば、「赤ん坊や高齢者は、体力もなく、判断力・実行力もなく、ぎゃくに養育・支援・介護が必要な存在」とする見方も成立し、マチガイとはいえません。わたしのバアイは、できるだけメデタイ・タノシイ方向で考えるようにしています。
 316日(土)。いよいよ信子の3回忌当日。午前9時すぎ、Mioriさんが準備した礼服に着かえ、藤木さんのクルマに便乗させていただき、式場長念寺へ向かう。東京の泉進、公美さんはじめ、予定とおり全員参加されたことを確認、ご挨拶する。10時半開式。おかげさまで、長念寺での3回忌法事は無事終了。12時から五万石で、志田常無住職さんのご出席をいただき、参会者一同で会食しました。
解散後、東京組など8名がかんぽの宿合宿しました。この日はもともと「信子の3回忌」だったのですが、いつのまにかわたしの「白寿の誕生祝い」みたいなフンイキになっていました。信子にたいして、ちょっと「スマナイ」気持ちがないではありませんが、わたしがメソメソしているよりは、元気で楽しく生活しているほうが、信子にも喜んでもらえると思い、みなさんからのご好意をありがたくおうけすることにしました。
この夜、寝室へもどってからも、女性陣はずっとおそくまでおしゃべりしていました。

瑞龍寺見学
 17日(月)。せっかく東京からはるばる富山までやってきたのだからと、ついでに高岡まで足をのばして、国宝瑞龍寺を見学しようということになりました。わたしも、国宝指定後の見学ははじめてです。国宝指定にあわせて、北陸新幹線が開通したこともあり、外国からの観光客をふくめ、おおぜいの見学者たちがつぎつぎ訪れているようすでした。それと同時に、ボランテイアだろうと思いますが、瑞龍寺の解説スタッフがそろっており、ていねいに解説している姿が印象的でした。「国際的な観光ガイド」の模範を見せつけられた感じです。 

カラオケ同好会のみなさん
 3月18日(火)。午後9fで「カラオケ同好会」(6名)のみなさんがご自慢のノドを披露する会がありました。曲名は、「箱根八里の半次郎」、[沖縄民謡]、「北国の春」、「大阪しぐれ」など。女性の方が沖縄民謡を舞い歌う姿が印象的でした。

さくら餅づくり 
 3月19日(火)。午後9fで開かれた「さくら餅づくり」の会に参加しました。会場の一画に「さくら餅づくり」コーナーガ設定され、テーブルの上にさくら餅のカワを焼くナベ原材料一式が並べられていました。出席した女性のみなさんは、つぎつぎ上手にカワを焼きあげ、アンコをくるんでおられました。わたしも挑戦してみましたが、まずシャモジですくいあげる分量や、ナベにおいたカワをシャモジのシリでおさえて整形する要領がつかめないなど、かなり苦戦しました。
 そのあと、試食コーナーの席へうつり、ゆっくり試食しました。苦戦したぶん、格別のアジがしました。


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