2011年5月24日火曜日

「奥村さんのブログ」から「m-s音語」まで

奥村隆信さんの年賀状


 

ANの会コンサート

託法寺の円空仏


 

かんぽの宿玄関先


奥村隆信さんのブログ
ことし正月、奥村隆信さん(富山国際学院の校長先生)からいただいた年賀状に「身はたとひシニアの境に入りぬとも夢幻を追ひや求めむ…今年10月に高齢者の仲間入りをします」とありました。数年まえからブログを公開しておられ、ブログ1年生のわたしにとっては大先輩です。
その奥村さんがブログ「日本語教師・奥村隆信ひとり語り」(2011.5.12)の中で、「イズミ オキナガさんのブログのご紹介」してくださいました。
「泉先生は僕の父親くらいの年齢で…私なりに理解できた範囲でまとめると、言語間に共通の・音韻(音素)による意味弁別性があるのではないか、ということになるでしょうか…人間の発声器官・発音方法には人種共通に「限界」もあるわけで、そんなことも合わせ考えると、イズミさんの仮説、確かに説得力あります…。チョムスキーの普遍文法と同じで、人類が言語を獲得して以来の・人類に生得な音素DNAってあるのかもしれませんね」
大学院でまともに言語学を専攻された研究者から、こんなふうに評価していただけるとは、考えてもいませんでした。正直いってうれしいです。むかし、中国語学会の年次大会で「象形言語説」にかんする研究発表を十数回つづけた経験がありますが、初期のころは用語などの技術的なミスで落第。後半は、おもに言語観の段階で対立し、議論がかみあいませんでした。「いっしょに相撲をとれる土俵がない」といわれたこともあります。かくれキリシタンのような支持者はいましたが、公然と支持するのははばかられたようです。
その日本が、「小学校英語必修化」の実施段階にはいりました。このあと、学界をふくめて日本人の言語観がどんなふうに変化するか、見とどけたい気がします。いや、そのまえに、わたしのほうがこの世から姿を消しているかも。

ANの会コンサート
5月6日、南砺市の杉原茂さんから「第17回ANの会コンサート」の入場券をそえて案内状がとどきました。
「同封のコンサート、お暇でしたらお出かけください。小生の家内も75才ですが、初回から同コンに出ております。家内は最年長ですが、"好きこそ物の…"でかかわっています。なお、小生は同日旅行で、同コンに行けません」
わたしのところも、当日は前記のとおり、信子の母加藤恵明さんの法事(第2部)が予定されており、信子は動きがとれません。わたしひとりだけでコンサートに行くことになりました。会場は満員の盛況。予想どおり、ほとんどが女性でした。出演者の衣装も、第1部歌曲集「智恵子抄」では和装、第2部世界の歌では洋装。合唱にくらべて、ソロで歌われる方が堂々として、風格を感じました。楽譜もよめないわたしですが、たのしい思いにひたることができました。あわせて、富山県の女性たちの健在ぶりを感じさせられました。

託法寺の円空仏
もともと杉原茂さんと知りあったのは、富山県退職教職員協議会の会合の席です。2007年総会の席で、会長だった杉原さんが「円空仏」を話題にされたのがきっかけ。9月7日、「魚津・託法寺円空仏」の写真を送ってくださいました。送り状に「最近、県外の社寺ばかり回って県内の仏像に目を向けていないことを反省し、これからは先ず近くの仏を調べて拝観したいものと念じております。お盆には、魚津の円空仏をたずねて感動しました」、また、同封写真のうらに「託法寺円空仏。元禄初期?作(1688~)」と記されていました。

恵明さんの法事第2部
わたしがコンサートを聴きに出かけたあと、信子は妹の西田恵美子さんといっしょに光厳寺で墓参りを済ませ、こんどは姪の藤木美織さんの運転で、姉の土地数枝さんとともに馬瀬口の梅香庵へ向かいました。
ここでアンジュ[庵主]さんにお経をあげていただき、3姉妹そろっての法事第2部がつとめられたわけです。

かんぽの宿
法事のあとは、羽根の「かんぽの宿」でナオライ。日本の習慣として、お祭りや法事のあとにナオライ(関係者一同で飲食)がついてまわります。このナオライが済むまでは、お祭りが終わったといえないようです。法事も、一種のお祭り。恵明さんの法事も、3姉妹そろっての会食=ナオライでようやく完結できました。

再論、「m-s音のコトバ」
あわただしい1週間が過ぎました。ブログやら、コンサートやら、法事やら、あれこれマゼコゼになって、モタモタしましたが、これでどうやら一件落着。
それはそれでよいのですが、じつはわたしの頭の中で、まだ落着してない一件がありました。それは、前回「マセグチ[馬瀬口]の地名由来」の項でとりあげたm-s音語のことです。
日本語では、2音節の動詞マス[坐・増]、マズ[雑]、ミス[見]、ムス[蒸・産・咽]、メス[見・召・食]や、名詞マス[枡・鱒]、マシ[猿]、マセ[馬瀬・老成]、マソ[真麻]、ミソ[御服]、ミゾ[溝]、ムシ[虫]、モズ[百舌鳥]、数詞ミソ[三十]などが成立しています。これらのm-s(z)音語は、相互に同族関係にあるといえるかどうか?それが気にかかっていました。
漢語では、上古音でm-t,m-dの音節が成立していましたが、m-s音は成立していません。現代漢語では、語尾の子音は-n, -ngをのぞき、すべて脱落、母音終止となっています。

mouseは muscleのmass
英語では、どうなっているでしょうか?辞典では、m-sタイプの語根はm-s-だけで、基本義は「ネズミ。また、筋肉」、派生語はmouse(ネズミ), mice, muscle(筋肉), murine(ネズミ科)など、と解説しています。

ここで、ネズミを「筋肉のカタマリ」と見ていることに注目しましょう。カタマリといえば、mass(粘性のある物質のカタマリ)もm-s音のコトバです。「集まってカタマリになる」という意味の動詞用法もあります。
mouse(ネズミ)と muscle(筋肉)が同源語だというのなら、ムス[蒸・産・咽]とムシ[虫]だって同源語と考えてよいはずです。タマゴ→サナギ→チョウ[蝶]とムス作業をくりかえす生命体がムシ[虫]なんですから。

マス[枡]でmassのマス目を measureする
ひょっとして、日本語のマス[枡]と英語のmass(カタマリ。集積)、measure(マス目。分量)なども、同源かもしれません。「お金なら、マスで量るほどある」などというように、マスやmeasureはそれ自体が一定の「カタマリ、分量」としてマス[坐](存在する)からこそ、それを単位として穀物や液体の量をはかることができるわけです。
マッサージmassageは「西洋風のあんま」ですが、もともとmuscle(筋肉)のmass(カタマリ)をモム、マサグル、マサツ[摩擦]する作業です。

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