2011年12月20日火曜日

漢字・カナ・ローマ字とのツキアイ(2)

井上中国語辞典
文求堂版(1939)と江南書院版(1954)

注音符号索引(同上、文求堂版による) 
 


 「魯迅選集」第十一巻(岩波書店) 


 「漢字が日本語をほろぼす」(田中克彦)





中学英語でローマ字と初対面
小学校でローマ字を習った記憶がありません。中学1年生で英語を学習することになって、はじめてabcのペン習字から練習したことをおぼえています。
アルファベットabcからxyzまで、大文字・小文字・活字体・筆記体を読めるように、また書けるようにするまでがたいへん。abcの字形と名前エイ・ビー・スィーをおぼえたと思ったら、おなじaが単語の中ではcap, cake, ball, seat, headなど、それぞれ別な発音になるという。頭が混乱してしまいました。

ローマ字学習の効果と効率
いまになって考えてみると、もっと効率のよい学習(指導)法があったと思います。英語と日本語では、音韻感覚も語法もまるでちがいますから、漢字やカナではなく、ローマ字のような音素文字が必要なことはよく分かります。しかし、それならそれで、外国語(英語)学習のまえ、国語学習の中で、カナにあわせてローマ字を習得しておくべきだったと思います。
ローマ字さえ自由にヨミカキできていたら、その応用として英語つづりをおぼえることもでき、英語学習はもっと楽しいものになったはずです。ローマ字つづりを習得できていなかったため、おおくの仲間たちが中学1年の1学期末までに、はやばやと英語学習から脱落していったのが現実です。
それはこどもたちの責任というより、教えるがわの責任だと思います。さらに根本的には、日本政府の義務教育部門担当者たちの責任です。日本語(第一言語)や英語(第二言語)にかんする学習指導法の研究が不十分で、目標達成に必要な指導体制ができていないという点です。過去の問題ではありません。現在もまだ解決できていない問題です。
小学校の国語学習の中で、音節文字カナの使い方をおぼえたあと、音素文字ローマ字つづりも習得できるようにすれば、日本語の音韻組織についてより深く学習することができ、日本語を自由自在に運用できるようになります。
日本語をローマ字で表記する能力(音韻感覚)は、そのまま英語を学習する場面でも応用でき、学習効果をあげることができるはずです。

中国語の発音練習はローマ字で
東京外語で中国語を学びはじめたころは、まだ公式の中国語ローマ字つづりができていませんでした。学校では、漢字系の注音符号(字形はカタカナに近く、機能はローマ字にちかい)を習いました。
教室では、毎日包象寅先生はじめナマの中国語を聞いて練習できますが、自宅での練習には、やはり辞典のローマ字つづりがたよりです。ちょうど「井上ポケットシナ語辞典」が発行された(1937)ばかりのことで、「ずいぶん便利になったな」と感心したおぼえがあります。(七ころび、八おき。東京外語のころ()参照)この辞典では、ローマ字つづりにしたがって漢字を配列してありました。それまでの漢和辞典では、まず漢字の部首や画数をたしかめたり、日本漢字音または訓読みで字形をたしかめたりしたうえで、ようやくおめあての漢字にたどりつくことができました。それが、この辞典では、おおよそのカンでローマ字つづりを推定して辞典を引いても、かなりの確率で当たりました。
日本漢字音はもともと上古漢字音をかなり忠実にマネしたものであり、現代漢字音と上古漢字音は、もちろん整然と対応しています。したがって、日本漢字音が分かっている場合には、ぎゃくに現代漢語音についても、ほぼ見当がつくともいえます。ただしそれは、ン十回・ン百回,試行錯誤をかさねたあとの話ですが。
「井上中国語辞典」のローマ字つづりはウェード式といって、英語の音感覚にあわせたつづりです。中学校で英語を学習していたので、あまり違和感がなかったと思います。
中国語の発音練習にローマ字つづりがたよりになることはたしかですが、中国語のローマ字つづりはウェード式だけではありません。このほかに「国語ローマ字」という方式もあり、さらに「ラテン化」とよばれる方式もありました。はげしい論争がくりかえされ、さいごに正式に「漢語拼音方案」(中国語ローマ字つづり)が決定されたのは、1956年のことでした。

 「魯迅の文字改革論」など
カナモジカイ会員だったわたしは、中国語学習をつづける中で、しだいに中国の文字改革運動に興味をひかれていきました。(七ころび、八おき。東京外語のころ()参照
当時外語の校舎は一ツ橋にあり、水道橋駅からの通学路上に神保町の書店街がありました。とりわけ内山書店には、文字改革関連の雑誌や単行本がとどいていました。学校で使う教科書は、まだすべてタテガキの時代でしたから、はじめてヨコガキ中国語の詩を目にしたときはショックでした。そういえば、あれから半世紀以上すぎた今でも、日本の詩・短歌・俳句・小説など、みんなタテガキのまんまですね。
その内山書店で入手した「門外文談」(1934)の中で、魯迅が「注音字母」や「ローマ字」について論じています(画像と訳文は岩波書店「魯迅選集」第11巻による)。

…ともかく何回も討議をかさねて、「注音字母」というものを作り上げた。当時は、これでもって漢字に代えることができると考えた人が随分いたが、実際上やはり駄目だった…
これより少しよいのが、ローマ字綴り(いわゆる国語ローマ字)である。一番くわしく研究しているのは、チヤオユアンレン[趙元仁]先生(現代の音声学者)であろうか、私はよく知らない。世界共通のローマ字で綴ると…今日ではトルコさえ採用している…一つの単語が一連りになって、非常にはっきりしてよろしい。だが私のような門外漢にいわせると、何だかその綴法はまだまだ繁雑すぎるようだ…
ここでわれわれは、新しい「ラテン化」の方法を研究しよう…それは二十八個の字母だけで、綴字法も覚えやすい。「レン人」はRhen、「ファンヅ房子」(家屋)はFangz
「ウオーチーコーヅ我喫果子」(私は果物を食べる)Wo ch goz、「ターシーコンレン他是工人」(彼は労働者である)Ta sh gungrhenと書く…

「漢字が日本語をほろぼす」(角川新書)
さいごに、ことし5月に出版された「漢字が日本語をほろぼす」(田中克彦著、角川新書)という本を紹介させてください。タイトルがいささか刺激的(挑発的?)ですが、著者は一橋大学名誉教授で、専門は社会言語学とモンゴル学。言語学をことばと国家と民族の関係から研究されたとのことです。以下「もくじ」から要約します。

                               
第一章 日本語という運命…日本語の状況/外国人をはばむ漢字語/母国語ではなく母語だ/母語の不条理さ
第二章 「日本語人」論…日本人ではなく日本語人がたいせつ/困った日本語/漢字はローマ字に勝てない/英語が入りこんでくるわけ/オト文字は言語の構造をより明らかにする/日本語は追いつめられている/コエを殺す文字
第三章 漢字についての文明論的考察…日本は漢字文化圏の行きどまり/漢字文化圏からの離脱の歴史/漢字に支配されなかった周辺諸族/特に突厥文字の原理について/訓読みの無理/ハングルによる朝鮮語のたたかいはこれから/じつは中国そのものが漢字とたたかっている/魯迅と銭玄同/漢字とたたかう中国との共闘/日本語の逆走/聞くべき柳田國男/服部四郎の憂慮(以下省略)

そして「あとがき」に、こうあります。

…最初の校正刷りが出た直後、東北、関東の大災害が起きた…私もまた、いたたまれない気持から日々…興奮状態が続いた…しばらくあと、心をしずめてもう一度校正刷りを読んでみた。そして、私の書いたことは、この災害にも耐え、いまこそ日本語世界におくる価値があると、いっそうの確信を持つにいたった…

「漢字が日本語をほろぼす」という表現は、誤解されるおそれがあります。モジはコトバをしるす道具にすぎず、漢字そのものに罪はないでしょう。「漢字が…」ではなくて「漢字にとりすがる日本人が…」とでもした方が、より精確かもしれません。
まあしかし、こまかな議論はアトまわしにして、日本のコトバやモジに関心のある方たちに、ぜひ読んでいただきたい1冊です。






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