2013年2月13日水曜日

佐藤正樹詩集:「景色…」 






佐藤正樹詩集:「景色…」 




詩集:「景色・四季の山野・山野歩きの記録」
131日、佐藤正樹さんから詩集がとどきました。タイトルは「景色・四季の山野・山野歩きの記録」。はじめて佐藤さんから送っていただいた詩集が「泰山木・その時の山・房総丘陵歩き・山行記録」(199710月)。そのご「たらいまの子・山野歩き・山歩き野歩きの記録」(20068月)、「叩く子・再訪の山・山歩きの記録(20119月)、そしてこんど第4作目をいただいたことになります。

佐藤さんの作品の中には、俳句や短歌に通じる面をもつものもありますが、つまるところは自由自在、伝統や形式にとらわれず真実を見つめようとする姿勢が感じられます。「山歩き野歩き」とは人生そのもの。「山野歩きの記録」は、やがて自分自身の実像を見きわめるためのイトナミということなのでしょう。

このあと、わたしの独断と偏見にしたがって、作品の一部をご紹介させていただきます。

 

   景色
こんにちはさようなら

 

   曇り
空がしかめっつら人がしかめっつら

 

   通勤
ホームで待機の人の列
透明人間が前を通る

 

散歩の犬
手綱が人の伸びた手足となっている

 

桜花  
枝から舞いおりる
舗装地面に貼りつく
立つ転がる
混ざる踊る

離れた薄暗い森(盛?)土には
どこからきたのか
一面の怪しい花模様

 

白い陽射し
林でコブシ土手ユキヤナギ公園ドウダン垣根にアセビ

 

変わり咲く花  (T氏画展)  
そこに咲き描く人に咲く
見る人に咲き夢の中にもいきいき

 

散歩  
先に行っておくんなんし

腕を振らない
歩幅も伸ばさない
動物と張り合わない
人とも張り合わない
その日の手前と話をつけて
それでもたまには躓きおる

 

   生える
木があれば枝は書く
校庭の桜のつよい枝
緑葉を縫い太く黒々
空に字を書き子供たちを見守る

公園銀杏の裸の幹文字
生々しかったのはひところで
今は緑葉のシャンプーをつけ
さらなる成長を思わせる

団地の欅いつの間の剪定
みごとな書体を見せていたが
枝つけ茂らせ影を増し
壁に柔らかに字をにじませる

 

   木になるカナ 
キの字ネの字ホの字で描ける
イ オ ヤ の字は少し無理
ひらがなは雑木雑草風に吹かれて
ローマ字の小文字はもっと吹かれ

 

   駐車ビル
地上占めつくし上に向かう車見ている「膝栗毛」

 

   貸し農園
じゃがいもの花が咲いた
にんじんねぎとうもろこし
みんなこぢんまりしかし元気だ
舗装の歩道との間のわずかな土に
一握りのおおむぎが生えている

 

   蝶を読む
アイウエオ
カキクケコ
サシスセソ
この家の前の十鉢ほどの花の上を
蝶は行ったり来たりする
一度も止まらない
止まりそうで止まらない
不意に舞いあがり消え去りそうで下りてくる
何回往復したことか
何回静止しかけたか
ヤイユエヨ
ラリルレロ
ワヰウヱヲ
こんどは高く消えた何もない

 

   園児散歩
子供たちは元気にてんでんばらばら
幼児三、四人車に入れて押す先生
振り返ると車押す先生は
背中にも一人背負っている

 

   カラス
頭上低空飛行二度三度嘴太し声太し何も恐れず

 

   道端の紙
鳥でもない犬猫でもない捨て主は人間

 

   水鉄砲 
手足の長い女の子が三人掛けあって遊ぶ

鉄砲持ちはひとり噴霧器様を持つふたり
長くて短い休みのひととき
遊べ遊べ大人になってしまう前に

 

   植木の手入れ
ずいぶん思い切りました
オブジェの庭になりました
太い木々漢字の茂みは
カナの茂みになりました

 

   わすれものわすれもの
人が寝ている
知らない人に見える
親はどこへ行ったか
自分を見ている自分
父親の置いて行ったもの
自分を見ている自分がいる

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