2014年9月11日木曜日

アキ風が 吹いても、アキラメない 人たち 

 
 
ソバ屋さんで
 
 
N家花壇 
 
 
カモ 
 
 
いたち川の秋 
 
 
 
 

94。午後5時半 ごろ、土地茂樹さん から 電話で「ばあちゃんの 夕食に つきあって ほしい」との こと。わたしと 信子は「ばあちゃん」を のせた 車に 便乗して、新庄の ソバ屋さん まで いってくる ことに なりました。

「ばあちゃん」とは、信子の すぐ 上の 姉、数枝さん(95)の こと。10年 ほど まえ、交通事故で 全身マヒと なり、ずっと 寝たきりの 生活が つづいて います。食事 トイレ介護が 必要。それでも 食欲は 旺盛。食品に かんしては 評論家 なみ。記憶も しっかりして いて、ボケの きざしは ゼロ。10年来の 闘病生活は、並たいていの 苦労ではなかったと 思う のですが、これまで グチらしい 話を きかされた 記憶が ありません。この 雑草の ような ど根性、たくましい 生命力には ぜひ あやかりたいと 願って います。

たまに 外食しようと なると、まず クルマいす まるごと クルマに のせて 出発、お店に到着したら、クルマ から おろした クルマいすのまま 入店、そのまま テーブルに ヨコヅケする という ダンドリに なります。そうした いろんな 条件が そろった 店 として、この ソバ屋さんが 選ばれた わけです。

写真で ごらんの とおり、自宅 から 専用の マエカケと マイ スプーンを 持参。マイペースで「 天ぷらソバ セット」を ご賞味中。ただし、右片すみに うずたかく 積みかさねて あるのは、食べ終わった 3人の ソバ容器です。

さて、高齢で なお 闘病生活を つづける ご本人も 大変ですが、在宅介護を つづける がわの 生活も 大変だと 思います。数枝さん には 長男 茂樹さんと 長女 美織さんが いますが、この 二人が 交替で、なんとか 在宅介護を つづけて きました。しかし、第3者として 見ていて、このままの かたちでの 在宅介護は そろそろ 限界かなと 感じて います。このあとは やはり 施設に はいって もらう ように でも しないと、こんどは 「介護者」の ほうが 心身 ともに 参って しまい、「要介護者」と なる 心配が あります。

日本人の 寿命が のびて「長寿国」と いわれる のは、めでたい こと です。そのかわり、70代の 高齢者が 90代の 高齢者を 介護する など、「老老介護」が めずらしく なく なりました。子 から 親への 気づかいも 大切ですが、親 から 子への 気づかい・思いやりも 必要だろうと 考えます。

 

96。朝の 散歩の おり、お向かいの 中島家の 花壇を しばらく ながめて いました。奥さんが 花大好き 人間で、お宅の まわりに たくさんの 花鉢を 並べ、一年中 色とりどりの 花を 観賞できる ように して おられます。わたしは ご近所のよしみで、気が 向けば、かってに ケータイの カメラに おさめ、ブログに のせたり して います。        

 

97。遊歩道 散歩中、ひさしぶりに カモを 発見。雪見橋に さしかかった 時、ちょうど カメラの 視覚内に はいった ので、シャッターを 切りました。

もう1枚、いたち川 土手の 写真を のせました。なんの とりえも ない 作品ですが、さかりを すぎた アジサイや 伸び放題の 雑草、にごった 川水 などを ながめて、なんと なく いたち川の 秋を 感じました。

この日、北日本新聞の 死亡欄に「中島秀子さん6日死去、97」という 記事が のっていました。秀子さんは、いまの 当主 正憲さんの 母親で、「中島松鶴堂(結納)」の 基礎を きずいた 方 です。97歳という 年齢も、「天寿を 全うした」と いえる でしょう。

晩年は「記憶喪失」の 症状 なども 見られ、在宅介護を あきらめ、施設に はいられたとの こと。わたしども も「いちど お見舞いに」と 思いながら、「せっかく 来られても、会話できない 状態」と きかされ、お見舞いを あきらめた という 経過が あります。中島家の ばあい、2世代 共倒れを 防止する ためには、在宅介護を アキラメルことが「必要」かつ「賢明な」道だった と いえる かも しれません。

7日の 通夜に、信子が 町内の23人と いっしょに 出席しました。

 

話が すこし 前後しますが、7日午前(10時~12時)、茶屋町の 豊栄稲荷神社社務所古事記を読む会」の 9月例会が 開かれました。ちょうど 上巻を よみおわって、中巻にはいる のを 機会に、「古事記を どう よむか」に ついて、NHK制作の ビデオを 見てみようと いう ことに なりました。おおぜいの『古事記』研究者たちが、それぞれの 立場・視点 から『古事記』を とらえて いることが 紹介されて いました(約1時間)。

「古事記を どう よむか」は、「古事記を 読む 会」に とって もっとも 基本的な 課題です。これまでは「文字として 書かれた ものを 音声として 読みあげる」、いいかえれば「視覚情報を 聴覚情報に ホンヤクする」だけで 精いっぱい でした。その ホンヤクの 正確さに ついても 自信が もてない。この 程度の 読み方 では、ほんとうに 『古事記』を 読んだ とは いえない でしょう。

「古事記を どう よむか」は、過去の 歴史事実を どう とらえるかの 問題で あると ともに、現在 もしくは 近未来の 歴史事実を どう とらえ、どう 対処すべきか という 問題提起でも あります。とどの つまりは、「人間の イノチを どう 見るか」「一つ しか ない イノチを どう 生きるかイキザマ」の 問題だと 思います。

NHKの 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、織田信長・豊臣秀吉と 黒田官兵衛の イキザマが紹介され、連続テレビ小説「花子とアン」では、村岡花子(安東はな)・葉山蓮子・嘉納伝助の イキザマが とりあげられて います。

人間の イキザマは、人によってサマザマ。人生行路で、秋風を 感じると すぐ 計画を アキラメル 人も います。秋風が 吹いても、冬風が 吹いても、計画を アキラメナイ 人も います。初志貫徹 できる 人も いますが、途中で タオレル 人も います。
最近の 情勢では、秋風・冬風は おろか、台風や 地震や 津波 などに 巻きこまれる 可能性も ないとは いえません。ちいさな 島の 領有権を めぐる カケヒキ から、いつ ドンパチが はじまるかも わからない 状態です。「戦時体制」という ことに なれば、「大本営発表」に 同調する「大政翼賛会」式の ものも 組織される でしょう。もし そう なったら、「古事記を 読む 会」の ような 研究方法は 「国益に反する」「アキラメロ!」などと いわれる かも しれません。万が一にも、そんな ことに ならない よう、願って います。

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