2016年6月18日土曜日

『古事記』を 読む 会 研修会 



古事記』を 読む 会 研修会 6/5


木もれ日  6/5 


バラ 一輪  6/8 


ヒコーキ雲 6/8 


アジサイ 6/8 


ツツジ 6/8 



『古事記』を読む会
6月5日(日)午前、茶屋町 豊栄稲荷神社で『古事記』を 読む会の 研修会が 開かれ。会員の近藤 さんと 五十嵐 顕房 さん から 研究報告が ありました。

近藤 さんの 報告
安康天皇オホクサカ[大日下]を 殺し、その 妻を 皇后と した…」と いう 物語部分を とりあげ、その 問題点を 指摘され ました。すこし長く なりますが、当日 配布された 資料の 概略を 紹介させて いただきます。

物語概略
*安康天皇が 弟オ ホハツセ(雄略)の 妃に 叔父 オホクサカの 妹 ワカクサカを 求める。

*使者の ネノオミに 対し、オホクサカは 即座に 承諾し、天皇への お礼品を 使者に 託すが ネノオミは その 品を ネコババした 上、天皇には オホクサカは 不承知だったと虚偽の 報告。

*怒った 天皇は、オホクサカ[日下]王を 殺し、その 妻 ナガタノオホイラツメを 自分の ものに する。

*その後、連れ子の マヨワは、実父を 殺したのが 継父の 安康天皇と 知り、幼い ながらも スキを 見て 天皇を 殺す。

*兄天皇を 殺された 雄略天皇は マヨワを 匿った ツブラノオオキミを 攻め、マヨワとオオキミは 共に 自害。

*事件の 発端と なった ワカクサカは、のちに 雄略の 妃に なったが、子は なして いない。

古事記の 視線
書紀との 記述差。 心中自殺・焼き殺し・切腹・打ち首。書紀の 記述は 人格 否定。

王権側に 立った 視点を 持つ 書紀と 滅び去って いく 者たちに 視線を 合わせた 古事記

*大王家に 滅ぼされた 有力 古代豪族は 蘇我氏 及び 葛城氏で あり、蘇我 本宗家を 滅ぼした 鎌足の 息子 不比等が 責任編集した 書紀では、自然な 描きようか?

*約150年後、蘇我氏の 本宗家が 滅んだ 時でも、庶流の 倉山田家が その 後の 朝堂に重きを なして いる。

*葛城氏の 場合は 殆んど 無い。神祇に 関わる ものが 若干 あるが、それは 国造家 葛城の もの である。

雄略天皇の 人となり
*雄略の クロヒコ・シロヒコに 対する 所業 からは、英雄の 姿が 見えない。単なる

暴者では?

カラヒメ・ワカクサカを 求める 心境?

葛城山で 猪と 出会った 時の 慌てよう・赤猪子との 約束の 無責任・三重の 采女や 堅魚での 寛大さ。

*葛城山で 神(葛城族の 祀神)の 一行に 出合った 時は ひれ伏し、その 神に 本拠地 長谷まで 送られる。

大伴、平群、物部などの 有力 在地 豪族を 政権内に 取り込み、吉備氏 などの 地方 豪族を 服従させた。

半島へ 遠征した との 記録も あり、手工業者 なども 招
 いて いる。

■雄略天皇と その  一族
*兄…キナシカル…同母妹との 不倫を 咎められ 自死。

*兄…アナホ(安康)…后の 連れ子(従兄弟)が 殺害。

*兄…シロヒコ…オホハツセ(雄略)が 殺害。

*兄…クロヒコ…オホハツセ(雄略)が 殺害。

*叔父…オホクサカ(履中の 子)…アナホ(安康)が 殺害。

*従兄弟…イチヘノオシハ(履中の 子)… オホハツセ(雄  
 略)が 殺害。

葛城氏
*葛城氏は、系図的には 古い 国造系 葛城氏と、孝元天皇の 孫(書紀では 曽孫)竹内宿禰を 祖とし、襲津彦 宿禰、玉田 宿禰と 続く 中央政権で 活躍する 葛城氏との 2系統が あると 見られる。しかし、否定的な 見解も…。

*竹内 宿禰系と 称する 氏族は、他に 紀氏、平郡氏、巨勢、蘇我氏 などが あるが、中でも 葛城氏は 宗家的な 立場に あったと され、大王家との 姻戚関係を 強力に 推し進め、後世 葛城王朝とも 呼ばれる 程の 勢力を 拡大して きた。

葛城の 女性を 妃に している 天皇(応神・仁徳・履中・
 雄略)

葛城の 女性を 母に してい る 天皇(履中・反正・允
 恭・顕宗・仁賢。清寧

玉田 宿禰は、反正天皇 崩御の 殯宮 築造に ついて、允恭天皇から 不始末を 咎められ、誅伐されて いる。

*その 子、円 大臣は 国政に 参画する 立場では あったが、安康天皇を 殺害した 眉輪王を 匿い、オホハツセに 攻め滅ばされた。これで 葛城の 宗家は 滅び、 支流も 含めて、これ 以降、朝堂での 活躍は 殆んど 見えない。

葛城氏が 滅ぼされた 理由 ①
安康天皇(允恭系)は 存命中、オシハ(履中系)後事を 託す 意志を 示して いた。両統には 安康天皇後の 王位継承に 合意が あったと 思われる。しかし、それを 良としない オシハワケが 安康天皇 及び ライバルの オシハと 葛城を 排除した もの であって、眉弱王の 逸話は 挿入と 見る。

葛城氏が 滅ぼされた 理由 ②
*日向を 本拠と する 諸県君氏 出身の カミナガヒメを 母とし、仁徳天皇を 父と したオホクサカ 一族が、河内 日下を 拠点と した 『日下宮王家』を 築いて いたと 見る。そして 父を 殺害された 眉弱王と、同じく 父 玉田宿禰を 失い 勢力拡大を 目指す ツブラノオホキミとが 思惑を 一つにし、オホハツセに 立ち向かい、共に 滅ぼされた

*仁徳天皇が 王権を 確保したと 思われる 5世紀初頭には、日向地方の 古墳も 急激に ヤマト化し、巨大化して いる。仁徳天皇の 姻戚と して、日向の 諸県君の 権勢が 拡大した ものと 思われる。

日向系の 王族が 太陽信仰を 持って いるが 故に、敢えて『日下』を 拠地に した のかも…

*葛城 襲津彦の 『襲』は 熊襲に 通ずる のか? 日向系 集団と 繫がりが あった のか? 

*応神も 日向の 女性を 娶って いる。

*応神・仁徳朝には、それまでの 熊襲 から『隼人』に
 称が 替わって いる。

まとめ
*大王に よる 倭 統一の 経緯の 中で、この譚は ヤマトタケルと 同様、滅び去る 者たちへの 鎮魂の 意味合いが 強い。

*皇嗣争いが 続く 中で、継承 候補者が 次々と 斃されて
 いき、応神王朝の 崩壊に つながった。

オホクサカ 王家 から、応神天皇の 東征(神武 東 
 征?)が 読み解ける かも 知れない。



イズミ 所感
『古事記』を 読む ばあい、その 記事を そのまま「事実の 記録」と 考えて しまい やすい のですが、それだけでは。歴史の 真実を つかみとる ことが できません。『古事記』だけ でなく、『日本書紀』『風土記』などの 文献資料、さらには 考古学の 分野で 得られた 資料などと 比較対照する ことに よって、よりいっそう 客観的・合理的な「歴史の 真実」に せまる ことが できる わけです。

近藤 さんの 報告を きいて、歴史学には 門外漢の わたしにも、オホクサカ 王家 滅亡」の 真相が すこしだけ 見えて きた 感じが します。ありがとう ございます。わたし 自身、これまで クサカ(kusaka)の語音に こだわり、クサカの 表記法([日下][草香])の 問題を とりあげて きました。クサカを [日下]と 表記した のは、「ク[日]の サカ[]の 意味と 解釈されます。日本語では 漢字 ジツ[]と 読むのが 普通ですが、「二日・十日」の ように、と 読む ことも あります。コヨミ[](日数をヨム)の や、「君が 行き []長く なりぬ」(記允恭)も、「日。日かず。ひるま」(もともとは、太陽光線、ヒザシ)の 意と 考えられます。したがって、クサカ[日下]は 「ヒ[]の シタ[]」、「ヒ[]の モト[]」、「ヒ[]の モト[]」に 通じる ことに なります。つまり、いまの 日本(ヒノモト)と いう 国号の 起源に かかわる 呼び名と いう ことに なります。

日本の 国号の 起源と いう ことに なると、クサカ・ヒノモトと ならんで、ヤマト[日本・大和・倭・山門]と いう 呼び名の 由来も チェックして みなければ なりません。このあと、ヤマトの ナノリを もつ 人たち (大王・豪族)の 実態が 分かって くれば、日本 古代国家の成立・発展の 経過に ついても、また 日本国号の 由来に ついても、さらに あらたな 発見が 期待 できそう です。



五十嵐 顕房 さんの 報告
 当日 配布された 資料から、要約して 紹介させて いただきます。

古事記に 書かれて いる 死生観

1.生

1.1.神の 結婚…「汝が 身は 如何に 成れる。この 吾が身の 成り余れる 処を 以って、汝が 身の 合はぬ 処を 塞きて、国生み 成さむと おもふ」

[漂って いる 国を 固めよ]との 天神の 命令を 受けた イザナキ・イザナミ 二神は、オノゴロに 降りて 結婚し、国を 生む ことに する。

*神同志の 結婚でも、神と 人との 結婚でも、異界との 交流を 目的と して いた。多くは、寄り付く 男神と それを 迎える 巫女(玉依姫)との 結婚と いう 形式を とる。

*個々の 共同体は、それぞれの 神婚伝承を もって いた。たとえば、オオクニヌシと スセリヒメでは、オオクニヌシ根の国の 呪術性が、ホオリ(山幸彦)と トヨタマヒメでは、ホオリに 海神の 国の 呪術性が 付与され、異界との 交流が 語られて いる。

1.2.国生み・・・「女の 先づ 言ひしに 因りて、良く あらず。また 還り降りて 改め 言へ」、
「淡路之穂狭別島、次に…大倭豊秋津島を 生みき」大八島国。計14島。  

神生み…「安曇連等は 綿津見の 神の 子…底・中・上の 筒男命は 墨江の 三前の 大神ぞ」 三貴子(天照大神、月読神。建速須佐之男命)の 誕生。計35柱。

2.死

2.1.伊邪那美命の 死…「火之迦具土神と 謂う。此の 子を 生みしに 因りて、みほと やかえて 病み臥して あり。かれ、伊邪那美神は、火の 神を 生みしに 因りて、遂に 神避り 坐しき」

*この 神話が 火の 起源、また 死の 起源を 伝えて い
 る。

2.2.黄泉の 国…「ヨモツヘグイ[黄泉戸喫]を 為つ…一つ火を 燭して 入り見し 時に、うじ たかれ こうろきて,穢き 国に 到りて 在りけり。(*場面は、か、横穴式)古墳か」

ももの み[桃子]を 取りて…悉く 坂を 返りき…事戸を わたす」、「一日に チガシラ[千頭]」くびり 殺さむ」、「一日に チイホタリ[千五百人]の 産屋を 立てむ」

*黄泉の 国と 葦原中国との  関わりの 中で、人間の 生死
 が  語られる。

3.根の 堅州国 訪問…「大穴牟遅神を 殺さむと おもひ…石に 焼きつけらえて 死にき…つくり 活け しめき…麗しき 壮夫と 成りて、出で 遊びき…」

4みそぎ…「穢き 国に 到りて 在りけり。かれ、吾は 御身の ミソギ[]を せむ」…[神直毘神、大直毘神]

*身に ついた 穢れを 水の 霊力で 除去しようと して 行う 呪的 行為。祓えと 混同される ことも 多いが、祓えは、罪を 物に よって あがなう 意。イザナギは ミソギをしようと いって、杖・帯・袋・衣などを 投げ すてた。すると、それらに 次々と 神が なった。

*罪には、天津罪と 国津罪が ある。

 天津罪 ①畔放ち。②溝埋め。③樋放ち。④頻蒔き。⑤串刺し。⑥生はぎ。⑦逆はぎ。⑨クソヘ[屎戸]

 国津罪 傷害罪・殺人罪・疾患・近親相姦・獣姦・災禍。



イズミ所感

  ごらんの とおり、古代日本人の 死生観に かんする 用語を ひととおり 解説して いただきました。私と しては、これを 一つの 資料と して、わたしなりの 方法で、音韻の 面から 分析・比較・分類などの 作業を こころみたいと 思って います。

*たとえば、イザナキ・イザナミの 「国生み・神生み」の ウムと いう コトバ。日本語の 動詞 ウムには ウム[生・産](ウミ出す)・ウム[](ウメ込む)などが あり、ニュアンスの ちがいは ありますますが、客観的には おなじ 姿と 見る ことが できます。夫婦の 間に 赤ちゃんが ウマレル[] いう ことは、家族の 人数が 一人 マス[] こと です。また、狩猟や 採集の 場面では、エモノを ミル・ミツケルことが やがて「エモノをウミダス」ことに つながり ました。さらに いえば、ウミ[]も また、「万物の イノチをウミ[生・産]育てる」存在です。

*「ももの み」も、m-子音が 多用された コトバです。モモ[]は、イバラ科の 落葉小高木で、「上代に 中国大陸から 伝来した」と されて います。イザナキが 黄泉の 国から 脱出した とき、「桃の実を 投げて 防戦した」と いう 話は、中国の 伝承を ウケウリした もの かも しれません。それよりも、わたしは、「ウメ・モモ・モム・ケモモ・モモチ」などの m-音が あらわす 意味(事物の 姿)に 注目したいと 思います。ウメ[]・モモ[桃・百・股]・サクラ[]は、いずれも イバラ科の 落葉小高木。その 実は食用に され、その タネ(サネ)は かたくて、楕円形。サキが とがって いて、ヤジリ(利器・武器)と して 使えます。ウメも モモも たくさんの 実が なるので、数詞 モモ[]も おなじ 発想に よる コトバと 考え られます。また、モモの 実 には、こまかい 毛が 生えて いる ので、ケモモと 呼ばれた との こと。漢語 モウ[]は、上古音mog、現代音maoで、モウ[](ほそ目)・ミョウ[](細いなえ)・[](かぼそい)と 同系と 解説されて います。動詞 モムは m-mタイプ 唯一の 2音節 動詞ですが、ウツ・タタク・ツク・キル・サク・ソグ・ナグル・ハグ などとは 対照的な 姿を 表わす 動詞です。桃の実や 人体の モモ[]が イタミを 感じない ように、こまかに 気を 配って、やわらかな 手で さわり、モミホグス 動作です。

*「海は、万物の ウミ[生・産]の 親」と いいましたが、海水も ミズ[]。水が なければ、動物も 植物も 生きて ゆけません。ところで、水は どうして ミズと 呼ばれた ので しょうか?国語辞典には、「ム[]動四。産む」、「ミ[] 水」と解説されています。そこで、わたしは動詞ム[]の連用形 兼 名詞形が ミ(うみだすこと)と 解釈します。つまり、ミ[水]は「命を ウミだす ハタラキ(機能)」を 表わす コトバと 考えます。また、ミズ[水]の 歴史カナヅカイは ミヅ。この ヅは ツと おなじく、四方八方 どこへ でも ツキデル 姿を 表わす 語音と思われます。

*ミソギ[禊]の ミは ミ[水](甲類カナ)か、ミ[](乙類カナ)か? おもしろい 問題だと 思いますが、やがて 「上代語 カナヅカイ、甲類・乙類の 区別とは なに だった のか?」と いう 議論に なります。ブログの 公開予定 期限を おおきく はみだして いますので、ざんねん ですが、また つぎの 機会にと させて いただきます。

  この日、休憩時間に 社務所の 窓から、外の 風景を ながめて いました。高い 木も あり、ミドリに おおわれた、しずかな 空間に、木もれ日が さして いました。



68()、晴。しばらくぶりに ゆっくり 散歩。遊歩道 ぞい G家の 花壇に まっかな バラが1咲いて いるのが 見つかり ました。毎年 この 季節に 咲いて くれる ので、「ことしも この 季節に なったんだ」と 教えられる 思いです。

 雪見橋に さしかかり、視界が ひらけたと 思ったら、青い 空に 二すじの ヒコーキ雲が 走って いる ことに 気づき ました。ヒコーキの 機体は とうに 消えて いました。

  しばらく サップウケイだった 土手ですが、きょうは あちこちで アジサイが 花を つけて いるのを 見かけました。もう すぐ ツユに はいると いう こと でしょう。
 ツツジの 花は、「最後まで がんばって いる」姿に 見えました。



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