2018年5月18日金曜日

「三輪山伝説」のナゾ、など 



音を聞く会     5/2


みどりの日 5/4


訪問販売  5/10 


『古事記』を読む会 5/13



講演「富山の文学者たち」 5/14




を聞く会

52日(水)。午後、9Fで「音を聞く会」。いつものとおり「歌のお姉さん」が出演。大判の歌詞カードを、つぎつぎ白板に張りつけて、歌唱指導。この日の曲目は、季節にあわせて「 鯉のぼり」、「鐘の鳴る丘」、「ちゃっきり節」、「みかんの花咲く丘」など。みなさん、昔なじみのメロデイーにさそわれ、歌詞カードを追いかけながら声を出していました。



みどりの日

54日(金)。「みどりの日」ということで、昼食は写真でご覧のようなメニューでした。

もちろんお金をかけた豪華版というわけではありませんが、まずは「みどりの日」のカードをそえてフンイキをととのえ、ご飯はちょっと目先を変えた混ぜご飯。食後のデザートとして静岡産のお茶プリンをセットするという演出。なんとなく楽しい気分になりました。



訪問販売

510日(木)。午後、9Fで訪問販売。品目は、イチゴ・バナナ・ミカン・トロロこぶ、など。それらにまじって、アズキとキナコを1個ずついれてワンパックにした「おはぎ」が並んでいました。「きょうはこれにしよう」と思い、それだけ買って、部屋へかえりました。べつに、腹がへっていたわけではありません。ホームでは、毎日「三食・ヒルネつき」、めったに外出せず、カイモノもしない生活がつづくことになります。たまにも自分のサイフをさらえてカイモノすることによって、しばらく童心にかえることができ、よい気分転換になります。こんなお客さんばかりででは商売にならんといわれるかもしれませんが、こんごともよろしくお願いします。



『古事記』を読む会

513日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた『古事記』を読む会に出席。今月のテーマは,「【崇神】三輪山伝説」。たまたまこの会の有志一行が5月下旬に、23日の日程で、三輪山を中心に研修旅行を予定しているということもあり、その事前研修をかねて、さまざまな意見。提案が出されました。

五十嵐俊子さんが『神社の起源と古代朝鮮』(岡谷公二著、平凡社新書)および『出雲と大和』村井康彦著、岩波新書)を紹介。「大和の三輪山に出雲の神がまつられていること」のナゾをとく参考にすることを提案。

また、三輪山伝説に登場する「ヲ[麻]」に関連して、服部征雄さんから「前回の補足」説明がありました。

魏志倭人伝では、邪馬台国では「稲・からむしを植え」と読まれている。しかしの時代の図巻には「稲・あわ[禾]・麻・からむし[苧]を植え」と記されている。つまり邪馬台国では大麻が栽培されていたと解釈できる。後漢書の東夷列伝でも禾・稲・苧・麻となっている。

古代日本の植物繊維としては、大麻が主であったと思われるが、次第に苧麻に代わってきている。上杉謙信アヲソ[青苧]の栽培を奨励して、現在でも越後上布として受け継がれている。

アサヲ[麻苧]麻の別称。玉串や大麻の麻苧を木綿と呼ぶ。

アヲソ[青苧] カラムシの別名。原料としてつくった衣料。大麻と苧麻を組みあわせた布もある。

カラムシ[苧麻]

ジョウフ[上布] 会津上布。越後上布。能登上布。近江上布。宮古上布。八重山上布。薩摩上布。

五十嵐さん、服部さんにつづいて、イズミから「ミワ・ミモロの系譜…地名にこめられた情報をさぐる」と題して、自己流「ナゾとき法」を提案させていただきました。

伝説記事の中から「ミワ・ミワ山・ミモロ山」などの用語を採集し、これをキーワードとして、当時の社会生活の実態(=歴史の真実)をさぐり出す方法です。結論だけいいますと:ワは[輪]であり、ワ[吾]・ワラ[]・ワリ[]・ワル[割・悪]・ワレ[吾・割]などの語根に当たる語音。ミは動詞ム[生・産]の語尾母音が-iに変化して、「ウム[生・産]こと」を意味する名詞形となったもの。[水・神・見・三・御]はもと1。土器づくりとは、まず粘土ヒ[]をつくり、その輪をつみかさねる、つまり「モノをウミだす」作業。

イクタマヨリヒメの親が「スヱツミミ命」だったとの記事とあわせて、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができるという発想法です。

 この種の話は、論理性や精密さが求めれれるので、それだけ話がややこしくなります。くわしくは、つぎの項目をご覧ください。



三輪山伝説のナゾをとく

『古事記』中巻、崇神天皇のくだりに「三輪山伝説」と呼ばれる記事がのっています。現代文に直してみると、ほぼこんなお話です

活玉依姫(いくたまよりびめ)という美しい娘の元に、夜になると立派な男性が訪れ、姫は身ごもった。しかし、男性の正体がわからなかったため、着物の裾に麻糸のついたを刺し、翌朝たどることにした。すると、麻糸は戸の鍵穴から通り抜け、たどってみると、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の社に留まっていたので、おなかの子は大物主神の子とわかった。この時、麻糸が3残っていたので、この地を三輪と名付けたとされる。

(2012-04-26 朝日新聞 )

 伝説とか物語としては、けっこう楽しめるお話だと思いますが、さて歴史研究の視点から読む場合、どれだけの「歴史の真実」を読みとることができるでしょうか?まったくの自己流ですが、わたしも「三輪山伝説」のナゾときに参加することにしました。

 伝説の内容は、その伝説が生まれた時代の社会状況の反映であり、その範囲をハミダスことはありません。「三輪山伝説」についても、これを精確に読みとくことで、当時の日本社会がどこまでの発達段階にあったのか、判断材料を見つけることができるはずです。

 具体的なナゾとき作業として、まず伝説記事の中からキーワードを採集し、その意味(情報)を追究することにします。オホタタネコ[意富多多泥古]・イクタマヨリヒメ[活玉依毘]・ハニ[赤土]・ヘソヲ[巻子紡麻]・ハリ[]・カギアナ[鉤穴]・ミワ[]勾・ミワヤマ[美和山]など。これらのコトバは、「伝説」を語るための意味用法になっているので、これを「歴史の真実」を語るための意味用法にホンヤクする作業が必要になってきます。それには、「三輪山伝説」直前の項目「神々の祭祀」の中の用語、とりわけ「イクタマヨリヒメ=スヱツミミ命の女」、「ミモロヤマオホミワの大神の前を拝き祭り…天のヤソヒラカを作り、天神地祇の社を定めまつり」などの記事もチェックしなければならず、さらには考古学上の資料も参考にすべきでしょう。

 以下、いろいろ作業をすすめ、これまでにえられた結論(試論)をご報告して、みなさまのご教示をいただければと願っています。

*「三輪山伝説」は、当時の住民たち(客観的には権力者たち)の「モノの見方」(宇宙館・世界観・生命観)を語ったものと考えてよい。

*「三輪山伝説」のナゾをとく、いちばんのキーワードはミワ。さらにいえば、ワ[輪]そのもの。waを発声するとき、口が大きく開かれ、クチビルが[](マル)の姿になる。そこで、ヤマトコトバでは、ワという語音(音形)がひとりでにワ[輪]という意味(事物の姿)をあらわすことになる。このワ音は、ワク・ワル・ワラ・ワタ・ワタツミ・ワタルなどのワ(やがて英語waterに通じる語音)。男性マラ・マロは女性のワ[輪]にワケ入り、精子をマル[放]ことにより、やがてあらたなイノチが生まれ,ワ[輪](子宮)からワキデル、ワカレルことになる。ミワ・ミモロのミは「敬語の接頭辞」とされているが、もともとム[生・産](ウム・ウマレル)の基本義をもつ語音である。

*決定的なキーワードは、スヱツミミ命(タマヨリヒメの親)。以上のキーワードを総合して、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、(弥生土器・土師器以上製作以上に高度な技術による)スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができる。



講演:「富山の文学者たち」

514日(月)午後、市内13高志会館で開かれた県教職員厚生会富山支部総会に出席。総会のあと、講演「富山の文学者たち」を聴講。高志の国文学館主任学芸員綿引香織さんが同館常設展で紹介している文学者たち23人の代表作などについて解説・紹介されました。その中に、わたしと縁のある3人の方の名前があることに気づき、あらためて「人間の縁のフシギ」について考えさせられました。

  翁久允さん:わたしの兄タケヨシ[長嘉]の奥さんが翁一族だったこともあり、わたしが富山市の中学校に勤務しながら、友人仲間とともに文芸サークル「ちんぐるまの会」を立ちあげ、機関誌「ちんぐるま」を創刊したとき、むりやりお願いして、会長になっていただくなど、たいへんお世話になりました。

  岩倉政治さん:わたしの住所砂町から約2㎞、自転車で気楽にゆけるところ(奥田町)に岩倉さんのお宅があり(奥さまが歯科医院を開業)、なんべんもオジャマさせていただきました。そこでナニがあったか?具体的なことは、あらかた「忘却の彼方」ですが、そこには、さまざまな分野の人たちがつぎつぎたずねてきて、「いま、この時代をどう生きるか」などについて語りあっていました。わたしは、自称「親鸞の弟子」として、「唯物史観と他力本願の接点」を求めてウロウロしていた記憶があります。

  遠藤和子さん:故信子の女学校時代の同期生であり、わたし自身とも、富山市立学校の教員同士として交流する場がありました。いまも、たがいに作品を交換したりする仲間関係がつづいています。

 講演会のあと、懇親会が予定されていたので出席しました。講師の綿引香織さんがおられれば、ぜひごあいさつしたいと思い、自分の本(『コトダマの世界Ⅱ』)も持参していたのですが、講演終了後すぐお帰りになったようで、ザンネンでした。

 懇親会の席では、悠学会の仙石正三さんにお会いしたほか、むかし中学校で同僚だった木澤隆さんとも、ひさしぶりにお会いでき、もと同僚mtsさんのことなど情報交換をしました。そのついでに、わたしが持参した本を1冊お持ち帰りしていただきました。また、わたしが98歳だと聞いて、わざわざわたしの席まで足をはこばれた女性の方お二人にも、1冊ずつお持ち帰りしていただきました。

 わたしの年齢では、こうした会合に出席するだけで精いっぱい。席を立って、まわりの人たちに酒をついで廻るほどの気力・体力がありません。それでも、どうにかして、せっかく会場まで持参した本を、人さまの手にお渡しすることができました。このあとも、この本が一人でもおおくの人の目にふれ、「この本を読んでよかった」と思っていただける人にめぐりあえるようにと願っています。








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