2018年5月31日木曜日

カッコつけていますが、実はヨロヨロ 



高志の国文学館 5/16


三味線を聞く会 5/16 



 富山市民国際交流協会総会  5/24


日本海文化悠学会研修会 5/25 




散歩のつもりが熱中症に

516日(水)朝、散歩をかねて、高志国文学館まで出かけました。先日から中西進さんの『ひらがなでよめばわかる日本語』をよませていただいたこともあり、その中西さんが館長をつとめておられる高志国文学館に、わたしの作品『コトダマの世界Ⅱ』を1冊寄贈させていただきたいと願っていたわけです。

あるくのがニガテなので、本はカバンにいれて肩にかつぎ、左右2本のストックをつくことにしたので、これで万全を期したつもりでした。ところが、この日は、32度の真夏日

予想をこえたカンカン照りでした。ようやく文学館の事務所にたどりつき、本の寄贈を受けつけていただきましたが、帰り道がたいへんでした。松川の遊歩道までもどってきたところで、足の感覚がなくなり、一歩もふみだせなくなりました。2本のストックでも支えきれず、芝生にへたりこんでしまいました。

幸運なことに、すぐ近くにおられた女性の方が、心配して声をかけてくださいました。すこし落ちついたところで、ホームまで帰るタクシーの手配もしていただいたのですが、住所が「丸の内1丁目」と分かったとたん、「そんな近くなら」といって、タクシーの手配をキャンセル。すぐ近くの車庫からクルマを引きだし、わたしをのせてホームめぐみまで送ってくださいました。そして、わたしがまともにお礼のコトバをのべる間もなく、「つぎの予定があるから」といって、すぐ帰ってゆかれました。

おかげさまで、わたしはどうにか無事自分の部屋まで帰りつくことができ、水分を補給したり、しばらく横になったりしているうちに、すこし元気をとりもどし、昼食も、完食しました。それと同時に,命ひろいをさせていただいた方のナマエもうかがっていなかったことに気がつきました。

「体調が回復したら、さっそくお礼にゆかなければ」と思います。しかし、ナマエも住所も分からないままでは、どうにもなりません。

まったくもって、ドジマヌケな話ですが、これがいまわたしの実態だと思います。この年齢になってブログを公開したり、「日本語と漢語と英語に共通する音韻感覚」を提唱するなどなど、ちょっとカッコよさそうなことをする能力は残っているようです。しかし、毎日の生活に必要な実務的な能力がとぼしくなっています。モノゴトを認識・判断し、対策を考え、処理するなどの能力がほとんどゼロです。

 そこで、どうすればよいかが問題です。コマッタ・ヨワッタとナゲキ・カナシム方法もありますが、それで問題が解決されるわけではありません。グチをこぼすことは、自分自身ミジメな思いをするだけでなく、まわりの人たちに余計な心配をかけることにもなるでしょう。  

それくらいなら、ぎゃくに「ひらきなおる」方法がよいかもしれません。人間オギャーと生まれてきたときは、まったくの無一物。財産も生活力もゼロ。老齢で死ぬとき、赤ん坊とおなじく無一物なのはアタリマエのこと。そういう発想法です。

 わたしの場合、このさきどれだけの余命か分かりませんが、せっかく与えられた人生ですから、なるべくまわりに迷惑をかけない範囲で、自分のすきな生き方を楽しみたいと願っています。ミアラクモン無益任と思われるかもしれませんが、おゆるしください。



三味線を聞く会

 この日午後、9Fで開かれた「三味線を聞く会」に出席しました。出演者は、いつもの「三味線のお兄さん」と若い女性のお二人。曲目は、「といちんさ」、「こきりこ節」、「八尾おわら節」、「花笠音頭」、「そうらん節」など。民謡の音色にさそわれて、日本列島を一挙に縦断といった感じでした。また今回は、歌声と三味線だけでなく、民謡おどりのフリツケについても、実演・解説するというサービスつきでした。

 わたし自身は、午前中のショックがのこっていたようで、やっとの思いで見たり聞いたりしていました。



後遺症はなし

 518日(金)。美織さんがホームへ来てくれましたが、さしあたり衣がえのダンドリに追われ、熱中症の件はいいだせませんでした。21日夜、ようやく美織さんへ報告。27日にお礼にゆく予定をくみました。

 519日(土)。午前、内科検診を受けましたが、格別には異常なし。おかげさまで、熱中症の後遺症はないようです。。



冨山市民国際交流協会総会

524日(木)。午後3時からCIC3Fで開かれた冨山市民国際交流協会総会に出席。総会にひきつづき講演会があり、富山大学教養教育院教授ヨフコバ四井エレオノラさんが「日本語教師になって30」と題して、ご自身の経歴を中心に報告されました。

四井さんはブルガリアで生まれ、首都ソフィア大学古典および現代言語学部東洋語東洋文化学科卒業。日本東京大学、大学院で博士号取得。東京外国語大学大学院非常勤講師、東京大学非常勤講師などを経て、2018年から現職。

 四井さんは講演の最後の部分で、「外国から来た留学生に教える日本語」についても話題とされました。外国からの「留学生・研修生の日本語習得」については、ささまざまな問題が議論されていることなので、留学生の経歴を持つ日本語研究者として、どんな問題を意識しておられるか、ぜひおうかがいしたかったのですが、質疑・応答の時間が設定されていなかったのがザンネンです。



懇親会の席で

 講演会のあと、東急15Fリコモンテで開かれた懇親会にも出席させていただきました。会場へ入ったとたん、ビックリしました。ひろい会場に、中華料理の大テーブルが3台並んでいるだけでした。

 最近1年ほど、信子の入院や葬式などに時間をとられ、わたし自身協会の活動に参加してこなかったことは事実です。しかし、それにしても、この日の懇親会出席者はすくなすぎます。ひょっとして、最近の社会(世界)情勢の変化を反映したものか、など。ついつい、余計なことを心配していました。

 こうした会合には、かならず出席していた内山恵美子さんの姿も見えませんでした。出席者の話によると、持病が悪化して一時入院、いまも自宅で療養中とのことでした。信子と女学校時代の同期生で、わたしどもとは家族ぐるみのおつきあいをしてきました。はやくにご主人を亡くされましたが、社交家で、その場のフンイキをにぎやかに盛りあげるのが得意。いくつも持病をかかえながら、協会の世話役をつとめていました。本来ならば、いち早く入手できたはずの情報が、こうした形でようやく伝えられたということ自体、わたし自身の環境変化をしめすものだと思い知らされました。

出席者がすくなかったおかげで、まわりの人たちとじっくりお話ができたともいえます。また、この席をかりて、持参した本(『コトダマの世界Ⅱ』)3を協会へ寄贈させていただきました(内、1冊は講師の四井さんへ)。

さらには、講師の四位さんと直接面談する時間もありました。わたしから「現代日本語がかかえている問題点」について、私見をのべさせていただきました。

*留学生だけでなく研修生などの場合、業務上やたら難しい日本語をおぼえることが要求される。この点では、いまの日本語そのものが改善されるべきではないか?

*日本の国語教科書の中にヨコガキの文がゼロというのも、現代日本語の実態を無視したものであり、世界の流れから見ても、まったくの時代おくれではないか?

*日本語が21世紀の競争世界で生きのこるためには、中西進さんの『ひらがなで読めばわかる日本語』に見られるような言語観が日本人一般の常識となることが前提条件と考えるべきではなか?

 ただし、イズミの私見を一方的にお伝えしただけで、具体的な回答を求めることはしま

せんでした。外国籍で、日本の国立大学教授という立場を考えれば、文科省の言語教育政

策を批判するような発言をすることは、かなりムリだと考えたからです。うっかりホンネ

はいた場合、たちまち「外国人による内政干渉」などと攻撃されるおそれもありますね。



日本海文化悠学会研修会

525日(金)。午後1時半から茶屋町豊栄稲荷神社で、日本海文化悠学会研修会が

かれ、4月に刊行された『悠学』第2集に掲載された2編について、補足的な研究報告がありました。

  出雲・古志国間の夢游談」…佐藤実さん。

 佐藤さんは『悠学』第2の中で、「出雲と古志の関係」を研究する方法の一つとして、「独人式ブレーン・ストーミング」を提案されました。すこしだけ具体的にいうと、「想定(仮説)」を明確にしないで、漠然とした出雲国と高志国の関係する情報を広く収集し、収束するという方法です。

 この日の補足提案では、もとの提案をかなり整理したうえで、あらたに「仮説と検証」などの例をあげるなどして、それだけ分かりやすく、説得力のある提案になってきた感じがします。

 情報量がおおいだけの、マンネリ化した研究報告ばかりでは、あまりおもしろくありません。奇想天外、目をみはるような仮説も歓迎したいという意味では、こうしたブレーン・ストーミングも必要だと思います。ただし、実際数人がこの方式で討論をはじめるとなると、なによりまず、(佐藤さんもご指摘のとおり)それなりのルールをまもることが必要です。そうしないと、ただストーム(あらし)をまきおこしただけになるおそれがあります。その手続きがめんどうだからといって、自分ひとりでストーミングをおこなった場合は、そこでたどりついた仮説を、ただの「おもしろそうな仮説」ではなく、だれがどんな視点から見ても納得できるような「客観性・合理性のある仮説」とするために、仮説の一言一句にいたるまでチェックし、ミガキあげる作業がもとめられます。たとえば;

*東地域の住民を「矢族」、西地域の住民を「谷族」と呼んでいますが、一方では住民の利器に着目して命名し、他の一方では地域の地形に着目して命名するという姿勢では、「客観性・合理性のある結論」を期待できるでしょうか?一方を「矢族」と呼ぶなら、他の一方も、「地域住民が得意としていた利器」にちなんだ族名で呼ぶべきではないでしょうか?また、地形にに着目しての命名ということであれば、「谷族」・「沢族」と呼んだ方がすっきりしないでしょうか?

*また、「この分布図の作成にあたり朝鮮・台湾・中国本土の五万分の一地形図を見分したがが、(沢)を語尾に持つ川の名は、いずれも見いだせなかった。それに対して、(谷)の語尾を持つ川の名は、朝鮮に多くみられる台湾・中国本土には見いだせない」とのこと。たいへんご苦労さまでした。敬意を表します。ついでに教えていただきたいことがあります。「朝鮮に多くみられる」「(谷)の語尾を持つ川の名」というのは、漢字の「字形」のことでしょうか?それとも、(漢語とは異系の)朝鮮語でしょうか?どんな語音(音形)でしょうか?

*わたしが漢字の字形よりも音形にこだわるのは、コトバはもともと音声信号であり、音形のちがいによって意味のちがい表現され、伝達されるからです。モジはコトバを記録する道具(視覚信号)にすぎません。

*民族言語は、それぞれ独特の音韻感覚によって組織され、異質の言語をとりいれることはめったにありません。しかし、たとえば金属利器の発明などにともなう先進技術用語などについては、国籍や民族のワクをのりこえ、地球規模でひろがることがあります。

*くわしく説明する時間がないので、一つだけ例をあげます。漢語コク[谷]は、t-tタイプの語音。漢字の字形としては「水源の穴から水が分かれ出る(=岩盤にカコマレ、シゴカレ、クグル)姿。k-k音の日本語でいえば、音義ともコク・シゴク[]に近い語音です。現代漢語では、このコク[]コク[]の簡体字として使い、コクモツ[谷物]と表記しています。日本人がみたら「まさか?」と思われるかもしれませんが、漢語の音韻感覚としては、コク[谷・穀]は「まわりを固いカラ[]でカコマレたもの」として同じ姿。なんの違和感もないようです。コトバとは、そういうものなんですね。



  日本人のルーツ、高林英紀さん

【おわび】

 わたしの学習不足で、この項の原稿をまとめきれぬまま、「時間切れ」状態になってしまいました。まことに申しわけありませんが、どうかおゆるしください。



お礼のごあいさつ

527日(日)午前、長念寺志田常無住職さんが来訪、故信子月命日のお経をあげて

いただきました。そして午後、美織さんといっしに、先日お世話になったお宅をだずねることにしました。

ナマエも電話番号も不明。記憶しているのは、クルマの車庫だけ。とりあえず現場付近のお宅で、車庫利用者の所在をおたずねしてみました。「案ずるより産むが易し」。「車庫とおなじ棟のMrkmさんですよ」と教えていただきました。そのナマエを聞いたとたん、美織さんが「ここは藤木家と縁つづきの家にまちがいない」といっていました。玄関の戸はカギがかかっていましたが、チャイムをおすと、年配の女性が応対してくださったので、わたしから先日お世話になった件について報告し、お礼のごあいさつがおくれたことのおわびを申しあげました。クルマの持ち主(車庫の利用者)はMrkm家の娘さんであり、先日の件についても、本人から話を聞いているとのことでした。

 おくればせながら、お礼のごあいさつをすますことができ、一つだけ宿題をはたしたような気分になりました。それにしても、イズミ~藤木~Mrkmなど、人間同士どこでどんなふうに縁がつながっているのか、フシギなものですね。



ヤ[矢]の系譜とワ[輪]の系譜

 わたしはこの数年来、yaという語音に注目し,ヤ[矢・屋・谷・哉]の系譜…日本人の宇宙観をさぐる』という小論を発表してきました(『コトダマの世界Ⅱ』第19)。それは、日本人が長い間、弓矢にたよって衣食住ににわたる資材を調達してきたという歴史上の事実があり、その結果として、多くの分野にわたる用語にヤyaが使われるようになったと考えているからです。

 このような現象は、日本語だけでなく、漢語(中国語)や英語にも見られるようです。ただ、ya(ヤ行音)とワwa(ワ行音)はそれぞれ一種の「拗音」だということもあり、それぞれ民族語内での分布状態は一様ではありません。今後、日本語(ヤマトコトバ)と外国語との音韻比較作業を進めるに当たっては、このヤya(ヤ行音)音、ワwa(ワ行音)

がキーポイントの一つになるだろうと考えています。

 そのわたしが、ヤ音とならぶフシギな語音として、ワ音ととりくむようになったのは、ごく最近のことです。

 ワwaは、母音同士uからaに移行するときに生まれる語音。口形が変化し、音形も変化することから、ヤ行音とともに「拗音」と呼ぶことができます。ワ行単音節の上代語として、[輪・曲・勾]・ヰ[井・猪]・ウ[卯・鵜・居・得]・ヱ[絵・画・餌]・ヲ[雄・男・夫・峯・尾・緒・麻・小]などの用例が見られます。ただし、[絵・画]については、編集者から「字音語か」との注釈づきです。このことは、日本語(ヤマトコトバ)が初期の時代からまわりの住民の言語を取りこみながら発達してきたこと、つまりチャンポン語の性格を持っていることを示すものと考えてよいでしょう。チャンポン語ということになれば、当然さまざまなムジュンを抱えこむことになりますが、ぎゃくにそれをバネにして、日本語がさらに大きく成長することができたと見ることもできます。



ワタ=ワタルもの=water!?

 という語音(音形)とワ[輪]という意味(事物の姿)との対応関係などについては、前回のブログ(「三輪山伝説のナゾをとく」の項)でもとりあげましたので、ここでは省略します。わたしがあらためてワwaの語音ととりくむことになったのは、ワとワタの関係、ワタとワタル・ワタスとの関係、さらにはワタ・ワタルとwaterとの関係に気づいたからです。

 上代語の段階で、ワタ・ワタル・ワタス・ワタリなどのコトバがすべて成立しています。しかも、ワタという同一の語音3種類の事物[海(水)・腸・綿]の呼び名としています。

現代人の感覚でいえは、海(水)と腸と綿とのあいだに、ナニ一つ共通項が見あたりません。しかし、漢字もカナもなかった時代、音声言語だけをたよりに意志を通じあっていた時代の話ですから、命名者の視点から見て、「おなじ姿に見えた」から「おなじ語音で呼んだ」にちがいありません。そういわれてみると、海の水や、腹のワタや、メン[綿]のワタなどに共通な姿が、すこしずつ見えてきます。どれもみな「安定した形」がありません。両手でつかまえようとしても、クネクネ・グニャグニャしているだけで、つかまえどころがありません。容器に入れると、容器の形にあわせて安定した姿になりますが、容器にアナが空いたりすると、すぐにモレだし、あたり一面にシミワタルことになります。とりわけ海水のワタの場合は、雪・氷(固体)や水蒸気(気体)と姿を変え、宇宙空間を自在にワタリつくすことができる、フシギな存在です。

 そのワタ(海水)英語のwater()と音韻対応の関係を持つコトバでないかと気づいたとき、わたしは音韻比較のおもしろさにシビレました。念のため、英語の辞典で」waterの単語家族をしらべました。語根・基本義・派生語の順で、次のとおり解説されています。

 語根wed-1//. 基本義water, wet湿った//.派生語water, wet, wash洗う, winter,whiskeyウイスキー, vodkaウオッカ.

 こんなふうに見てくると、ワタル[渡]は「ワタ(水)の姿になる」、「ワタのハタラキをする」ことであり、ごく自然な造語法だということが分かってきます。

 さて、日本語のワタが英語のwaterと対応関係にあるとすれば、漢語についても対応関係を持つコトバがあるのではという気がしてきます。しかし、残念ながらこれまでのところ、「ワタ(水):water」と肩を並べられるような漢語音が見つかっていません。このあとの課題とさせていただきます。

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