2018年6月10日日曜日

まつりの季節



幻想;竜宮城(!?) 5/28


こども神輿 5/28 


山王さんの獅子 5/31 


おはらい 5/31 



 おまつりのご膳 6/1


『古事記』を読む会  6/3  




幻想;竜宮城(!?)
 528日(月)午前、郵便局まで行ったついでに、諏訪神社境内をうろついてみました。ここにはちょっとした泉水があり、コイカメに会うことができます。ガマのしげみもあって、秋になれば、あのガマの穂の色を楽しむこともできます。ただし、もともと神社の庭園としてではなく、防火用水として設計されたということで、やたら四角四面の感じで。なんともフゼイがありません。カメラを向けると、駐車場のクルマやビルの姿が映りこんでしまい、こっちのイメージどおりの絵になりません。それでも、水面に浮かんできたヒゴイの姿にひかれて、シャッターを押しました。
 境内の一画に、こども神輿が置いてあったので、それもカメラにおさめました。前日、諏訪神社の祭礼があり、ホームめぐみのまえをワッショイ・ワッショイ引いていった、あのこども神輿にまちがいありません。どうもオツカレサマでした。ゆっくりオヤスミください。
さて、ホームへもどってから、あらためてスマホの写真を開いてながめました。ヒゴイのかわいらしい姿の背景に、対岸のビルがさかさまに映りこむなど、まったく予想外の映像になっていました。「どうして、こうなるの?」しばらく考えこんでしまいました。。
 そのあと、「視点が変われば、映像も変わるのは当然。この映像を21世紀版『竜宮城』の映像と見てはどうか」と考えることにしました。幻想はあくまで幻想にとどまり、現実ではありません。しかし、幻想にはそれなりの役割や効果があることも現実です。たとえば、オリンピックで金メダルをとれる選手は1名だけというのが「現実」ですが、「金メダルを夢見る(幻想する)」ことが、大多数の選手に、きびしいトレーニングを「耐えぬく力をあたえる」というのも現実です。

山王さんの獅子
531日(木〕。山王神社のおまつりで、めぐみのビルに獅子が来られるとのことで、入居奢たちも多数出席しました。まず,1F玄関に祭壇がおかれ、お米やお神酒などが並べられます。赤と黒二組の獅子がそろったところで獅子おどりがはじまり、参会者ひとりひとりの頭をかんでまわります。これで、この先1年間、無事息災で過ごせるとのこと。
  獅子おどりのあと神主さんが登場、参会者一同頭をさげ、おはらいを受けます。さいごに、祭壇に供えられたお神酒やお米などが献上され、儀式がおわります。
考えてみると、獅子おどりおはらいを、これだけじっくりと観察できたのは、はじめてです。山王さんのお獅子が赤と黒、二組そろっていることに気づいたのも初めてですが、よくみると、踊り手たちの衣装も舞子全体の衣装も、すっかり現代風になっていることが分かり、ビックリしました。ご覧の写真は、赤組の獅子がビル玄関に到着し、黒組の獅子をまっている場面ですが、わたしの感覚では、ついついモダン・バレーのダンサーを連想してしまいました。
 おまつりの儀礼には、むかしからの伝統・様式を忠実にまもるという一面があります。同時にまた、古くなったイノチをひきつぐものとして、新たなイノチを育てようとする一面もあります。時代の変化をこえて、おまつりを盛りあげてゆくには、まずわかい人たちの「イノチの共感」を集めることが要求されるようです。

自己流のテアテ法
6月1日(日)。夜中にトイレのため目をさましたのは2回だけでした。トイレのためといいましたが、じっさいは左右とも足のツマサキしびれて、その痛さで目を覚まし、ついでにトイレをすませるというべきかもしれません。一晩に3回以上、そうなります。外科でも見ていただきましたが、「レントゲン検査の結果も、異状なし」といわれました。それから数カ月たちましたが、痛みはつづいています。ここまで来ると、自分でテアテ法を考えるほかありません。
そこで気がつきました。わかくて健康なころは、毎日3,000くらいは歩いていたかと思います。いま、ホームでの生活を観察してみると、1日当たり数百歩どまりになっているでしょうか。歩くときは、全体重を左右の足で支えることになります。さらには、立つ・すわる・はしる・横を向くなどの場合、足のツマサキ最大の負担がかかることになります。そのことを考えれば、「夜中に足のツマサキがしびれる・痛む」そのこと自体、「足のツマサキの生理を無視し、毎日数千歩歩行の習慣をさぼった」ことへの天罰だということになりそうです。
足ふみをする、ツマサキをマッサージするなど、ほんのわずかなことしか思いつきませんが、結果として「ツマサキのシビレ・イタミ」がすこしでもおさまってくれればありがたいです。

おまつりのご膳
この日は日枝神社・山王さんのおまつりということで、ホームの昼食もご覧のとおり「おまつりのご膳」仕立てとなりました。赤飯・すまし汁・てんぷら・ごまあえ・べっこう。それに竹林堂の「ついたち・まんじゅう」までそろっています。。
 砂町に住んでいたころ、正月と夏祭りだけは二人そろって山王さんへお参りしていました。菓子屋の娘として生まれ育った信子は、アルミの弁当箱をつかってベッコウをつくるのが得意で、わが家の食卓には一年中とぎれることなくベッコウが並んでいました。そしてマンジュウといえば、中央通り(砂町のとなりの町内)の「酒マンジュウ」がお気に入りでした。

『古事記』を読む会
6月3日(日)。午前10時から、茶屋町豊栄稲荷神社で、『古事記』を読む会研修会が開かれ、考古学者藤田富士夫さんが「火の神を斬る」と題して解説されました。
まずは慣例どおり、出席者全員で『古事記』上巻、「伊邪那岐命と伊邪那美命…③国生み・神生み。④伊邪那美命の死」の部分を輪読。そこに登場する神たちのナノリ意味役割など)をチェックすることから、解読作業がはじまりました
 伊邪那美命は国生みのあと、さまざまな神を生みつづけますが、さいごに火之迦具土神を生んだために「みほと炙かえて」死亡したとされています。そのとき、タグリ(嘔吐物)から生まれた神が金山毘古(毘女)神クソ[屎]から生まれた神が波邇夜須毘古(毘女)神ユマリ[尿]から生まれた神が弥都波能売神、つぎに和久産巣日神
 そのあと伊邪那美命によって斬り殺された迦具土神の死体からも、つぎつぎあらたな神(イノチ)が生まれます。頭に正鹿山津見神。胸に淤ド山津見神。腹に奥山津見神。蔭に闇山津見神。左手に志芸山津見神。右手に羽山津見神。左足に原山津見神。右足に戸山津見神。                                                                                                                                  
 このような記述の仕方から、『古事記』が書かれた当時の日本人がもっていた宇宙観・世界観・生命観などを推定するテガカリがつかめそうで、興味をひかれます。その場合、『古事記』上巻の記述は日本史の縄文時代から弥生時代にわたるものなので、どの記述がどの時代の歴史事実を反映するものなのか、整理する作業も必要になります。
 縄文時代の土偶については、早期から晩期まで、全国各地で出土しているだけでなく、身体各部がバラバラの状態で発見されることがおおいとのこと。前記カグツチ神の死体からおおぜいの山津見神が生まれたという記述とおなじ発想法によるものでしょうか?
 7月の研修会でも、藤田さんがひきつづき「黄泉の国」と題して解説してくださるそうで、楽しみにしていましたです。

体調で、一喜一憂
6月5日(火)。午後、機能訓練のとき、いつもよりややだるい感じがしました。そのあと、入浴まえの体温検査で38。あわてて、当日の入浴は中止1F内科で診察を受けたあと、アイスノンで頭を冷やし、ひたすらネル・ネムルことにしました。
6月6日(水)。おかげさまで、体温・血圧とも平常にもどりました。午後、9Fで開かれた「音を聞く会」に参加。6月はJune Brideの季節ということで、恋愛・結婚にまつわるメデタふうの曲を特集。「青い山脈。ここに幸あり。バラが咲いた。港町十三番地。柔」など。1曲ずつ、大判の歌詞カードを掲示し、歌詞について解説したうえで、出席者全員で歌います。ここは老人ホーム。「歌謡教室」ではありませんので、歌の上手下手は関係なし。なによりまず、歌を聞いたり、自分で歌ったりする気分になること。つまり気分転換が第一目標。出席全員にタンバリン・鈴などの小道具を持たせたりするのも、そのため。今回はさらに、リハビリ用機能訓練のフリツケをとりいれるなどの方法もとりいれました。ただし、その場合、自分の手足がまわりの人と衝突しないだけのスペースが必要。現状では、ちょっとムリかと思われます。
6月9日(土)。前夜10時就寝から6時起床まで、トイレのため目をさましたのは2だけ。足のツマサキのシビレ・イタミで目をさますことはありませんでした。午前中1F内科の検診では、「体重が2キロ以上増えている。フシギだ」といわれました。
 いまのわたしとしては、「体重」もさることながら、「ツマサキのシビレ・イタミが、このままおさまってくれれば…」、それがいちばんの願いです。



0 件のコメント:

コメントを投稿