2018年12月16日日曜日

クリスマスの季節



クリスマスツリー 11/23


日本海文化悠学会 11/30 


『古事記』を読む会  12/2 





かぶら寿し 12/10 


社会人大楽塾  12/13 



クリスマスツリー
 1123日(金)。勤労感謝の日。クリスマスを待ちかねて、ホームの3fクリスマスツリーが設置され、入居者たちがそれぞれの思いをこめて小さなライトをかざりつけました。どうか、このあとの冬を無事すごすことができますように!
1127日(火)午前、長念寺住職志田常無さんにおいでいただき、信子の月命日のおとき、あわせて報恩講をつとめさせていただきました。

日本海文化悠学会
1130日(金)午後、日本海文化悠学会に出席。仙石正三さんから「椎名道三と引越し十村」にかんする研究報告をきかせていただきました。当日配布されたレジュメをたよりに、要約してご紹介します。
1.椎名道三の主な事績
    早月川段丘上の室山野用水を完成(1827
    神通川の断崖を削る舟倉野用水の修繕(1850
    東加積村東福寺野(室山野用水より分水)(1839~)
    黒部川左岸の十二貫野用水(1840
これほどの偉大な功労者であったにもかかわらず、彼は世に埋もれたままで忘れ去ら
れようとしている。彼の偉大さは、測量開拓の天才的才能と超人的努力並びに哀れな貧農を救済し、生活の糧を与えようとの大慈悲心にあったと思う。
(中略)
2.生家は宝田家
宝田宗三郎―六左衛門(北野先組才許十村)―宗三郎-道三(大熊村道山方に養子)
3.引越し十村とは
新田才許は、加賀藩が領民支配のために採用した十村制度の役職名。
18世紀初めより、他郡からの引越し十村が増大。在地に利害関係を持つ土豪的十村は排除され、農事・農政に優れた官僚的十村による領民支配を実現。
十村役は一代限りが原則。」
(中略)
5.その後の宝田正楽一家
明治2年(1869),新川郡の人々が乱暴を働く。一機騒動が起こった10月29日夜、小林村の宝田六左衛門宅へ襲撃をかけ…同日午後、高原野・末三ケ野の新開地の村々の者たち数百人が隊をなして、高柳村の新田才許の弥三郎こと正楽の家に押しかけ…家宅の打ち壊しに取りかかった。
 新田開発で成果を上げたのが、何故バンドリ騒動で襲われたか?
納米を取り仕切るのは正式には代官(集税官)としての十村であるが、実際は出席せず、多くはオサメ[納]手代が行った。蔵納め=納税の時(1015日~25日)は、農民に対して実に厳しかった。一度で収納を終わるものは極めて少ない。代官は賄賂を出さないと終わらせない。
納手代罷免後、正楽は高柳村で高利貸しに専念し、財を成した。⇒うらまれるはず!?
椎名道三は「藩から多くの褒賞品が与えられたが、それらを貧しい農民に分け与えたり、新たな開拓の費用としたため、自らは質素な生活をしていた」
6.椎名道三の測量術和算の師匠?
久世義胤(央)説など諸説あるが、年齢差(道三が38歳の時、義胤は6歳)など、いろいろ検討した結果、道三は義胤の父,久世太兵衛義房に師事していた可能性が高い。
以上、門外漢のわたしどもにも分かるように解説していただきました。ありがとうございます。
 12月の研修会はお休みなので、次回は来年125日(金)、会場は千代田町の丸十さん。研修会の後、ひきつづき新年会の予定。

『古事記』を読む会
122日(日)、午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた「『古事記』を読む会」に出席しました。会員五十嵐顕房さんのクルマに便乗させていただき、会場までの途中、民族民芸村をとおり、あたりの紅葉をたのしませていただきました。
研修会では、五十嵐喜子さんが、5月に参加した研修旅行、とりわけ「石上神宮」を中心に報告されました。ついで、○○さんから「天孫降臨の地はどこか」と題して問題提起がりました。『盗まれた神話』(古田武彦著・朝日文庫)の内容を紹介するものでした。わたしはまだこの本を読んでいないので、論評する資格がありませんが、2月の研修会では「天孫降臨」をテーマに討論することになっているので、わたしなりの視点から討論に参加したいと考えています。
「天孫降臨」について、「歴史の真実」をさぐる立場からは、「どの時代に、どこで、どんな人たちが、どんなことをしたのか」たしかめることが必要になります。『古事記』という記録文書があり、その中に「天孫降臨」の記事がのっていますが、その記事の内容がそのまま「歴史の真実」と一致するという保証はありません。『日本書紀』その他の関係資料や考古学上の資料などとてらしあわせて、すこしずつ「歴史の真実」をたしかめることができるのだと思います。
さらに一歩つっこんで考えてみることも必要かと思います。『古事記』などの資料はたしかに日本語(ヤマトコトバ)で書かれていて、便利なことはまちがいありませんが、コトバはイキモノなので、生老病死の現象がつきまといます。コトバが成立したばかりの時代と、『古事記』に記録された時代と、21世紀現代とでは、音形(発音)の面でも、意味用法の面でもかなり変化していることがあります。
 さらにもう一つ。もともとモジをもたなかった日本語は、中国大陸から漢字が伝来したことで、さっそく漢字を利用して日本語を記録する方法を考案しました。ただし、漢字はもともと漢語を記録するために考案された表意モジであり、そのままでは、日本語の音形(発音)を表わしつくすことができません。なんとかならないか?そこで考案されたのが、一つ一つの漢字に音読みと訓読みを設定する方法です。漢字を漢語本来の音形にしたがって読むのが音読み(現実にはかなりズレています)。ヤマトコトバに翻訳した音形で読むのが訓読み。こうして、漢文のヲコト点や万葉カナが生まれ、やがてカタカナ・ひらがなという表音モジが生まれました。
 今回は「天孫降臨」がテーマということですが、なにより『古事記』の記事そのものについて、正確に読みとる作業が前提条件になると思います。キーワードになりそうな用語をひろってみました。
   チクシとツクシ
地名の[筑紫]は、ツクシと読むものだと思っていましたが、こんど「チクシ千串
意)」説をきかせていただき、あらためてコトバの音形と意味(事物の姿)との関係を考えるキッカケになりました。
 念のため、『古事記』、『万葉集』の表記法をしらべてみましたが、いずれもツクシばかり。チクシと読んだ例が見あたりません。わたしの見落としかもしれないので、チクシと読んだ例があれば、ご教示いただきたいと思います。
 一般的音韻論としては、チクシ説もおもしろいです。ツクシもチクシもt-kタイプのコトバで、共通の基本義をもっています。ちがいといえば、音節語尾母音-a-iのちがいだけです。
 チク音では、上代3音節動詞としてチカフ[盟・誓]・チギル[約束・期]が成立していますが、現代語にいたるまで、2音節の動詞は成立していません。上代の2音節語としてチカ[近](形状言)・チギ[千木]3音節語としてチカシ[]・チガヤ[茅草]・チカラ[力・税]・チキリ[]・チギリ[]4音節動詞としてチカヅク[近着]などが成立しています。擬態語チカチカやチクチク・チクリなどが成立した時期はわかりませんが、やはり同系の語音と考えられます。
 ツク音では、まず上代2音節動詞としてツク[著・附・託][][衝・策][][][][]・ツグ[継・次][]など、3音節動詞としてツカス[漬]・ツカヌ[束]・ツカフ[用・役]・[仕]・ツガフ[蕃]・ツカム[摑]・ツカル[疲]・ツガル(つながる)・ツキウ[急居]・ツクス[尽]・ツクフ[噤]・ツクル[作・造]などが成立しています。動詞以外の2音節語だけでも、ツカ[塚]・[握・束]ツキ[坏・鴇・月・調・槻]・ツギ[継・次]・ツク[三伏一向・木兎]・ツゲ[黄楊]などが成立しています。
  ツカツカ・ツケツケについては、擬態語と見るか、副詞と見るかは別として、「(遠慮せずに)ツク・チカヅク」姿として、同系のコトバと考えてよいでしょう。
 以上のような実態から見て、おなじt-k音グループの中でも、チク音は比較的少数派、ツク音は多数派・主流派ということになりそうです。
 なお、音形と意味との対応関係を考えるうえでは、漢語のチク[竹・筑・築]も参考になります。いずれも同音で、上古音tiok、現代音zhu。チク[竹]は、ツキデル姿の植物。[]は、ツク・タタク姿の打楽器。[築]は、家屋を建築するため、キ[杵]で土台をツキカタメル(=キヅク)作業。ヤマトコトバと共通する音韻感覚で生みだされた用語です。
<付記>
ツクシの語音構造については、『コトダマの世界Ⅱ』第15章「ツクシとスギナ…t-音とs-音の関係を考える」をご参照いただければ幸せです。

   クニとシマ
漢字シュウ[洲]をクニシマと読む用字法が問題になっているとのことですが、『古
事記』では「大八州」(序文)、ネノカタスクニ[根之堅洲国](上。須佐之男の涕泣)・[根堅洲国](上。大国主神根の国訪問)などの用字例が見られます。ただし、序文の「大八州」については、音読したものか、訓読したものか、確認できません。漢字[]と[洲」は、いずれもまったく同音tiogzhou、同義(①川の中洲。②大陸)。もともと、「陸地のまわりを水がトリツク・トリマク」姿です。
ここでまず、ヤマトコトバとしてのクニとシマについて、その基本義をたしかめておきましょう。
クニは、k-nタイプの語音。上代2音節動詞としてカヌ[兼](下二。①兼ねる.②~できない)、3音節動詞としてカナフ[応・叶](四。自)・[応](下二。他)が成立しています。また名詞では、カナ[]・カナト[金門]・カナヘ[]・カニ[]・カヌチ[]・カネ[金・鐘]・キヌ[衣・絹]・キネ[杵・木根]・キノフ[昨日]・クニ[]・クヌカ[]・クヌギ[歴木・櫟]・クヌチ[国内]・コナタ[墾・水田]・コナミ[前妻](コナ[][])・コノミ[木実]・コノヨ[現世・今代]など、多数成立しています。
 クニ[]については、山々の尾根や川の流れがクネクネ・マガルことでつくられる境界線を表わすコトバだと考えてよいでしょう。
クナク[]・クナガヒ[婚合]・クナタブレ(狂気。狂人)などのクナは、クネクネ動くカタマリで、クナク[]・クナガヒ[婚合]の主体ということになります。クナは、クニ・クネ語尾母音交替の関係にある語音です。
 邪馬台国と対立した国名クナ[狗奴]との対応関係を考えてみるのもおもしろそうです。
 k-n音タイプの漢語ケンkengenの語音構造も参考になります(ケ[毛]が生えるように、本体からツキデル・ナリモノ)。
 さらにいえば、カヌ[兼]・カナフ[応・叶]との関連で、英語can, knowなどとの対応関係を考えることも参考になります。「インド・ヨーロッパ語根とその派生語」の中で、「語根gno- (基本義to know知る)からknow, can¹できる, cunningずるい, recognize認める, ignore無視するなどの派生語が生まれた」と指摘されているからです。
 シマは、s-mタイプの語音。上代2音節動詞として、サム[]・シム[染・占]・スム[住・澄]・セム[責・迫]・ソム[染・始]など、すべて成立しています。
さて、このさき、くわしく説明したいところですが、それだけの時間がありません。s-m音語にかんしては,『コトダマの世界Ⅱ』第16章「スミノエ神はMr. Smithだった」でかなりくわしく調査・報告してありますので、ご参照いただければ幸せです。

   クジフルタケ
 原文では「クジフルタケ[久士布流多氣]と表記され、わざわざ「久以下ノ六字ハ音ニヨル」と注釈がついています。[久士]はクシと読んで、クシ[串・櫛]の意と解釈したいと考えていましたが、当時『古事記』などの文書では、[士]はではなく、濁音を表わすモジだったこともわかり、もういちど考えなおすことにしました。
 kus-音の上代語としては、クサ[草・種・来方]・クサシ[]・クサリ[]・クサル[]・クシ[串・櫛・奇]・クシゲ[櫛笥]・クシブ(神秘的な力を持っている)・クシラ[髪梳]・クシロ[]・クス[]・クスシ[]・クスリ[]・クソ[糞・糞屎]など成立しています。それにくらべて、kuz-音の上代語はごく少数ですが、3音節動詞クジク[挫・折]・クジル[]をはじめ、クズ[]・クズノネ[葛根]クズハ[葛葉]などが成立しています。
  クス・クズにかぎらず、k-s, k-z音のコトバは、k-t, k-d音とほぼ共通の基本義をもっているようです。たとえばカツ[搗・合・勝・且]とカス[貸・借・糟・滓]・カズ[]クツ[朽・履・沓]・クヅ[]とクス[楠・樟]・クズ[]などがそうです。意味用法のちがいをきめるのは、t, d音とs,z音のちがいだけです。
 t-音は破裂音なので、「ツヨイ・フトイ・カタイ」感覚をともないますが、s-音は摩擦音なので、比較的「ウスイ・ホソイ・スルドイ・ヤワラカイ」感覚をもたらします。そこで、農耕など労働作業の場合でも、会話する場合でも、エネルギー節約の原則にしたがって、「t-音からs-音へ移行する傾向がみられます。たとえば;
aカツ[搗・合](カツケル) ⇒カス[貸・借・滓・糟]⇒カズ[]*カス[]とは、自分のモノをカット(分割)し、他人へ渡すこと。カットされたモノの姿がカス[滓・糟]・カズ[]
bクチ[口]・クツ[朽・沓]・クヅ[]⇒クシ[串]・クス[]・クスリ[薬]・クズ[]*クチ[口]・クツ[]は、中空にカットされた姿。クツ[朽]・クサリ・クサルは、ク
タクタ・グサグサ、カットされる姿。クシ[串]・クス・クスリは「口(薬研)の中でグサッとツキサク、薬効成分をクスネル」姿。また、クズ[]の根は、クタクタにキザミ、クヅ[屑]状態にしたうえで、葛根湯というクスリとなります。クソ[糞]は、クチ[口](肛門)でカットされ、排出されるモノ。なお、上代語ではありませんが、クスネ[薬煉]・クズネリ[葛煉]などの語音構造も参考になります。
cケツ[]⇒ケス[]
  また、「筑紫の語源は“千串”で…”突出した岬の多くある地“の意」…”クシフル“の”フル”は朝鮮半島側と共通する”村落“の意」という指摘もあり、おもしろいと思います。ついでにいえば、漢語でも、同義語としてブラク[部落](buluoがあり、英語でも、インド・ヨーロッパ語根weik- (clan氏族)からの派生語として、villa(いなかの邸宅), village(村。集落)などが成立しています。ムラmura・フルfuru・ブラクbuluovillageの語頭子音m-, f-, b-, v-は、いずれもクチビルの音で、交替関係にある語音です。

   カラクニと狗邪韓国
「天孫降臨」といえば、古代日本国の成立を考えるうえでカナメとなる場面だと思いますが、じっさいに『古事記』上巻の記事を読んでみたかぎりでは、「いつ、どこで、だれが、なにを、どうしたのか」、歴史の真実がよくわかりません。                                                                                                   天孫ニニギノ命は、天照大御神の命令にしたがい、「天のイワクラ[石位]を離れ、天の八重たな雲を押し分けて,イツノ道別き道別きて、天の浮橋にうきじまり、そり立たして、筑紫の日向の高千穂のクジフル多氣に天降り」することになったようですが、「天孫降臨が完了した」という意味ではないようです。この段階で、ニニギノ命が「ここはカラクニ[韓国」に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、いと吉きところ]と宣言していますが、この宣言のあと「底つ石根に宮柱太ふとしり、高天の原にヒギ(千木)たかしりて坐しき」と記録されています。ニニギノ命が天照大御神にむかってはカッコよく報告しながら、じつは仕事をサボっていた(高天の原に残っていた)のでしょうか。それとも、天孫族の日本列島支配という事業がどれほどテマ・ヒマかかるものだったかをわかってもらうために、このような記事を構成したのでしょうか。
 いずれにしても、歴史の真実を明らかにするためには、日本史研究者だけでなく世界史・考古学の研究者などの協力を得て、まずは天孫族・天皇家一族の実態をたしかめることが必要ではないかと考えています。
 カラクニのカラについては、国名としてだけでも[漢・唐・韓・加羅]などの国名に当てられています。韓国がらみで、クヤカン[狗邪韓]の名が出てくると、やがてクサカ[日下](地名)、オホクサカ[大日下]王(仁徳天皇の子)などの呼び名もからんでくるかもしれません。クサカ[日下]は、ヒノシタ・ヒノモトと読むことができます、つまり、[日本](国号)ヒノモトに通じる称号です。
 この日午後6時から、内幸町つむぎ乃で忘年会がひらかれました。出席者10人というささやかなパーティ―ですが、午前中に開催される研修会とはちがって、時間の制限を気にせず、ゆっくり本音を語りあうことができました。わたしはホームへ入居してから晩酌なしの生活をつづけていますが、こうした席ではすこしだけお酒もいただくことにしています。自分より若い人たちとうちとけた話ができるようになると、なんとなく若返ったような気がして、うれしくなります。

かぶら寿しをいただく
1210日(月)12時すぎ、7Fのみなさんといっしょに昼食の最中、ひょっこりとoteさんが来訪。カブラズシを差し入れ。ゆっくり会話するヒマもないまま、すぐ帰ってゆかれました。かぶら寿しは、数日かかって賞味させていただきました。ごちそうさま。
oteんは、わたしのむかしの生徒さんです。半世紀以上もまえのむかし話ですが、わたしがはじめて富山市立東部中学校英語科教諭として勤務したときの生徒さんです。そして、わたしが最後に勤務した富山外国語専門学校では、わたしが中国語科、oteんは英語科の講師として、同僚でした。
 oteんは南富山駅近くで英語塾を開き、独特の学習指導法で実績を上げているようです。先日も生徒募集の文書を見せてもらいましたが、その中に「小学生から英語学習」、「中学3年までに、高校3年の課程まで仕上げる」、「東京大学などへの合格者数」などの文句が出てきました。「独特の学習指導法」というのは、文科省の学習指導要領とちがって、「コトバの基本は、文字言語ではなく、音声言語である」、したがって「コトバの学習法は、ヨム・カク能力よりさきにキク・ハナス能力を身につけることが基本(カナメ)だ」ということです。
 その点では、わたしもまったく同感ですが、わたしはもともと中国語専攻で、英語の実力がありません。おそらく彼の十分の一以下だろうと自覚しています。その彼が、わたしのことを「恩師」とよび、あちこちで公言しているらしいので、その話を聞かされたときは、冷や汗をかく思いがしました。
 わたしは自分の学力不足を承知のうえで、かってに「象形言語説」を設定し、「日漢英の音韻比較作業」をすすめ、中国語学会全国大会で十数回にわたって発表させていただきましたが、ほとんど無視されたままでした。それでもコリルことなく自己流をつづける。こうしたタイプの人間を、世間いっぱんでは「変な人」、「カワッタ人」などと呼んでいるようで、わたしも該当者の一人かと自覚しています。
 そのわたしを「恩師」とよぶ oteんも、「カワッタ人」と呼ばれる資格(?)がありそうです。どこが「カワッタ人」なのか?ひとことでいえば、すること・なすこと、すべてマイ・ペースの感じがすることです。たとえばこの秋、呉羽のナシを3回もホームまでサシイレしていただきましたが、昼食の直前や最中などで.ろくに会話をかわすヒマもないまま、すぐ帰ってしまうことがあり、たまたま部屋でゆっくり話しはじめたと思ったら、自分の用件だけしゃべって、あとは「きょうは補聴器をつけていないので」と、こちらの話を聞かずに帰ってしまったこともあります。いまどきの社会生活では、相手の気持ちをソンタク[忖度]して、無意味な会話で時間をムダ使いすることが多いと思います。彼の行動を見ているうちに、時間のムダ使いを防ぐには、こういうテもあったのかと、変なところで感心してしまいました。

タワーづくりゲーム
 126日(木)。午後9fで、「タワーづくりゲーム」があり、参加しました。牛乳パック1~2cm巾で輪切りにしたものをドンドン積みかさねてゆくゲームです。意欲満々でスタートしましたが、そのあとすぐ挫折感におそわれました。パックの切り口が水平でなく、ナナメだったり、をうたせたり、とにかく不安定なのです。わたしは「右顔面マヒ」の後遺症で、右目は使えません。いつも左目だけで観察しているので、距離や方向の感覚がつかめません。タワーどころか、3段ほど積んだところで、じきくずれそうになります。「3分間でどれだけ」というゲームがくりかえされましたが、わたしは13cmが限度でした。中には毎回20cm以上のタワーを築く方もおられ、うらやましいと思いました。

社会人大楽塾 
 1213日(木)。午後9fでひらかれた「社会人大楽塾」に出席。この日は、みんなでいっしょに「同級会音頭」,「たき火」、「ジングルベル」、「赤鼻のトナカイ」、「青い山脈」、「世界の国からこんにちは」、「お正月」などを歌いました。
 「大楽塾」の出演者は毎回柳原正年さんでしたが、前回から女性の方に変わりました。男性から女性へと交替したことで、「大楽塾」の演出の仕方がすこしずつ変化してきたように見うけました。「大声でワッハッハと笑う」、「くりかえしアリガトウをとなえる」などの場面が比較的すくなくなり、「歌の情緒に浸る」場面がおおくなりました。さらに今回は、「簡単なフリツケ」も取りこんだ演出になっていました。老人ホームという介護施設の現場で試行錯誤的にすすめられている「介護の在り方」研究の一端を見る思いがしました。




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