2012年5月15日火曜日

ゼロ歳ポッチャリ君のパワー


北前船廻船問屋「森家」



磯料理「松月」
 


 ポッチャリ君、ケータイ電話に関心



こっち向いて!


もういちど!


西田夫妻と長男ハルト君
4月なかば、東京から伊藤広美・淳子夫妻が来県。わたしども老夫婦をあちこち花見につれていってくれました。あのときは、愛犬ランちゃんともども「二人と一匹のご一行さま」でした。
そのあとまもなく430日、こんどは九州小倉から西田タカノブ[尚信]・規子夫妻が、生後8か月の長男ハルト[悠人]君をマイカーにのせて、たずねて来てくれました。
尚信さんは西田恵美子(信子の妹)さんの長男で、信子にしてみれば「オシメをかいていたころから、よく知っている」あいだがら。また、規子さんの話では、「(骨付き)魚の上手な食べ方を、富山のおじさんから習った」というのが尚信さんの口ぐせだそうです。わたし自身たしかな記憶はありませんが、あるいはそんなことがあったかもしれません。
これまでの尚信さんと規子さんは、「西田家の長男とオヨメサン」というだけでしたが、こんどは(未来の西田家当主)ハルト君の親として、「富山のおじさん・おばさんたちにオヒロメする」ための富山訪問。その意味で、この「西田家三人のご一行さま」の主役は生後8か月のハルト君というわけです。

ポッチャリ顔で、女の子みたい
尚信さん一行は、小倉を出てから規子さんの実家のある大津に立ちより、そこで規子さんの「琴の発表会」をすませてから富山へむかったそうです。
30日午後2時過ぎ、イズミ宅へ到着。ハルト君がよく眠っていたおかげで、クルマの運転が予期以上に順調だったとのこと。
ハルト君のことは、恵美子さんからの電話で、いろいろ話は聞いていましたが、これがはじめてのご対面。クルマにゆられての長道中、くたびれていないかと心配していましたが、意外に元気なようす。人見知りせず、わたしが抱っこしても、にこにこしていました。
ポッテリ・ポッチャリした顔で、まるで女の子みたいに見えます。
まだハイハイもうまくできませんが、とにかく元気で活発。よく動きます。オモチャにはあまり興味がないようですが、電気のコードやケータイのストラップなどを見ると、手をのばしてつかまえようとします。つかまえたものは、口へもってゆきます。タベルというよりも、クチにフレル感触を味わっているようすです。それはやがて、食品を検査したり、グルメを楽しんだりする行為につながるものかもしれません。
そして時々、かなり大きな声で「アァ、アァ」とさけびます。なにか重要なメッセージを発表しているのかもしれませんが、わたしらには意味不明です。

「津田ずし」で夕食
午後6時、藤木芳明さん・美織さん夫妻が到着したところで、雪見橋ほとりにある「津田ずし」へ移動、いっしょに夕食を食べました。「津田ずし」までは、歩いて3分ほど。あまりはでな宣伝広告はしていないようで、有名店といえるかどうかは分かりません。それでも、尚信さんがはじめて富山へみえたとき、ここでスシを食べ、「富山のサカナはうまかった」といってくれたので、そのあと規子さんがみえたときも、ここへ案内しました。
美織さんは、尚信さんといとこ同士。昨年5月西田夫妻が来富したときも、八尾の祭りで山車見物にさそってくれたこともあり、話題が尽きません。
この日、お店の方でお客さんが立てこんでいるようすはなく、座敷は貸切状態。ハルト君がなにをしようとキガネなし。みんなゆっくりオシャベリすることができました。
食事のあと、西田家の3人はクルマをイズミの駐車場にとめたまま、予約してあったホテル・ドーミンへむかいました。

ポートラムに試乗
51日午前中は、藤木夫妻が「富山のまちなみ」を案内してくれることになりました。
10時、藤木さんのクルマで砂町から富山駅北口まで移動。ここから東岩瀬駅までポートラムライトレールの愛称)に試乗しました。森富山市長が提唱する「新しい都市づくり」のメダマであり、日本全国から見学者が押しよせている、いま評判の新型電車です。
これまで富山市内の観光コースといえば、富山城・中心商店街、あるいは呉羽山展望台・民族民芸村などが定番でした。ところがバブルがはじけてから、中心商店街はさびれるばかり。いつ立ち直れるのか見当がつきません。その一方で、いまの森市長になったころから、富山駅北側のオフィス街と海沿いの「廻船問屋のあるまちなみ」(岩瀬地区)を1本の線でつなぐ「新しい都市づくり」の動きが目立ってきました。その「1本の線」が、このポートラムです。わたしは、まだ2~3回乗っただけですが、はじめて乗った時から「これならイケル」と感じていました。ユレも騒音も小さく、これまでの電車とはまるで天と地のちがいです。いま走っている市内電車をライトレールにとりかえたら、沿線の住民たちや商売屋さんたちは大歓迎だろうと思ったくらいです。

北前船廻船問屋「森家」
東岩瀬駅でライトレールを降りると、藤木さんがクルマで先まわりして、待ち受けていました。ここからふたたび藤木さんのクルマで「回線問屋群のあるまちなみ」見学にむかいます。
岩瀬大町通りには、「北前船廻船問屋森家をはじめ馬場家、米田家、佐藤家、佐渡家、宮城家などの旧家があり、中でも森家は重要文化財に指定されています。
リーフレットに「森家は、代々四十物屋仙右衛門と称し、明治以降は苗字を森とした」と解説されていました。アイモノ[四十物]は、もとアヘモノ[饗物](ごちそう)。四十物屋は「水産物業者」(魚屋さん)のことです。アイモノというコトバは、職業名のほか地名にも使われ、富山市中心街にも「西四十物町」が現存しています。「東四十物町」は中央通に吸収されましたが、郵便局名「富山四十物町」(2010.8.31.ブログ「川にゆかりの地名」参照)としてナゴリをとどめています。
 
「松月」で昼食
藤木さんが、「松月」で昼食をとるように手配してくれました。「松月」は岩瀬地区を代表する老舗の料理旅館で、「磯料理」をカンバンにしています。わたしはむかし北部中学校に勤めていたころに数回、そのご町内会の懇親会でも1回来たことがありますが、それっきりだと思います。古風な建築様式がそのまま残されているので、ここへ来たとたん、タイムスリップした感じになりました。

ゼロ歳児からパワーをもらう
午後3時過ぎ、砂町へ帰着。「西田家三人のご一行さま」はクルマをのりかえ、大津へむかって出発しました。
ハルト君とは、たった二日間のツキアイ。「風とともに去りぬ」といったところですが、半月たった今でも、ついそこでハイハイしたり、なにかをオシャブリしたりしているような錯覚をおこすことがあります。
生後8か月のアカちゃんですから、カタコトといえるほどのコトバも話せません。それでも、ただ顔を見ているだけで、ハルト君といろんなことを対話できたと感じています。おかげで、わたしはハルト君からたくさんの元気・パワーをもらいました。
客観性・科学性を追求する立場からいえば、ゼロ歳児と「対話」したり、元気をもらったりするという現象を説明するのはむつかしいかもしれません。しかし、実際世間ではありふれたこと、むしろ当然のことと考えられていますよね。

ポタポタ・ポッチリ・活発・potent
さきほど、ハルト君のことを「ポッチャリ顔」といいました。顔だけではありません。手も足も胴体も、ポタポタ・ポッテリした姿です。さわってみた感じはやわらかですが、弾力性があり、カッパツ[活発]な動きをみせます。生命力のカタマリといった感じです。
このpot-という語音は、「水滴がポトポト・ポツリと落ちる」、「滴がホトバシル」姿などにも使われます。また、漢語ハツ[發](発生・活発・発酵)やボツ[勃](勃起・勃興)なども、「生命力がホトバシル」姿です。さらには英語でも、語根poti-(powerful)からpowerちから, possible可能な, potent有力な、などの派生語が生まれています(ブログ「コトダマの世界」2012.5.9.「p-t音の英語」などを参照)。


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